どのような分野であれ、「歴史」というものを調べていくと、大抵一つや二つは様々な悪意によって起こった「事件」というものに行き当たります。
ナチスドイツによるユダヤ人の迫害や、コロンブスによる先住民の虐殺などは、その最たるものだと言えるでしょう。
しかし、そのような「歴史上の事件」を語るにあたっては、200年近くにわたって行なわれ続けた「魔女裁判」という事件についても避けて通るわけにはいきません。「魔女」という超自然的な存在を起点とした世界史上でも最大規模の迫害と虐殺は、今もなお創作の題材などとして、不謹慎な言い方ではありますが人気を集めています。
人々の信仰心や猜疑心、あるいは恐怖や利権などと絡み合ったその悪習は、薄々「何も生まない」と多くの人に気づかれながらも、一体なぜ200年にもわたって行われ続けたのか。
この記事では、そんな人類史上でも最大レベルの迫害事件である「魔女裁判」について解説していきたいと思います。
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魔女裁判(魔女狩り)とはなんだったのか
「魔女裁判」とは?
「魔女裁判」とは、「魔女である」とされた人物に対して行われた一連の裁判手続きのことです。このような「魔女裁判」に代表される、魔女に対する迫害などの一連の行為を指して「魔女狩り」と呼ばれています。つまり「魔女裁判」とは、「魔女狩り」の代表的な行為の一つということですね。
源流としては、12世紀末ごろから起こった異端審問の流れから始まりますが、教会主導ではなく主に民衆の主導で行なわれた、実質的な私刑に近い制度であり、この一連の「魔女狩り」の流れで犠牲になった人物は、「全ヨーロッパで4万人から6万人が処刑された」とされるほどの大規模なものでした。獄中で衰弱死した者達も含めれば、死者の数はさらに増加するでしょう。
原因としては当時の深刻な社会不安や、腐敗聖職者による利権の絡む感情の暴走。あるいは単純な金目当ての者達の悪意など様々な原因が挙げられ、とても一貫した原因を見つけることはできません。
とはいえ、多くの民衆が抱く少量の悪意が、一部の多大な悪意によって寄り集まり、200年にも及ぶ悪習の原型を作り上げたことだけは、まず間違いないでしょう。
魔女裁判の起こり
先のトピックで書いた通り、魔女裁判は教会による「異端審問」を源流として、民衆の間から発生した迫害であると言われています。このため時折「12世紀ごろの異端審問によって、教会主導の魔女狩りが横行した」と語られることがありますが、これについては主導者の部分に間違いがあると言えます。
また、教会の異端審問は「神の教えに背くもの」を罰していたのに対し、魔女狩りは「魔術によって人を害する者」という、本当は実在していないものをでっち上げて罰していたという部分にも違いが存在していると言えるでしょう。
凄惨な拷問や処刑、ずさんすぎる捜査など、似通った部分もかなり多い異端審問と魔女裁判ですが、そもそも存在しないものをでっちあげて罰しているという点で見れば、魔女裁判の方が人の悪意に満ちた行いであるように思えます。
そもそも「魔女」とは何なのか
そもそもの話、「魔女」というのは異端審問の流れが起こるまでは、職業として認知された存在でした。社会的な役割としては祈祷師やシャーマン、あるいは薬師などのようなもので、魔女というのはそもそも、立派に認知されていた職業の一つだったのです。
しかし、12世紀ごろに教会による異端審問の流れが起こると、次第に「超自然的なもの」自体が疑いの目を向けられることに。これによって「魔女」は立場を悪くしていった挙句、様々な社会不安や反ユダヤ感情のはけ口として扱われるようになっていきます。
しかも悲劇は重なり、この「魔女狩り」の風潮を金儲けのために利用する者や、いたずらに不安を煽り立てるゴシップ系の出版物などの存在によって、職業としての「魔女」のみならず「魔女らしい振る舞い」をしているものまでもが魔女狩りの標的に。
「魔女狩り」の最盛期には、男女を問わず「魔女」とされた人々が処刑や拷問を受けましたが、それらの多くは「結婚適齢期を過ぎても未婚で一人暮らしだった」「先天的な障害で人と少し違う容姿をしていた」「ペットに黒猫を飼っていた」などの理由がほとんどだったそうです。
現在の観点でみると「アホらしい」としか言いようのない魔女狩りの熱狂ですが、情報や科学的な理論が成熟していない当時の民衆にとっては、集団ヒステリーのようなこの状況こそが真実だと映ったのでしょう。
とはいえ、このような集団ヒステリーと、それをいたずらに煽り建てる少数の者たちの悪意によって、罪のない多くの人々が迫害と虐殺に飲み込まれていった事件が、「魔女狩り」という世界史上の大虐殺事件なのです。