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司馬遼太郎ってどんな小説家?生まれや性格、おすすめ作品も解説

皆さんは、司馬遼太郎という名前を聞いたことがありますでしょうか。司馬遼太郎がどんな人か一言で言ってしまうと、日本が生んだ偉大な歴史小説家です。

司馬遼太郎という名前を知らなくても、もしかしたら「燃えよ剣」や「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」などの作品名を聞いたことがある人も多いかもしれません。NHKの大河ドラマの原作としても、司馬遼太郎の「功名が辻」や「国盗り物語」といった作品が採用されています。

司馬遼太郎の肖像

司馬遼太郎は、たくさんの歴史小説を残しました。では、たくさんいる歴史小説家の中で、なぜ司馬遼太郎はこんなにも人気なのでしょうか。それは、司馬遼太郎にしかできない歴史の切り取り方にあります。

司馬遼太郎の歴史観は、「司馬史観」と呼ばれ、司馬遼太郎の目線によって、鋭く、新しい歴史の解釈がたくさん生まれています。その結果、司馬遼太郎の作品は単なる歴史的事実を書き連ねたような退屈な作品ではなく、歴史上の登場人物たちが生き生きと描かれたものになっているんですね。

司馬遼太郎は、単なる歴史小説家の枠を超えて、司馬遼太郎の目線で歴史に新たな息吹を吹き込み、過去の英雄に彩りを与えるような、素晴らしい作品をたくさん残しています。

司馬遼太郎とはどんな人物か

名前司馬遼太郎
(本名:福田 定一)
誕生日1923年8月7日
没日1996年2月12日
生地大阪市
没地大阪市
配偶者松見みどり
埋葬場所京都市東山区

司馬遼太郎の生い立ち

司馬遼太郎の子供時代の写真

司馬遼太郎は、1923年(大正12年)に大阪府大阪市で生まれました。薬局を経営する父と母の次男として生まれた司馬遼太郎は、地元の小学校・中学校に通いました。

そして、司馬遼太郎が中学校に通っていたときには、いよいよ戦争の状況が深刻となってきました。司馬遼太郎は、中学校を卒業後、大阪外国語大学(現在の大阪大学外国語学部)に進学しますが、その2年後には学徒出陣として戦争に行くことになります。

このときの経験が、司馬遼太郎の歴史観に大きな影響を与えたと言われています。

司馬遼太郎の性格

司馬遼太郎の写真

司馬遼太郎の性格は明るかったそうです。一方で、学校は嫌いで、悪ガキであったとも言われています。いわゆるガキ大将みたいなものですね。

一方で、司馬遼太郎は子供頃から本の虫でもありました。外で遊ぶだけではなく、たくさんの本も読んでいたんですね。たくさんの本から得られた知識が、著作にも生きているのだと思われます。

司馬遼太郎が影響を与えた人

司馬遼太郎に影響を受けた一人

司馬遼太郎に影響を与えられたと公言する有名人は数え切れません。例えば、ピースの又吉直樹さん、女優の杏さんなどは、司馬遼太郎のファンであることを公言しています。また、ソフトバンクを作った孫正義さんも、司馬遼太郎に大きな影響を受けたと語っています。

司馬遼太郎は、多くの著名人に影響を与えた人と言って良いでしょう。もちろん、著名人だけではなく、皆さんの周りにも司馬遼太郎から影響を受けたと言う人はたくさんいると思いますよ。

司馬遼太郎のエピソード

司馬遼太郎の写真

司馬遼太郎は、読書家でもあり、速読家でもありました。有名なエピソードとして、ある友人と家で話していたとき、その友人がコーヒーを1杯飲み終わるうちに、文庫本サイズの本を読み終わっていたくらいであるといいます。

また、資料収集の鬼としても知られていました。資料収集のために、一度に何千万円単位というお金を投じて資料を集めていました。司馬遼太郎は、資料を集めるために古書店へ軽トラックで乗り込み、手当たり次第に本を買って行き、関係者とトラックの荷台に乗せていったという逸話もあります。

司馬遼太郎の功績 728

功績1「数多くの名作を残した」

司馬遼太郎の代表作「燃えよ剣」

司馬遼太郎は、日本の小説史上に名前が残る名作をたくさん生み出しました。例えば、代表作である「竜馬がゆく」は2125万部も売れています。100万部売れた作品はベストセラーと呼ばれますが、その20倍以上も売れているのです。どれだけ人気かわかりますね。

