幕末から明治にかけて活躍した実業家・渋沢栄一。最近では新1万円札の肖像に決まったことでも話題の人物ですね。
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」でも主人公として取り上げられた渋沢ですが、一体これまでにどのような功績を残したのでしょうか?名前は知っているけど具体的な実績を知らない!という方も多いことでしょう。
そこで、今回は渋沢栄一が残した功績を10選紹介します。代表的な功績はもちろん、「これも渋沢栄一が作ったの?」と驚くような功績まで紹介するので、是非最後までご覧ください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
渋沢栄一の主な功績を一覧で紹介
年月 | 主な功績 |
---|---|
1869年 | 静岡商法会所を設立 |
1872年 | 富岡製糸場を設立 |
1873年 | 第一国立銀行・抄紙会社を設立 |
1875年 | 商法講習所を開校 |
1876年 | 東京会議所の会頭、 東京養育院の事務長就任 |
1878年 | 東京株式取引所を設立 |
1879年 | 東京海上保険会社を設立 |
1881年 | 日本鉄道株式会社を設立 |
1882年 | 東京電灯株式会社、 共同運輸会社を設立 |
1883年 | 浅野セメントを設立 |
1884年 | 東京瓦斯株式会社を設立 |
1885年 | 日本郵船会社を設立、 東京養育院の院長就任 |
1887年 | 札幌麦酒株式会社、 東京ホテルを設立 |
1901年 | 日本女子大学校を開校 |
1906年 | 日本電報通信社を設立 |
1920年 | 滝乃川学園の理事長就任 |
渋沢栄一の功績10選
渋沢はこれまでに約500の企業を育て、約600の公共事業に関わったといわれています。その中でも代表的な功績を10選にまとめてご紹介致します。
- 功績1:日本初の株式会社を設立したこと
- 功績2:現みずほ銀行を作るなど日本の銀行と金融のシステムを樹立したこと
- 功績3:大蔵省に入省し日本近代化に貢献したこと
- 功績4:500以上に及ぶ企業の創業・営業に関与したこと
- 功績5:日本のライフラインの基礎を築いたこと
- 功績6:富岡製糸場や今の王子製紙を作るなど絹織・製紙の基礎を築いたこと
- 功績7:現NHKを作るなど運輸・放送・通信の基礎を作ったこと
- 功績8:数々の大学も設立し、教育による人材育成に力を注いだこと
- 功績9:日本赤十字社の設立にも携わるなど、社会・福祉事業に貢献したこと
- 功績10:経営の神様”ピーター・ドラッカー”も認めた経営手腕
功績1:日本初の株式会社を設立したこと
渋沢栄一は、フランスへの外遊で得た合本組織(いわゆる株式会社)の仕組みを参考に、「静岡商法会所」という組織を設立しました。広く一般から資金を集めて元手とし、この資金で商売を行い、更に配当まで行う一連のシステムを構築しました。このシステムが現在の株式会社です。
商法会所は公益に繋がるものに金を融通し、新たなものを創造するという「合本主義」に基づいた株式会社で、今でいえば銀行のような業務を行っていました。そのために預金の貸し付けや預金の受け付け、殖産興業の資金貸与などを展開していたといいます。
商法会所はその後東京商工会議所となり、中小企業の経営支援など今でも日本の企業を支える重要は役割を担っています。
功績2:現みずほ銀行を作るなど日本の銀行と金融のシステムを樹立したこと
渋沢栄一は1873年に大蔵省時代に自らが制定に関わった「国立銀行条例」を使って、日本で初めての銀行「第一国立銀行(現:みずほ銀行)」を設立しました。銀行の総監役を務め、金融・銀行の仕組みまだしっかりできていない状態だった日本金融の先駆けとなったのです。
企業に対して資金提供を行い、金融の要として産業を起こす事業主の支援を行いました。渋沢は経済が発展するためにはたくさんのお金の流れが必要だと考え、「大河のようなお金の流れを作る」を目指し銀行を運営したといわれています。
国家銀行条例を制定と共に、渋沢は近代的な紙幣基盤を整備しています。この時、英語の「Bank」を「銀行」と訳したそうです。そして東京株式取引所(現:東京証券取引所)も創立し、日本の金融システムの基盤づくりに関わったのです。
功績3:大蔵省に入省し日本近代化に貢献したこと
渋沢栄一は静岡で開いた「商法会所」が評価され、大隈重信の説得を受け1969年から1973年の間大蔵省(現:財務省)に入省しました。官僚としての活躍は4年程度でしたが、その間に多くの法律や制度を整備しています。
- 度量衡の統一(長さ・体積・重さの基準)
- 租税制度の導入
- 簿記法の整備
などです。それまでに藩ごとで統一されていなかった度量衡や税制などを、全国統一させることに奔走したのです。これらの制度は現在に続く制度であり、日本の近代化に多大な貢献を残したといえるでしょう。
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功績4:500以上に及ぶ企業の創業・営業に関与したこと
渋沢栄一は500以上の企業の創業・営業に関与しました。現在もある大企業も多く渋沢が関係しており、現在の日本経済を支えています。代表的な企業に、
- 東京海上保険(現:東京海上日動)
- 共同運輸(現:日本郵船)
- 日本鉄道(現:東日本旅客鉄道)
- 抄紙会社(現:日本製紙)
- 札幌麦種(現:サッポロホールディングス)
- 浅野セメント(現:太平洋セメント)
- 東京株式取引所(現:東京証券取引所)
- 東京電力(現:東京電力ホールディングス)
- 東京瓦斯(現:東京ガス)
- 東京ホテル(現:帝国ホテル)
エネルギーからホテルまで、多岐にわたっていることがわかります。業界や業種にとらわれることなく、幅広く事業を展開しています。現在も業界の先端を行く企業が多くあり、まさに渋沢が日本の資本主義の基盤をを造ったといっても過言ではないのです。
功績5:日本のライフラインの基礎を築いたこと
渋沢栄一は1884年に「東京瓦斯株式会社」という会社を設立しました。渋沢自身が委員総代となり経営を行っています。その後もガス普及に取り組み、「名古屋瓦斯株式会社(現現在の東邦瓦斯株式会社)」、九州の「門司瓦斯株式会社」の設立に関わっています。
また渋沢は日本の電力供給にも大きく貢献しています。1882年に工部大学校の学生らの提案を受けて、「東京電灯株式会社」を設立し、火力発電所を建設して東京に電力を供給しています。
瓦斯の事業は元々は公営だったのですが、ガス料金が高く赤字が続いていたために渋沢に委託されたものでした。渋沢は生産費の削減し利益を計上することに成功し、日本のライフラインの基礎を築いたのです。
功績3の大蔵省の入省にした年の誤記についてです。
『1969年』、『1973年』と記載されております。
失礼しました。上記訂正いたします。
誤:功績3の大蔵省の入省にした年
正:功績3の大蔵省に入省した年