ガガーリンの名言
さあ行こう!
この言葉は、ガガーリンが未知の領域である宇宙へ旅立つ際に発した名言です。東側諸国では、人類が宇宙時代へ突入することを告げた言葉として歴史的な名言とされています。
旅立った後、彼は飛行中にソ連の楽曲である「祖国は聞いている」を口ずさんで自分自身を奮い立たせていました。この行動からも見られるように、彼は自らを勇気づける言葉として意識して勇敢な台詞を発していたのかもしれません。
地球は青かった
この言葉は、宇宙から地球を目にした際にガガーリンが発した名言です。原文では「Небо очень и очень темное, а Земля голубоватая.」となり、日本語に直訳すると「空はとても暗かった。一方、地球は青みがかっていた。」となります。
しかし、日本では「地球は青かった」の台詞として知られています。日本には違った表現で伝わり、言葉のみが1人歩きして有名になってしまっているのです。
神はいなかった
この言葉は、ガガーリンが宇宙へ行って地球の周りを飛行していた際の言葉として報道されたことで有名になった台詞です。「ここに神は見当たらない」や「見回してみても神はいない」といった表現でも知られています。
実は、日本以外の国々では「地球は青かった」よりも「神はいなかった」の方が、ガガーリンの名言として有名なようです。この傾向には、宗教観の違いなどの理由があるのかもしれません。
ガガーリンにまつわる逸話
逸話1「名言『地球は青かった』は言っていない?」
ガガーリンの名言といえば、「地球は青かった」ですよね。しかし、この実際にはガガーリンは言っていないのです。ガガーリンは宇宙空間で管制官との通信のやり取りの一部で、「Небо очень и очень темное , а Земля голубоватая . 」という言葉をのこしています。
この言葉を日本語に直訳すると、
「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」
となります。しかし、日本の新聞はこの言葉を「地球は青かった」と大々的に掲載されます。
なぜこのように簡素な言葉になってしまったのか、明確な理由は定かではありません。もしかしたら、当時の日本はロシア語の翻訳がうまくできなかったのかもしれません。そのため、「地球は青かった」が名言として記憶されるようになったのです。
逸話2「ガガーリンが宇宙飛行士に選ばれた理由は身長?」
ボストーク1号の宇宙飛行士を選ぶ際に重要なポイントがありました。それは搭乗員の身長です。ボストーク1号の船内のスペースは非常に狭く、大柄の人では乗り込むのが難しかったのです。
そのため搭乗する宇宙飛行士は、小柄な体格の人が求められたのです。ガガーリンの身長は158㎝とかなり小さく、体格も大きくはありませんでした。
候補生の中から宇宙飛行士を選ぶ際に、ガガーリンの身長の低さという意外な点がメリットとなり、宇宙飛行士に選ばれる大きな理由の一つとなったのです。
ガガーリンの略歴年表
1934年3月9日年に4人兄弟の2男として生まれます。
両親はコルホーズといわれる、農民でした。
中等土業技術専門学校に入学し工業技術を学びます。
パイロットを夢見て、航空士官学校へ入学します。
空軍士官学校在学中にオレンブルクで出会った、ヴァレンチナ・ゴリチェヴァと結婚します。のちにエレーナとガーリャ2人の女児をもうける。
空軍士官学校卒業後にパイロットになります。そして宇宙開発が活発化すると、宇宙飛行士候補の一人として選ばれ、様々な訓練をうけます。
1961年4月10日ボストーク1号の打ち上げの2日前にボストーク1号の搭乗員に選ばれ、人類初の宇宙飛行士となりました。
1961年4月12日ボストーク1号が史上初の有人宇宙飛行に成功し、無事帰還も果たしました。
有人宇宙飛行を成功させた翌年1962年5月21日に来日します。
1968年3月27日ガガーリンは教官と共にジェット戦闘機に乗り飛行訓練中に、墜落事故によって死亡します。享年34歳