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【年表付】マイケルジャクソンの人生は?名曲やダンス、死因など生涯まとめ

マイケル・ジャクソン(以下、マイケル)は、1958年8月29日アメリカ合衆国のインディアナ州の貧しい黒人家庭に生まれました。マイケルは、シンガーソングライター、ダンサー、実業家、慈善活動家など多数の顔をもち、音楽、ダンス、歌唱力、カリスマ性、全てを兼ね備えた究極のエンターテイナーでした。

マイケル・ジャクソン

マイケルは、10歳で兄弟達と「ジャクソン5」としてデビューするやいなや、その天才的な音楽センスと歌唱力で一躍大人気になります。ソロとしては、アルバム「スリラー」を始め、発表するアルバム全て爆発的なヒットとなり、ムーンウォーク、ゼロ・グラビティなどマイケル独自のダンスも有名となりました。

1970代~2000年代と、これほどの長きにわたりショービジネスの世界でトップを走り続けた人は、マイケル以外にはいないでしょう。する事なす事全てがニュースになる、まさにスーパースターでした。

また、マイケルは心から世界平和を願っており、その思いは曲の中でもメッセージとして発し続けられました。特に自らの失われた子供時代を取り戻すかのように、子供たちを愛し、全ての子が教育を受けられるように、多くの子供を助けたいと自ら財団を設立しています。

歌とダンスで世界を魅了した

マイケルは生前、数々の誹謗中傷、差別、ゴシップに苦しめられましたが、それらに対して「歌とダンス」と言う手段でメッセージを発信し、戦い続けました。2009年6月、ツアーのスタートが目前に迫る中、自宅にて息を引き取ります。原因は、処方薬の過剰摂取による急性中毒とされていますが、本当の意味でその死は謎に包まれています。

小学生の時「BADツアー」の日本公演を見て、「この世にこんなにカッコイイ人がいるのか」と衝撃を受けて以来、マイケルに関するあらゆるビデオや本を見漁った私が、マイケル・ジャクソンの生涯について解説します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

マイケル・ジャクソンとはどんな人?

名前マイケル・ジョセフ・ジャクソン
誕生日1958年8月29日
没日2009年6月25日
生地アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー
没地アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
配偶者なし
埋葬場所フォレスト・ローン・セメタリー

マイケルジャクソンの生涯をハイライト

マイケルジャクソン

マイケルジャクソンは1958年8月29日に、父ジョセフと母キャサリンの六男として誕生します。音楽好きな両親の影響で、マイケルは兄弟たちと共に小さなころから音楽に触れて育ちました。

才能を開花させたマイケルは兄弟たちと共にジャクソン5を結成しました。1968年には「帰ってほしいの」でメジャーデビューを果たし、全米チャート1位を獲得します。たちまち人気者になったジャクソン5はその後もヒット曲を連発しました。

1979年、音楽プロデューサーであるクインシージョーンズの力を借り「オフ・ザ・ウォール」でソロデビューを飾ります。1982年12月には世紀の大ヒットアルバム「スリラー」を発表しグラミー賞を総ナメする快挙を成し遂げました。

マイケルは1985年の「ウィ・アー・ザ・ワールド」を始めとして、数々の慈善活動も行ってきました。1992年には難病に苦しむ子供たちのために「ヒール・ザ・ワールド基金」を設立しています。

そんなマイケルですが、肌の色の変化による整形疑惑や幼児虐待で2度も告訴されるなど様々なスキャンダルの的となりました。晩年までマイケルは様々な報道やインタビューにより好奇の目に晒され苦しんだと言います。

マイケルは2009年6月に、麻酔薬プロポフォールの過剰摂取による呼吸停止及び心肺停止によりこの世を去ります。この結果を受け、マイケルの主治医が過失致死罪で有罪判決を言い渡されました。

数えきれないマイケルの名曲

数えきれないほどの名曲を残した

マイケル・ジャクソンは、数々の名曲を発表しました。マイケルの曲全てが名曲と言っても過言ではありません。ここでは、売上、メッセージ性などを考慮した上でいくつかの名曲をご紹介します。

まず最初に1983年にリリースされた「ビリー・ジーン」は間違いなく名曲と言えます。マイケルが作詞・作曲をしており、嘘ばかりのゴシップ記事にうんざりしていたマイケルの気持ちが良く現れています。また、ムーンウォークがはじめて披露されたのも、このビリー・ジーンのパフォーマンスの中でした。

そして、「スリラー」を忘れてはいけません。シングル曲「スリラー」のヒットにより、収録したアルバム「スリラー」が爆発的なヒットとなりました。「スリラー」ヒットの要因はそのミュージックビデオにあり、制作費1億円をかけた13分に及ぶミュージックビデオは、世界の音楽シーンに大きな影響を与えました。

スリラー

1992年リリースの「Heal The World」は、マイケルの代表的なメッセージソングです。紛争や貧困など社会問題を扱い、「世界を良くしていこう」と歌っています。また、マイケルは「ヒール・ザ・ワールド財団」を設立しました。

マイケルのテーマ曲とも言えるのが、1988年リリースの「マン・イン・ザ・ミラー」です。メッセージ性が強く、ゴスペルを基調とした名曲です。ミュージックビデオでは、人種差別、環境破壊、戦争などに反対する映像や、歴史的な人物も数多く登場します。コンサートの最後に歌われ、神々しいマイケルの姿にファンたちが涙を流している映像は有名ですね。

マイケルの代名詞「ムーンウォーク」

ダンスをするマイケル

ムーンウォークは足を交互に滑らし、前に進んでるように見せながら後退するストリートダンスの技法です。マイケルジャクソンが自身の楽曲である「ビリージーン」で使用したことで、世界的に有名になりました。

マイケルが初めてムーンウォークを披露したのは、1983年のモータウン25周年コンサートでのことでした。ビリージーンの間奏部分で初めて披露した瞬間の、観客の歓声がすべてを物語っています。

実はシャイな性格だった?

