功績6:富岡製糸場や今の王子製紙を作るなど絹織・製紙の基礎を築いたこと
1872年渋沢栄一は、ユネスコ文化遺産財にも登録されている「富岡製糸場」を設立しています。これは日本初の本格的な器械製糸を行う工場で、渋沢は設置主任として携わっていました。
当時の日本は生糸が主力の輸出商品であったために、品質向上と増産を目的とした建設でした。富岡製糸場で生産された生糸は海外に輸出され、日本経済の成長に大きく功績を残しました。
また1873年には、抄紙会社(現在の王子製紙)を王子に設立しています。抄紙会社が造られたことにより、今まで輸入に頼っていた洋紙の国産化を目指したのです。洋紙会社の設立は渋沢が大蔵省時代に、紙幣を印刷するための洋紙の必要性を感じていたからといわれています。
富岡製糸場とは?世界遺産登録の理由や歴史、設立目的など簡単に解説
功績7:現NHKを作るなど運輸・放送・通信の基礎を作ったこと
渋沢栄一は1882年に、共同運輸会社の創立発起人となっています。この会社は現在の日本郵船株式会社で、今も国際的な海上運送を担っています。
また放送業界では、1926年に社団法人日本放送協会(現NHK)の設立に携わり、顧問に就任しています。日本(N)放送(H)協会(K)の略でNHKです。現在も創立時と同じ愛称で親しまれ、私たちに最新のニュースを届けてくれているのです。
通信業界においても、1906年に日本電報通信社(現在の株式会社電通)の設立の手助けをしています。現在株式会社電通は世界で5本の指に入る大手の広告代理店として、広告業界を牽引する存在となっています。
功績8:数々の大学も設立し、教育による人材育成に力を注いだこと
渋沢栄一が設立した大学も多くあります。代表的な学校を挙げると、
- 商法講習所(現在の一橋大学)
- 大倉商業学校(現在の東京経済大学)
- 日本女子大学校(現在の日本女子大学)
- 東京女子大学校(現在の東京女子大学)
などです。学校を作ることにより座学中心だった学問を、実際の社会経験を身につける「実学教育」に転換する必要性を唱え、多くの教育機関の創立や経営に関わっています。
特に日本女子大学は女子教育の先駆的存在でした。まだまだ男尊女卑の強い世の中でしたが、「家庭にいる女性がもっと読み書きができれば、より良い社会が作れる」という考えから始まったものですが、結果的に女性の社会進出を促すことに繋がったのです。
功績9:日本赤十字社の設立にも携わるなど、社会・福祉事業に貢献したこと
渋沢栄一は社会事業の分野においても、現在活躍する機関の設立に携わっています。
- 東京養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)
- 中央慈善教会(現在の日本社会福祉協議会)
- 日本赤十字社(現在の日本赤十字)
渋沢は社会事業も「継続し続けること」が重要と考えていました。社会事業も組織化することにより、経済的に運用できなければと考えていたといいます。特に1874年から50年以上関わった「東京養育院」の運営は、渋沢に大きな影響を与えました。資本主義は良いことばかりではないことを痛感し、社会事業により力を入れるようになったのです。
福祉事業にも尽力し1920年に、日本で最初の「知的障がい者施設滝乃川学園」の理事長に就任しています。当時障がい者教育の世間での理解は低く、学園も常に財政難に立たされていたそうです。
そのため経営支援に渋沢が乗り出し、理事長に就任したのです。渋沢は学園の経営を財団法人化し、経済の安定に尽力しました。そのために今も「滝乃川学園」は苦境を乗り越え現在も、運営が続けられているのです。
功績10:経営の神様”ピーター・ドラッカー”も認めた経営手腕
渋沢栄一の功績で、全てに一貫していえることは「私利を追わず公益を図る」の精神です。経営の神様といわれるピーター・ドラッガーも渋沢の事を、
「率直にいって私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないということを見抜いていたのである」
と評しています。渋沢の実業家としての特徴に「財閥を作らなかった」ことがあります。当時は「三井財閥」・「住友財閥」など財閥を作り、市場を独占する企業活動が主流でした。そんな中渋沢は早くから、「私利を追わず公益を図る」の考えを貫き通し、企業経営を行ったのです。
渋沢栄一の功績に関するFAQ
功績1:日本初の株式会社を設立したこと
功績2:現みずほ銀行を作るなど日本の銀行と金融のシステムを樹立したこと
功績3:大蔵省に入省し日本近代化に貢献したこと
功績4:500以上に及ぶ企業の創業・営業に関与したこと
功績5:日本のライフラインの基礎を築いたこと
功績6:富岡製糸場や今の王子製紙を作るなど絹織・製紙の基礎を築いたこと
功績7:現NHKを作るなど運輸・放送・通信の基礎を作ったこと
功績8:数々の大学も設立し、教育による人材育成に力を注いだこと
功績9:日本赤十字社の設立にも携わるなど、社会・福祉事業に貢献したこと
功績10:経営の神様”ピーター・ドラッカー”も認めた経営手腕
彼が設立に関わった会社は約470社、それ以外に500以上の慈善事業にも関わり、後世、「日本資本主義の父」「実業界の父」と呼ばれてノーベル平和賞の候補にもなっています。※全ての会社を”創業”したわけではありません。
ひとことで言えば、「欧米から完全に遅れをとっていた日本経済を官民両軸から類稀なるリーダーシップを持って推進したこと」です。
渋沢栄一の功績に関するまとめ
いかがでしたでしょうか?今回は渋沢栄一の数ある功績の中から、代表的なものをピックアップしました。
彼がこれだけの実績が残せたのは、渋沢が大事にしていた「道徳経済合一性」の考えがあってこそです。経営学で有名なドラッカーも、「第二次世界大戦以降に成長した日本企業は、渋沢が思い描いた『ビジネスと道徳の融合』によって生まれた」と表しているほどです。
現在の日本は、お金のシステムが貨幣からキャッシュレスに転換している最中。お金のシステムが新たな局面を迎えるこのタイミングで、お金のシステムを変えた渋沢栄一が肖像に選ばれるというのも、何か運命を感じてしまいます。
これを機に、私たちもお金に対する考え方を見直してみると、今後の生活が豊かになるかもしれませんね。
功績3の大蔵省の入省にした年の誤記についてです。
『1969年』、『1973年』と記載されております。
失礼しました。上記訂正いたします。
誤:功績3の大蔵省の入省にした年
正:功績3の大蔵省に入省した年