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【印象派の代表】クロード・モネってどんな画家?生まれや性格、作品を解説

印象派の代表として知られる、クロード・モネ。代表作である「睡蓮」はとても有名な絵の一つですよね。日本での展覧会も数多く開催されており、日本人の好きな画家No.1にも挙げられます。やわらかく、あたたかみのあるタッチが特徴的で他の画家にも大きな影響を与えた人物でもあります。

クロード・モネ 「睡蓮」

印象派の先駆けとして知られるクロード・モネですが、初めから世間や同業者に賞賛されていたわけではありません。「自然に対して自分が感じた感覚」をそのまま表現することに重点を置いていたため、当時の一般的な画風とはかけ離れており、展覧会で酷評を受けていたそうです。しかし、その後印象派の画家がだんだんと増え始め、世間に認められるようになりました。そして、現在は時代を超えて愛される画家となったのです。

モネの作品は「睡蓮」だけでなく、「印象・日の出」や「サン・ラザール駅舎」、「ルーアン大聖堂」、「積みわら」などたくさんの作品があります。ちなみに、「睡蓮」に関しては亡くなるまで30年以上に渡って、約300点もの作品を残したと言われています。

今回はそんなモネの魅力をたくさんの方に知っていただきたく思い、記事にしました。学生時代、美術クラブに所属しており、現在でも年間20回以上展覧会を見に行く筆者がモネの魅力をふんだんに伝えたいと思います。

モネとはどんな人物か

名前オスカル・クロード・モネ
(Oscar-Claude Monet)
誕生日1840年11月14日
没日1926年12月5日
(86歳)
生地フランス王国 パリ
没地フランス共和国
ジヴェルニー
配偶者カミーユ・ドンシュー
(1870年から1879年)
アリス・オシュデ
(1892年から1911年)
埋葬場所フランス共和国
ジヴェルニー協会墓地

モネの苦労話

今では多くの人に愛される画家として認知されているモネですが、当時は順風満帆に人生を歩んでいたわけではありません。20代前半でサロンに初出品すると、最初の頃は入選することも多かったモネですが、だんだんと落選することが増えてきます。

そこで、仲間とともに独自の展覧会を開くことを提案し、1974年に第1回印象派展が開催されました。しかし、最初の観客は3000人ほどと少なく、批評家からも酷評を受け散々な結果となります。

第2回、第3回が開催されるようになると、批評家からも徐々に印象派の存在が認めれるようになり、特に第3回の時に出品した「サン・ラザール駅舎」には賛辞が送られました。そして国際展覧会に出品するようになると、だんだんと世間にも認められるようになったのです。

このように、初めは批判を受けながらも、自分の姿勢を崩さずに製作を続けたことによって徐々に世間に受け入れられるようになったのでした。

モネが開発した新しい技法

モネ 「ラ・グルヌイエール」

印象派では、モネを中心に新しい技法である「筆触分割」もしくは「色彩分割」という技法を開発しました。「筆触分割」とは自然の中でモチーフの見え方が時間がすぎるごとに変化することに注目し、これを絵に表すことです。

絵の具を混ぜないで用い、できるだけ原色の絵の具を細かいタッチで描くことによって明度を落とさずに表現することにもこだわります。絵の具の乾かないうちに原色の新しい絵の具を上から重ねていくため筆触が生き生きと残ることになります。

印象派の画家は感覚的にこの手法を取り入れていましたが、新印象派の画家は、印象派の画家の筆触分割を科学的理論に基づいて解明し、これを応用して取り入れていました。

絵画を近い距離で見ると何が描いてあるかほとんどわからないですが、少し距離を置いて見るとしっかりと描写されて見えるというのが印象派の絵の特徴でもあります。この特徴をもたらすのが筆触分割です。

モネが影響を受けた人

モネは印象派の画家と盛んに交流がありました。まず最初に影響を受けたのはウジェーヌブーダンです。彼は早々にモネの才能を見抜き、油絵を描くことを促した人物です。

その後、展覧会で絵画が近くに展示され、名前も似ていることから一悶着があったエドゥワール・マネに影響されました。マネの描いた「草上の昼食」を同じような構図で描くというエピソードがあり、また、その後も印象派の第一人者としてお互いに影響し合いました。

そしてモネは日本にも影響を受け、また影響を与えた人物でした。「ラ・ジャポネーズ」は着物を来た妻カミーユを描いたものであり、初期の頃の「睡蓮」には日本の太鼓橋がモデルとなって現れています。