それ以外にも、「坂の上の雲」は1475万部。「翔ぶが如く」1070万部も売れています。司馬遼太郎は、たくさんの小説を残しましたが、その多くはベストセラーとなっています。司馬遼太郎の小説の累計販売数は2億冊とも言われ、この数字からも日本屈指の人気小説家と言えるでしょう

さらに、様々なドラマや映画の原作としても採用され「燃えよ剣」はV6の岡田くんが主演で2020年に公開予定です。NHKの大河ドラマの原作にもなり「功名が辻」は仲間由紀恵さん主演で大ヒットしましたね。

功績2「新しい歴史観を生み出した」

司馬遼太郎の歴史観

司馬遼太郎は、日本人の歴史観に大きな影響を与えた人物と言われています。司馬遼太郎の歴史観は、「司馬史観」と呼ばれ、司馬遼太郎の歴史解釈により、歴史上の登場人物たちを生き生きと色づけて描いています。

知らず知らずのうちに、司馬遼太郎の歴史観に多くの人が触れています。例えば、新選組が正義のヒーローのような扱いになったのも司馬遼太郎の影響が大きいと言われています。それまで、新選組はどちらかというと極悪非道人のような扱いだったのですが、新選組の「義」の力強さを司馬遼太郎が小説で描いたことにより、日本人の新選組に対する評価は変わりました。

また、坂本龍馬も司馬遼太郎により日本人に知れ渡った一人と言えるでしょう。坂本龍馬が活躍する「竜馬がゆく」は司馬遼太郎最大のヒット作ですが、この作品を通して幕末における坂本龍馬の大活躍を多くの人が知ることになりました。

司馬遼太郎の名言

君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない

この名言は、司馬遼太郎が大阪市の小学生にむけて贈った「21世紀に生きる君たちへ」という文章の中の一説です。この文章の中で、司馬遼太郎は人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえを語っています。

この文章は、力強く生きることの大切さを教えたいという司馬遼太郎の思いが伝わってくる文章です。

一生というものは、美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている

この文章は、司馬遼太郎の名著「燃えよ剣」からの出典です。これは、燃えよ剣の主人公である土方歳三の言葉で、武士として生きる新選組の思いを伝えているものです。自分の人生はお金を稼ぐことや偉くなって地位を得ることではない。美しく生きるのだという幕末期の思想が伝わってきます。

何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

この言葉は、「竜馬がゆく」の中の坂本龍馬のセリフです。幕末という激動の時代を生きた坂本龍馬が、常に変化や選択を迫られる中で発した言葉です。

日本初の株式会社を作ったり、日本で初めて新婚旅行にでかけたりと、常人の発想では及びがつかない坂本龍馬の、どうせ人間最後は死ぬのだから、なんでもやってみるのである、という思いが込められている言葉です。

司馬遼太郎にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1 もののけ姫は司馬遼太郎が生んだ!?

司馬遼太郎もが生んだもののけ姫

司馬遼太郎は、実はアニメ作品にも興味があったようです。司馬遼太郎は、特にアニメ監督の宮崎駿監督の作品の「ルパン三世 カリオストロの城」や「となりのトトロ」を高く評価していたとのことです。

宮崎駿監督と司馬遼太郎は対談も行っています。その対談の際に、司馬遼太郎が新聞記者だったときに宿で経験した奇妙な体験を聞いた宮崎駿監督が、その話をもとに「もののけ姫」を着想した、と言われています。

日本の著名人物が、意外なところでつながっていたのですね。もののけ姫は、司馬遼太郎がいなかったら生まれなかった作品かもしれません。

都市伝説・武勇伝2 太陽の塔を生んだのも司馬遼太郎だった!?

太陽の塔

大阪万博の際に芸術家の岡本太郎が作った「太陽の塔」。特に関西圏の方には馴染みが深いかもしれません。実は、太陽の塔も司馬遼太郎に関係があるのです。

日本で万博が開催されることになり、万博を開催する協会は、岡本太郎に大阪万博のプロデューサーに就任するように打診しました。悩んだ岡本太郎は、信頼していた司馬遼太郎へ相談に行きました。司馬遼太郎は、その相談を受けると「ぜひやったほうがいい」と岡本太郎にアドバイスをしました。

その結果、岡本太郎は大阪万博のプロデューサーに就任することになり、今でも残る芸術作品である太陽の塔が生み出されたのです。

司馬遼太郎の簡単年表

1943年
学徒出陣で戦争へ行く

司馬遼太郎がまだ学生だった21歳のとき、いよいよ戦争の状況は悪化していました。そして、学生の司馬遼太郎も戦争にいくことになります。司馬遼太郎は満州に行くことになりますが、終戦時には日本に戻り、栃木県で終戦を迎えることになります。このときの戦争体験が、司馬遼太郎の著作に大きな影響を与えることになったのでした。

