1560年 – 30歳「皇妃アナスタシアの死~暴政の片鱗~」
最愛の妻・アナスタシアの死
一部貴族層との対立の表面化。思うようにいかない西方面の戦線など、この頃のイヴァン4世は非常に苛立っている状況にありました。そしてこの年、それに追い打ちをかけるように、その怒りを宥めてくれていた皇妃アナスタシアが死去。
急激な衰弱死を遂げたアナスタシアの死には「反イヴァン4世派の貴族が関わっている」という噂が流れ、あろうことかイヴァン4世はその噂を妄信してしまいます。
怒りを宥めてくれるアナスタシアはもうおらず、怒りを厳しく咎めてくれる師のマカリーも病に倒れている状況。イヴァン4世の怒りは、もう留まることを知りませんでした。
大粛清~暴君の片鱗~
噂を妄信するイヴァン4世は、明確に「反イヴァン4世」を掲げていた大貴族たちを次々粛清。他にも貴族の権利を著しく制限する法令を発布し、明確に名門貴族と敵対する方針を取りました。
他にも、かねてより停滞していたリトアニア・ポーランドとの戦線が敗色濃厚となると、イヴァン4世は内通者の存在を疑い、名門貴族の数人を続々と処刑。この暴政に耐えかねたモスクワ貴族たちは次々とリトアニアに亡命し、イヴァン4世はいよいよ孤立を深めていくことになりました。
1564年~1565年 – 34歳~35歳「退位宣言と『非常大権』」
退位宣言と大混乱
1564年、イヴァン4世は突如として退位を宣言。貴族や聖職者層との対立を主な原因としての大尉でしたが、これによって政治の実権をほとんどをイヴァン4世が握っていた国内は、大混乱に陥ることになります。
この状況を重く見た大貴族たちは、イヴァン4世に再即位を嘆願。イヴァン4世はこの嘆願に「無制限の非常大権を認めること」を条件として要求し、貴族たちにこれを認めさせました。
そしてこの「無制限の非常大権」こそが、イヴァン4世の後期の暴政を加速させる最大の要因となるのです。
恐怖の”オプリーチニキ”
非常大権を得て再即位したイヴァン4世は、自身の親衛隊である”オプリーチニキ”を結成。彼ら以外を全く信用しない、有名な恐怖政治を展開しました。
いわゆる秘密警察であるオプリーチニキは、イヴァン4世の命令で数々の虐殺に関わり、民衆からは恐怖の対象として見られていたようです。
1570年 – 40歳「ノヴゴロド虐殺」
ノヴゴロド虐殺~もはや完全な暴君へ~
恐怖政治により民衆の心は離れ、西方の侵略は上手くいかず、いざという時の逃げ道と考えたイングランドとの関係も悪化。ほぼ自業自得ですが、イヴァン4世の怒りが抑えられなくなるのは、もはや自明の理でした。
そしてその怒りを発散するように、イヴァン4世は西方の都市であるノヴゴロドが「リトアニアに寝返ろうとしている」と猜疑心を爆発させ、あろうことか無実の街に侵攻。大虐殺を繰り広げる暴挙を犯してしまうのです。
この虐殺による死者は現在も明確に算出されておらず、「2000~3000人ほど」というあいまいな記録だけが犠牲者の数を知る手段になっています。虐殺で生き残った市民も、略奪の爪痕による飢餓に苦しむことになり、もはや実行者であるオプリーチニキは「殺戮集団」の代名詞に。
それを指揮したイヴァン4世を尊敬する声も、もはや国土の何処からも聞こえなくなっていました。
1581年 – 51歳「最愛の子を撲殺~重く、遅すぎる後悔~」
度重なる戦争の結果
ノヴゴロド虐殺以後、イヴァン4世は取り憑かれたように各地に向けて侵略戦争を展開。
負け続けたわけではありませんが、度重なる戦争は国土や国民を疲弊させ、最終的にイヴァン4世の起こした戦争で残ったのは、周辺国からの深刻な憎悪と、疲れ切った国土と国民だけだったとも言われています。
最愛の妻の忘れ形見を撲殺
そして1581年。イヴァン4世は最悪の形で自分の所業を後悔することになってしまいます。
