アインシュタインの年表
1879年 – 0歳「アインシュタイン誕生」
ドイツ南西部の都市に生まれる
アインシュタインは1879年3月14日、父ヘルマン、母パウリーネ・コッホの間に生まれました。ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市で幼少時を過ごし、数年後にミュンヘンに引越しをします。幼少期から学校での成績は良く、数学に関しては非常に興味を持っていたそうです。
5歳のときに父から方位磁針を与えられ、その不思議な動きに魅了されて、自然界への興味を持つようになったそうです。この頃から世の中の事象に対して好奇心を持っていました。
言葉数の少ない子供
小さい頃から人と喋ることがあまりなかったそうで、その傾向は大人になってからも変わることはありませんでした。真面目でおとなしく、数学の本を自分で勉強するということに没頭していたそうです。あまりに喋らないことから、自閉症なのではないかと疑われていました。
大人になってからも滅多に笑うことはなく、笑顔の写真が撮られたのもほんの数枚のようです。有名な舌を出している写真は笑顔になるのが照れ臭くてあのような表情になったともいわれています。
1888年 – 9歳「ピタゴラスの定理の証明」
ピタゴラスの定理を自ら証明
アインシュタインは幼少期から数学に興味を持ち、9歳のときにはピタゴラスの定理に魅了されました。この定理を四六時中、夢中になって考え、自力で証明できるまでになりました。日本では中学3年生で習う公式です。
また、12歳のときにはユークリッド幾何学の本を与えられ、それも自力で勉強しました。日本では高校2年生から3年生にかけて学ぶ微分積分をこの頃に習得してしまいました。
チューリッヒ工科大学を受験
スイスにある名門大学チューリッヒ連邦工科大学を受験しますが、全部の科目の合計点が及第点に届かず、入学できませんでした。しかし、数学と物理の成績がずば抜けて良かったことが学校長の目にとまり、教養科目を必修にすることを条件に翌年度の入学を許可されました。
大学の講義はアインシュタインの興味を引かず、欠席が多かったのですが、得意分野での成績は最も優秀な成績を修めていました。大学卒業後は物理学の助手として勤務することを希望していましたが、大学の物理学長と折り合いが合わず、その願いは叶いませんでした。
1903年 – 24歳「ミレーバ・マリッチと結婚」
ミレーバとの結婚
ミレーバはチューリッヒ工科大学の数少ない女性のうちの1人でした。はじめは友達同士の付き合いでしたが、時間が経つにつれて恋愛感情を抱くようになり、物理学の勉強を一緒にするようになるほど親密な関係でした。
1903年の1月6日にアインシュタインとミレーバは結婚し、アーレ川の近くにある賃貸物件で二人暮らしをはじめます。翌年1904年には長男ハンスが誕生し、三人で仲睦まじく暮らしていました。
ミレーバとの離婚、エルザとの再婚
時系列は飛びますが、1914年ごろからアインシュタインがエルザという女性に惚れているということをミレーバが嗅ぎつけ、二人の仲は険悪になります。親友が二人の間を修復しようとしますが叶わず、約5年の別居生活を経て離婚に至りました。
そして1919年の6月、離婚からわずか4ヶ月後にエルザと再婚しました。2人は1936年にエルザが亡くなるまで一緒に暮らしました。
1905年 – 26歳「特殊相対性理論を発表」
特殊相対性理論
1905年は「特殊相対性理論」「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」を論文として提出し、「奇跡の年」と呼ばれています。
特殊相対性理論は現実世界で無視できないような摩擦や空気対抗が一切ないものとして考え、2つの物体が違う動きをしているときにそれぞれ感じる時間や空間が違うということを証明した理論です。当時としてはあまりにも革新的すぎたために、大学側から受け取ることを拒否されました。
ノーベル賞選考でも選考委員が受け入れられず、受賞するには至りませんでした(代わりに光量子仮説の方でノーベル賞受賞)。
E=mc²の発表
1907年、こちらも有名な公式であるE=mc²を発表しました。この公式は特殊相対性理論から派生して生まれたもので、のちに一般相対性理論を証明する上で重要な鍵となってきます。
