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渋沢栄一の功績とは?1万円札の肖像に選ばれた理由も併せて紹介

幕末から明治にかけて活躍した実業家・渋沢栄一。最近では新1万円札の肖像に決まったことでも話題の人物ですね。

ところで、彼がどのような偉業を成した人物なのか、皆さんはどれほどご存知でしょうか?名前は知っているけど実績をご存知ない方も多いのではないのでしょうか?

そこで、今回は渋沢栄一の様々な功績のうち、代表的なものを紹介していきます。そして、なぜ新1万円札の肖像に選ばれたのか、その理由を掘り下げていきたいと思います。

渋沢栄一の功績とは?

渋沢栄一の肖像

日本初の株式会社を設立

渋沢栄一(右)と徳川宗家第16代当主徳川家達

渋沢は武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)で豪農の長男として生まれました。幼少期から読書や国史などの勉学だけでなく剣術の修行も行い、様々な人物と交流を持ちます。そんな中、渋沢が京都で紹介された人物が、一橋慶喜(徳川慶喜)でした。

慶喜が将軍になると、渋沢は幕臣として仕えることになり、フランス・パリで行われた万国博覧会に同行する使節団の一員として現地を視察。パリだけでなくヨーロッパ各国を周りながら、西洋の文化や最先端の産業、日本にはない社会構造などに触れ、驚きと感銘を受けました。

帰国後に徳川家と静岡に移った渋沢は、フランスで学んだ合本組織(いわゆる株式会社)の仕組みを参考に、商法会所と呼ばれる組織を設立します。広く一般から資金を集めて元手とし、この資金で商売を行い、さらに配当まで行う一連のシステムは、現代の株式会社の仕組みそのものです。まさに日本初の株式会社がここに誕生したのでした。

商法会所は、その後東京商法会議所に発展し、今では東京商工会議所として中小企業の経営支援など、日本の企業を支える重要な役割を担っています。

銀行と金融の仕組みを確立

明治通宝(ゲルマン札)1円紙幣

商法会所設立のインパクトは凄まじく、有望な人材を登用しようと、当時の大蔵大輔(大蔵次官)・大隈重信が説得しに来るほどでした。渋沢はその説得に折れる形で、商法会所を設置した同年に大蔵省に入省することとなります。

大蔵省で手がけた事業の一つが、「紙幣制度の改革」でした。財政難の政府にとって紙幣の発行は効率よく貨幣の流通を行うために必要不可欠でしたが、当時の紙幣は印刷も雑で、簡単に偽造ができてしまいました。

さらに、藩札・府県札・太政官札など様々な紙幣が同時に流通していたため、紙幣の統一を図るべくドイツの印刷会社に依頼して、精巧な印刷の「ゲルマン紙幣」を発行しました。このとき、印刷を担当した大蔵省紙幣寮の責任者が渋沢でした。

また、アメリカの銀行制度を学んだ伊藤博文の指揮のもと、民間に銀行を設置して紙幣を発行することができる制度の設置が求められました。この制度の設計を渋沢が行い、「国立銀行条例」が制定されたことで、日本に近代的な紙幣制度の基盤が成立しました。このとき、英語の「bank」を「銀行」と訳したのは渋沢だったと言われています。

この国立銀行条例のもと、国内最初の銀行として「第一国立銀行(現在のみずほ銀行)」が設置されると、渋沢は官僚を辞職してしまいます。元々実業家志向が強かったようで、辞職直後に第一国立銀行の事務総監に就任し、銀行の経営に携わるようになります。

その後、日本銀行、三井銀行(現在の三井住友銀行)など銀行経営だけでなく、東京株式取引所(現在の東京証券取引所)の創立など、日本の金融システムの基盤作りにも関わりました。

500以上におよぶ企業の創業・経営に関与

渋沢栄一が関与した東京瓦斯株式会社

大蔵省退官後の渋沢は、株式会社設立のノウハウや官僚時代に築いたコネクションを利用して、実業家として多種多様な企業の設立や経営を支援しました。渋沢が関わった代表的な企業を下記に挙げてみました。

  • 東京海上保険(現在の東京海上日動)
  • 日本郵船
  • 日本鉄道会社(現在のJR東日本)
  • 東京毛織物(現在の東洋紡)
  • 札幌麦種(現在のサッポロビール)
  • 浅野セメント(現在の太平洋セメント)
  • 足尾銅山組合(現在の古河機械金属)
  • 東京電力
  • 東京瓦斯(現在の東京ガス)
  • 帝国ホテル

