ココ・シャネルはどんな人?生い立ち・年表まとめ【死因や性格、功績も紹介】

ココ・シャネルの生涯年表

1883年 – 0歳「フランスのソーミュールに生まれる」

幼少期を過ごした孤児院のあったフランスのオーバジーヌ

シャネルの生い立ちと、歌手を夢見た若きシャネル

シャネルは、フランスのソーミュールに生まれます。5人兄弟の2番目で、姉と妹、2人の弟がいました。12歳の時に母親が病死し、その後父親に捨てられフランスのオーバジーヌにある孤児院で幼少期を過ごしました。この孤児院で、シャネルは裁縫を学び後の仕事に繋がっていくことになります。

18歳になると孤児院を出なければいけなかったため、フランスのムーランという町のカトリック寄宿学校に預けられました。舞台に立つことを夢見ていたシャネルは、ムーランの「ラ・コンド」というカフェ・コンセールで歌を歌うこともありましたが、歌唱力が評価されずなかなか舞台での仕事を得ることが出来ませんでした。その頃、このムーランでエティエンヌ・バルサンに出逢います。

1903年 – 20歳「最初の恋人エティエンヌ・バルサンとの出逢い」

映画「ココ・アヴァン・シャネル」内でのシャネルの乗馬スタイル(オドレイ・トトゥ)

バルサンの愛人としての日々、乗馬とシャネルのパンツスタイル

シャネルの最初の恋人といわれるエティエンヌ・バルサンですが、2人の関係は愛人関係にありました。シャネルはバルサンから宝石やドレスなどを与えられ、不自由なく暮らしていくことが出来ました。その生活の中で上流階級の人々の生活を知り、交流を広めていくことになります。

競馬好きであったバルサンのもとで、シャネルは乗馬を学びかなりの才能を持っていました。当時は、女性が乗馬する際にはロングスカートにブーツを履くことが作法とされていましたが、シャネルは動きやすさを重視しパンツスタイルで乗馬しました。パンツスタイルは男性のスタイルとされた時代に、シャネルがパンツを履いたことは周りから驚かれますが、女性のパンツスタイルはここから始まったと言われています。

また、シャネルはバルサンの支援で帽子のアトリエを持ち、ファッション界へと進出していきます。

1909年 – 26歳「生涯の恋人アーサー・ボーイ・カペルとの出逢い」

シャネルの帽子をかぶった舞台女優のガブリエル・ドルジア

カペルとの恋愛とシャネルスタイルに繋がるヒント

シャネルが26歳の時、最も愛したと言われるアーサー・ボーイ・カペルに出逢います。バルサンの友人でもあったカペルとの関係を、「彼は私にとって、父であり、兄であり、家族そのものだった」と語っています。それほどまでに彼はシャネルにとって大切な人であり、彼もまたシャネルの才能を高く評価し支援をしました。

シャネルはカペルのファッションからもデザインのヒントを得ていたと言われています。カペルの服を借りて着ていたことや、男性の洋服の素材などに注目し、後のシャージー素材を取り入れるきっかけにも繋がりました。

27歳、帽子店「シャネル・モード」の開店

翌年27歳の時、カペルの出資を受けてパリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」を開店します。当時、女性がお店を持つことや女性が自立して働くことが当たり前ではない時代でしたが、カペルはシャネルの才能や強い意志を受け入れ支援し続けました。

後にファッション界で成功したシャネルは、カペルに支援の金額を全額返金します。その時彼は、「おもちゃを与えたつもりだったのに、自由を与えてしまった」とシャネルに話したそうです。2人の関係はシャネルが36歳の時、カペルが自動車事故で亡くなるまで続きますが、シャネルの自立した人生の大きなきっかけを与えたことは間違いありません。

