魔女裁判(魔女狩り)とは?起こった経緯や結末、関わった人物まで紹介

魔女狩りの終焉

魔女裁判を終わらせた人物の一人、ガリレオ・ガリレイ

15世紀から17世紀末にかけて、広くヨーロッパ全域で悲劇を生んだ魔女狩りは、17世紀の末頃になってから急速に衰退していきました。明確な禁止令などが出たわけでもなく魔女狩りが終結したのには、これもまた民衆の集団心理が働いています。

その大きな要因の一つとして挙げられるのは、ガリレオやニュートンデカルトなどの近代思想の持ち主が表舞台に登場し始めたこと。

これまでの常識を大きく覆す者達の登場によって、民衆や知識階級の価値観が変わり、次第に魔女への刑罰は極刑から徐々に引き下げられていきました。最終的には民衆が「魔女狩り」を行って裁判を申し出ても、裁判所が魔女を無罪にするという状況が続くようになったのだと言われています。

魔女を迫害するようになったのも人の集団心理であり、魔女の迫害を終わらせたのもまた、人の集団心理。「魔女狩りの悲劇が終わったこと」はもちろん喜ぶべきことですが、それをただ喜ぶのではなく、現代に再びこんな悲劇を生まないように、考え続けねばならない事柄でもあるように思えます。

有名な魔女裁判

魔女に対する処刑は、次第に過激さを増していった

ノース・ベリック魔女裁判

最初期の魔女裁判の舞台、”ノース・ベリック(ノース・バーウィック)”の現在の姿

イギリスにおける魔女裁判の始まりであり、後の世の魔女裁判全ての原型とも言うべき大事件です。この裁判は、当時のスコットランド王であるジェームズ6世を襲ったある不運に端を発しています。

1589年、ジェームズの妻であるデンマーク王女・アンを乗せた船が嵐によって遭難。ジェームズ6世はノルウェーに遭難したアンを迎えに行きますが、その帰り道にまた嵐に遭って遭難。ジェームズ6世はこの度重なる不運を「魔女の仕業だ」と断定し、これによってノース・ベリック魔女裁判が改定することになるのです。

この裁判においては、ノース・ベリックの町に住む200人近くの人々が「魔女である」との疑いを掛けられ、罪に問われることになりました。

中でも助産師であるアグネス・サンプソンと、学校長であり「魔術師」としても知られていたジョン・フィニアンは凄惨な拷問を受けて自白を強要され、最期はエディンバラのキャッスル・ヒルで火あぶりに処されるという悲惨な最期を迎えてしまっています。

そしてこの凄惨な事件以降、ジェームズ6世の魔女嫌いはより加速することになってしまいます。『悪魔学』という著書を執筆して魔女を攻撃したり、『魔術法』を改定して「犠牲者がいなくとも、魔術を行っただけで死刑に処する」事を宣言したりと、彼は後の魔女裁判の悲劇の原型を、わずか一代で作り上げてしまうのでした。

ペンドル魔女裁判

ペンドル魔女裁判で「魔女」とされた者達が幽閉されたランカスター城の牢獄

上記のノース・ベリック魔女裁判から派生する形で起こった、イングランド史上最大の魔女裁判です。

物乞いをしてどうにか生計を立てていた10人が、「食べ物を与えることを拒否した男性を呪い、半身不随にした」と疑いを掛けられ、処刑されたという凄惨な事件です。もちろん「男性を呪った」というのは事実無根であり、記録された状況から見るに、男性は脳梗塞を起こした可能性が高いのですが、当時の医療技術ではそんな事は分からなかったため、ある意味では時代ゆえの悲劇だとも言えるでしょう。

このペンドル魔女裁判が凄惨な事件であることはもちろんですが、実のところ「魔女裁判」としては取り立てて珍しい事件ではありません。しかしこの事件については、関わった裁判官の記録が残っており、「魔女裁判」を行っていた当時の人々の心理がよくわかる事件だと言えるのです。

裁判官はこの事件を扱った当時の手記に「一度にこれほど多くの哀れな人々の命を破滅させることになるとは…」と、悲嘆や迷いともとれる言葉を残しています。ジェームズ6世に従わざるを得ないことに、苦悩を抱えた当時の裁判官の心理が読み取れる言葉でしょう。

こうして、個人の考えなどとは違った段階で、「魔女裁判」という悲劇はヨーロッパ中を呑み込んでいくことになったのでした。

セイラム魔女裁判

セイラム魔女裁判を描いた絵画

「魔女狩り」という行為がさほど浸透しなかったアメリカの中で、ほとんど唯一にして最大の魔女裁判です。最近ではスマートフォン向けゲーム『Fate/Grand Order』のシナリオモチーフともなったため、「魔女裁判と言えばこれ」と考えている方も多いのではないでしょうか。

セイラムの町に住む少女、アビゲイル・ウィリアムズとベティ・パリスに端を発する、セイラムとその近辺の町全体を巻き込んだ大規模な魔女裁判であり、アビゲイルをはじめとする少女たちの証言によって、多くの無実の人々が絞首刑に処された陰惨な事件でもあります。

このセイラム魔女裁判の大きな特徴は「絞首刑に処された全員が、魔女であることを最期まで否定していたこと」と「アビゲイルたちが『遊び半分で告発をしている』と仄めかしていたこと」でしょう。

少女たちの遊びが取り返しのつかない結果を生み、やがて町全体を狂気とヒステリーで覆い尽くす結果となったセイラムの魔女裁判。犠牲者の数だけを見ればヨーロッパ圏の魔女狩りよりも少ない事件ではありますが、その陰惨さだけで見れば「魔女狩り」という行為を象徴する事件だとも言える、非常に不気味な事件です。

1 2 3

コメントを残す