1960年 - 48歳
「梟の城」にて直木賞を受賞する

司馬遼太郎は大学を卒業後、新聞社に勤めることになります。新聞社に務める傍ら、小説を書き続けた司馬遼太郎ですが、48歳のときに梟の城でついに直木賞を受賞し、名実ともに売れっ子作家の仲間入りをしました。

1966年
「竜馬がゆく」と「国盗り物語」で菊池寛賞を受賞する

さらに、司馬遼太郎は54歳のときに竜馬がゆくと国盗り物語で、菊池寛賞を受賞します。竜馬がゆくは司馬遼太郎を代表する著作で、坂本龍馬が日本人の心に根付くきっかけとなった一作です。この頃出版した著作はすべてタイヒットし、日本でも1,2を争うような大作家となりました。

司馬遼太郎の年表

1923年 – 0歳「司馬遼太郎、生まれる」

子供時代のイメージ

大阪で生まれた司馬遼太郎

司馬遼太郎は、1923年に大阪府で生まれました。司馬遼太郎が生まれたときは、大正デモクラシーの時代で、日本がどんどん近代化していっていたときでした。

父は薬局を経営する薬剤師でした。また、司馬遼太郎には兄がいましたが、司馬遼太郎が2歳のときになくなってしまいました。それ以外に、姉と妹が一人ずついました。司馬遼太郎は生まれつき体が強くなく、脚気のために3歳まで環境の良い奈良県の母の実家で過ごしました。

1946年 – 23歳「新聞社に就職する」

新聞社に就職する

終戦後、新聞社へ就職

戦争も終わり、軍隊から開放された司馬遼太郎は、大阪にあった新世界新聞社へ入社します。しかし、肌が合わなかったのかすぐに退職し、今度は新日本新聞社に入社することになります。

そうやって入社した新日本新聞社ですが、司馬遼太郎が入社した2年後になんと倒産してしまいます。失意に暮れる司馬遼太郎でしたが、たまたま知り合った産経新聞の社員に入社を誘われます。「英語はできるか?」と聞かれた司馬遼太郎は、実は全く英語ができないのにもかかわらず「できます」と答え、入社が決定します。

小説家への目覚め

こうやって産経新聞に入社した司馬遼太郎でしたが、司馬遼太郎としては小説家への夢を持っていたようで、このころから30歳を過ぎたら小説を書こうと考えるようになったそうです。

その後、大阪本社へ異動になった司馬遼太郎は、京都の寺社周りや京都大学を担当することになります。そして、お寺で不思議な僧侶らと出会ったり、京都大学で学者の先生に取材するなどした経験を得ることになります。その内容は、後に司馬遼太郎が執筆したエッセイの中で克明に描かれています。

1956年 – 33歳「小説家としてデビュー」

司馬遼太郎、小説家になる

賞への応募をきっかけに小説家への道へ

司馬遼太郎は、1956年に「ペルシャの幻術師」を執筆し、講談倶楽部賞に応募し、見事受賞します。このときに、初めて司馬遼太郎のペンネームを使ったといいます。これがきっかけで、司馬遼太郎は世に出ることになりました。

梟の城で人気作家の仲間入り

その後も作品を発表し続けた司馬遼太郎でしたが、ついに出世作である「梟の城」を発表します。この作品が第42回直木賞を受賞することになり、受賞の翌年には産経新聞社を退職し、作家生活に入ることになりました。

1993年 – 69歳「文化勲章を受賞」

文化勲章受賞者に与えられる勲章

これまでの功績が認められる

司馬遼太郎は、その後も数々の人気作品を発表し続けることになります。 1981年に日本芸術院会員となり、さらに1991年には文化功労者となります。そして1993年には、これまでの功績が認められ、優れた文化功績を残した方に贈られる文化勲章を受章することになります。小説家でこの賞を他に受賞したのは川端康成や吉川英治など、ごく限られた人だけです。

1996年 – 72歳「司馬遼太郎、亡くなる」

病院のイメージ

体の変調があらわれはじめる

文化勲章を受賞し、名実ともに超一流の小説家となった司馬遼太郎ですが、70歳を過ぎたあたりから腰に痛みを覚えるようになりました。単純な腰痛だと思っていましたが、実は腹部の大動脈瘤を患っていました。その中でも、精力的に執筆を続けた司馬遼太郎は、晩年においても多くの著作を残しました。