最愛の妻であったアナスタシアの遺した子、イヴァンを撲殺してしまったのです。「自分に口答えをした」という、あまりにも子供じみた理由で我を忘れたイヴァン4世は、息子とその妻を殴打。イヴァン4世が気づいた時には、息子の妻は流産して死亡。息子のイヴァンも頭から血を流し、数日後に帰らぬ人となってしまいました。
あろうことか彼は、最愛の妻が遺した愛すべき我が子を、その時の怒りに身を任せて自ら殺害してしまったのです。
重く、遅すぎた後悔
激情に駆られて実の子を殺害したことは、イヴァン4世に強い後悔を植え付けました。その後の彼は、オプリーチニキの虐殺の犠牲者名簿を作ったり、修道院に多額の寄進を行ったりと罪滅ぼしのような活動を行いますが、全てはもう遅すぎました。
統治前期の冴えは見る影もなく、彼は暴君であり暗君として、周囲からは恐れだけを向けられ、孤独と後悔に苛まれる晩年を送ることになったのです。
1584年 – 54歳「後悔と孤独の中で死去」
後悔の中でこの世を去った「雷帝」
最愛の子を誤殺した事への後悔で心身ともに追い詰められたイヴァン4世は、この年の3月に突如として発作を起こして昏倒。そのまま帰らぬ人となりました。
死因そのものは分かっておらず、脳梗塞などの突然死系の病という線もありますが、臣下による毒殺という線も捨てきれず、真相の解明が待たれるところです。
イヴァン4世の死後は、彼の息子であるフョードル1世が即位しますが、彼には知的障害があったため、実質的な政務は摂政となった貴族連が行なうことになり、奇しくもイヴァン4世の目指した統治とは真逆の統治が展開されることとなるのです。
イヴァン4世(雷帝)の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
スターリンとイヴァン雷帝―スターリン時代のロシアにおけるイヴァン雷帝崇拝
スターリンという近代の人物と絡める形で、イヴァン4世にまつわる歴史の面白さがわかる書籍です。
それぞれの人物については、少しばかり前提知識が必要になりますが、「”解釈”という歴史」の面白さがわかる、現代だからこそ楽しめる歴史書の一冊となっています。
イヴァン雷帝
イヴァン4世という人物の生涯がわかる伝記です。かなり古い本のため、探すとすれば図書館あたりで探す方が良いかと思います。
「虐殺者」としてのイヴァン4世がクローズアップされすぎている感はありますが、そのぶん「虐殺者」の側面の描写は濃い一冊。後述の演劇作品と併せることで、彼の生涯のよい所も悪い所も学ぶことができるかと思います。
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イワン雷帝
『書籍』の2冊目で紹介した者とは真逆の、イヴァン4世の前半生――名君時代をフォーカスした映像作品です。古い作品ですが、映像演出などが非常に美しく、ただそれだけでも見る価値のある作品と言えます。
政治的理由で、完結編である第3部は作られていない未完の作品ですが、第一部と第二部だけでも物語としては完結しているため、イヴァン4世の前半生を知ることは可能です。
ぜひ『書籍』の2冊目と一緒に見てほしい作品となっています。
関連外部リンク
イヴァン4世(雷帝)についてのまとめ
ロシア史上どころか、世界史上でも名高い暴君であるイヴァン4世。しかし彼の生涯を見ていくと、どうにも「暴君」の一言で片づけていい人物ではなさそうな気がします。
もしもアナスタシア皇妃がもっと長生きしていれば。もしもマカリー府主教がもっと彼の近くにいてくれたら。もしもイヴァン4世がアナスタシアやマカリーのように尊敬できる人物が、もっと多くいれば…。
歴史に”もしも”は存在しませんが、それでもその”もしも”を考えざるを得ない人物。ある意味で、もっとも周囲に翻弄された人物こそが、このイヴァン4世という人物なのかもしれません。
それでは、長々としたこの記事におつきあいいただき、誠にありがとうございました!