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アインシュタインの生涯・年表まとめ【名言や相対性理論、脳やIQも解説】

アインシュタインは相対性理論を証明し、ノーベル物理学賞を受賞した科学者です。舌を出している肖像画で知っている方も多いかと思います。20世紀最大の天才とも称され、現代の物理学の発展に大きな影響を与えました。

相対性理論が証明されていなければ今の時代の生活の便利さはなかったかもしれません。そう考えるとアインシュタインの偉大さがわかりますよね。アインシュタインについてもっと詳しく知りたい方に向けて、彼の生涯や相対性理論の生まれた経緯などをご紹介していきたいと思います。

アインシュタイン

アインシュタインは幼い頃あまり言葉を発することがなく、大人になってからも人付き合いが苦手だったようです。しかし、数学に関しては類まれな才能を発揮して、日本でいう小学生の終わり頃には微分積分もマスターするほどでした。

アインシュタインの証明した相対性理論は特殊相対性理論と一般相対性理論に分けられます。この二つの違いも後ほど述べますが、簡単に言うと特殊の方は空気抵抗や摩擦などが全くないと仮定した理想の世界における理論で一般の方は現実世界の環境にも適用できる理論です。

少しアインシュタインに興味が湧いてきたでしょうか。アインシュタインの伝記や簡単な相対性理論の本を10冊以上読み、相対性理論のセミナーにも参加したことのある筆者が、彼の生涯、名言、業績などについて簡単に説明していきますので、ぜひご覧ください。

目次

アインシュタインとはどんな人物か

名前アルベルト・アインシュタイン
誕生日1879年3月14日
没日1955年4月18日
生地ドイツ帝国
(ヴュルテンベルク王国ウルム)
没地ニュージャージー州 プリンストン
(アメリカ合衆国)
配偶者ミレヴァ・マリッチ(1903−1919)
エルザ・レーベンタール(1919−1936)
埋葬場所遺言により散骨をしたので墓地は無い

アインシュタインの生まれや性格は?

アインシュタインの幼い頃

アインシュタインは父・ヘルマンと母・パウリーネ・コッホの間に生まれました。生誕地はドイツのヴュルテンベルク州ウルム市です。父・ヘルマンは昔から数学が好きで、アインシュタインの数学の才能は父から受け継がれたのでは無いかと言われています。

アインシュタインは5歳になるまで言葉が少なく、他人とあまり会話をしたがらない子供でした。その一方で数学の才能は小さい頃から発揮され、9才の時にはピタゴラスの定理を理解し、自らで照明もしました。

12歳の時にはユークリッド幾何学を自分で勉強し、微分積分も同時期にマスターしたそうです。この頃から物理学に興味を示し始めました。

アインシュタインが発表した「相対性理論」とは?

岩波文庫「相対性理論」

アインシュタインは1905年に特殊相対性理論、1915年に一般相対性理論を発表しました。1905年はこれ以外にも「光量子仮説」、「ブラウン運動の理論」を論文として提出し「奇跡の年」と呼ばれています。

相対性理論は、簡単に言うと二つの物体が互いに違う動きをしている場合に、それぞれが感じる時間や空間の捉え方が違ってくるという証明です。具体的にいうと、速く動けば動くほど時間の流れは遅くなり、物体の大きさは縮み、重さは重くなるということを言っています。

特殊相対性理論は余計な力がかからない理想的な空間を仮定して証明された理論です。つまり、現実世界のような空気抵抗、摩擦などは一切考慮せず、全ての動きが同じ条件の中で行われた場合に成立する考えとされています。

一般相対性理論はより現実世界に近づけた条件の中で証明された理論です。そのため、こちらの方が複雑な内容となっています。

アインシュタインが他に発明したものは?