1914年 – 31歳「第一次世界大戦の勃発と成功への第一歩」

ブティックを出店したドーヴィルの景色

ドーヴィル出店と第一次世界大戦

第一次世界大戦が起こる1年前の1913年、シャネルはフランスのリゾート地であるドーヴィルにブティックを出店します。この出店も、カペルによる資金提供により実現しました。ドーヴィルのブティックでは、帽子だけでなくリゾート地ふさわしい豪華でありながらカジュアルな洋服を打ち出し、この頃から使用し始めていたのがジャージー素材でした。

出店の翌年、第一次世界大戦が勃発します。戦争の始まりと共に、パリから疎開のために上流階級の女性がこの地に押し寄せたことをきっかけに、ジャージー素材の洋服が受け入れられると確信したシャネルは量産を始めました。

ジャージー素材のドレスがアメリカのファッション誌に掲載される

1916年、シャネルのジャージー素材のドレスが、アメリカの「ハーパーズ・バザー」誌に掲載されます。ドレスが注目されたきっかけは、第一次世界大戦の影響が大きく関係していました。

戦争の影響で、それまでドレスに使われていたようなシルクやサテンの素材が不足していいたこと、女性の社会進出が進み動きやすい服装が求められたことが、シャネルのジャージー素材ドレスとニーズがマッチしたのです。これをきっかけに、高級ファンションに新しいジャージー素材が取り入れられるようになり、シャネル成功の第一歩となりました。

1923年 – 40歳「ウエストミンスター公爵との出逢いとシャネルのスタイル」

シャネルが愛用していたことから「シャネルツイード」と呼ばれるようにまでなった

ウェストミンスター公爵との華やかな関係とファッションへの影響

シャネルと英国貴族とのつながりは深いものでしたが、1923年にヨーロッパ一の大富豪とまで言われたウェストミンスター公爵と出逢い恋人関係になります。ウェストミンスター公爵と関係が続いた約10年の間に、リトルブラックドレス、ツイード素材のスーツなど数多くのシャネルスタイルが生まれます。

ウェストミンスター公爵との関係の中でシャネルスタイルに繋がるヒントを多く得ますが、中でも公爵のヨットの乗組員から影響を受けた、ボーダーのシャツにパンツを合わせたマリンルックは多くの女性から注目を集めました。

公爵のファッションからツイード素材を取り入れる

シャネルスーツにも使われているツイード素材ですが、ウェストミンスター公爵の着ていたコートやジャケットからヒントを得たと言われています。それまで、ツイードは男性のジャケットなどに使われるメンズ服の素材とされていました。

シャネルは、1928年にツイード素材を使ったスーツを発表しますが、この時初めて女性のファッションにツイード素材が取り入れられます。柔軟で軽いツイード素材で作られたスーツは実用性が高く、動きやすさを徹底的に追求したデザインは長くシャネルスタイルの定番として残り続けることになりました。

1939年 – 56歳「第二次世界大戦の勃発によりファッション界から身を引く」

クリスチャン・ディオールの発表したニュールック

戦争が始まり、絶頂期を迎えた事業を閉める

1935年シャネル52歳の時、手がけていた事業は絶頂期を迎えました。その4年後である1939年に第二次世界大戦が始まると、シャネルは突然アクセサリーや香水など一部のブティックを残しアトリエを閉めました。解雇された従業員は3000人以上にも及び、考え直すよう説得されてもシャネルが応じることはありませんでした。

理由は明らかになっておらす、シャネル自身は戦争を理由にしていますが、事業が絶頂期を迎える中で過酷な労働環境に従業員がストライキしたことに対する報復とも言われています。これをきっかけに、シャネルはカムバックするまでの約15年間、ファッション界から身を引くことになります。

戦後スイスへの亡命と新しいファッションへの危惧

1945年、長きにわたった第二次世界大戦が終戦します。この前の年、シャネルはナチス軍に協力していたということで逮捕されます。その時はチャーチル首相の計らいにより、わずか数時間で解放されていますが、終戦後は告発から逃れるためにスイスへ亡命しました。

