アインシュタインとはどんな人?生涯を紹介【名言や相対性理論、脳やIQも解説】

アインシュタインにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「アインシュタインのIQは190?」

IQが190もあった!?

アインシュタインはIQテストを受けていないため、実際の数値はわかりませんが、専門家が試算した結果によると160〜190であろうと推測されています。

ちなみに最も高いIQを持つのはノイマンとサイディズのIQ300です。わけのわからない世界です…!

都市伝説・武勇伝2「付き添いの運転手に講演を代わってもらい、大成功」

講演の代役を務めたのは…?

ある日、アインシュタインが講演に飽きてしまったことがありました。すると、付き添いの運転手が「私は役者でもあります。今日は代役を務めましょう」といって講演を見事に演じ切ってくれました。

難しい質問が飛んできた時には「この質問は簡単すぎるので、後ろの席に座っている私の運転手に答えさせよう」といってアインシュタインを指名し、事なきを得たそうです。

都市伝説・武勇伝3「1日10時間睡眠」

ロングスリーパーだったアインシュタイン

ナポレオン(3時間)や織田信長(4時間)など、偉人は睡眠時間が短いイメージがありますが、アインシュタインはロングスリーパーだった事が知られています。

10時間以上眠れない日には体の不調を訴えることもあったようです。睡眠中は記憶の整理が行われるとされているので、この時間で膨大な量の知識を整理していたのかもしれません。

都市伝説・武勇伝4「人前では滅多に笑顔を見せない」

笑顔のアインシュタインは貴重!

頭のいい人はあまり笑わないと言われますが、アインシュタインも例外ではなく、人前で笑顔を見せることは少なかったようです。有名な舌を出している写真は、カメラマンの「笑顔でお願いします」というリクエストに答えようとしたものだそうです。

都市伝説・武勇伝5 「親日家であり、日本に原爆が落ちたことを非常に嘆く」

アインシュタインの提示したE=mc²という公式は原子爆弾のエネルギーと比較される事が多いため、「原爆はアインシュタインの研究から作られたのではないか」と言われる事があったようです。

そのことに責任を感じてか、日本に原爆が落ちたことを非常に嘆いていたそうです。

アインシュタインの簡単年表

1879年 – 0歳
アインシュタイン誕生

ドイツのヴュルテンベルク王国ウルム市に誕生する。両親は父・ヘルマンと母・パウリーネ・コッホです。

1884年 – 5歳
父親から方位磁針をプレゼントされる

父からもらった方位磁針で遊ぶうちに自然界で起こる現象について興味を持つようになります。この頃まであまり言葉を発しない子供でした。

1888年 – 9歳
ピタゴラスの定理を自分で証明

幼少時から数学の才能はずば抜けており、この頃にはピタゴラスの定理を理解し、自分で証明できるほどでした。日本では15歳で習いますよね。

1891年 – 12歳
ユークリッドの幾何学を学ぶ

プレゼントされたユークリッドの幾何学の本を自学自習で勉強します。この同時期に微分積分も独学でマスターしてしまいます。

1895年 – 16歳
チューリッヒ連邦工科大学の受験に失敗

頭のよかったアインシュタインですが、チューリッヒ工科大学の入学試験の合格点に到達できませんでした。しかし、数学と物理の成績がずば抜けて優れていたので、教養課程クラスに通うことを条件に翌年度に入学させてもらったそうです。

1900年 – 21歳
チューリッヒ連邦工科大学を卒業

チューリッヒ連邦工科大学を卒業後、大学の助手になることを希望していましたが、叶わず、臨時の教員や家庭教師をして生活します。

1903年 – 24歳
ミレーバ・マリッチと結婚

チューリッヒ工科大学で知り合ったミレーバ・マリッチと結婚し、アーレ川の辺りに二人で暮らします。翌年には長男ハンスを授かりました。

1905年 – 26歳
特殊相対性理論発表

奇跡の年と言われる1905年に特殊相対性理論を発表しますが、理解されず、大学から受理されませんでした。その後続々と光量子仮説、ブラウン運動の理論などを発表します。

1907年 – 28歳
E=mc²を発表

E=mc²は特殊相対性理論の延長としてアインシュタインが証明した公式ですが、のちのちの一般相対性理論を提唱するにあたって非常に重要な公式となりました。

1912年 – 33歳
チューリッヒ連邦工科大学の教授に就任

この以前にチューリッヒ工科大学の助教授、プラハ大学の教授に就任しています。助教授に就任した時にはジュネーヴ大学より名誉博士号が授与されました。

1915-1916年 – 36歳
一般相対性理論発表

特殊相対性理論から約10年、一般相対性理論を発表しました。この論文の中には、星の重力によって光が曲げられるのでは無いかという研究も含まれていました。そして、実際に後年になって正しい事が証明されています。

1919年 – 40歳
ミレーバと離婚

アインシュタインがエルザという女性に対して恋心を抱いているとの情報がミレーバに伝わり、離婚に追いやられます。その後、アインシュタインは離婚して数ヶ月後にエルザと再婚することとなります。

1921年 – 42歳
ノーベル物理学賞受賞

光粒子仮説に対してノーベル物理学賞が贈られます。1905年に発表してから16年の歳月が経ってからの受賞でした。

1925年 – 46歳
ボース=アインシュタイン凝縮の予言を発表

粒状の原子がある一定の温度以下になると全部の粒が同じ動きをし、その結果、普段は縦横無尽に動き回っている粒が巨大な波のように動くというース=アインシュタイン凝縮を予言しました。

1933年 – 54歳
ナチスが政権を獲得し、ユダヤ人への迫害が激しくなる

ユダヤ人であるアインシュタインはナチスが政権を獲得してから迫害が激しさをましたためイギリスからアメリカへ逃れました。そのままプリンストン高等技術研究所の教授に就任し、生計を立てていきます。

1936年 – 57歳
妻・エルザの死去

アインシュタインが57歳の時にエルザがなくなりました。享年60歳でした。

1939年 – 60歳
原子力とその軍事利用の可能性に触れた手紙に署名

手紙には「とても破壊力のある新型爆弾の作られる可能性があります。確信は持てませんが、町が一つ無くなるほどの強大な威力を持っています。」と書かれていました。アインシュタインはこの手紙に署名をしてしまいます。

1945年 – 66歳
広島への原爆投下にショックを受ける

自身が署名したことによりこの惨事が起こったのでは無いかと衝撃を受けます。後日、「我々アメリカは戦いに勝利したが、平和まで勝ち取ったわけでは無い。」と演説をしました。

1948年 – 69歳
腹部大動脈瘤が判明

アインシュタインの死因となる腹部大動脈瘤の存在が発覚します。最後まで手術をすることは拒否していました。

1955年 – 76歳
核兵器廃絶のラッセル=アインシュタイン宣言に署名

核兵器廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを盛り込んだラッセル=アインシュタイン宣言に署名をします。

1955年 – 76歳
腹部大動脈瘤により死去

腹部大動脈瘤の肥大により心臓付近に痛みを感じていましたが、再三の手術の勧めには断固として拒否していました。1955年4月15日、ドイツ語で最後の言葉を言い残して亡くなりました。遺骨はデラウェア川に散骨されました。

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3 COMMENTS

〇△▢乃庭

≪…事象に好奇心…≫を、【舌】に・・・
 数の言葉ヒフミヨ(1234)は、円(〇)に棲む、点線面とか・・・

 √6意味知ってると舌安泰

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