アインシュタインと湯川秀樹

アインシュタインが相対性理論の他に発表した有名な論文は「ブラウン運動」、「アインシュタインモデル」、「ボース=アインシュタイン凝縮の予言」などです。

それぞれ簡潔に説明いたします。

ブラウン運動

液体の中で小さな粒がランダムに動き回る現象のことです。花粉が水中に撒かれると不規則な動きをし続けるということが発見されていましたが、これが熱によって動く粒同士が衝突することによって起こるとアインシュタインが発表したのです。

アインシュタインモデル

物体を熱した時に物によって温度の上昇速度は違います。例えば、鉄とガラスでは鉄の方が温度は上がりやすいですよね。この現象を理論化するために固体が一定の数の原子でできていると仮定すると、その原子一つ一つが全く同じ振動をする集合体であると仮定したのです。

ボース=アインシュタイン凝縮の予言

ボース統計に基づくボース粒子(これは難しい)という粒状の原子がある一定の温度以下になると全部の粒が同じ動きをするということです。その結果、普段は縦横無尽に動き回っている粒が巨大な波のように動くのです。これをアインシュタインは予言しました。

アインシュタインの脳は特殊だった?

アインシュタインの脳

アインシュタインは遺書に自分の遺体は散骨するように言っていたため、墓地はありません。しかし、彼の脳みそは実は家族への許可を取ることなく、研究者によって保存されていたのです。40年にわたって脳みそを研究しましたが、一般人と変わった部分は見当たらなかったそうです。

しかし、ほんの十数年ほど前に、アインシュタインの脳の中にある「グリア細胞」という細胞が普通の人よりもはるかに多いことがわかったのです。

これまで「グリア細胞」は神経細胞を保護したり、支えたりするだけの細胞だと考えられていましたが、近年、神経細胞の制御のための重要な役割を施していることがわかりました。この細胞の多さが類まれな知性を生み出したのかもしれません。

アインシュタインの名言

「大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。」

アインシュタインは5歳の時に父から方位磁針をプレゼントしてもらい、それをいじっているうちに自然界の不思議に興味を持ち始めたそうです。以来さまざまな物事に対して常に疑問を問いかけ、あらゆる事象に興味を持っていたからこそ、有名な研究を次々に発表できたのです。

「天才とは努力する凡才のことである。」

20世紀最高の天才と称されるアインシュタインですが、努力もせずに偉大なことを成し遂げたのではなく、そこに至るまでには血の滲むような努力を重ねていたのです。幼い頃から大人しく、真面目な性格で興味を持った数学などの勉強に自学自習で打ち込んでいたことからもよくわかります。

「挫折を経験したことが無いものは、何も新しいことに挑戦したことが無いということだ。」

1905年に特殊相対性理論を発表した時に、内容が高度すぎて理解されず、論文が受理されなかったそうです。この挑戦心がなかったら、物理学の開拓者としてのアインシュタインは存在しなかったかもしれません。

「知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。」

知識というのはすでに誰かが発見しているもので、知識を蓄えた上でさらに新しいことを考える想像力の方が人間にとっては大事だと伝えたかったのでしょう。

今現在私たちの暮らしがあるのはアインシュタインを含む過去の偉大な先人たちの想像力の賜物でしょう。

アインシュタインの功績

功績1「相対性理論発表」

相対性理論はGPSの仕組みに関係している

アインシュタインの功績として最も大きいものは何と言っても相対性理論の発表。1905年に特殊相対性理論、1915年から1916年にかけて一般相対性理論を発表しています。

相対性理論が現代の私たちの生活に役立っている代表例としてGPSが挙げられます。

GPSは人工衛星と地上の間で起こる電波の跳ね返りを計測して現在地を特定できる仕組みです。GPSの人工衛星は約15000km/hという速度で移動しています。相対性理論に基づくと、早く動く物体ほど時間は遅く感じるようになります。

また、人工衛星の飛んでいる位置は地上から約20000kmの高さです。相対性理論によると質量の大きいものから離れるほど時間は早く感じるようになります。この二つを合わせるとGPS人工衛星の場合、時間は少し早くなります。

このずれを計算し、補正することにより、位置情報の誤差はとても小さく抑えられるようになっているのです。

功績2「E=mc²」

アインシュタインの公式

E=mc²(E:エネルギー、m:質量、c:光速度)は「質量とエネルギーの等価性」を表しています。どういうことかというと、物体はその質量に光速度の2乗をかけたエネルギーを持っているのです。光速度は30万km/sという途方も無く大きな数なので、かなり大きい値になることがわかります。