ステージでのマイケル

ステージでの自信に満ちた堂々とした振る舞いからは想像できませんが、実はマイケルは恥ずかしがり屋でとてもシャイでした。そのため普段からサングラスを愛用していたと言います。

しかし音楽に関してはとてもストイックで完璧主義者でした。納得がいくまで何度もリハーサルをやり直し、コンサートが終わってからも滞在先のホテルで練習していたというのは有名な話です。

マイケル・ジャクソンはどんな性格だった?実際のエピソードから分析

才能豊かなマイケルの兄弟たち

才能豊かなマイケルジャクソンの兄弟たち

マイケルジャクソンの兄弟たちも音楽の才能に溢れていました。ジャクソン5で一緒だった次男のティトジャクソンや三男のジャーメインジャクソンなどは、現在でもソロで音楽活動をしています。

そしてマイケルの次に成功しているのは三女のジャネットジャクソンでしょう。1989年に発表されたアルバム「リズム・ネイション1814」でポップスチャートとR&Bチャートの両方で1位を獲得し、全米だけで約850万枚もの売上を記録しました。

三人の子供にも恵まれた

マイケルの子供たち

マイケルには三人の子供がいます。長男のマイケル・ジョセフ・ジャクソン II、次男のプリンス・マイケル・ジャクソン II、長女のパリス・ジャクソンです。

長男ジョセフは、King’sSonProductionsという会社を設立し、プロデューサー業をしながら、次男プリンスと従兄弟と共に映画レビューのYouTubeチャンネルを立ち上げ、YouTuberとしても活躍しています。

次男プリンスは、幼少期から空手を続けており、兄ジョセフとともにYouTuberとして活躍しています。他の2人と違い、SNSをしていないため私生活は謎に包まれています。

有名が故にゴシップに悩まされたことも

長女のパリスは、父マイケルへの数々のゴシップや遺産を巡る親族のトラブルなどによって不安定になった時期があり、自殺未遂騒動を起こしました。現在は、モデルや女優として活躍しています。

長男のジョセフと長女のパリスは、マイケルの二番目の奥さんと某精子提供者(マイケルの友人と言われている)との子供で、マイケルと血の繋がりはないと言われており、次男のプリンスのみ、代理母から生まれた実子だと言われています。

マイケルの追悼式で当時11歳だった長女パリスは、「私が生まれたときから、パパはこの世で想像しうる限り最高のお父さんだった。ただ、今はパパに私がとっても愛しているということを伝えたいの……」とスピーチをしました。

三人の子供達にとってマイケルは素晴らしい父親であった、それが全てではないでしょうか。

死因は「医療ミス」とされているが…?

2009年、マイケルは自宅の寝室で心肺停止で横たわっていたのをボディーガードに発見され、病院に搬送されるもそのまま死亡してしまいました。死因は、当時の主治医コンラッド・マレイが投与した麻酔薬プロポフォールの過剰摂取による呼吸停止及び心肺停止と言われています。

医療ミスと言われているが…

後に、コンラッド・マレイ元医師は、過失致死罪で禁錮4年の実刑判決を受けています。しかし、誰がコンラッド・マレイを雇ったのか分からないこと、また、主治医自身に多額の借金があったことなどから、マイケルは医療ミスを装って殺されたのではないか、という説が強く残っています。

実際に、娘のパリスは米紙ローリングストーンに「父の死はしくまれたもの。父は殺された」と発言し、「いろいろな人に狙われていると、ほのめかしていた」「『いつかあいつらに殺される』と言っていた」「父が殺されたことは、本物のファンや家族はみんな知ってる。父の死を願っていた人は大勢いる」と話しています。

また、マイケルの死の真実を探っていた顧問弁護士が、マイケルが亡くなった翌年に謎の死を遂げているのも不可解です。いつか真実が明らかになる日が来るのでしょうか。

ネバーランドとはなんだったのか?

22億円をかけて購入した遊園地「ネバーランド」とは一体…

ネバーランドとはマイケルジャクソンが1987年に22億円をかけて購入した遊園地で、施設内にはマイケルの自宅やレコーディングスタジオなども併設されていました。「ピーターパン」に登場する年を取らない魔法の島から名付けられました。

世界の恵まれない子供たちのためにネバーランドを開放していたマイケルでしたが、児童虐待の疑惑が持ち上がり、違う意味で有名になってしまいます。マイケルは2005年の裁判で無罪判決を受けると、ネバーランドから引っ越し二度と戻りませんでした。

マイケル・ジャクソンの生存説とは?

生存説もささやかれている

2009年に亡くなったマイケルですが、「実は生きている」という生存説が存在します。きっかけとなったのは、マイケルの遺体を乗せた検死車両からマイケルが歩いて出てくるという動画です。しかし、情報の出所がTMZというアメリカのゴシップ誌ですので、信憑性は薄いかもしれませんね。

他にも、マイケルの棺桶写真は偽物であり、合成写真だったというものや、街中でマイケルを見た、病院の裏口から出てくるのを見た、など様々な目撃情報もあるようです。最近では、娘パリスが公開した動画の車の後部座席にマイケが乗っている、息子プリンスの卒業式に現れた、というものもあるようです。

いたずら好きのマイケルですから、私たち一般人には思いつかないような方法で「自らの死」を作り上げたのかもしれません。ファンとしては、たとえ表に出てこなくても、世界のどこかで幸せに生きていて欲しい、と願うばかりです。

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