このようにモネはさまざまな方面から影響を受けたのでした。

モネの作品・代表作

代表作1「印象・日の出」

モネ「印象・日の出」

「睡蓮」と並んでモネの代表作とも言える「印象・日の出」。ル・アーヴルの港をやわらかなタッチで描いています。

第1回印象派展に出品されましたが、批評家のルイ・ルロワ自らの風刺新聞に酷評のコメントが掲載されました。この第1回印象派展という名前も当初は軽蔑の意味も込めてつけられたものとされています。

モネの生きていた時代にはあまり良い評価を受けていませんでしたが、1957年にジョン・リヴォルドの書いた「印象派の歴史」という書籍に、印象派の名前の由来となったことなどが記され、それ以後は傑作として世に認められるようになりました。

代表作2「睡蓮」

モネ「睡蓮」

言わずと知れたモネの代表作。晩年の30年間に渡って、200点から300点もの作品が残されたと言われています。

モチーフとなっているのはジヴェルニーの自宅にあった庭の池で、初期の頃は太鼓橋とともに移る睡蓮を、その後は水面に浮かぶ睡蓮のみを描いているものが多いです。晩年は白内障を患っていたと言われるモネですが、それが作品にも現れるようになっています。

睡蓮の市場価値は非常に高く、オークションでは100億円以上の値段がするものもあります。

代表作3「サン・ラザール駅舎 」

モネ「サン・ラザール駅舎」

「サン・ラザール駅舎」は1877年頃に描かれた作品で、第3回印象派展に出品されています。こちらも連作となっており、現在12点の作品が確認されています。

蒸気機関車から吐き出される煙とガラスを通る日光の光が織りなす幻想的な雰囲気を見事なタッチで描いています。美術批評家のジョルジュ・リヴィエールから賛辞も送られた名作となっています。

モネの名言

人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけで良いのに。

印象派が台頭した初期の頃は印象派に対する評判はあまり良くありませんでした。モネにとっても例外ではなく、彼の作品がプラスの評価を受けるようになったのはそれから約10年もあとのことです。そのような境遇を送ったモネの心の言葉が出て来たように思います。

私は自然を追い求めているが、未だ本質はつかめていない。こうして画家になれたのも草花たちのおかげなのかもしれない。

自然をありのままに描写することを大事にして来たモネならではの言葉です。彼の作品は植物、海、日光などの自然が絡んでいることが多く、自然を愛していたからこそ生まれた名言ではないかと思います。

全ては千変万化する。石でさえも。

筆触分割という手法にこだわって絵を描いていたモネ。時間とともに移ろう風景の変化を一枚の画用紙に描くことに心血を注いでいました。睡蓮シリーズやその他の作品にもその様子がありありと描き出されています。そんな彼の信念が現れた言葉と言えるでしょう。

モネの人物相関図

モネの人物相関図

モネにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「モネの愛した二人の妻」

カミーユとジャン

モネは生涯に二人の奥さんを持ったと言われています。一人目がカミーユ・ドンシュー。「ラ・ジャポネーズ」、「日傘をさす女性」などモネの作品のモデルとしても多数登場しています。いろいろな画家のモデルとして活動していた彼女と、モネが24歳の時に結婚し、子供も二人授かりました。しかし、二人目の子供を産んだ後に病気となってしまい、カミーユは32歳という若さで亡くなってしまいます。

そして二人目の妻はアリス・オジュデ。アリスはモネの絵を買っていた実業家エルネスト・オジュデの奥さんです。不況の影響で事業に失敗したエルネスト・オジュデはある日、アリスと子供を残して夜逃げをします。後に残ったアリスは6人の子供を抱えており、モネと一緒にジヴェルニーに戻って暮らすことになりました。1892年に元夫のエルネストが亡くなったという知らせを受け、晴れて結婚することになったそうです。

実は、カミーユのなくなる前にアリスと一緒に生活をするようになっており、不倫ではないかという噂もあります。

都市伝説・武勇伝2「白内障にかかりながらも睡蓮を描き続ける」

晩年のモネ

モネが「睡蓮」を描き始めてから約15年後に彼の部屋の一室の壁一面を全て「睡蓮」の作品で埋め尽くそうという計画を立てました。しかし、その後から急激な視力の低下を感じ、1909年から1914年の間に描き上げた作品は納得のいかないことも多く、破ったりすることもあったと言います。

それでも再度意欲を取り戻し、人生をかけて「睡蓮」の大装飾画に挑むことになります。晩年の作品には白内障であったことがわかるような作品がちらほらと見かけられます。

モネの簡単年表

1840年 - 0歳
フランスのパリに生まれる。

幼少時から絵が上手く、将来は画家になることを夢見ていた。カリカチュアを打って歩くほどの腕前で、売り上げはのちに美術学校への入学費用にもなる。

1858年 - 18歳
ウジェーヌ・ブーダンとの出会い、油絵を描き始める

ウジェーヌ・ブーダンに才能を見初められ、ともに油絵を描くようになる。その後、パリへと出た後にのちのちの印象派の仲間となるカミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレーなどと出会う。