1gの質量(一円玉)をもつ物質は8.98×10¹³Jのエネルギーを有していることになります。広島に落とされた原子爆弾のエネルギーの約1.4倍ほどになります。途方もなく巨大なエネルギーだということがわかりますね。

アインシュタインは特殊相対性理論を元にこの数式を割り出しました。1907年のことです。これは一般相対性理論への足がかりともなる重要な公式です。

功績3「ノーベル賞受賞」

ノーベル賞

実はアインシュタインのノーベル賞受賞は「相対性理論に対して送られたわけではありません。ノーベル賞を受賞したのは「光量子仮説」という研究です。こちらは「特殊相対性理論」と同年の1905年に発表されています。

「光量子仮説」は光が波としての性質を持つことはもちろん、粒子としての性質も持っているということを証明した研究のことです。これも当時としては革新的な発表で、これらの研究成果が発表された年は「奇跡の年」と呼ばれていることは先ほども述べたとおりです。

「相対性理論」は内容が難しい上に、物理学の根本をひっくり返してしまうほどの研究であったため、ノーベル賞には選ばれなかったというのです。

アインシュタインにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「アインシュタインのIQは190?」

アインシュタインはIQテストを受けていないため、実際の数値はわかりませんが、専門家が試算した結果によると160〜190であろうと推測されています。

ちなみに最も高IQを持つのはノイマンとサイディズのIQ300です。わけのわからない世界です。

都市伝説・武勇伝2「付き添いの運転手に講演を代わってもらい、大成功」

講演の代役を務めたのは…?

ある日、講演に飽きてしまった時に、付き添いの運転手が「私は役者でもあります。今日は代役を勤めましょう。」といって講演を見事に演じ切りました。

難しい質問が飛んできた時には「この質問は簡単すぎるので、後ろの席に座っている私の運転手に答えさせよう。」といってアインシュタインを指名し、事なきを得たそうです。

都市伝説・武勇伝3「一日10時間睡眠」

ロングスリーパーだったアインシュタイン

ナポレオン(3時間)や織田信長(4時間)など、偉人は睡眠時間が短いイメージがありますが、アインシュタインはロングスリーパーだった事が知られています。

10時間以上眠れない日には体の不調を訴えることもあったようです。睡眠中は記憶の整理が行われるとされているので、この時間で膨大な量の知識を整理していたのかもしれません。

都市伝説・武勇伝4人前では滅多に笑顔を見せない

アインシュタイン 笑顔

頭のいい人はあまり笑わないと言われますが、アインシュタインも例外ではなく、人前で笑顔を見せることは少なかったようです。有名な舌を出している写真は、カメラマンの「笑顔でお願いします」というリクエストに答えようとしたものだそうです。

都市伝説・武勇伝5 「親日家であり、日本に原爆が落ちたことを非常に嘆く」

キノコ雲

アインシュタインの提示したE=mc²という公式は原子爆弾のエネルギーと比較される事が多いため、「原爆はアインシュタインの研究から作られたのではないか」と言われる事があったようです。

そのことに責任を感じてか、日本に原爆が落ちたことを非常に嘆いていたそうです。

アインシュタインの簡単年表

1879年 - 0歳
アインシュタイン誕生

ドイツのヴュルテンベルク王国ウルム市に誕生する。両親は父・ヘルマンと母・パウリーネ・コッホです。

1884年 - 5歳
父親から方位磁針をプレゼントされる

父からもらった方位磁針で遊ぶうちに自然界で起こる現象について興味を持つようになります。この頃まであまり言葉を発しない子供でした。

1888年 - 9歳
ピタゴラスの定理を自分で証明

幼少時から数学の才能はずば抜けており、この頃にはピタゴラスの定理を理解し、自分で証明できるほどでした。日本では15歳で習いますよね。

1891年 - 12歳
ユークリッドの幾何学を学ぶ

プレゼントされたユークリッドの幾何学の本を自学自習で勉強します。この同時期に微分積分も独学でマスターしてしまいます。

1895年 - 16歳
チューリッヒ連邦工科大学の受験に失敗

頭のよかったアインシュタインですが、チューリッヒ工科大学の入学試験の合格点に到達できませんでした。しかし、数学と物理の成績がずば抜けて優れていたので、教養課程クラスに通うことを条件に翌年度に入学させてもらったそうです。