この公式によると1gの質量(一円玉)をもつ物質は8.98×10¹³Jのエネルギーを有していることになります。例えば一円玉一枚がこの世から消えて無くなると、その代わりに生み出されるエネルギーは広島に落とされた原子爆弾のエネルギーの約1.4倍ほどになります。
1915-1916 年 – 36歳「一般相対性理論発表」
一般相対性理論発表
特殊相対性理論を発表してから約10年、現実世界でも適応できるようにさまざまな条件を含めて研究された一般相対性理論を発表しました。この理論はGPSにも応用されていて、現代の私たちの生活にも役立っています。
論文の中で、天体ほど大きな質量を持つ物体によって光の軌道を曲げられるという予言もされていましたが、後年、実証されており、アインシュタインの考えは正しい事がわかっています。
ノーベル物理学賞受賞
「光量子仮説」を1905年に発表してから約16年の歳月をかけて、1921年にノーベル物理学賞が与えられました。「相対性理論」も選考委員の間で候補に上がり、議論がなされましたが、当時としては物理学を根本からひっくり返してしまうということで選考には至りませんでした。
ちなみに同年のノーベル賞受賞者は化学賞がフレデリック・ソディ、文学賞がアナトール・フランス、平和賞がカール・ヤルマール・ブランディング、クリスティアン・ランゲです。
1925年 – 46歳「ボース=アインシュタイン凝縮の予言」
ボース=アインシュタイン凝縮の予言
「ボース粒子」という粒状の原子が、ある一定の温度以下になると全部の粒が同じ動きをするということを予言し、これを発表します。ある一定の温度以下になると粒同士が共鳴のような現象を起こし、一つの波のように動くという理論です。
また、同じ時期に「誘導放出」という研究をしていましたが、これは後年にレーザーの発明に貢献する研究となりました。
ナチスが政権を獲得し、迫害が激化
アインシュタインはユダヤ人ですが、ナチスが政権を獲得するまでは大きな被害を被ることはありませんでした。1932年にヒトラー率いるナチスが政権を獲得すると、ユダヤ人への迫害が勢いを増していきます。
ナチスの指揮下になる前はドイツにも出入りしていたアインシュタインですが、迫害に会うことを恐れ、アメリカへ身を移しました。実はノーベル賞を「相対性理論」が受賞できなかったこともアインシュタインがユダヤ人であることが関係しているのではないかといわれています。
1936年 – 57歳「妻・エルザの死去」
17年連れ添った妻を亡くす
1919年に前の妻ミレーバと離婚し、その直後にエルザと結婚してから17年間共に過ごしてきましたが、1936年に息を引き取りました。心臓と腎臓の疾患で闘病していたそうです。
アインシュタインよりも3つ年上だったので、享年60歳でした。エルザの闘病生活は苦しいもので、アインシュタインはその現実から逃れるために研究に没頭していたそうです。
原子力の軍事利用をほのめかす手紙にサインをする
破壊力のある新型爆弾の作られる可能性がある旨が認められた手紙を当時の大統領ルーズベルトから受け取り、署名をします。1939年の事です。この時は第二次世界大戦が始まって間もない頃でしたが、すでに原子爆弾の制作を考えていたようです。
1945年に広島に原爆が投下された際、アインシュタインは、自身が署名したことによりこの惨事が起こったのではないかと衝撃を受けます。後日「我々アメリカは戦いに勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」との言葉も残しています。
1952年 – 73歳「第2代イスラエル大統領に推薦される」
イスラエル建国
1948年イスラエルが建国されました。自身もユダヤ人であるアインシュタインは建国に対して否定的で、当時の政党をファシストと呼び、虐殺事件などのテロ行為を非難する文書をニューヨークタイムズ紙に発表します。
アインシュタインはこの期間にさまざまな平和活動を行なっています。その1つがラッセル=アインシュタイン宣言への署名です。
ラッセル=アインシュタイン宣言
