明智光秀とはどんな人?生涯・年表まとめ【家紋や子孫についても紹介】

明智光秀の早見年表

1528年
明智光秀誕生

明智光秀は享禄元年(1528年)に美濃の明智家で誕生。

1569年
本圀寺防衛戦に参加

京都近辺で強大な勢力を持っていた三好家は織田信長の攻撃によって京都近辺から追い出されてしまいます。しかし三好家は織田信長に逆襲するべく兵力を蓄え、足利義昭がいる本圀寺へ攻撃。

この時明智光秀は足利義昭を守るべく本圀寺防衛戦へ参加し、功績を挙げることに成功し、織田信長と足利義昭二人に仕えることになります。

1571年
比叡山焼き討ち
明智光秀は織田信長行った比叡山焼き討ち作戦に参加。比叡山は織田信長の焼き討ち作戦によって壊滅し、比叡山や近江の志賀などの領土を明智光秀が与えられます。

明智光秀は織田信長から近江坂本に坂本城を築き上げ、城が完成した際、連歌を歌い上げています。またこの年に明智光秀は足利幕府の将軍である足利義昭との主従関係を断ち切って織田信長だけに仕える決断をします。

1579年
丹波丹後平定完了
明智光秀は織田信長から1575年に丹波丹後を平定するように命令を受けていましたが、進捗状況は芳しくありませんでした。

しかしこの年、ついに長年攻略に手こずっていた丹波丹後の攻略を無事に完了し、織田信長から大いに褒められることになります。

1582年
本能寺の変
明智光秀は長年仕えた主である織田信長を本能寺で殺害。また織田信長の嫡男である織田信忠の宿泊先である二条城を陥落させて織田信忠も殺害します。こうして明智光秀は天下を自らの手に掴むことに成功します。
1582年
小栗栖で死す
明智光秀は織田信長を殺害することに成功しますが、織田信長の仇討ちの為、出陣してきた豊臣秀吉と山崎の地で会戦。

明智光秀は豊臣秀吉との戦いに敗北し、近江坂本城へ向けて逃亡しますが、途中の小栗栖で農民たちの攻撃によって亡くなってしまいます。

明智光秀の具体年表

1528年 – 0歳「明智光秀誕生」

光秀の生年には諸説があり、謎めいている

明智光秀は享禄元年(1528年)に美濃の明智家で誕生します。家族構成は下記の通りです。

  • 父:明智光綱
  • 母:お牧の方
  • 長男:明智光秀
  • 次男:明智信教
  • 三男:明智康秀

明智光秀の出自は未だに謎が多く彼の幼少期に関する確実な資料が無い為、信憑性の低い資料によれば、幼少期に斎藤道三へ仕えていたそうです。

その後明智光秀は斎藤道三と息子である斎藤義龍との戦いで斎藤義龍が勝利したため、父の居城である明智城が陥落し、一家が離散されたと言われています。

1569年 – 41歳「本圀寺防衛戦に参加」

明智光秀は足利義昭が寄宿していた本圀寺が三好家の襲撃を受けた際、足利義昭を守るため、本圀寺防衛戦に参加。この戦いで明智光秀は初めて軍功を上げることに成功します。

京都の行政担当チームに加わる

明智光秀は丹羽長秀や羽柴秀吉たち織田家の人々と室町幕府の奉行役人と一緒に荘園保護を担当します。また明智光秀はこの仕事の他に京都の行政担当チームに配属されます。

1571年 – 43歳「比叡山焼き討ち作戦に参加」

死後、宣教師によって描かれたとされる織田信長像

明智光秀は織田信長が実行した比叡山焼き討ち作戦に参加。この作戦後明智光秀は比叡山の領土や近江志賀郡を与えられます。明智光秀は領地を拝領した後、天守や小天守がある坂本に城を築城して、坂本城を居城として定めます。

織田信長を主と定める

明智光秀は足利義昭と織田信長の二人の君主に仕えていました。そのため明智光秀は足利義昭と織田信長の板挟みなる事が多くかったそうです。しかしこの年足利義昭が明智光秀を責める事件が勃発。織田信長は明智光秀をかばいます。

その結果、明智光秀は足利義昭に見切りをつけて主従関係の縁を切って、織田信長を主と定めることにします。

1575年 – 47歳「丹波・丹後攻略を命じられる」

明智光秀は織田信長から丹波・丹後の攻略を命令されます。明智光秀は織田信長の期待に応えるべく丹波・丹後の攻略戦に邁進していくことになります。明智光秀は丹波の宇津氏や内藤氏を討伐するべく何度も出陣し、功績を残していきます。

しかし明智光秀は丹波・丹後攻略だけに集中するわけには行かず、越前の一向一揆の反乱鎮圧や河内にある高屋城攻略戦などの戦に参加することになり、丹波・丹後攻略は中々捗らなかったようです。

1579年 – 51歳「丹波・丹後の攻略を完了する」

現在も丹波の地名と美しい自然が残されている

明智光秀は織田信長から丹波・丹後の攻略を命じられていましたが、各地の戦線に参加させられていたため、丹波・丹後に集中することができませんでした。しかし少しずつ丹波・丹後の大名たちを討伐していき、命令を受けてから4年後、丹波・丹後の攻略を成し遂げます。

