司馬遼太郎とはどんな小説家?性格や子孫、死因、おすすめ作品も紹介

司馬遼太郎の死因

司馬遼太郎の訃報を伝える新聞
出典:人の土俵で褌を取る

司馬遼太郎の死因は、腹部大動脈瘤破裂と言われています。亡くなったのは1995年ですが、その1年以上前から坐骨神経痛や足の痛み、腰痛に悩まされていました。しかし医者が嫌いであった司馬遼太郎は、診察を受けずに時を過ごしてしまいます。2月10日、歯磨き中に倒れて病院へ搬送され、12日に他界しました。

近代軍制の創始者と言われる大村益次郎
出典: Visit Chiyoda

司馬遼太郎が息を引き取ったのは国立大阪病院(現在の国立病院機構大阪医療センター)です。ここは司馬遼太郎の傑作としても名高い歴史小説「花神」の主人公である大村益次郎が、襲われて瀕死の重症となって運び込まれるも、命を落とした場所でもありました。

司馬遼太郎の功績

功績1「数多くの名作を残した」

司馬遼太郎の代表作「燃えよ剣」

司馬遼太郎は、日本の小説史上に名前が残る名作をたくさん生み出しました。例えば、代表作である「竜馬がゆく」は2125万部も売れています。100万部売れた作品はベストセラーと呼ばれますが、その20倍以上も売れているのです。どれだけ人気かわかりますね。

それ以外にも、「坂の上の雲」は1475万部。「翔ぶが如く」1070万部も売れています。司馬遼太郎は、たくさんの小説を残しましたが、その多くはベストセラーとなっています。司馬遼太郎の小説の累計販売数は2億冊とも言われ、この数字からも日本屈指の人気小説家と言えるでしょう

さらに、様々なドラマや映画の原作としても採用され「燃えよ剣」はV6の岡田くんが主演で2020年に公開予定です。NHKの大河ドラマの原作にもなり「功名が辻」は仲間由紀恵さん主演で大ヒットしましたね。

功績2「新しい歴史観を生み出した」

司馬遼太郎の歴史観

司馬遼太郎は、日本人の歴史観に大きな影響を与えた人物と言われています。司馬遼太郎の歴史観は、「司馬史観」と呼ばれ、司馬遼太郎の歴史解釈により、歴史上の登場人物たちを生き生きと色づけて描いています。

知らず知らずのうちに、司馬遼太郎の歴史観に多くの人が触れています。例えば、新選組が正義のヒーローのような扱いになったのも司馬遼太郎の影響が大きいと言われています。それまで、新選組はどちらかというと極悪非道人のような扱いだったのですが、新選組の「義」の力強さを司馬遼太郎が小説で描いたことにより、日本人の新選組に対する評価は変わりました。

また、坂本龍馬も司馬遼太郎により日本人に知れ渡った一人と言えるでしょう。坂本龍馬が活躍する「竜馬がゆく」は司馬遼太郎最大のヒット作ですが、この作品を通して幕末における坂本龍馬の大活躍を多くの人が知ることになりました。

功績3「25年にわたり歴史紀行文を連載した」

「街道をゆく」は須田剋太による味のある挿絵も人気がある。
出典:街道をゆく 須田剋太 挿絵原画展

司馬遼太郎は1971(昭和46)年より、週刊誌「週刊朝日」にて「街道をゆく」という紀行文の読切連載を始めました。43冊目となった「濃尾参州記」は司馬遼太郎の突然の死により未完に終わっています。

「街道をゆく」は、その名の通り街道を進みながら、その土地の風土や暮らし方に触れて、時間を自由に行き来しながら司馬遼太郎の思索をたどることのできる紀行文です。日本国内だけでなく、アイルランドやオランダ、モンゴルなどへも足を伸ばしています。1984年に刊行された「南蛮のみちI」で日本文学大賞学芸部門を受賞しました。

書籍としてシリーズ本全てが刊行されているほか、NHKでドキュメンタリー番組として放送され、DVD化されています。

功績4「日本という国について定義した」

日本文学研究者のドナルド・キーン(1922〜2019)
出典:千代田区立図書館

司馬遼太郎は最晩年において、今までの小説執筆を通じて考えた日本という国のことや日本人について、数多く書き残しました。ドナルド・キーンや井上ひさしといった著名人と、日本をテーマにした対談をまとめたものも多く出版されています。