1900年 - 21歳
チューリッヒ連邦工科大学を卒業

チューリッヒ連邦工科大学を卒業後、大学の助手になることを希望していましたが、叶わず、臨時の教員や家庭教師をして生活します。

1903年 - 24歳
ミレーバ・マリッチと結婚

チューリッヒ工科大学で知り合ったミレーバ・マリッチと結婚し、アーレ川の辺りに二人で暮らします。翌年には長男ハンスを授かりました。

1905年 - 26歳
特殊相対性理論発表

奇跡の年と言われる1905年に特殊相対性理論を発表しますが、理解されず、大学から受理されませんでした。その後続々と光量子仮説、ブラウン運動の理論などを発表します。

1907年 - 28歳
E=mc²を発表

E=mc²は特殊相対性理論の延長としてアインシュタインが証明した公式ですが、のちのちの一般相対性理論を提唱するにあたって非常に重要な公式となりました。

1912年 - 33歳
チューリッヒ連邦工科大学の教授に就任

この以前にチューリッヒ工科大学の助教授、プラハ大学の教授に就任しています。助教授に就任した時にはジュネーヴ大学より名誉博士号が授与されました。

1915-1916年 - 36歳
一般相対性理論発表

特殊相対性理論から約10年、一般相対性理論を発表しました。この論文の中には、星の重力によって光が曲げられるのでは無いかという研究も含まれていました。そして、実際に後年になって正しい事が証明されています。

1919年 - 40歳
ミレーバと離婚

アインシュタインがエルザという女性に対して恋心を抱いているとの情報がミレーバに伝わり、離婚に追いやられます。その後、アインシュタインは離婚して数ヶ月後にエルザと再婚することとなります。

1921年 - 42歳
ノーベル物理学賞受賞

光粒子仮説に対してノーベル物理学賞が贈られます。1905年に発表してから16年の歳月が経ってからの受賞でした。

1925年 - 46歳
ボース=アインシュタイン凝縮の予言を発表

粒状の原子がある一定の温度以下になると全部の粒が同じ動きをし、その結果、普段は縦横無尽に動き回っている粒が巨大な波のように動くというース=アインシュタイン凝縮を予言しました。

1933年 - 54歳
ナチスが政権を獲得し、ユダヤ人への迫害が激しくなる

ユダヤ人であるアインシュタインはナチスが政権を獲得してから迫害が激しさをましたためイギリスからアメリカへ逃れました。そのままプリンストン高等技術研究所の教授に就任し、生計を立てていきます。

1936年 - 57歳
妻・エルザの死去

アインシュタインが57歳の時にエルザがなくなりました。享年60歳でした。

1939年 - 60歳
原子力とその軍事利用の可能性に触れた手紙に署名

手紙には「とても破壊力のある新型爆弾の作られる可能性があります。確信は持てませんが、町が一つ無くなるほどの強大な威力を持っています。」と書かれていました。アインシュタインはこの手紙に署名をしてしまいます。

1945年 - 66歳
広島への原爆投下にショックを受ける

自身が署名したことによりこの惨事が起こったのでは無いかと衝撃を受けます。後日、「我々アメリカは戦いに勝利したが、平和まで勝ち取ったわけでは無い。」と演説をしました。

1948年 - 69歳
腹部大動脈瘤が判明

アインシュタインの死因となる腹部大動脈瘤の存在が発覚します。最後まで手術をすることは拒否していました。

1955年 - 76歳
核兵器廃絶のラッセル=アインシュタイン宣言に署名

核兵器廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを盛り込んだラッセル=アインシュタイン宣言に署名をします。

