泉鏡花の功績
功績1「日本における幻想小説の地位を確立」
泉鏡花作品の魅力は、その「幻想的」な描写です。時には妖怪など空想的なものを登場させたり、その細かな女性の美しさを描写するなど、今読み返しても奇麗な文体で描かれています。
当時は、島崎藤村の「破戒」や田山花袋の「布団」など、ありのままの姿を描いた自然主義文学が流行しておりました。その中で、神秘的な空想を描いた「幻想小説」を描き、今のファンタジー小説の礎を築き上げました。
功績2「帝国芸術院会員に選定」
1937年(昭和12年)に、泉鏡花は帝国芸術院会員に選定されました。この、帝国芸術院というのは、現在の日本芸術院のことで、美術・文芸・音楽・演劇など様々な芸術の分野で活躍し、優秀な功績を収めた芸術家を優遇する機関です。
鏡花のほかにも、文芸分野では武者小路実篤、幸田露伴、高浜虚子、そして、弟弟子であった徳田秋声などが会員に選ばれております。国からも認められた業績を残したというのは、鏡花の功績の一つです。
功績3「泉鏡花文学賞設立 」
泉鏡花文学賞は、泉鏡花生誕100周年を記念して故郷である金沢市が制定した文学賞です。主に「泉鏡花の文学世界に通ずるロマンの薫り高い作品」が対象作品となっており、短編の小説や戯曲などの単行本が対象となっています。
受賞者には、筒井康隆さんや吉本ばななさんなどが受賞しており、昨年は「ひよこ太陽」を刊行した第146回芥川賞などを受賞された作家の田中慎弥さんが受賞しました。また、正賞には、生前の鏡花が好きだったウサギがデザインされた八稜鏡が贈られるます。
泉鏡花の名言
要するにお化は私の感情の具現化だ。
知性の権威である文豪が、空想の出来事を書くことについて非難されたことへの意見。お化けという名の恐怖心は、人間そのものから生み出されるという事を表した言葉です。
人間よくなるも悪くなるも一寸(ちょいと)の間だ。
小説「通夜物語」より、一瞬にしていいことや悪いことは起こるという事。だからこそ、一瞬一瞬を大切に生きていかねばなりませんね。
要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪せむがために造られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。
小説「愛と婚姻」より、婚姻という制度について、鏡花は疑問を持っていたようです。法令などでは表せないという感情こそ、愛の形の本質なのかもしれません。
泉鏡花の人物相関図
泉鏡花にまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「あんぱんを炙って食べていた」
泉鏡花のエピソードの中でもっとも有名なものとして、極度の潔癖症であったことが挙げられます。生ものは決して口にせず、必ずアルコールアンプを持参し、貰い物のお菓子を炙って食べていたと、文壇の間では知れ渡っておりました。
なかでも、あんぱんを炙って食べていたという話は有名です。あんぱんを両手でつまみ、表と裏の両面を炙り、その後、横面を1周させながら炙り、全体を炙ったところで別の部分から食し、つまんでいた部分だけ捨てるという、かなり変わった食べ方をしていました。
また、「豆腐」という言葉が嫌いで、必ず「豆府」と書いていたとか、潔癖症エピソードは多数存在しております。
都市伝説・武勇伝2「弟弟子・徳田秋声とは不仲だった」
徳田秋声とは同郷であり、同じ尾崎紅葉門下だったのですが、のちに徳田は島崎らの自然主義文学へと傾倒するため、あまり仲はよろしくありませんでした。
紅葉の死後、紅葉全集を製作するため、文学全集を発行していた「改造社」のジャーナリスト・山本実彦が鏡花と秋声の仲を取り持とうとしました。しかし、その会合の際、秋声が「紅葉先生は甘いものばかり食べたから胃がんになった」と発言し、鏡花が激怒。取っ組み合いの喧嘩になったと言われております。
そんな二人ですが、鏡花の訃報が入ったとき、秋声は友人で会った里見弴の元へ駆けつけ、知らせてくれなかったことへ号泣しながら激怒したと記述しております。不仲ではあったのですが、お互いの才能は認めていたのでしょうね。