1952年にイスラエル初代大統領が亡くなると、第2代大統領のオファーがアインシュタインのところへ来ます。しかし、アインシュタインはこれを受けませんでした。一方で、自身がユダヤ人であることから、自身の研究成果などの著作権をヘブライ大学へ授けています。
1955年に世界平和を願って、核兵器の廃絶、戦争の根絶、科学技術の平和利用などを内容としてしたためた、ラッセル=アインシュタイン宣言を作り上げ、これに署名しました。
1955年 – 76歳「アインシュタインの死去」
アインシュタインの死去
1948年ごろから腹部大動脈瘤が見つかっていましたが、治療は受けていませんでした。晩年になって瘤が巨大化し、心臓の圧迫などから痛みを感じるようになりましたが、それでも手術を拒否し続けます。
入院期間中も研究をすることは欠かさず、家族に必要な道具を持ってくるように伝えたという記録もあります。
そして、1955年4月18日、76歳の生涯に幕を閉じました。
アインシュタインの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
学習漫画 世界の伝記 アインシュタイン 相対性理論を生みだした天才科学者
アインシュタインの人生を漫画で描いた作品です。イラストで内容がわかるので子供でも読みやすくなっています。相対性理論などの詳しい解説はありませんが、アインシュタインについてざっくりと知りたい方にはおすすめの一冊です。
アインシュタイン150の言葉
累計30万部を超えるロングセラー商品です。アインシュタインが人生について、世界について感じたことを語っている名言集です。
難しい論文の話などはなく、何かに悩んでいる人に向けた励ましの言葉の数々です。アインシュタインの名言について知りたい方におすすめの一冊です。
相対性理論
物理学の概念をひっくり返したと言われる「相対性理論」についての本です。一般に人にもわかりやすいように難しい内容を簡単に咀嚼してつづってあります。相対性理論について興味を持っている方、少し詳しく知りたい方のおすすめの一冊です。
【24年11月最新】アインシュタインのおすすめ本ランキングTOP8
おすすめの動画
【ゆっくり科学者解説】アルベルト・アインシュタイン ゆっくり解説
約10分ほどで見られる動画ですが、アインシュタインの人生についてわかりやすく解説しています。小さい頃から好奇心を持ち続けていたこと、原爆投下にショックを受けたことまで写真とともに理解できるので、本を読むのが苦手な方などにはおすすめの動画です。
アインシュタインの成り立ちと相対性理論とは?
こちらもアインシュタインの生涯について解説している動画になります。9分弱でサクッと見られる動画です。彼がどのようにして相対性理論を生みだしたかなど要点に絞って説明しているので、簡単にアインシュタインの人生を振り返りたい方にはおすすめです。
中学数学からはじめる相対性理論
こちらは約2時間の動画となっておりますが、中学生でもわかるように簡単に相対性理論を解説しています。講義形式の動画なので、実際に授業を受けているような感覚で学ぶことができます。自分の止めたいときに止められるのも便利です。無料で見られるのはとてもありがたいですね。
おすすめの映画
アインシュタイン:天才脳の行方と秘密
2019年制作の新しい映画です。アインシュタインの脳の秘密に迫るというよりは彼の生涯や功績について描かれている作品です。80分ほどで見られるので、映画好きな方や映像でアインシュタインの生涯に迫りたい方にはおすすめです。
アインシュタインについてのまとめ
アインシュタインは、小さい頃から世の中のさまざまな事象に好奇心を抱き続け、常に探求する心を忘れませんでした。そして数々の有名な、後世に多大な影響を与える研究成果を次々と発表するのです。
常に何かに興味を持ち、想像力を働かせる考え方は現代の我々にこそ必要ではないでしょうか?今回の記事でアインシュタインに興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。
分かりやすかったです!
ありがとうございました
≪…事象に好奇心…≫を、【舌】に・・・
数の言葉ヒフミヨ(1234)は、円(〇)に棲む、点線面とか・・・
√6意味知ってると舌安泰
よくわかりました。ありがとうございます