第4代中華民国総統・李登輝と司馬遼太郎の対談は「街道をゆく 台湾紀行」に収められている。
出典:wikipedia

歴史家の磯田道史は、司馬遼太郎のことを「歴史を作る歴史家」と称していますが、司馬遼太郎はその作品で読み手の心を動かし、新たな時代の歴史に影響を与えることのできる稀有な小説家でした。そのため、司馬遼太郎の語る日本という国のかたちや日本人の定義は、今でも多くの日本人に新たな思索を投げかけるものとなっています。

司馬遼太郎の代表作品

国盗り物語

国盗り物語は、美濃の英雄である斎藤道三をテーマに書かれた歴史小説です。斎藤道三は、戦国時代の中でも「下克上(げこくじょう)」という言葉が最も当てはまる人物かもしれません。ただの商人であった斎藤道三は、最終的に一国一城のある時まで上り詰めます。斎藤道三がどうやって大名に上り詰めたのか、司馬遼太郎の切り口でいきいきと描かれる名作小説です。

坂の上の雲

坂の上の雲は、日露戦争に挑む日本を舞台に、日本騎兵の父である秋山好古と、バルチック艦隊を打ち破った秋山真之、そして明治の文学史に名を残す正岡子規をテーマに描かれた歴史小説です。物語は、この3人の学生時代から始まり、彼らがいかにして明治の時代を生きて、日露戦争でロシアを破るに至るかを、司馬遼太郎の豊富な見識をベースに描いた一作です。

燃えよ剣

燃えよ剣は、新選組の土方歳三を主人公に、幕末の動乱期を描いた一作です。農民や流浪人乗集まりであった試衛館の面々が、どのようにして新選組で活躍するまでに至ったのかを描いた名作です。私の友人の中には、燃えよ剣を読んで剣道を始めた人もいるくらい、影響を与えてくれる一冊といえます。

竜馬がゆく

「竜馬がゆく」は幕末の志士・坂本龍馬の人気を押し上げた、司馬遼太郎の代表作の一つです。何度もドラマ化されているほど、そのストーリーは親しみやすく、楽しげな人物がたくさん登場します。司馬遼太郎の作品を初めて読む人にはもちろん、小学校高学年の子供でも十分楽しめます。

坂本龍馬の功績については、創作なのか史実なのかわからない部分も多いです。しかしこの作品は、そうしたことはさておき、幕末という激動の時代を20代の若者がどれだけエネルギッシュに生きていたかを感じることができるという点で、魅力があると思います。

項羽と劉邦

「項羽と劉邦」は楚の項羽と漢の劉邦との攻防の物語です。部下を持つ中高年のビジネスマン必読の書とも言われ、人望を得る将とはどういうものなのかを考えさせられます。

また、「項羽と劉邦」といえば、四面楚歌や背水の陣といった有名な故事が生まれた作品でもあり、高校の漢文の授業で頻出の文章も多いです。そういった意味でも、高校生にぜひおすすめしたい小説です。

街道をゆく

「街道をゆく」は司馬遼太郎の紀行文で、全部で43巻あります。どれも甲乙つけがたい魅力がありますが、33巻「白河・会津のみち、赤坂散歩」は、司馬遼太郎が何度も小説で書いている会津への深い同情が溢れていて、とても印象的でした。

一緒に収録されている「赤坂散歩」には、徳川吉宗、勝海舟、乃木希典、高橋是清という時代の違う人々が赤坂という場所を通して語られており、時空を操る司馬遼太郎ならではの作品です。

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司馬遼太郎の名言

君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない

この名言は、司馬遼太郎が大阪市の小学生にむけて贈った「21世紀に生きる君たちへ」という文章の中の一説です。この文章の中で、司馬遼太郎は人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえを語っています。

この文章は、力強く生きることの大切さを教えたいという司馬遼太郎の思いが伝わってくる文章です。

一生というものは、美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている

この文章は、司馬遼太郎の名著「燃えよ剣」からの出典です。これは、燃えよ剣の主人公である土方歳三の言葉で、武士として生きる新選組の思いを伝えているものです。自分の人生はお金を稼ぐことや偉くなって地位を得ることではない。美しく生きるのだという幕末期の思想が伝わってきます。

何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

この言葉は、「竜馬がゆく」の中の坂本龍馬のセリフです。幕末という激動の時代を生きた坂本龍馬が、常に変化や選択を迫られる中で発した言葉です。

日本初の株式会社を作ったり、日本で初めて新婚旅行にでかけたりと、常人の発想では及びがつかない坂本龍馬の、どうせ人間最後は死ぬのだから、なんでもやってみるのである、という思いが込められている言葉です。

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