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アリストテレスとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や名言、思想についても紹介】

アリストテレスとは、古代ギリシャの哲学者であり自然学者であり政治学者であり文学者である人物です。古代ギリシャにおいて様々な学問分野に功績を遺しました。

哲学者としての知名度は、ソクラテスやプラトンに並ぶ哲学者と目される人物であり、あまりにも多くの分野にまたがる功績から「万学の祖」という異名を誇ります。

アリストテレスを模ったとされる彫像

とはいえ、

「結局アリストテレスは何をした人なの?」
「アリストテレスの哲学や思想について詳しく知りたい!」

と考える方も多いのではないでしょうか?

ということで今回は、思想的な入門の部分や、アリストテレスという人物の生涯についてを紹介していきます。「アリストテレスの思想とはこういうものだ!」と明確に示すことは難しい人物ではありますが、入門編としてお付き合いいただければ幸いです。

アリストテレスとはどんな人物か

名前アリストテレス
誕生日紀元前384年(月日不明)
没日紀元前322年3月7日
生地トラキア地方・スタゲイロス
没地エウボイア島・カルキス
配偶者ピュティアス
埋葬場所不明
研究分野哲学、自然学、形而上学、政治学、倫理学、文学etc

アリストテレスの生涯をハイライト

濃い茶色の部分がトラキア

アリストテレスは紀元前384年にトラキア地方(現在のブルガリア・ギリシャ・トルコに跨っている)で生を受けました。父はマケドニア王国の王の侍医でしたが、幼少期に両親を失います。

その後17歳頃にプラトンが創設・運営している大学アカデメイアに入学。プラトンが死去するまでの20年間をアカデメイアで過ごします。

プラトンが亡くなるとアリストテレスは大学を去り、学生時代に知り合ったアナトリア半島のアッソスの支配者ヘルミアスに招かれ、アッソスへと移住。ヘルミアスの姪ピュティアスと結婚しました。

しばらくの間アッソスに身を置いていたアリストテレスでしたが、ヘルミアスがペルシャ帝国に囚われてしまい、難を逃れるためにアッソスの対岸のミュティアスへ移住。そこで生物学の研究に勤しみました。

アレクサンドロスとは生涯にわたって交流が続いた

42歳になるとマケドニアの王から招聘(しょうへい)を受け、当時13歳の王子アレクサンドロスの家庭教師となります。また、首都から離れたミエザという場所に学園を作り、弁論術や文学、科学、哲学などを教えはじめました。

アレクサンドロスが王に即位すると、アリストテレスはアテナイへと戻り、その郊外に「リュケイオン」という名前の学園を創設。弟子たちと学園を歩きながら議論を交わしました。

紀元前323年、アレクサンドロス大王が亡くなるとアテナイではマケドニア人に対する迫害が発生。アリストテレスは迫害から逃れるために、母親の故郷であるカルキスへと身を寄せます。

しかし、病に倒れ紀元前322年、62歳でこの世を去りました。

アリストテレスの提灯とは

ウニの口の骨

ウニの口のことを、アリストテレスの提灯と呼びます。

なぜこのように呼ぶのかというと、アリストテレスが『動物記』の中で「ウニの口は提灯に似ている」といったうまのコメントを残したため、それが由来とおなって「アリストテレスの提灯」と呼ばれるようになりました。

「提灯」というと日本の丸いものを想像しますが、アリストテレスの言う「提灯」は街灯として使われていたランタンを示しており、写真右側のような一部が尖ったものでした。

こんなところにアリストテレスの名前がつけられているなんて、彼の影響力の強さが垣間見れますね。

アリストテレスの『詩学』とは

面白い物語はどうして面白いのかを説明している『詩学』

アリストテレスの記した『詩学』は、物語論の原型と言われています。

物語論とは、どのようにすると面白い物語が書けるようになるのかを追求する学問のことです。『詩学」は物語の魅力について論じている書籍です。

すべてをお話しすると長くなるので要点だけ解説します。アリストテレスは物語の魅力は「模倣」にあるとしました。人間は古来より、動物や先達の真似をして発展してきました。また、学ぶという字は「真似る」と同じ語源を持っています。

これらのことからアリストテレスは、人間には「真似」をする習性があり、それを好みやすい傾向があると考えたのです。そして真似という行為は、法則を見出す(水をこぼすと濡れる等)作業でもあると考えました。

つまり、物語は因果関係があるから面白いということです。ファンタジーで例えるなら、魔王に家族を殺されたから、その復讐に魔王を討伐する勇者、といったところでしょうか。

