アラン・チューリングの生涯年表
1912年 – 0歳「イギリスにて生まれる」
イギリスへ両親が帰国して誕生
チューリングの命が宿ったとき、両親はインドにいました。子どもをイギリスで産みたいと考えた両親はイギリスに帰国しアランを出産します。その後父のジュリアスはインドへ帰国し、母のエセルも1年くらいしてから友人のウィード夫妻へ兄のジョンとアランを預けてインドへ戻ってしまうのです。
当時の風習として子どもを他人へ預けてしまうことを、さほど気にしないという考えられないようなものがありました。日本だとまずあり得ません。なぜこのような方法が取られたのかと言えば、学費の捻出が目的です。今も学費に頭を抱えている親は多いでしょう。
幼少期から数学の才能を示し始める
得意なことは幼少期から発揮されるものですが、チューリングも数字に強くパズルも得意という将来を想像させる発達をみせます。しかし小学校の成績は良くなかったようです。雌伏の期間だったのかもしれません。
両親がインドにいて、寂しい想いをしていたチューリングは非社交的な夢見がちな少年へと成長していきます。典型的にアスペルガー症候群の症状が現れており、周りからは風変りだと思われていました。
1930年 – 18歳「性の目覚め」
初恋とその死
一歳年上のクリストファー・マルコムに出会い、チューリングの人生が変わり始めます。シャーボーン学校一の秀才であり、チューリングはクリストファーを一目見た時から心惹かれていくのです。毎週水曜午後に図書館で勉強することを突き止めると、チューリングも図書館に通い一緒に勉強するようになります。
しかしそんな幸せな時間も長くは続きませんでした。クリストファーと一緒に居たくて受験したトリニティ・コレッジに奨学金無しの状況になってしまいます。クリストファーは余裕がある上流階級であり、受験結果は奨学金を得ての入学だったのです。
1年の別れが決定したところに、更に永遠の別れが待っていました。結核を患い、クリストファーは死んでしまいます。友であり初恋相手を失ったチューリングは、心にクリストファーが望んでいたであろう生き方をしようと決めるのです。純愛ですね。
ケンブリッジ大学キングス・コレッジに入学
クリストファーを想いながら勉強や生活態度を改めて、今までのチューリングとは違うアラン・チューリングが生まれます。クリストファーの両親が寄付金で作ったマルコム化学賞を論文を出して受賞しました。第一志望はトリニティ・カレッジでしたが、こちらは落ちてしまいます。
しかしキングス・カレッジには奨学金付きで合格したので、キングス・カレッジにチューリングは入学することになりました。ここから、天才アラン・チューリングは目覚ましい成長を遂げていくことになるのです。
1937年 – 25歳「現代への礎を築く」
計算可能数、ならびにそのヒルベルトの決定問題への応用
この論文はチューリングが現代にまで影響を与える論文で、コンピューターの青写真を掲示するものです。なぜこの論文が書かれたのか?それは決定不可能な問題が存在すると発表され、多くの数学者が失望していましたがチューリングは真っ向から挑戦したのがこの論文でした。
結果的に言えば、決定不可能な問題を確かめるすべを論文の中で出したチューリングマシンをもってしても突き止められないと突き止めることになりました。その代わりに、現代へ通じるAIやコンピューターの礎を作ったことになります。
チューリングマシンとは?