1955年 - 76歳
腹部大動脈瘤により死去

腹部大動脈瘤の肥大により心臓付近に痛みを感じていましたが、再三の手術の勧めには断固として拒否していました。1955年4月15日、ドイツ語で最後の言葉を言い残して亡くなりました。遺骨はデラウェア川に散骨されました。

アインシュタインの年表

1879年 – 0歳「アインシュタイン誕生」

アインシュタイン幼少時

アインシュタイン生誕

アインシュタインは1879年3月14日、父ヘルマン、母パウリーネ・コッホの間に生まれました。ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市で幼少時を過ごし、数年後にミュンヘンに引越しをします。幼少期から学校での成績は良く、数学に関しては非常に興味を持っていたそうです。

5歳の時には父から方位磁針を与えられ、その不思議な動きに魅了されて、自然界への興味を持つようになったそうです。この頃から世の中の事象に対して好奇心を持っていたのでした。

言葉数の少ない子供

小さい頃から人と喋る事があまりなかったそうで、その傾向は大人になってからも変わることはありませんでした。真面目でおとなしく、数学の本を自分で勉強するということに没頭していたそうです。あまりに喋らないことから、自閉症なのでは無いかと疑われていました。

大人になってからも滅多に笑うことはなく、笑顔の写真が撮られたのもほんの数枚のようです。有名な舌を出している写真は笑顔になるのが照れ臭くてあのような表情になったとも言われています。

1888年 – 9歳「ピタゴラスの定理の証明」

ピタゴラスの定理

数学に興味を持ち、ピタゴラスの定理を自ら証明

アインシュタインは幼少期から数学に興味を持ち、9歳の時にはピタゴラスの定理に魅了されました。この定理を四六時中、夢中になって考え、自力で証明できるまでになりました。日本では中学校三年生で習う公式です。

また、12歳の時にはユークリッド幾何学の本を与えられ、それも自力で勉強しました。日本では高校二年生から三年生にかけて学ぶ微分積分をこの頃に習得してしまいました。

チューリッヒ工科大学を受験

スイスにある名門大学チューリッヒ連邦工科大学を受験しますが、全部の科目の合計点が及第点に届かず、入学する事ができませんでした。しかし、数学と物理の成績がずば抜けて良かった事が学校長の目にとまり、教養科目を必修にすることを条件に翌年度の入学を許可されました。

大学の講義はアインシュタインの興味を引かず、欠席が多かったのですが、得意分野での成績は最も優秀な成績を修めていました。大学卒業後は物理学の助手として勤務することを希望していましたが、大学の物理学長と折り合いが合わず、その願いは叶いませんでした。

1903年 – 24歳「ミレーバ・マリッチと結婚」

ミレーバ・マリッチとアインシュタイン

ミレーバとの結婚

ミレーバはチューリッヒ工科大学の数少ない女性のうちの一人でした。はじめは友達同士の付き合いでしたが、時間が経つにつれて恋愛感情を抱くようになり、物理学の勉強を一緒にするようになる程親密な関係でした。

1903年の1月6日にアインシュタインとミレーバは結婚し、アーレ川の近くにある賃貸物件で二人暮らしをはじめます。翌年の1904年には長男ハンスが誕生し、三人で仲睦まじく暮らしていました。

ミレーバとの離婚、エルザとの再婚

時系列は飛びますが、1914年ごろからアインシュタインがエルザという女性に惚れているということをミレーバが嗅ぎつけ、二人の仲は険悪になります。親友が二人の間を修復しようとしますが、叶わず、約5年の別居生活を経て離婚に至りました。

そして1919年の6月、離婚からわずか4ヶ月後にエルザと再婚することになりました。1936年にエルザが亡くなるまで二人が一緒に暮らしました。

1905年 – 26歳「特殊相対性理論を発表」

若いころのアインシュタイン

特殊相対性理論

1905年は「特殊相対性理論」、「光量子仮説」、「ブラウン運動の理論」を論文として提出し、「奇跡の年」と呼ばれています。

特殊相対性理論は現実世界で無視できないような摩擦や空気対抗が一切無いものとして考え、二つの物体違う動きをしているときにそれぞれ感じる時間や空間が違うということを証明した理論です。当時としてはあまりにも革新的すぎたために、大学側から受け取ることを拒否されました。