突然の訃報

1996年の2月10日に司馬遼太郎は吐血して倒れてしまいます。司馬遼太郎は、大阪市中央区の国立大阪病院に入院し、必死の治療を受けますが、日後の2月12日午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため亡くなりました。72歳でした。3月10日には、大阪市内のホテルで「司馬遼太郎さんを送る会」が行われ、司馬遼太郎を惜しんだ約3000人が参列しました。

亡くなったあとも、司馬遼太郎は著作という形で、今なおたくさんのものを我々に与え続けてくれています。

司馬遼太郎の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

国盗り物語

国盗り物語は、美濃の英雄である斎藤道三をテーマに書かれた歴史小説です。斎藤道三は、戦国時代の中でも「下克上(げこくじょう)」という言葉が最も当てはまる人物かもしれません。ただの商人であった斎藤道三は、最終的に一国一城のある時まで上り詰めます。斎藤道三がどうやって大名に上り詰めたのか、司馬遼太郎の切り口でいきいきと描かれる名作小説です。

坂の上の雲

坂の上の雲は、日露戦争に挑む日本を舞台に、日本騎兵の父である秋山好古と、バルチック艦隊を打ち破った秋山真之、そして明治の文学史に名を残す正岡子規をテーマに描かれた歴史小説です。物語は、この3人の学生時代から始まり、彼らがいかにして明治の時代を生きて、日露戦争でロシアを破るに至るかを、司馬遼太郎の豊富な見識をベースに描いた一作です。

燃えよ剣

燃えよ剣は、新選組の土方歳三を主人公に、幕末の動乱期を描いた一作です。農民や流浪人乗集まりであった試衛館の面々が、どのようにして新選組で活躍するまでに至ったのかを描いた名作です。私の友人の中には、燃えよ剣を読んで剣道を始めた人もいるくらい、影響を与えてくれる一冊といえます。

おすすめの動画

【司馬遼太郎・シンポジウム】『人は変革期にどう生きるか』

この動画は、2018年に司馬遼太郎について歴史家の磯田道史さんや、作家の木内昇さん、映画化君徳の原田眞人さん、小説家の浅田次郎さんが語ったシンポジウムの録音です。各界の著名人が司馬遼太郎をどのように語っているのか、聞いてみるのも良いかもしれません。

今だからこそ、今一度、司馬遼太郎氏の言葉に耳を傾けたい

こちらは、司馬遼太郎が文化功労賞を受賞したときの会見映像です。この映像の中で、司馬遼太郎はどんな思いを持って執筆を行ってきたかを語っています。その中で、司馬遼太郎は22歳の自分に贈るように作品を執筆していると語っています。司馬遼太郎22歳のときといえば、太平洋戦争が終戦したときです。戦争は、司馬遼太郎の思想に大きな影響を与えたのでしょうね。

おすすめの映画

関ヶ原

司馬遼太郎の名著、「関ヶ原」を映画化した作品です。出演はV6の岡田准一さんと女優の有村架純さんです。歴史が動いた瞬間を、豪華な出演陣が名演している素晴らしい作品ですよ。

燃えよ剣(2020年版)

2020年に公開予定の新作映画です。主演は関ヶ原に引き続き、V6の岡田准一さんです。小説の燃えよ剣は、新選組の副長である土方歳三を華麗に描いた作品ですが、一体どんなふうに映画として描かれるのか楽しみですね。

おすすめドラマ

NHK 大河ドラマ 翔ぶが如く

NHKの大河ドラマに採用された翔ぶが如くを紹介します。翔ぶが如くは、西郷隆盛を主人公に、幕末を描いた名作です。この名作を、豪華なキャストが演じています。必見の一作ですよ。

NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲

もう一つ紹介するのは、NHKが作成したスペシャルドラマ「坂の上の雲」です。坂の上の雲は、日本に騎兵を導入し、バルチック艦隊を打ち破った秋山兄弟について描いた作品です。このドラマも素晴らしいので、ぜひ見てみてください。

関連外部リンク

司馬遼太郎についてのまとめ

この記事では、司馬遼太郎についてまとめてきました。司馬遼太郎は、大ヒット作家というだけではなく、日本人の歴史観に大きな影響を与えた人物ということですね。

筆者も司馬遼太郎の作品は大好きです。これからも、司馬遼太郎の作品は時を越えて読みつがれていくのでしょう。この記事を読んで、司馬遼太郎に興味をもたれた方は、ぜひ一冊読んでみることをおすすめします。

この記事の内容がしっかり理解できたかクイズでおさらいしてみてください!

【司馬遼太郎クイズ#1】歴史に新たな息吹を吹き込んだ小説家。

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