上記の論文に登場したチューリングマシンとは、一体どのようなものなのでしょうか?機械へ回答可能な計算をさせるために、チューリングは機械の内部的な仕組みを論文の中で説明しています。自動で演奏するピアノのように、穴のあいた紙テープを2種類使って計算式を入力すれば答えを引き出せるといったものです。
これは現代にそのまま繋がっているもので、プログラムされた動作を瞬時に行うコンピューターや論理的なことを考えるAIの可能性を与えたのです。
1939年 – 27歳「戦争の足音」
ドイツエニグマ暗号機械を解読
ドイツ・イタリア・日本の3国は第二次世界大戦を始めます。戦線は日本がアジアでしたが、ドイツ・イタリアはヨーロッパ戦線でありイギリスも否応なく戦争に引きずり込まれていきました。厄介だったのは、当時解読不可能とされていたエニグマ暗号機械です。
このエニグマは、キーボード・スクランブラー・ランプボードで構成されており組み合わせによっては無限に暗号を作れるという、暗号解読者に取っては厄介な機械でした。アラン・チューリングはブレッチレー・パークに招聘されて、このエニグマに挑みます。
解読機械bombe
実際に使用された機械の名前はbombeといいます。仕組みとしては、エニグマのスクランブラーと呼ばれる部分を12個使われて連結させて稼働させるものです。この解読作業にとって何よりも必要とされるのが、クリブと呼ばれる暗号鍵が必要でした。
鍵がなければ暗号解読はできませんが、bombeを使って解読しながら進めることが可能だったのでクリブが解れば暗号は容易に読むことができるようになったのです。
1952年 – 38歳「人生の暗転」
同性愛者だと知られてしまう
戦後も数学的な研究を進めて、有意義な生活を送っていたアラン・チューリングでしたが初恋の相手を求め続けていました。ジョーン・クラークと婚約をしますが、同性愛者であると知るところとなり婚約は解消されます。
そうしてついに同性愛者=犯罪者として逮捕されるのです。初恋の相手クリストファーの面影を追って一夜を共にした青年が、チューリングを同性愛者だと話してしまいます。アラン・チューリングはこの瞬間から犯罪者とされ名誉も失墜してしまうのです。
留置場かホルモン治療かの選択を迫られて、ホルモン治療を選択します。身体は徐々に女性化し、重いうつ状態となっていきました。
永久の眠りに
二年のホルモン治療の末、アラン・チューリングは青酸カリを浸したリンゴを食べて自殺します。なぜリンゴだったのか、それは初恋の相手と観た映画が強く心に残っていたからでしょう。クリストファーと観た白雪姫、毒リンゴを食べて永遠の眠りにつこう。
こうしてアラン・チューリングは永遠の眠りについたのです。現代だったら、まだまだ差別は無くなりませんが逮捕はあり得ません。時代が悪かったとしか言えないのです。1人の天才数学者は、近代に名誉を回復されるまで評価されることがなかったのは偏見のためでしょう。
偏見という色眼鏡がいかに愚かなことか、一度立ち止まって考えて見るべきです。
アラン・チューリングの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
アラン・チューリングを知るためのおすすめ本6選【伝記から漫画まで】
暗号解読 上
一言で言うのであれば、難しい本です。暗号解読について、古代から現代にかけてどのような経緯を経て暗号は進化してきたのかが書かれています。その中でエニグマを解読した、アラン・チューリングについても記載がありますので暗号を通じてアラン・チューリングを知りたい人におすすめです。
天才の栄光と挫折
ニュートンなど知られた人物から、知られざる人物まで数学者について書かれた本です。この中にアラン・チューリングが登場しており、現地取材を通じて綿密な構成となっています。
チューリング「情報時代のパイオニア」
再評価が高まるアラン・チューリングについて、研究の第一人者がアラン・チューリングを細かく解説している一冊です。筆者もまだ読んでいませんが、今後読みたいと考えています。
アランチューリングに関する本は以下の記事でも紹介しています。
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おすすめの映画
イミテーション・ゲーム
イミテーション・ゲームは、アランチューリングが第二次世界対戦中に、エニグマの暗号を解読していくストーリーを中心に、彼の私生活や短い生涯を写した映画です。
ベネディクト・カンバーバッチが、アラン・チューリングを演じておりアラン・チューリングの苦悩を見事に演じています。
特にチューリングの私的な部分に焦点を当てており、ジョーン・クラークと婚約までするも同性愛者であることを話して婚約が自然解消していく場面が印象的です。文句なしにおすすめできます。
関連外部リンク
- 人工知能の父、アラン・チューリングがイギリスの新50ポンド札に | ギズモード・ジャパン
- アラン・チューリング「人工知能の “考え方” は我々とは異なる」 | シンギュラリティ!
- アラン・チューリング – Wikipedia
アラン・チューリングについてのまとめ
彼がいなければ、情報化社会への進展は遅れ、戦争も長引いていたでしょう。それほどエニグマを解読した功績は偉大であり、称えられるものです。
人は尖っていてこそ面白い、というのが筆者の持論ですがなんの特徴もない人は面白くありません。個性があってこそ、自分を確立させることができます。今悩んでいる人も、逃げずに立ち向かいましょう。アラン・チューリングは困難を可能にしたのですから。