ノーベル賞選考でも選考委員が受け入れられず、受賞するには至りませんでした。(代わりに光量子仮説の方でノーベル賞受賞)

E=mc²の発表

1907年、こちらも有名な公式であるE=mc²を発表しました。この公式は特殊相対性理論から派生して生まれたもので、のちに一般相対性理論を証明する上で重要な鍵となってきます。

この公式によると1gの質量(一円玉)をもつ物質は8.98×10¹³Jのエネルギーを有していることになります。例えば一円玉一枚がこの世から消えて無くなると、その代わりに生み出されるエネルギーは広島に落とされた原子爆弾のエネルギーの約1.4倍ほどになります。

1915-1916 年 – 36歳「一般相対性理論発表」

一般相対性理論

一般相対性理論発表

特殊相対性理論を発表してから約10年、現実世界でも適応できるように様々な条件を含めて研究された一般相対性理論を発表しました。この理論はGPSにも応用されており、現代の私たちの生活にも役立っています。

論文の中で、天体ほど大きな質量を持つ物体によって光の軌道を曲げられるという予言もされていましたが、後年、実証されており、アインシュタインの考えは正しい事がわかっています。

ノーベル物理学賞受賞

「光量子仮説」を1905年に発表してから約16年の歳月をかけて、1921年にノーベル物理学賞が与えられました。「相対性理論」も選考委員の間で候補に上がり、議論がなされましたが、当時としては物理学を根本からひっくり返してしまうということで選考には至りませんでした。

ちなみに同年のノーベル賞受賞者は化学賞がフレデリック・ソディ、文学賞がアナトール・フランス、平和賞がカール・ヤルマール・ブランディング、クリスティアン・ランゲです。

1925年 – 46歳「ボース=アインシュタイン凝縮の予言」

ボース=アインシュタイン凝縮のイメージ画像

ボース=アインシュタイン凝縮の予言

ボース粒子という粒状の原子がある一定の温度以下になると全部の粒が同じ動きをするということを予言し、これを発表します。ある一定の温度以下になると粒同士が共鳴のような現象を起こし、一つの波のように動くという理論です。

また、同じ時期に誘導放出という研究をしていましたが、これは後年にレーザーの発明に貢献する研究となりました。

ナチスが政権を獲得し、迫害が激化

アインシュタインはユダヤ人ですが、ナチスが政権を獲得するまでは大きな被害を被ることはありませんでした。1932年にヒトラー率いるナチスが政権を獲得すると、ユダヤ人への迫害が勢いを増していきます。

ナチスの指揮下になる前はドイツにも出入りしていたアインシュタインですが、迫害に会うことを恐れ、アメリカへ身を移しました。実はノーベル賞で「相対性理論」が受賞できなかったこともアインシュタインがユダヤ人である事が関係しているのでは無いかと言われています。

1936年 – 57歳「妻・エルザの死去」

アインシュタインとエルザ

エルザの死去

1919年に前の妻ミレーバと離婚し、その直後にエルザと結婚してから17年間共に過ごしてきましたが、1936年に息を引き取りました。心臓と腎臓の疾患で闘病していたそうです。

アインシュタインよりも3つ年上だったので、享年60歳でした。エルザの闘病生活は苦しいもので、アインシュタインはその現実から逃れるために研究に没頭していたそうです。

原子力の軍事利用をほのめかす手紙にサインをする

破壊力のある新型爆弾の作られる可能性がある旨が認められた手紙を当時の大統領ルーズベルトから受け取り、署名をします。1939年の事です。この時は第二次世界大戦が始まって間もない頃でしたが、すでに原子爆弾の制作を考えていたようです。

1945年に広島に原爆が投下された際、アインシュタインは、自身が署名したことによりこの惨事が起こったのでは無いかと衝撃を受けます。後日、「我々アメリカは戦いに勝利したが、平和まで勝ち取ったわけでは無い。」との言葉も残しています。