皆さんがお世話になっている企業も多いのではないでしょうか?ラインナップを見てもわかるとおり、業界や業種に捉われることなく、様々な事業に関与しています。また、日本経済を支えている大企業も多く、まさに日本の根幹は渋沢に支えられていると言ってもいいでしょう。

福祉や教育にも尽力

東京都健康長寿医療センター(旧養育院)にある渋沢栄一像

渋沢の活動の根幹にあったのは「道徳経済合一説」というものでした。国全体が豊かになるためには、経済を発展させて利益を独占するのではなく、富を還元することが大切、という考え方です。その考えに基づいて、下記に代表される多くの社会事業に携わりました。

  • 養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)
  • 中央慈善協会(現在の全国社会福祉協議会)
  • 博愛社(現在の日本赤十字社)
  • 済生会

また、これまで座学中心だった教育方法を、実際の社会経験を通して実力を身につける「実学教育」に転換する必要性を唱え、多くの教育機関の創設と経営に関わりました。下記にその一部を紹介します。

  • 商法講習所(現在の一橋大学)
  • 大倉商業学校(現在の東京経済大学)
  • 二松學舎(現在の二松學舎大学)
  • 私塾国士舘(現在の学校法人国士舘)
  • 日本女子大学校(現在の日本女子大学)

特に日本女子大学校は、男尊女卑が根強かった当時にとっては女性教育の先駆的な事業でした。元々は、「家庭にいる女性がもっと読み書きができれば、より良い社会が作れる」という考えから始まったものですが、結果として女性の社会進出を促すことに繋がりました。

渋沢栄一が1万円札の肖像に選ばれた理由は?

新1万円札

日本人のお金に対する考えを転換したから

第一国立銀行の代表となった渋沢は、日本各地の起業家と話をする機会を設け、銀行設置の必要性を各所で熱弁しました。

単に面談や資金の援助を行うだけでなく、第一国立銀行で扱っていた約款や規則をサンプルとして提供したり、銀行員の実務研修や派遣業務を行ったりするなど、思いつく限りの手広い経営サポートを実施しています。この手厚い支援のおかげもあり、日本全国に多くの銀行が設置され、その数は一時期には153行にも及びました。

これにより、それまで国の中心にお金が集中するシステムだった日本の貨幣を、地方でも手軽に扱うことができるようになりました。日本全国の小さな企業でも銀行を身近に感じることができるようになったことで、権力者の象徴でもあった「お金」を、「社会貢献に必要な財源」として捉える意識が全国に広がりました。

貨幣の仕組みだけでなく、貨幣を使う側の意識も変えた人物が、お札の肖像になるのは当然のことかもしれませんね。

現代人が学ぶべき「経営者の心構え」を提唱したから

数々の企業の創設と経営に関わった渋沢は、「日本資本主義の父」とも呼ばれています。いわゆる資本主義は、「利益の追求」を目指して経済活動をするというものですが、渋沢が提唱していた「道徳経済合一説」では少し違います。

なぜなら、利益の追求は当然行うものの、得られた富で公共の事業や社会に貢献するような事業を行わなければならないという、「利益の還元こそ大切」という考えだからです。

現在の日本でも、自社の利益にはならないような社会貢献事業に取り組む企業が多くあります。最近ではテレビCMなどでも、植林事業や難民支援などに取り組んでいることをアピールしている企業をよく見かけますよね。今では当たり前になった考え方ですが、明治の時代から渋沢が日本全国にこの思想を根付かせた結果とも言えます。

この考え方を記した著書『論語と算盤』は、今でも多くの経営者や実業家の中で読み継がれる「バイブル」となっています。

渋沢栄一の功績に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?今回は渋沢栄一の数ある功績の中から、代表的なものをピックアップしました。

特に渋沢が関与した企業「500以上」は驚くべき数ですね。しかし、それだけの実績が残せたのは、渋沢が大事にしていた「道徳経済合一性」の考えがあってこそです。経営学で有名なドラッカーも、「第二次世界大戦以降に成長した日本企業は、渋沢が思い描いた『ビジネスと道徳の融合』によって生まれた」と表しているほどです。

現在の日本は、お金のシステムが貨幣からキャッシュレスに転換している最中。お金のシステムが新たな局面を迎えるこのタイミングで、お金のシステムを変えた渋沢栄一が肖像に選ばれるというのも、何か運命を感じてしまいます。

これを機に、私たちもお金に対する考え方を見直してみると、今後の生活が豊かになるかもしれませんね。

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