ある事実とある事実が結びつく時に、わたしたち人間は知的好奇心が刺激され面白いと感じる、とアリストテレスは結論付けました。

小説家を目指している方は、一度読んでみるとなんらかの気づきが得られるかもしれません。

優秀すぎて1000年以上もヨーロッパに影響を与えた

アリストテレスの説は間違いもあったがそれすらも支持されていたため、科学の発展を遅らせてしまった

アリストテレスはさまざまな学問の問題をまとめたことから「万学の祖」と呼ばれました。

あまりにも見事に整理してしまい説得力もあったため、アリストテレスの時代から1000年以上、ヨーロッパの学問はアリストテレスがまとめた理論から離れられませんでした。

最終的には、アリストテレスが体系化した学問から徐々にそれぞれ固有の学問が飛び出していき、自立しました。1000年にも渡る間、影響を残したアリストテレス。彼の功績の大きさがよくわかるエピソードですね。

アリストテレスの死因は不明

アリストテレスの死因ともされる、ドクニンジンの花

アリストテレスの死因は、実際のところ「よくわかっていない」というのが答えです。晩年の彼は、母方の故郷であるエウボイア島のカルキスに身を寄せ、そこで息を引き取ったことは明らかになっているのですが、その死因に関しては記録が残っておらず、不明のままとなっているのです。

通説としては「病に倒れた」ということになっていますが、異説としては「毒人参をあおっての自殺」という説も存在しており、そのどちらもが弱い根拠しかもっていないため、真実は未だに掴み切れていないのが現状となっています。

とはいえ、現在では「万学の祖」と著しい尊敬を集めているアリストテレスですが、彼自身の晩年は、どうにも寂しいものだったのは殆ど間違いがないように思えます。

では、彼の晩年はなぜそうなってしまったのでしょうか?

その部分については、後の年表をご覧いただければ幸いです。

アリストテレスの思想

非常に広範囲に及んだアリストテレスの研究

アリストテレスは「哲学」という学問分野を起点としつつ、その彼自身が哲学の本質と考えた「知を愛すること」という思想を根本とし、現代における様々な学問分野の研究を行いました。

その研究範囲は、画像の『アリストテレス全集』の分厚さを見ていただければわかるように、本当に異常なレベルで幅広く、現代における学問のほぼすべてにアリストテレスの影響があると言っても過言ではありません。

というわけで、その全てを記事で紹介するのは間違いなく不可能なのですが、ここではその中でも代表的な学問分野の”さわり”の部分を解説していきたいと思います。

アリストテレスの遺した資料は、そのほとんど全てが「自分用のまとめノート」のため、もしかすると解釈違いなどあるかもしれません。ですので、ここに示すのは「あくまで一例」と割り切って、興味を持った分野があればぜひご自身で調べていただければ幸いです。

形而上学

「アテネの学堂」の中央にはプラトンとアリストテレスが描かれている

まずは「アリストテレスの研究」としてもっとも有名だろうこの分野から。

アリストテレスの考えだした「形而上学」というのは、いってしまえば「プラトンのイデア論に対する反証」です。

プラトンは「事物の本質は別世界にある」と考えたのに対し、アリストテレスは「事物の本質は事物そのものの中に存在する」と考えたのです。

例えば、皆さんが見ているこの『Rekisiru』という歴史紹介サイトについて。二人の思想に基づいてこのサイトを見てみると、プラトンは「究極の歴史紹介サイト(=”歴史紹介サイト”のイデア)の模造品」と捉え、アリストテレスは「このサイトにも、他の歴史サイトにも”歴史サイト”の本質が宿っている」と考えます。

簡単に言えば、彼らの思想の違いは「本質がどこに存在するか」という一点に集約するのです。

とはいえ、この議論で現在の我々が納得しやすいのは、やはりアリストテレスの方。プラトンの思想だと「『Rekisiru』というサイトをチラッと見た段階で(=記事も何も読まずに)歴史紹介サイトだと理解できる」ということになってしまうからです。

ただし、アリストテレスの思想にも弱点は存在しています。

それは「”本質”というのは普遍的なものなのに、この世界には色々な歴史紹介サイトがある」という点です。どれも同じ「歴史紹介サイト」というくくりを持っている以上、”本質”は同じであるはず。つまり、「同じくくりの中にあるのに、本質が違う」という状況が、アリストテレスの思想からは生じてしまうのです。 ということでアリストテレスは、その矛盾の解消のためにこのような理屈を設けました。