1948年 – 69歳「イスラエル建国からの第2代イスラエル大統領に推薦されるまで」

イスラエル 国旗

イスラエル建国

1948年イスラエルが建国されました。自身もユダヤ人であるアインシュタインは建国に対して否定的で、当時の政党をファシストと呼び、虐殺事件などのテロ行為を非難する文書をニューヨークタイムズ紙に発表します。

アインシュタインはこの期間中に様々な平和活動を行なっています。その一つがラッセル=アインシュタイン宣言への署名です。

ラッセル=アインシュタイン宣言

1952年にイスラエル初代大統領が亡くなると、第2代大統領のオファーがアインシュタインのところへ来ます。しかし、アインシュタインはこれを受けませんでした。一方で、自身がユダヤ人であることから、自身の研究成果などの著作権をヘブライ大学へ授けています。

1955年に世界平和を願って、核兵器の廃絶、戦争の根絶、科学技術の平和利用などを内容としてしたためた、ラッセル=アインシュタイン宣言を作り上げ、これに署名しました。

1955年 – 76歳「アインシュタインの死去」

遺骨が散骨されたデラウェア川

アインシュタインの死去

1948年ごろから腹部大動脈瘤が見つかっていましたが、治療は受けていませんでした。晩年になって瘤が巨大化し、心臓の圧迫などから痛みを感じるようになりましたが、それでも手術を拒否し続けます。

入院期間中も研究をすることは欠かさず、家族に必要な道具を持ってくるように伝えたという記録もあります。

そして、1955年4月18日、76歳の生涯に幕を閉じました。

アインシュタインの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

学習漫画 世界の伝記 アインシュタイン 相対性理論を生みだした天才科学者

アインシュタインの人生を漫画で描いた作品です。イラストで内容がわかるので子供でも読みやすくなっています。相対性理論などの詳しい解説はありませんが、アインシュタインについてざっくりと知りたい方にはおすすめの一冊です。

アインシュタイン150の言葉

累計30万部を超えるロングセラー商品です。アインシュタインが人生について、世界について感じたことを語っている名言集です。難しい論文の話などはなく、何かに悩んでいる人に向けた励ましの言葉の数々です。アインシュタインの名言について知りたい方におすすめの一冊です。

相対性理論

物理学の概念をひっくり返したと言われる「相対性理論」についての本です。一般に人にもわかりやすいように難しい内容を簡単に咀嚼してつづってあります。相対性理論について興味を持っている方、少し詳しく知りたい方のおすすめの一冊です。

おすすめの動画

【ゆっくり科学者解説】アルベルト・アインシュタイン ゆっくり解説

約10分ほどで見られる動画ですが、アインシュタインの人生についてわかりやすく解説しています。小さい頃から好奇心を持ち続けていたこと、原爆投下にショックを受けたことまで写真とともに理解できるので、本を読むのが苦手な方などにはおすすめの動画です。

アインシュタインの成り立ちと相対性理論とは?

こちらもアインシュタインの生涯について解説している動画になります。9分弱でサクッと見られる動画です。彼がどのようにして相対性理論を生みだしたかなど要点に絞って説明しているので、簡単にアインシュタインの人生を振り返りたい方にはおすすめです。

中学数学からはじめる相対性理論

こちらは約2時間の動画となっておりますが、中学生でもわかるように簡単に相対性理論を解説しています。講義形式の動画なので、実際に授業を受けているような感覚で学ぶことができます。自分の止めたいときに止められるのも便利です。無料で見られるのはとてもありがたいですね。

おすすめの映画

アインシュタイン:天才脳の行方と秘密

2019年制作の新しい映画です。アインシュタインの脳の秘密に迫るというよりは彼の生涯や功績について描かれている作品です。80分ほどで見られるので、映画好きな方や映像でアインシュタインの生涯に迫りたい方にはおすすめです。

アインシュタインについてのまとめ

アインシュタインは小さい頃から世の中の様々な事象に好奇心を抱き続け、常に探求する心を忘れませんでした。そして数々の有名な、後世に多大な影響を与える研究成果を次々と発表するのです。常に何かに興味を持ち、想像力を働かせる考え方は現代の我々にこそ必要ではないでしょうか。

今回の記事でアインシュタインに興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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