渋沢栄一の名言20選!発言に込められた背景や意味まで解説

14.見通しと裏付けがない商売は失敗する

渋沢は多くの理念を持ち91歳の人生を駆け抜けていったのだろう

数字算出の確固たる見通しと、裏づけのない事業は必ず失敗する。

いつの時代でも、事業の根本は同じだと感じる言葉です。何事も見通しと裏付けがない事業は、後からぼろが出てしまうものです。経営者という立場は難しい立場ですが、確固たる見通しと裏付けを取ってから渋沢も行動してきたということなのでしょう。

15.商才は道徳と一体であることが望ましい

道徳を論じている書物と商才とは何の関係もないようだが、商才というものはもともと道徳を基盤としているものだ。道徳から外れたり、嘘やうわべだけの軽薄な才覚は、いわゆる小才子や小利口ではあっても、決して本当の商才ではない。したがって、商才は道徳と一体であることが望ましい。

「論語とそろばん」という考え方に通じるものがありますが、渋沢栄一は商売をやるためには道徳が必要であると考えていました。

「あこぎな商売人」のように、人からお金をふんだくることしか考えていない商売人は、いずれ人々から見放されてしまいます。渋沢栄一は、商売をやるためには、道徳心が必要であることを見抜いていたんですね。

16.事業を発展させたいという欲望は、道理によって制御したい

仕事を進めたい、事業を発展させたいという欲望は人間に常に持っておくべきだ。しかしそれは道理によって制御するようにしたい。ここで言う道理とは、仁・義・徳のことで、この三つを含むものだ。この道理と欲望とが表裏一体となっていなければ、中国の宋が衰退したようなことになりかねない。また、欲望もそれが道徳に反しているようなら、どんな展開になろうとも他人のものをすべて奪わないと気が済まなくなってしまう。結局、不幸に陥ってしまうだけだろう。

渋沢栄一は、もとは農民の出身です。そんな彼は、農業を通して分け合うことの大切さを知っていたのかもしれません。

渋沢栄一は、欲望と道理のバランスが大切だと言っています。道徳に反した欲望は、他人の物をすべて奪うまで尽きることがありません。

17.個人の富はすなわち国家の富である

富むものがあるから貧者が出るというような論旨の下に、世人がこぞって富者を除外するならば、如何にして富国強兵の実を挙ぐることが出来ようぞ。個人の富は、すなわち国家の富である。

渋沢栄一の企業経営の理念は、「社会に多くの利益を与えるものでなければ、正しくまともな事業とはいえない」というものでした。社会に多くの利益を与える事業に取り組んだ結果として、個人に富が集まるのであれば、それはすなわち一人だけのものではなく、国家全体の利益であるという考えを持っていました。

社会に多くの利益を与えていれば、その結果貧富の差ができたとしても、国全体としては富が増えていっているということなのですね。

日本人は「出る杭は打たれる」という横並びの気質がありますが、渋沢栄一のような視点を持っていると、少し違う考え方ができるかもしれません。

18.人を選ぶとき、家族を大切にしている人は間違いない

人を選ぶとき、家族を大切にしている人は間違いない。仁者に敵なし。私は人を使うときには、知恵の多い人より人情に厚い人を選んで採用している。

渋沢栄一は、企業人として多くの従業員を雇ってきました。その中で、どのように人を選ぶのかについて発言したのがこちらの名言です。渋沢栄一は、人情を大切にして従業員を雇用していました。

例えば、サッポロビールや帝国ホテルを設立した大倉喜八郎や太平洋セメントを設立した浅野総一郎などは、渋沢栄一が見出した人物です。自分が会社を作るだけではなく、優れた人を採用し、事業を広げていくことにも渋沢栄一は長けていました。

19.天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である

夢なき者は理想なし 理想なき者は信念なし 信念なき者は計画なし 計画なき者は実行なし 実行なき者は成果なし 成果なき者は幸福なし ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である。

人には天命があるといいます。天命を信じる人も信じない人もいると思いますが、渋沢栄一は人には与えられた天命があるという考えを持っていたようです。

ここで言う天命は、夢と言ってもいいかもしれません。幸せになるためには、夢を持って、理想を描き、実現していくことが大切だと渋沢栄一は言っています。

渋沢栄一は「国を豊かにすること」という大きな夢を持っていました。だからこそ、現代にも残る大企業を作り上げることができたのだと思います。

20.正しい道を進んで行こうとすれば、争いを避けることはできない

いやしくも正しい道をあくまで進んで行こうとすれば、絶対に争いを避けることはできぬものである。絶対に争いを避けて世の中を渡ろうとすれば、善が悪に勝たれるようなことになり、正義が行われぬようになってしまう。

渋沢栄一は温厚な人柄で知られていました。ですが、そんな渋沢栄一も、本当に正しいことをしようとするのであれば争いは必要であると考えていました。

悪はまた別の正義、という言葉があるように、人には皆自分の考えは正しいと思っています。そんな中で、自分の正義を貫くためには、どうしても闘いが必要であるということなのでしょう。

1 2 3 4

コメントを残す