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金子兜太とはどんな人?俳句に生きた人生を代表作と共に紹介

金子兜太は、昭和から平成にかけて活躍した俳人です。埼玉県比企郡小川町に生まれました。

俳人・金子兜太

父親の金子元春は、医師であるとともに俳人としても活動をしています。俳句が好きな父の影響と友人からの勧誘がきっかけとなり、兜太は高校時代から俳句の道に入りました。

戦争を経験した兜太は、戦後、社会と俳句との接点を求めるように、俳句を詠みつづけます。それらの俳句は、古くからの俳句の伝統にしばられない、自由な俳句として、ひろく日本の社会の中に溶け込んでゆきます。

2018年2月、たくさんの魅力あふれる俳句を遺した金子兜太は、98歳でこの世を去りました。

兜太の俳句は、いわゆる伝統俳句とは異なり、社会性を詠みこんだり季語や定型(5・7・5)に縛られないといった自由さが特徴とされています。

兜太の功績をひとことで言えば、現代日本という社会に、俳句の根を大いに張ろうと尽力した点にあるといえます。俳句を詠む主体の存在を認めることは、日々転変し価値観の多様化する社会の中で「現代俳句」という器を設けることにつながり、多くの人が俳句に参加する道を開いたと言えます。

「俳句は、自由に詠めばよい。感じたまま作ればよい。──」金子兜太の魅力は、その器の大きさにあると言えます。今回は、そんな兜太の魅力に引き込まれた私が、金子兜太の世界をご紹介します!ぜひ最後までお付き合いください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

金子兜太とはどんな人物か?

名前金子兜太(本名)
誕生日1919年9月23日
生地埼玉県比企郡小川町
没日2018年2月20日
没地埼玉県熊谷市
配偶者金子(旧姓:塩谷)皆子
(1947年-2006年)
埋葬場所埼玉県秩父市長瀞町「総持寺」

金子兜太の生まれは?

金子兜太の生まれは、1919年9月23日ですから、第一次世界大戦の始まった年にあたります。埼玉県比企郡小川町の母の実家にて生を受けました。

小川町を流れる槻川。古くから和紙の産地としても有名。

父の金子元春は、開業医として地域医療に従事する傍ら、伊昔紅という俳号をもつ俳人でもありました。秩父音頭の歌詞改定に尽力した人としても知られています。

母の金子はるは、元春の集める俳人たちが乱痴気騒ぎを繰り返す様を見ていたため、「俳句の俳は『人に非る』だ」として、兜太が俳人になることを歓迎しなかったと言われています。そのため俳句に没頭する兜太を「与太」と呼んでいました。

乱痴気騒ぎをおこす俳人たちのイメージ

金子兜太の性格は?

まっすぐに本質をつかみ取る実直さ、質実剛健を感じさせる性格で、確固たる信念を持ち、人間としての核心が揺らぐことがありません。そう感じることの証左として、次のエピソードがあります。

ある時、師の楸邨が自分の俳句を採ってくれないことに業を煮やした兜太は、楸邨を批判する文章を書き、楸邨本人につきつけました。師を批判するなどということは、よほど芯の強い人間でなければなし得ないことです。

なお、後日談として、師の加藤楸邨は兜太の批判文を見開きページで俳誌に掲載したと言われています。兜太の性格とともに楸邨の器の大きさや師弟関係をも物語るエピソードです。

加藤楸邨の句碑「 木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ 」

金子兜太の故郷は?

兜太は、埼玉県秩父郡皆野町で育ちました。皆野町は、埼玉県西北部にある秩父盆地の一角に位置しており、町の中央を荒川が流れています。

戦国期には皆野之郷として記録に現れています。江戸時代は幕府領でしたが、明治時代に入り忍藩領、入間県を経て埼玉県に属しました。

兜太は、自然豊かな皆野町を愛し、自身にとっての「産土(うぶすな)」と表現しています。秩父の地はそれほど兜太にとって欠かせないアイデンティティだったのです。

兜太が「産土(うぶすな)」と呼んだ秩父市皆野町

金子兜太の死因は?

金子兜太の死因は、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)と言われています。難解な医学用語でイメージが難しいですが、ひと言でいうと呼吸不全のひとつで、肺炎や敗血症が原因で引き起こされる疾患です。

2018年2月、誤嚥性肺炎のため入院した金子兜太でしたが、最期はこの急性呼吸窮迫症候群のため、息を引き取りました。享年98歳。息子の金子眞土夫婦に看取られながらの最期でした。

まだ浅い春に兜太は旅立った

金子兜太の名言は?

