クララ・シューマンは、ロマン派の作曲家、ロベルト・シューマンの妻であり、自身もピアニスト、作曲家として名を残しています。
19世紀という時代に、女性でありながら、演奏者として生計を立てられたことからも、彼女の才能が、どれだけクオリティーが高いかわかります。半面、「家庭を支える」と言う、どの女性もやっていた生活は余儀なくされ、その中でも、彼女は決して自分の才能を捨てず、演奏し、家計を支えることまでやり遂げるのです。
そして、19世紀の女性であるクララの人生には、切り離すことの出来ない3人の男性が存在しています。
一人は、ピアノ教師の父、フリードリヒ・ヴィーク。クララを「モーツアルトのような神童」を育てるという野望を持ち、ピアノの英才教育を授け、最初の庇護者となります。
次に、夫となった作曲家、ロベルト・シューマン。半ば、ヴィークからクララを奪うように結婚しましたが、のちに狂気に陥り早逝します。そして、20代から、クララが亡くな時まで、書簡のやりとりをした作曲家のヨハネス・ブラームス。彼は最後まで友愛を貫き、クララが76歳で没した翌年、ブラームス63歳で没しています。
時代と男たちに翻弄されながらも、芸術家、教師、母であろうとした類まれな女性の生涯を紹介していきましょう。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
クララ・シューマンの来歴は?
名前 | クララ・ヨゼフィーネ・シューマン |
---|---|
誕生日 | 1819年9月13日 |
生地 | ザクセン王国ライプツィヒ |
没日 | 1896年5月20日 |
没地 | フランクフルト・アム・マイン |
配偶者 | ロベルト・シューマン |
埋葬場所 | Alter Friedhof (ドイツ・ボン) |
父の執着から始まったピアニストと言う道
クララの父フリードリヒ・ヴィークはピアノ教師でした。
クララを「第二のモーツアルト」にしようと試みたフリードリヒは、他の子供の育児を放棄し、彼女に音楽的英才教育を施します。
その甲斐あって、1828年、9歳の時、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会で、モーツァルト・ピアノ協奏曲のソリストを務めてピアニストとしてデビューします。 12歳の頃には彼女はヨーロッパ中をツアーして回るようになり、多くの音楽好き著名人や皇帝、音楽家などからも高評価を受けます。
当時のライプツィヒ、ザクセン王国のみならず、現在のドイツ全域に天才少女としてその名を知られるようになり、以後、19世紀において最も高名なピアニストとなるのでした。
しかし、父のクララへの執着は激しく、彼女の日記の内容を管理したり、後にロベルト・シューマンとの結婚を破談にするため奔走し、結局クララが裁判を起こさなければならないほどでした。
また、クララだけに彼の愛着はあり、他の子供達には見向きもしないどころか、ストレスを全て向け、虐待していたと言われており、クララは殴られている兄弟たちの阿鼻叫喚を聴き流し、或いは聴かないふりをして、練習に没頭していたと言います。
ヨハネス・ブラームスとの40年にも渡る友情
クララ・シューマンを語る上で、絶対に外せないのが、作曲家ブラームスとの友情です。
最初の出会いは、1853年、ブラームス20歳の時。鬼才のヴァイオリニスト、ヨアヒムの紹介所を手に、ロバート・シューマンを訪ねてきました。シューマンは、作曲家であると同時に、評論家としても才能を発揮しており、こうした若い音楽家が紹介され、彼の前で演奏などをしていたのです。
当時のブラームスはすらりと痩せていて、非常に薄い亜麻色のふさふさとした髪が肩くらいまで伸びていて、清純と静けさの溢れた表情をしており、はにかんだような態度は、特に彼を好もしく思わせたと言われています。
ブラームスが演奏のため、ピアノの前に座ると、ロベルトはクララを呼び、「この青年は、今まで聞いたこともない音楽を作曲する」と、紹介しました。
この瞬間、彼らの生涯を通じて、燃え続けた友情の火が灯されたのです。
ロベルトの死後も、ブラームスとクララは友情を育み続け、クララが死すまで、書簡を交わし続けました。出会った時20歳だったブラームスはクララが76歳で没した時、62歳になっていました。
長い人生の間、何度となくクララを助け、ロベルトが亡くなった後は、庇護者のように彼女と子供たちの生活まで面倒をみていましたが、二人が一緒に暮らすことはありませんでした。結局、クララが亡くなった次の年、ブラームスも後を追うように亡くなっています。
「クララ」と言う、名前の由来は?