四原因説

食卓を例にし図式化した四原因説

アリストテレスが提唱した『四原因説』の中では、この世に存在する事物の全ては、「四つの原因から成る」とされています。

四つの原因とは、

  • 質料因=材質
  • 形相因=形
  • 作用因=事物を作り出すもの
  • 目的因=事物の目的

のことです。

これも、先ほどと同様に「歴史紹介サイト」と『Rekisiru』を例にして説明していきましょう。

  • 歴史紹介サイトの質料因=インターネット(電気運動?)
  • 歴史紹介サイトの形相因=ネット上の情報媒体
  • 歴史紹介サイトの作用因=サイト管理者やライター、読者の皆様
  • 歴史紹介サイトの目的因=歴史上の事物や人物を紹介すること

そして、ここまで読んだ中でも勘のいい皆さまであれば、前段の疑問の答えに気づいてくれると思います。
上記の『歴史紹介サイトの四原因』は、そのまま『Rekisiruの四原因』と置き換えることも出来る――つまり、『Rekisiru』は歴史紹介サイトの本質を持ったサイトだと言え、ほかの歴史紹介サイトもその本質を持ったサイトだと言えるのです。
「内部にある四つの本質が同じであれば、それは同じ本質を持つ」――アリストテレスはそう考えたわけですね。

自然学

アリストテレスの理論による四元素の関係図

前段の『形而上学』という分野が、皆さんが想像するいわゆる「哲学」の分野の話です。アリストテレスと言えば、多くの方が前段の小難しい説明を想像するかと思います。

しかしアリストテレスが「万学の祖」と呼ばれるまでに至った理由は、むしろこれ以降の学問分野――本質ではなく現実を見た、いわゆる「形而下学」にあたる分野を研究していったからなのです。

例えばこの「自然学」については、現代的な理系学問を想像してもらえればそれでOKです。「人は何故病気になるのか」「人の指は何故こんな形なのか」というのを、現実的な必要性や目的の面から考える学問が、アリストテレスの考えた自然学なのです。

倫理学

アリストテレスは「人間の全ての営みには理由があり、それらの目的には”それ自体が史上目的となる”『最高善』が存在する」と考え、人間にとっての最高善は『幸福に生きること』であると説いています。

彼は『最高善(=幸福に生きる)』のためには、人間の固有の形相である魂の理性を発展させ、『中庸』という徳を守ることが重要であると考えていたようです。

『中庸』とはザックリ言えば「相反する感情の中の中間部」の事です。例えば「”快楽と苦痛”の中では、どちらにも転ばない”節制”」や「”名誉”に関しては、驕りにも謙遜にもならない”矜持”」こそが中庸という徳であると考えていたようです。

また、『中庸』に代表される”徳”を『知性的徳』と『習性的徳(道徳)』に分類するなど、更に発展させて言っていますが、ここではその辺りの議論は割愛。

ここでは、アリストテレスは「人は幸福に生きるために生きている」と考えていたことだけ押さえていただければOKです。

政治学

「人間は政治的生物である」とアリストテレスは定義した

政治学分野に関して、アリストテレスは「倫理学の延長線上」と捉えていたようです。

彼は人間の最高善――「幸せに生きること」は国家によって実現されると考え、共同体の統治が堕落と革命の循環を繰り返すことで最高善が実現されると考えていました。

また、アリストテレスは「国家間の地位に基づき、民衆がそれぞれの立場に基づいた”中庸”を持つことで、国家は上手く循環して最高善に近づく」と主張しています。

一見すると正しいようにも感じられますが、「貴族の中庸=支配」「奴隷の中庸=服従」と考え、身分制度を肯定していた側面があるあたり、アリストテレスの主張した政治学的な制度は、必ずしも「正しい」とは言い切れないように思えます。

文学

アリストテレスは芸術分野を「最高の形の模倣」と捉え、中でも文学の事を「自然や世界を模倣する芸術」として、非常に高く評価していたことが明らかになっています。

中でもアリストテレスは、「浄化(カタルシス)を味わうことができる」として悲劇を文学の最上位に位置付けており、フランスの古典的な作劇術である”三一致の法則”は、アリストテレスが文学についてを記した『詩学』というノートに根拠を求めているほどです。

以上、かなりザックリとアリストテレスの学問功績の”一部”を紹介させていただきました。内容の正しさなどはともかく、これだけの分野に影響を遺したあたり、彼が「万学の祖」と称される由来は理解いただけたかと思います。

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