シャネルがスイスに亡命している間、ファッション界ではクリスチャン・ディオールのニュールックが成功を収めます。かつての伝統的なシルエットを復活させたニュールックは、シャネルのスタイルとは正反対とも言えるファッションでした。シャネルはこれに対し危惧を抱きますが、戦争により活動をやめ亡命している身であった彼女が復活したのは、ニュールック発表された1947年から7年後になります。

1954年 – 71歳「ファッション界へのカムバック、酷評からの復活」

シャネルスーツを着る女優のロミー・シュナイダーとココ・シャネル

71歳でファッション界へカムバック、酷評を受ける

1954年、シャネルはファッション界にカムバックします。この時シャネルは71歳でした。ファッション界から身を引き約15年経っていたこともあり、復帰第一回目のコレクションで「シャネルスーツ」を発表しますが、パリではかつてのスタイルと何も変わらないと酷評を受けました。

一方、女性の社会進出が進んでいたアメリカでは、シャネルの実用的な「シャネルスーツ」が高く評価されます。復帰後3回目のコレクションを行う頃にはシャネルはかつての人気を取り戻し、生涯を終えるまでファッション界のトップに君臨しました。

ショルダーバックとバイカラーパンプスの誕生

カムバック翌年の1955年、今もCHANELの定番であるショルダーバッグ「シャネル2.55」を発表します。シャネルは1929年に、それまでのハンドバッグは片手がふさがれてしまうものだったことから、持ち手を長くしたショルダーバックを作成していました。シャネル2.55はかつてのバッグのデザインを一新したもので、チェーンの持ち手とキルティング風の見た目が特徴で、修道院での生活や乗馬を楽しんだかつての経験からインスピレーションを受け作成されています。

同じ年には、バイカラーのパンプスを発表し、つま先を黒にしたことで汚れを目立ちにくくするなど、実用性を考えたデザインで人気のアイテムとなりました。カムバック後も、シャネルのスタイルを象徴するアイテムを精力的に生み出しました。

1971年 – 87歳「パリで最期を迎える」

1970年のココ・シャネル

長年過ごしたパリで最期を迎える

最期までファッション界の第一線で活躍したシャネルは、この年の1月10日にパリのホテル・リッツで亡くなります。前日まで普段と変わらす仕事をしていましたが、友人との食事を終えたあと気分が悪くなったシャネルは早めに休みます。その時メイドに「人はこんな風に死ぬのよ」と自分の死を察したかのように語り、その後目を覚ますことはありませんでした。

パリのマドレーヌ寺院で行われた葬儀には、シャネルスーツを着たファッションモデルが参列し、本人の希望でシャネル自身もシャネルスーツ姿で埋葬さました。「創造できなくなったとき、それは私が終わるとき」という言葉を残しているシャネルは、最期まで自分のスタイルを貫き通したのです。

ココ・シャネルの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

ココ・シャネルという生き方

シャネルの人生について時代ごとに章立てられ、コンパクトにまとめられている入門書としておすすめの一冊です。シャネルのブランドについても知ることが出来ますが、主に彼女の生き方について焦点が当てられています。女性の生き方について刺激を与えられる内容です。

女を磨くココ・シャネルの言葉

タイトルにもある通り、女性に響く60の言葉が集められたシャネルの名言集です。女性として自立して生きたシャネルは、恋愛、仕事、美、ファッションとどのジャンルにおいても現代の女性にも受け入れられる多くの言葉を残しました。シャネルの言葉の中から、自分を磨く気付きを得られる一冊です。

ココ・シャネルの「ネットワーク」戦略

この本は、シャネルの生涯を「ネットワーク理論」の切り口で書かれており、他の書籍とは違う面白さがあります。孤児院育ちのシャネルの成功の秘訣は人間関係にあったとして、シャネルの生涯について人脈の形成やその活用の仕方を中心に書かれています。図解なども多いので、分かりやすい内容になっています。

