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司馬遼太郎とはどんな小説家?性格や子孫、死因、おすすめ作品も紹介

皆さんは、司馬遼太郎という名前を聞いたことがありますでしょうか。司馬遼太郎がどんな人か一言で言ってしまうと、日本が生んだ偉大な歴史小説家です。

司馬遼太郎という名前を知らなくても、もしかしたら「燃えよ剣」や「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」などの作品名を聞いたことがある人も多いかもしれません。NHKの大河ドラマの原作としても、司馬遼太郎の「功名が辻」や「国盗り物語」といった作品が採用されています。

司馬遼太郎の肖像

司馬遼太郎は、たくさんの歴史小説を残しました。では、たくさんいる歴史小説家の中で、なぜ司馬遼太郎はこんなにも人気なのでしょうか。それは、司馬遼太郎にしかできない歴史の切り取り方にあります。

この記事ではそんな司馬遼太郎の生涯を年表でまとめると共に、代表作品や名言などその全てを紹介していきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

司馬遼太郎とはどんな人?生涯をダイジェスト

名前司馬遼太郎
(本名:福田 定一)
誕生日1923年8月7日
没日1996年2月12日
生地大阪市
没地大阪市
配偶者松見みどり
埋葬場所京都市東山区

司馬遼太郎は本名を福田定一といいます。1923年に大阪で生まれ、大学在学中に太平洋戦争で学徒出陣を経験しました。戦後に新聞社へ入社するも、小説家になる夢を叶えようと文学賞に応募。見事選ばれて小説家デビューを果たします。

「梟の城」などを執筆していた当時に使っていた文机
出典:東大阪経済新聞

「梟の城」が第42回直木賞を受賞したことで新聞社も退社し、小説家一本で生計を立てるようになります。「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「坂の上の雲」といった今も語り継がれる名作を数多く世に送り出しました。その功績が認められ、1993年に文化勲章を受賞しました。

「竜馬がゆく」の自筆原稿
出典:毎日新聞

1996年、司馬遼太郎は病により息を引き取りました。亡くなる前の10年はすでに小説の執筆はしておらず、日本の行く末が気になり、そうした内容の随筆や紀行文だけを勢力的に書いていました。その遺言のようなエッセイは、今も私たちに日本という国の形を考えるきっかけを与えてくれています。

司馬遼太郎の性格や家族、死因

明るかった遼太郎の性格

悪ガキであった一方でたくさんの本も読んでいた

司馬遼太郎の性格は明るかったそうです。一方で、学校は嫌いで、悪ガキであったとも言われています。いわゆるガキ大将みたいなものですね。

一方で、司馬遼太郎は子供頃から本の虫でもありました。外で遊ぶだけではなく、たくさんの本も読んでいたんですね。たくさんの本から得られた知識が、著作にも生きているのだと思われます。

歴史小説家になった原点とは?

関東軍が暴走してソ連・モンゴル連合軍と戦闘を行い、壊滅的な敗北を喫したノモンハン事件
出典:wikipedia

司馬遼太郎が日本史に関心を持ったきっかけは、1939年に起きた満州国とモンゴルの国境紛争であるノモンハン事件でした。まだ学生だった司馬遼太郎は、日本はなぜこんな愚かな戦争をしているのか、日本とは何だろうかと考え始めます。

サイパンに今も残る日本軍の戦車
出典:時事ドットコム

そして自分が学徒出陣で招集され、配属された戦車部隊が、ノモンハン事件に関与していた可能性を知り、その疑問は一気に身近なものへと引き寄せられたのです。終戦を迎え、「なぜこんなことになってしまったのか」という気持ちが、小説家の原点でした。

しかし司馬遼太郎は、日本史を遡っていくと、全ての歴史が悪かったわけではないと考えるようになります。明治時代、江戸時代、それ以前の日本はそこまで愚かな国ではなかったということを検証するために、司馬遼太郎は数多くの小説を執筆していくのです。

司馬遼太郎の二人の妻たち

司馬遼太郎は2度結婚しています。一度目の妻は雅子といい、薬剤師をしていました。お見合いで出会い1950年に結婚します。1952年に長男が生まれましたが、1954年に協議離婚しています。

二度目の妻が松見みどりです。司馬遼太郎と同じく産経新聞の記者をしており、恋愛結婚でした。みどりは結婚後に退職し、司馬遼太郎の作家生活を生涯支えました。司馬遼太郎の他界後には司馬遼太郎記念財団を設立し、理事長に就任しています。2014年に亡くなりました。

長らく公表されなかった息子

司馬遼太郎の最初の妻と長男については、長らく公表されていませんでしたが、司馬遼太郎の没後に遺産の一部が長男に渡ったことが明らかになり、その存在が知られるようになりました。長男は父母の離婚後、親権を持つ司馬遼太郎が引き取りましたが、親子では生活せず、司馬遼太郎の両親に預けられて育ちました。

司馬遼太郎の執筆風景(1968年9月)
出典:毎日新聞

司馬遼太郎は、長男の養育費は払っていたようでしたが、父子でともに暮らすことは一度もなく、息子は成人して教師となりました。司馬遼太郎が一度結婚に失敗していることや息子がいることについては、今も公の年表では触れられていません。

司馬遼太郎が影響を与えた人

司馬遼太郎に影響を受けた一人

司馬遼太郎に影響を与えられたと公言する有名人は数え切れません。例えば、ピースの又吉直樹さん、女優の杏さんなどは、司馬遼太郎のファンであることを公言しています。また、ソフトバンクを作った孫正義さんも、司馬遼太郎に大きな影響を受けたと語っています。

司馬遼太郎は、多くの著名人に影響を与えた人と言って良いでしょう。もちろん、著名人だけではなく、皆さんの周りにも司馬遼太郎から影響を受けたと言う人はたくさんいると思いますよ。

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