1865年 - 25歳
サロン・ド・パリへの初出品

サロン・ド・パリへの初出品をし、入選となった。しかし、その後は落選が続くという不遇の時代が続いた。

1874年 - 34歳
第1回印象派展開催

記念すべき第1回印象派展が開かれたが、評価はあまり芳しくなかった。しかし、第2回、第3回と開催するにつれて、徐々に世間の認知度も上がり、受け入れられるようになった。

1883年 - 43歳
故郷ジヴェルニーへ戻り、「睡蓮」の製作開始

モネの代表作とも言える「睡蓮」の製作開始、以後30年に渡って200点から300点もの作品を残す。晩年には白内障をきたすも、製作には意欲的に取り組む。

1926年 - 86歳
肺硬化症により永眠

1923年に白内障の手術を受け、最後の大作「睡蓮」の大装飾画の製作に取り組む。1924年に最後の展覧会が開かれたのちに肺硬化症にて病床に伏す。1926年12月5日に永眠。

モネの具体年表

1840年 – 0歳「クロード・モネの誕生」

モネの幼少期の故郷「ル・アーヴル」

クロード・モネは父クロード・アドルフ・モネと母ルイーザ・ジャスティス・アブレ・モネの次男としてパリに生まれました。

モネの幼少期

1歳のときにカトリックの洗礼を受け、オスカーの名前をもらいます。その後、5歳のときにノルマンディーのル・アーヴルへ家族一同引越しをしましたが、すでにこの頃から画家を夢見ていたそうで、11歳のときにル・アーヴル美術学校に入学することになりました。その当時、地元で木炭で描いた肖像画を売っていたため、周囲の人々にはよく知られていたそうです。

17歳のときに母ルイーザを失い、悲痛に暮れていましたが、その1年後にモネの描いたカリカチュアが画家ウジェーヌ・ブーダンに気に入られ、油彩画の描き方を教わるようになり、ル・アーヴルの北に位置するルエルにて「ルエルの眺め」を市の展覧会に出品しました。

1858年 – 18歳「絵を学ぶためにパリへ」

モネ「草上の昼食」

パリで絵画を学びたいと思っていたモネは父の反対を受けます。しかし肖像画を売って、自ら稼いだお金でパリに行くことを伝えると、父からもパリ行きの許可がおりました。18歳のときにパリへと旅立ちます。

パリではブーダンの師匠であるコンスタン・トロワイヨンのもとで学ぶように言われましたが、これを拒否し、アカデミーシュイスという私立の画塾に入りました。ここではのちのち、カミーユ・ピサロなどの画家と出会います。

シャルル・グレールのアトリエに所属(1860年代)

20歳のときに兵役でアルジェリアに行くことになりますが、その次の年にチフスに感染し、帰国することとなります。同年、シャルル・グレールのアトリエに所属することとなりました。

ここではピエール=オーギュスト・ルノワールやアルフレッド・シスレーと出会うことになります。25歳のときにサロン・ド・パリという公式の展覧会に「オンフルールのセーヌ河口」と「干潮のエーヴ岬」を出品し、入選となりました。その後は絵がなかなか売れるようにはならず、貧困の時代が続きます。

1874年 – 33歳「第1回印象派展」

モネ 「印象・日の出」

30歳になると、自分のアトリエを構えるようになります。20代前半ではサロンに入選することも多かったモネですが、だんだんと落選することが増えてきます。そこで、カミーユ・ピサロ、エドガー・ドガ、ピエール=オーギュスト・ルノワールらとともに独自の展覧会を開くことを提案します。

そして、1974年4月15日、33歳のときに第1回印象派展が開催されました。モネは「印象・日の出」など12点を出品しましたが、最初の観客は3000人ほどと少なく、批評家からも酷評を受け散々な結果となってしまいました。

モネの印象派としての活躍

それから2年後に第2回印象派展が開かれ、次の年に第3回が開催されました。それぞれ出品した有名な作品は「ラ・ジャポネーズ」や「サン・ラザール駅舎」などでした。批評家からも徐々に印象派の存在が認めれるようになり、特に「サン・ラザール駅舎」には賛辞が送られました。

45歳のときに国際展覧会に出品するようになり、だんだんと世間にも認められるようになります。 1889年の48歳のときに開催された、オーギュスト・ロダンとの2人だけの展覧会ではそれまでに製作した作品を展示し、大成功を収めることができました。

1889年 – 48歳「ジヴェルニーにて『連作』を手がけるようになる」

「積みわら」

1880年代の後半から晩年まで、「積みわら」から始まる「連作」を多く手がけるようになります。同じモチーフが天候や環境や時間帯によって表情が変化するのに興味を持ち、それをカンヴァスの上に表現することに力を尽くしました。