他にもシャネルにまつわる本を以下の記事で紹介していますので、ご覧ください。

【24年1月最新】ココ・シャネルをよく知れるおすすめ本ランキングTOP10

おすすめの動画

ココ・シャネルーー女を磨く、9つの名言

シャネルの貴重な写真や映像、ファッションショーの様子と共に、9つの名言が紹介されています。名言を知りたいという方にもおすすめですが、実際のシャネルの映像や過去のファッションショーの様子見ることの出来る貴重な動画になっています。

The Spring-Summer Ready-to-Wear 2020 Show – CHANEL

2020年、シャネル春夏コレクションのショーの様子です。リトルブラックドレス、シャネルスーツ、そしてバイカラーのパンプスやショルダーバックなどの小物に至るまで、今の時代も変わらず残るシャネルのスタイルを見ることが出来ます。

おすすめの映画

ココ・アヴァン・シャネル

アメリで有名なオドレイ・トトゥ主演の、シャネルがデザイナーとして成功するまでの半生が描かれた映画です。エチエンヌ・バルサンやアーサー・カペルとの恋愛を中心にストーリーが展開していきますが、ファッションにも注目して見る事をおすすめします。シャネルの功績に繋がるきっかけが、随所に再現されています。

ココ・シャネル

第二次世界大戦後にカムバックした頃のシャネルが主人公として描かれた、シャーリー・マクレーン主演の映画です。晩年のシャネルが過去を振り返りながら、ストーリーが進んでいきます。シャネルのスタイルに関するエピソードが多く、デザイナーとしてのシャネルを知りたいという方にはこちらの映画がおすすめです。

関連外部リンク

ココ・シャネルについてのまとめ

時代の転換期において、ファッションを通して女性を自由に導き、ファッションのみならず彼女の生き方そのものが今なお愛され続けるココ・シャネル。シャネルの自由で自立した生き方の裏側には、誰よりも自分に厳しく、何があっても信念を持ち続ける強さがありました。

CHANELは高級ブランドというイメージが強かったのですが、ココ・シャネルという人物や彼女のスタイルを知れば知るほど身近なものに感じる不思議な感覚がありました。

ファッションデザイナー、実業家、一人の女性として様々な顔を持つシャネルの魅力を、この記事から少しでも感じ取って頂ければ幸いです。

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Q1/Q10
Question Image

ココシャネルの「ココ」は、彼女の本名ではなくニックネームでした。では、本名は次のうちどれ?

Q2/Q10

ココシャネルが裁縫を学んだ場所は、次のうちどこ?

Q3/Q10

裁縫やデザイン以外に、ココシャネルが熱中したものは次のうちどれ?

Q4/Q10

ココシャネルが洋服づくりに取り入れ、当時の人々を驚かせた素材は次のうちどれ?

Q5/Q10

ココシャネルが「すべての色に勝る」と言い切った色は次のうちどれ?

Q6/Q10
Question Image

ココシャネルの性格を例えたものは次のうちどれ?

Q7/Q10
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ココシャネルが生み出した香水「No.5」を愛用していた有名ハリウッドスターは次のうち誰?

Q8/Q10

恋多き女性として知られるココシャネル。そんなシャネルが一時期好意を寄せていたとされる歴史上の人物は次のうち誰?

Q9/Q10

ココシャネル自身が好んで身につけていたアクセサリーは次のうちどれ?

Q10/Q10
Question Image

ココシャネルの名言は次のうちどれ?

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10 COMMENTS

樋口一葉

凄く分かりやすかったです!
私は、本を読むのが大好きで、本で読んだココ・シャネルのことをもっと知りたいと思ってここにたどり着きました。
私は歴史は苦手だけど、ココシャネルの話は面白いと思いました。

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フクモトアイコ

わかりやすかったです!
ココ・シャネルの凄さがわかりました!

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ことりん

とても分かりました。よかったです。
ここシャネルってこんなすごい人なんですね‼︎

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