「あれは、決して過ぎ去ったことじゃないと思ってます。それを、感じてほしいですよ。そう願いますよ。「私たちの時代に来るんじゃないか」と感じてほしい。いや、「感じてほしい」じゃない、「そんな時代にしてはいけない」と思ってほしい。注意してほしいと、そう思います。」

—『金子兜太 私が俳句だ(のこす言葉 KOKORO BOOKLET)』金子兜太著

「人間が、戦場なんかで命を落とすようなことは絶対あってはならない。それを言葉だけで語り継ごうといっても無理なわけで、体から体へと伝えるという気持ちが大事なんだ。そのときに、五七五という短い詩が力を発揮するんです。俳句は、体から体へと伝わるからね。」

—『金子兜太 私が俳句だ(のこす言葉 KOKORO BOOKLET)』金子兜太著

「創作において作者は絶えず自分の生き方に対決しているが、この対決の仕方が作者の態度を決定する。」

—『定型の詩法』金子兜太著

金子兜太の主要な句集

  • 『少年』-(風発行所、1955年)
  • 『金子兜太句集』-(風発行所、1961年)※『半島』所収
  • 『蜿蜿(えんえん)』-(三青社、1968年)
  • 『暗緑地誌』-(牧羊社、1972年)
  • 『早春展墓』-(湯川書房、1974年)
  • 『金子兜太全句集』-(立風書房、1975年)※未完句集『生長』、第六句集『狡童』を所収
  • 『旅次抄録』-(構造出版社、1977年)
  • 『遊牧集』-(蒼土舎、1981年)
  • 『猪羊集』-(現代俳句協会、1982年)
  • 『詩経国風』-(角川書店、1985年)
  • 『皆之』-(立風書房、1986年)
  • 『黄』-(ふらんす堂、1991年)※自選句集
  • 『金子兜太』-(花神社、1995年)※自選句集
  • 『両神』-(立風書房、1995年)
  • 『東国抄』-(花神社、2001年)
  • 『日常』-(ふらんす堂、2009年)

金子兜太の代表的な俳句

水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る

水脈(みお)とは航跡のことです。その果てに墓碑を置いてきた、というのがこの句の大意です。その墓碑は…というと「炎天」とあります。南の島の炎天ですから、石の墓碑ならば相当熱いでしょう。

この句は、兜太が引き上げ船に乗り日本へ還る洋上で詠んだ句とされています。ともに生きて戦地へ向かい、方や死にそして葬られた、その者の眠る墓碑を置いてきた…というのです。墓碑とはいえ、ここではむろん生きた「彼ら」を指しています。

翻って、方や生きた兜太です。なんの因果で自分は生きながらえ、日本へと還るのか。そのことの意味を、おそらく何度も問うたことでしょう。その問いの先に、未来があると信ずるほかはなかったのではないでしょうか。

航跡の続く先には、墓碑がある

彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン

兜太が日本銀行長崎支店時代に詠んだ句です。まず全体を眺めるに、一幅のシュールレアリストの絵画のようです。一語一語の検討に入る前に、句の全体を概観してみると新しい気づきが得られることが多々あります。

「湾曲し火傷し」はすなわち原爆の落ちた長崎の街を指しています。しかも「爆心地の」と続いています。長崎も長崎、まさに爆心地が舞台というわけです。しかし後に残されたのは「マラソン」のみ。このマラソン、どうやらただのマラソンではありません。

湾曲、火傷から被爆者が連想されます。詠み手である兜太は、マラソンを走っているのは生者のむこうに死者を感じているのです。その瞬間まで活気あふれた人間を刹那に奪い去った原爆への憎しみと非核の誓い…この句はそうした想いを訴えているように感じられます。

原子爆弾落下中心地碑 (長崎市)

人体冷えて東北白い花盛り

これは日本地図の東北地方を鳥瞰するような感覚を与えてくれる句です。出だしから変わっていて「人体」です。俳句も一つの詩情を詠う文学と理解すると、このような理系学問の匂いのする言葉はふつうは避けそうなものです。

しかし敢えて「人体」と突き放したことで先入主なく続きへと進めます。「冷えて」「東北白い花盛り」。人体と東北、冷えてと花盛りを並べて眺めるような、しかしそこに何とも不思議な情感が漂っている気がするのです。つまり、句の全体印象が温かいのです。

「白い花」が何を指すかも分かりません。俳句では、単に花といえば桜を指すものですが、ここでは桜桃や林檎をイメージすることもできそうです。その方が「冷えて」「東北」にマッチします。

りんごの木の花

暗黒や関東平野に火事一つ

まだ東北に新幹線も開通していなかった時代、白河から列車で関東平野にさしかかると火事が見えた、という出来事から詠まれた俳句と言われています。

あるものを無いといい、無いものをあるというのは、俳句の常套手段で、芭蕉の「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」も似たようなつくりをしています。この場合、見たのは「火事」なので全き暗黒では無いはずですね。

しかし、光があるところに影がたつように、火事あるがゆえに周囲の暗黒が一層濃く感じられる。そうした実感が見事に的確に表現されていると思います。先ほどの句と同様、夜の関東平野を鳥瞰するような視点も効いています。

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