「連作」として知られているのは「積みわら」、「ポプラ並木」、「ルーアン大聖堂」、「ウォータールー橋」など多岐に渡ります。そして1890年代後半から「睡蓮」の製作に取り掛かるようになります。

1895年 – 55歳「『睡蓮』の製作開始」

「睡蓮」第1連作

1895年からはジヴェルニー自宅にある睡蓮の池をモチーフに「連作」を手がけるようになります。ここから1926年に亡くなるまで、約300点近くの「睡蓮」を描き上げます。睡蓮の池の水面が時の流れ、光の当たり具合、天候によって刻々と変化する様がモネを惹きつけたのでしょう。

1895年から1900年までは睡蓮第1連作といって、太鼓橋とともに映る睡蓮を描写しています。1900年以後は水面に浮かぶ睡蓮のみをさまざまな条件のもとで描いていきました。

1909年 – 69歳「『睡蓮』の大装飾画に挑戦」

オランジュリー美術館

1909年に一つの部屋の壁全体に「睡蓮」を飾ることを思いつきます。ここからはなかなか納得のいく絵を描くことができず、1914年までの絵は気に入らなかった場合は自分で引き裂いて台無しにしてしまいました。1909年から1914年にかけての期間はほとんど作品が残っていません。

その後、1915年から「睡蓮」の大装飾画に挑戦することになり、ここから1926年に亡くなるまで製作し続けます。この大装飾画はモネの没後、オランジュリー美術館に収められ、1927年に除幕式が行われました。

1911年 – 71歳「妻アリス死去」

1892年に結婚して以来、ともに寄り添ってきた妻アリスが1911年5月に亡くなりました。ちょうどモネの製作がうまくいかない時期と重なっていたため、その悲しみは相当な深さだったでしょう。そして、3年後の1914年2月には長男のジャンが亡くなりました。

最愛の家族が相次いで亡くなり、絶望の淵に立っていましたが、強い精神力でそれをきっかけにして奮い立ち、その後は再び絵画の製作に熱を注げるようになりました。

1912年 – 72歳「白内障の手術を受ける」

1909年頃から白内障による視力の低下を感じており、その影響は当時描いていた絵にも現れています。1912年にようやく左目の白内障の手術を行い、1923年に右目の手術を行いました。それからは亡くなるまで睡蓮の大装飾画に没頭したそうです。

1926年 – 86歳「12月5日、死去」

白内障の手術後は精力的に「睡蓮」の大装飾画の製作に励み、1924年には生涯最後となる回顧展を開催しました。しかし、1926年の夏に肺硬化症で入院することとなり、そのまま1926年12月5日に帰らぬ人となりました。亡くなった当日、息子3人がモネを看取ったそうです。

1927年 – 死去後「『睡蓮』の部屋、完成」

モネが生前に計画していた壁一面を「睡蓮」で飾られた「『睡蓮』の部屋」が1927年5月17日にオランジュリー美術館で実現しました。モネの意向に従い、二つの部屋を4つの作品で飾ったそうです。

この頃にはすでにピカソなどによるキュビズムが誕生しており、「『睡蓮』の部屋」は思ったほど観客を集められませんでした。しかし、その後1950年代の抽象表現主義の登場からは再び注目を集めるようになりました。

モネは生涯を通して自然の揺れ動きを表現することに命をかけ、さまざまな方面に影響を与えたのでした。現在でも多くの人に愛される理由が年表を通して分かる気がしますね。

モネの関連作品

おすすめ書籍・本・作品集

新装版 ぼくはクロード・モネ 絵本でよむ画家のおはなし

クロード・モネや印象派について簡単に知りたい方におすすめの本となっています。

子供でも読めるので一緒の読み聞かせをするのもいいかもしれません。絵本には付録もついており、どのように自然の風景を描いていたのかなどの細かい情報も載っています。

まずはざっくりとモネについて知りたい方におすすめの1冊です。こちらは電子版の販売もあります。

もっと知りたいモネ 生涯と作品

薄めの本で文章もわかりやすく書かれているので幅広い世代におすすめの1冊です。

モネの作品もフルカラーで載っているので、目で楽しみながらモネの生涯についても知ることができます。薄めの本となっているためさほど時間もかからずに読み進めることができます。

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モネの絵が好きな方は持っていて損しない1冊です。

モネについてのまとめ

自然の移ろいを絵で表すということに人生をかけたクロード・モネ。その作品は時代を超えて愛され続け、人々を魅了していくことと思います。

そんなモネについて今回は簡単にまとめさせていただきました。

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