クララの実母は、マリアンネ・トロムリッツ。
彼女もまた音楽一家の家系に生まれ、自らも声楽家、ピアニストとして、音楽活動を行っていました。
さらにこの時代の女性の重要な役割である、家事や育児も取り仕切っていましたが、夫であるフリードリヒ・ヴィークが、あまりにもピアニストとしての活動を、彼女に強く要求するため、それに耐えきれなくなって家を出たと言われています。恐らく良い生活水準を得るために、マリアンネの演奏活動を煽ったのでしょう。
結局離婚が成立し、クララのもとには新しい母がやってくることになりました。
ヴィークはマリアンネで果たせなかったことを、クララで成し遂げようとしていました。 娘が生まれたら一流のピアニストに育て上げるということを、かなり早いうちから夢見ていたようです。
この「クララ」という名前は、「光り輝く人」という意味で、彼女がピアニストとして活躍するのにふさわしいとして、名付けられたのだと言われています。
クララ・シューマンの名言
私はいつも神に向かって、私がこれまで切り抜けてきた、そして私をまだ待ち受けている恐ろしい心の動揺を克服する強さを与えてくれるよう、祈っています。私の本当の親友であるピアノは、きっと私の助けになってくれるはずです。
あらゆるものが一つに織りあげられ、一緒に呼吸しているのは、なんと見事なんでしょう!
もし女でなかったら、私はとっくの昔にピアノ弾きの生活を切り上げていたでしょう。でも、少しだけ慰めはあります。私は女性とならば確実に対抗していけます。
クララ・シューマンの作品一覧
ピアノ独奏曲
- Op1:ピアノのための四つのポロネーズ
- Op2:ピアノのための、ワルツ形式によるカプリス集
- Op3:ピアノのためのロマンスと変容
- Op4:ピアノのためのロマン的ワルツ集
- Op5:4つの性格的小品
- Op6:ピアノのためのトッカティーナ、バラード、ノクテュルヌ、ポロネーズ、二つのマズルカからなる音楽の夜会
- Op7:管弦楽の伴奏付きピアノ協奏曲第一番
- Op8:ベッリーニの「海賊の歌」にもとづくピアノのための演奏会用変奏曲
- Op9:ヴィーンの思い出(即興曲)
- Op10:ピアノのためのスケルツォ
- Op11:ピアノのための3つのロマンス
- Op14:ピアノのためのスケルツォ2番
- Op15:ピアノのための4つの幻影
- Op16:ピアノのための3つのプレリュードとフーガ
- Op20:ロベルト・シューマンの主題によるピアノのための変奏曲
歌曲
- Op12:リュッケルトの「恋の春」からの12の詩。ロベルトとクララ作曲による声とピアノのための作品
- Op13:ピアノ伴奏による6つの歌曲
- 声とピアノのためのワルツ。ヨハン・ペーター・リーザーの詩による
- 「海辺にて」ロバート・バーンズの詩による
- Op23:ヘルマン・ロレット「ユクンデ」から6つの歌曲
- ハイネの詩による「民衆歌」
- エマニュエル・ガイベルの詩による3つの混声合唱曲
器楽曲
- Op17:ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための三重奏曲
- Op22:ピアノとヴァイオリンのための3つのロマンツェ
- 管弦楽のためのスケルツォ(楽譜喪失)
カデンツァ
- ベートーヴェンのピアノ協奏曲ト長調作品58へのカデンツァ
- ベートーヴェンのピアノ競争曲ハ短調作品37へのカデンツァ
- モーツアルトのピアノ協奏曲ニ短調(k.466)へのカデンツァ