織田信長は明智光秀が丹波・丹後の攻略を成功させたことを高く評価し、明智光秀へ感状を送って、彼を褒めたたえます。

1582年 – 54歳「徳川家康の接待役に命じられる」

明智光秀は織田家の長年の同盟者である徳川家康の接待を織田信長から命じられます。明智光秀は徳川家康をもてなすため、近隣の名物を取り寄せて家康をもてなす準備を行いますが、織田信長から接待についての内容について叱られて、何度も叩かれたそうです。

その後明智光秀は中国地方の司令官であった豊臣秀吉の援軍を織田信長から命令されたため、居城亀山城へ帰還することになります。

愛宕参詣

明智光秀は豊臣秀吉の援軍に向かう前、愛宕山にお参りをした後、里村紹巴らと一緒に連歌会を行います。この時に明智光秀は後世にまで残る「時は今あめが下知る五月哉」の歌を歌っています。

本能寺で織田信長を殺害

本能寺で最後まで戦う信長の姿

明智光秀は愛宕山で連歌を行った後、豊臣秀吉を助けるため援軍を率いて出陣しますが、途中で方向を変えて、織田信長が寄宿している本能寺へ。

明智光秀は本能寺に到着すると、本能寺を包囲して、織田信長が寄宿している本能寺へ総攻撃を開始。織田信長は明智軍に対して抵抗しますが、少数の兵士か伴っていないため勝つことができないと判断し、本能寺へ火を放って自害します。

こうして明智光秀は織田信長を殺害し、二条城に寄宿していた織田信長の嫡男である織田信忠も殺害し、謀反を成功させます。こうして織田信長、信忠親子を倒し天下統一へ近づいた光秀ですが、彼に悲運が訪れます。

豊臣秀吉と対決

明智光秀は織田信長を殺害後、機内を掌握するべく手を打っていきますが、豊臣秀吉率いる軍勢が大坂辺りに到着したことを知って、彼と対決するため出陣。

明智光秀率いる明智軍と豊臣秀吉率いる軍勢は山崎の地で合戦を行います。当初は明智軍が優勢でしたが明智軍よりも多い兵力を保有していた豊臣軍が明智軍を押し切って勝利を手にします。戦に敗北した明智光秀は豊臣軍の追撃を逃れて、近江にある坂本城へ向けて側近を引き連れて逃亡していきます。

農民に襲われて討ち死に

光秀の辞世の句は現代にまで伝えられている

明智光秀は近江にある坂本城へ逃亡するため、坂本城の途上にある小栗栖を通過。この地で反乱を起こした農民たちが明智光秀を襲撃します。明智光秀は農民たちを退けることができず、彼らの手にかかって亡くなってしまうのでした。享年55歳だったそうです。

天下統一に王手をかけた明智光秀ですが、自分のやりたいような政治も行えず、天下を統治することもできずに亡くなってしまう悲運の名将と呼べるのではないでしょうか。

明智光秀の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

国盗り物語


この本は司馬遼太郎原作の歴史小説で、斎藤道三・織田信長・明智光秀が主人公となって活躍する本です。

明智光秀に関連する斎藤道三や織田信長だけでなく、彼の同僚である豊臣秀吉や柴田勝家、丹羽長秀などの織田家諸将や明智光秀の親友である細川藤孝などの関係性を知りたい方へおすすめです。

反逆


この本は織田信長に反旗を翻した武将にスポットライトを当てた歴史小説です。荒木村重や明智光秀が主人公として描かれ、反旗を翻した武将が各々それぞれの正義を胸にして領民たちを守る心理状況が丁寧に描かれています。

反逆者の側面から彼らの事を知りたい方におすすめの一冊となっています。

明智光秀を知りたい人におすすめの本6選【漫画や伝記、小説まで】

おすすめの動画

明智光秀最後の日々

明智光秀が本能寺の変を起こす前から彼が亡くなるまでの一年について解説している動画です。どうして明智光秀が本能寺の変を起こしたのか。また明智光秀は本当に亡くなったかなどについて紹介。小説などを読むのが苦手と感じている方へオススメです。

おすすめの映画

本能寺ホテル

明智光秀が起こした謎の事件「本能寺の変」直後に現代人がタイムスリップした映画内容になっており、エンターテインメントとして歴史的な堅苦しい部分が少なく楽しく歴史を知ることができます。

歴史が堅苦しくて本を読むのが苦手な人や歴史を知りたいけどちょっと歴史系のドラマなどに苦手意識がある等を感じている方へおすすめの映画となっています。

関連外部リンク

明智光秀についてのまとめ

いかがでしたか。明智光秀について彼の出身地や一族について解説させていただきました。私は明智光秀を小学校の歴史の教科書で初めて知ったのですが、その後戦国時代にハマった時、必ず明智光秀が登場してくるのでどのような人物なのか詳しく知るため、小説や歴史的な資料などを読み漁りました。

そして歴史的な資料を読み漁れば漁るほど彼についての諸説が色々と出現するため、どの説を選択すればいいのか非常に困惑しました。

ですが、一つだけ彼に関して言えるのは、彼が戦国時代において戦術面や謀略面、教養面においての名将であることです。この記事を読んで明智光秀のことを一人でも多く知っていただければ幸いです。

【明智光秀クイズ#1】本能寺で織田信長を討った武将。
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