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泉鏡花とはどんな人物だった?生涯・年表まとめ【作品や功績、名言や死因まで紹介】

泉鏡花(いずみきょうか)は、明治から昭和にかけて活躍した小説家です。同時代には、夏目漱石芥川龍之介太宰治といった教科書に登場する文豪たちも活躍していました。しかし、その文豪とは違うジャンルの小説を生み出したのが泉鏡花なのです。

若いころの泉鏡花の写真

現在でも、「異世界転生もの」や「冒険ファンタジー」など、空想上の出来事を小説にした作品は数多く出版されていますよね。それらの先駆けとも呼ぶべき、「幻想小説」の礎を築いた人物が、泉鏡花です。鏡花の幻想的なアイデアはどこから来たものなのか。彼の、生い立ちを辿ると見えてくるかもしれません。

鏡花作品について、同じく作家であった三島由紀夫は、「鏡花を今の青年が読むと、サイケデリックの元祖だと思うに違いない。」と評しています。それほどまでに、美しくもあり、少しおぞましくもある鏡花作品には、どのような魅力があるのでしょうか。

この記事では、大学時代に泉鏡花作品の魅力に惹かれた筆者が、泉鏡花の生涯とその凄さを解説してまいります。

泉鏡花とはどんな人物か

名前泉鏡花
誕生日1873年11月4日
没日1939年9月7日
生地石川県金沢市下新町
没地東京府東京市麹町区
下六番町の自宅
配偶者泉すず
埋葬場所雑司ヶ谷霊園

泉鏡花の生涯をハイライト

若かりし泉鏡花

泉鏡花の生涯をダイジェストするとこのようになります。

  • 1873年11月4日、石川県金沢市下新町の彫金師・泉清次の家で誕生。本名・鏡太郎
  • 1883年12月、母である鈴と死別。後の作品に影響を与えることに。
  • 1891年10月19日、東京・牛込の尾崎紅葉宅を尋ね弟子入り。
  • 1893年5月、京都日出新聞にて処女作「冠弥左衛門」を連載し、文壇デビュー。
  • 1895年、「夜行巡査」「外科室」を発表し、文壇での地位を築き始める。
  • 1900年、代表作である「高野聖」を発表。
  • 1903年、師匠である尾崎紅葉と死別。
  • 1937年6月、帝国芸術院会員に認定される。
  • 1939年9月7日、東京市麹町区下六番町の自宅にて癌性肺腫瘍のため逝去。享年・65歳。

泉鏡花の出身や家族構成

泉鏡花記念館

泉鏡花は1873年(明治6年)11月4日、石川県金沢市下新町に生まれました。本名は鏡太郎と言い、兄弟には妹2人と弟1人がおりました。

父親・清次は加賀藩代々に伝わる彫金師(ちょうがねし)でした。彫金師とは、現在で言うアクセサリーなどを手掛ける職人の事を言います。母親・鈴は加賀藩お抱えの能楽の大鼓師(おおかわし)の娘でした。母親の鈴は、鏡花が9歳の時に天然痘が原因で亡くなってしまい、この出来事は鏡花の作品に大きな影響を与えました。

泉鏡花が影響を受けた人物「尾崎紅葉」

尾崎紅葉

泉鏡花は1889年(明治22年)、友人の下宿先に置いてあった尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔」を読み衝撃を受けました。この本をきっかけに、鏡花は小説家になることを目指し上京。1891年(明治24年)10月19日、東京市牛込区の紅葉邸にて紅葉への入門が許され、紅葉の弟子となりました。

様々な雑用などをこなし、紅葉からの信頼も厚く、のちに徳田秋声、小栗風葉、柳川春菜と共に、藻門下(紅葉門下)四天王と呼ばれました。

泉鏡花の恋愛・結婚

泉すず

泉鏡花は、伊藤すずという方と結婚しています。このすずは、元は東京の神楽坂で芸者をしていて、鏡花が胃潰瘍になったため逗子で静養しているところに世話係としてやってきました。その後、2人は仲良くなり、そのまま同棲を始めていました。しかし、師匠である紅葉はこれを認めず、激しい叱責の末、別離させてしまいました。この一連のエピソードは鏡花の作品である「婦系図」という作品の基になりました。

その後、紅葉の死後、2人は結婚。仲睦まじく暮らしていたそうです。

泉の潔癖症という意外な一面

泉と共に鶏鍋を食べた文豪仲間の谷崎潤一郎

鏡花が文豪仲間である谷崎潤一郎と吉井勇と鳥鍋を食べに行った際、潔癖症であることを知らない谷崎は半煮えの鳥を次々と引き上げてしまいました。これに怒った鏡花は、「ここからは私の領分だから手を出すな」と言い、鍋に線を弾いて区分したそうです。

その他にも、狂犬病を恐れていたために犬をかなり怖がっていたという逸話があります。散歩が趣味だった鏡花は、犬を恐れてステッキを持参していたそうですが、野犬がこのステッキに興味を示して、とびかかってこないかと様々な心配を巡らせていたそうです。

泉鏡花の死因

修善寺で過ごしていた泉鏡花

1939年9月7日午前2時45分頃、東京市麹町区下六番町の自宅にて泉鏡花は亡くなりました。享年65歳。死因は癌性肺腫瘍。鏡花は何回か、胃潰瘍や肺炎などを患い、修善寺で静養することもありました。辞世の句は「露草や赤のまんまもなつかしき」でした。

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