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【街道の女王】アッピア街道とはどんな道?現在の様子も画像付きで紹介

皆さんは「すべての道はローマに通じる」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?この格言にあるとおり、古代ローマ帝国では、現在のイタリア・ローマに多くの街道が集まっていました。その中でも最も有名な街道が、アッピア街道です。

このアッピア街道はどのような目的で作られ、どのような役割を担っていたのでしょうか?今回は、その歴史を紐解くとともに、現在どのように利用されているかも合わせて紹介していきます。

アッピア街道とは

アッピア街道のルート図(白線)

アッピア街道は、イタリアの首都・ローマとアドリア海に面したブリンディジを結ぶ街道です。紀元前312年から整備され、ルート変更や延長などを少しずつ繰り返し、現在では全長約560kmにも及びます。ローマで最初に整備された街道であると同時に、それ以降の街道のモデルとなった道であることから「街道の女王」とも呼ばれています。

世界史に登場するアッピア街道

「ローマの元老院と人民」を意味するSPQR(Senatus Populusque Romanus)の紋章

アッピア街道は、都市国家としてのローマが、ローマ共和政、ローマ帝国と移り変わるために必要不可欠なものでした。都市が発展するために、どのように街道が利用されたのでしょうか。

軍用道路として整備

当時のローマはイタリア半島中部の一都市国家に過ぎませんでしたが、経済的に発展したことにより、平民の力が強くなってきていました。すると、それまで権力を握っていた貴族に対して、平民が平等な権利を要求するようになり、王政に代わりローマ共和政が成立するに至りました。経済力と武力を備えたローマは、その領土を拡大するためにイタリア半島の南部への侵攻を開始します。

当時、半島の中部から東南部にかけては、牧畜を行っていたサムニウム人が強い勢力を占めていましたが、サムニウム人同士での内紛もあり不安定な状態でした。それに目をつけたローマは、サムニウム人の片方の一派を支援し、その勢力地域であるカシリナム(現在のカプア)を実効支配することに成功します。これを第一次サムニウム戦争と言います。しかし、これに反発したサムニウム人により半島南部の支配が思うように進まなくなり、戦力を効率良く進軍させるための軍用道路の必要性が高まってきました。

紀元前312年、市民の財産を管理する役職である戸口監察官のアッピウス・クラウディウス・カエクスの要請により、ローマからカシリナムまでを最短距離で一直線に結ぶ街道が整備されました。これがアッピア街道の原型で、街道名は「アッピウス」にちなんで付けられました。街道は馬が戦車を引けるように幅8mで平坦に舗装され、橋やトンネルなどの設備も完備した、ローマ文化における土木技術の集大成となっています。

スパルタクスの反乱でも利用

スパルタクスの乱

ローマは領土を拡大する中で獲得した戦争捕虜を奴隷とし、労働力として利用していました。対外戦争が増えると、規模の小さい農民は重装歩兵として戦地に駆り出されてしまい、大規模農業を営む農民に吸収されていきました。この大土地所有(ラティフンディア)の拡大は、安い労働力である奴隷の搾取を強め、奴隷たちの不満を高める結果に繋がりました。

紀元前73年、スパルタクスという人物を主導者としてイタリア全土の奴隷が蜂起した反乱は、およそ12万人の兵となって各地で襲撃を行いました。事態を収めようとしたローマ軍に対しても何度も勝利しましたが、紀元前71年、兵力が分断していたタイミングでローマ軍の将軍クラッススに対峙し、スパルタクスが倒されたことで終焉を迎えます。

クラッススは戦争捕虜およそ6千人を、ローマからカプアに至るアッピア街道沿いで十字架に掛け、磔刑としました。主要な街道であったアッピア街道で見せしめにすることで、ローマ軍の権力を誇示したとも言われています。

現在のアッピア街道

現在のアッピア旧街道の様子

ローマ帝国の崩壊後、街道はしばらく利用されていませんでしたが、1784年にピウス6世の命でアッピア街道に並行する新道が作られ、これまでの街道は旧街道となりました。現在ではその歴史的価値が再評価され、断片的に旧街道周辺を観光名所として保存する動きがあります。ここでは、アッピア街道の古の姿を知る方法を一部紹介します。

徒歩でアッピア街道州立公園を散策

州立公園内のアッピア街道

アッピア街道の起点であるカペーナ門は現存していませんが、その先のサン・セバスティアーノ門(アッピア門)から10kmにわたってローマ帝国時代の石畳が保存されています。特に前半は、アッピア街道州立公園として整備されており、緑地の中を散策しながら街道を歩くことができます。

道中には初期キリスト教の地下墓所であるカタコンベや、マクセンティウス帝の競技場などがあり、往時の雰囲気を堪能できます。

車や自転車でローマ郊外へ

カプアの闘技場跡

ローマ市内のアッピア旧街道以外は、往時の姿を留めている箇所は少ないですが、旧街道に沿って拡張された車道が整備されています。特にローマからカプアまでは、初期に整備された直線道路に沿って道が作られているので、当時どれだけ最短距離で道を作ろうとしたかがわかる貴重な区間です。

また、街道沿いには城跡や要塞跡などの古代の建造物が点在しており、かつての様子を思い描きながら街を訪問していく楽しみもあります。車や自転車が趣味の方は、イタリア中南部を街道を利用して周遊するのも良いかもしれません。

新アッピア街道が整備

現在の新アッピア街道の様子

ローマ市内では、旧街道の北東を並行するように「新アッピア街道(Via Appia Nuova)」が整備されています。この道路はローマ市街地からローマ・チャンピーノ空港前を通過し、トラピスト修道院のあたりで旧街道と合流します。石畳ではなくなりましたが、アッピア街道は今でも主要な幹線道路の一つとしてローマの交通を支えています。

アッピア街道を題材にした作品

ローマの象徴でもあるアッピア街道は、様々な作品でモチーフになっています。その中で、日本でも知られているものを紹介します。

レスピーギ作曲『アッピア街道の松』

アッピア街道に植えられている松

イタリアの作曲家であるオットリーノ・レスピーギが1924年に発表した交響詩『ローマの松』。全4部で構成されているこの作品の最終部である第4部を飾るのが、『アッピア街道の松』です。

レスピーギはこの作品で古代ローマを想起させる演出を取り入れていて、夜明けの霧の様子を描いた静かな前半に対して、後半では軍隊の行進のようなリズムを使い、力強く盛り上がりのある曲となっています。

ボードゲーム「アッピア街道」

ボードゲーム「アッピア街道」のプレイ場面

2013年に発表された「アッピア街道」というボードゲームは、シンプルながら奥深いゲームとして知られています。プレイヤーは街道に石畳を敷いていく職人となって、終点のブリンディジを目指します。道中でお金や敷石を手に入れながら、ゴール時点でポイントが最も高かったプレーヤーの勝利となります。

街道を職人と旅人両方の目線で味わえ、友人たちと楽しみながらアッピア街道を知ることができます。

アッピア街道に関するまとめ

今回はアッピア街道の成り立ちとその使われ方、そして現在の状況をまとめました。古代ローマ帝国ではアッピア街道を参考にして多くの街道を作り、現代の高速道路にも負けない強靭な軍事道路網を作り上げました。これが現在のスペインからエジプト、トルコにまで勢力を広げる大帝国を生み出す基盤となったことは間違いありません。

興味を持っていただいたり、もっとアッピア街道のことを知りたいという方は、イタリア・ローマに観光し、実際に自分の足で確かめてみると良いかもしれませんね。

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