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エルビスプレスリーの生涯・年表まとめ【名曲や名言、死因まで解説】

エルビスプレスリーは1950年代から1970年代にかけて活躍したアメリカ出身のミュージシャン、映画俳優です。CDやレコードの総売上げは6億枚以上となっており、史上最も売れたソロアーティストと言われています。

通称「キング・オブ・ロックンロール」と言われ、ロックンロールの先駆者であり、後々のアーティストにも多大な影響を与えます。また、有名になってから映画俳優としても活躍し、「Rino Brothers」を皮切りに30本以上の映画に出演しています。

エルビスプレスリー

アメリカではその後も多くのミュージシャンが誕生しているにも関わらず、エルビスプレスリーはなぜこれほどまでに人気があるのでしょうか。もちろん彼自身の歌の魅力や人間的魅力がそうさせているのですが、そのほかにも色々な要因があります。

音楽の歴史を変えたとも言われるエルビスプレスリーを生で見たかったと切に願ってやまない筆者が、彼の伝記や映画を漁った経験を生かして、彼の生涯や名言、数々の功績をこの記事で紹介していきます。

エルビスプレスリーとはどんな人物か

名前エルビス・アーロン・プレスリー
誕生日1935年1月8日
没日1977年8月16日
生地アメリカ合衆国
テネシー州メンフィス
没地アメリカ合衆国
テネシー州メンフィス
グレイスランド
配偶者プリシラ・アン・ボーリュー
(1967-1975)
埋葬場所アメリカ合衆国
テネシー州メンフィス
グレイスランド

エルビスプレスリーの生涯をハイライト

エルビスプレスリー

エルビスプレスリーは1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロで生まれました。父・ヴァーノン・エルビスプレスリーと母グラディス・ラブ・プレスリーの間の双子として生誕しましたが、もう1人の兄弟は誕生時に亡くなってしまいます。

とても貧乏な幼少期でしたが、両親はエルビスを非常に愛していました。11歳の誕生日にギターをプレゼントされたことをきっかけに音楽を練習し始めますが、実はこのギターはライフルの代わりの誕生日プレゼントでした。(ライフルを欲しがったが両親が反対したため。)

高校卒業後はトラック運転手をしていましたが、1954年にエルビスの「My Happiness」という曲を聞いた音楽会社の関係者が彼を売り出すことを決めたのです。1956年には「Heartbreak Hotel」がシングルチャートでトップを記録します。

1958年からの2年間の軍役を終えた1960年代は映画俳優としての活動を本格化させていきました。約10年間で30本以上の映画を撮影し、映画俳優としてのキャリアは大成功に終わりました。

1967年にはプリシラ・アン・ボーリューと結婚し、リサ・マリー・プレスリー(マイケルジャクソンの元妻)を設けますが、5年後に離婚することとなります。

晩年はショーやコンサートを精力的に行うようになりましたが、人気絶頂の1977年8月16日に睡眠薬の多用により、42歳の若さで無くなります。後年、ビートルズ、ボブディラン、フレディ・マーキュリーなどのそうそうたる面子もエルビスの影響を大きく受けたのでした。

エルビスプレスリーの家族や娘はどんな人?

リサ・マリー・プレスリーとマイケルジャクソン

エルビスの両親は父・ヴァーノン・エルビス・プレスリーと母・グラディス・ラブ・プレスリーです。実は双子の兄弟なのですが、もう片方の子は誕生した時に亡くなってしまいます。

エルビス自身はプリシラ・アン・ボーリューと結婚し、リサ・マリー・プレスリーが誕生しています。リサ・マリー・プレスリーはマイケルジャクソンの元妻です。「キング・オブ・ロックンロール」の娘と「キング・オブ・ポップ」が結婚したということになります。

エルビスプレスリーの名曲は?

エルビスプレスリーはその生涯に多くの楽曲を残していますが、「Heartbreak Hotel」はビートルズをはじめとする後出のアーティストに多大な影響を残しています。

また、「監獄ロック」は全米チャートで8週連続1位を記録した楽曲で、現代の娯楽であるYoutubeにおいて約2億回近く再生されています。(2020年5月現在)

エルビスプレスリーの死因は?

睡眠薬

エルビスプレスリーは1977年8月16日に急死しました。自宅の浴槽で倒れているところをガールフレンドが発見し、急いで病院へと運ばれましたが、そのまま息を引き取ります。死因としては睡眠薬の多用・誤用による不整脈の可能性が最も高いと言われています。

しかし、エルビスの死因に関しては様々な情報が上がっているのです。過食症による肥満、もともと心臓に疾患を持っていた、ドラッグのやりすぎ、など色々な憶測が飛び交っていました。

2014年にはエルビスのDNA解析が行われ、「肥大型心筋症」を引き起こす遺伝子が見つかったそうです。エルビスには亡くなる直前に不整脈、疲労、失神など「肥大型心筋症」の症状が見られていました。しかし、現在となってはこの病気が原因だと断定することはできません。

エルビスプレスリーの功績

功績1「「キング・オブ・ロックンロールと呼ばれた男」」

キング・オブ・ロックンロール エルビスプレスリー

エルビスプレスリーは「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれています。当時ロックンロールの先駆けとして登場したビル・ヘイリー、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノなどらとともにロックンロールの一時代を築き上げるのです。

アメリカやイギリスを中心として、今まで音楽に親しみのなかった多くの若者から支持を集めました。エルビスのファッションや髪の毛も若者たちの間で非常に流行し、若者文化として認識されるようになったのです。

そして、ちょうど同時期にレコードプレーヤーが一般市民の手に届くような値段になっていたこともあり、音楽商品の販売を活性化させました。エルビスプレスリーは1950年代から1970年代にかけてCDやレコードを6億枚以上売り上げており、史上最も売れたソロアーティストと言われています。

功績2「「ビートルズ、クイーンなど多くのアーティストに影響を与える」」

ビートルズ

エルビスはロックンロールの先駆けとして登場し、のちに出てくる有名アーティストに多大な影響を与えています。1956年に発表した「Heartbreak Hotel」はビートルズ、クイーン、ボブ・ディランなどがミュージシャンを目指すきっかけともなった曲です。

ビートルズとは1965年に一度だけ会っていますが、内容はあまり芳しいものではありませんでした。エルビスが「ビートルズのレコードは全て買っている。」と言うと、ジョンレノンがジョークのつもりで「僕はエルビスのレコードは一枚も持っていません。」と返しました。

これがエルビスの気に障り、気分を害してしまいます。ジョンレノンは後日謝罪の意を表明していますが、2人の仲は生涯直らないままでした。

功績3「「ヘアスタイルが世界中で流行る」」

エルビスプレスリー 「ダックテール」

エルビスプレスリーは髪を後方へなで付ける「ダックテール」と言う髪型をしていました。これが世界中の10代、20代の若者の間で流行し、一大文化となったのです。

また、エルビスは開襟シャツをよく着ていましたが、これも若者の間でヒットし、1950年代、1960年代、ものを大量に消費する最初の若者世代を生み出したのです。

現在のアーティストでも人々に影響を与えている人は多いですが、これほどまで世界中で注目を集めたミュージシャンはエルビスの他にも数少ないのではないでしょうか。

エルビスプレスリーの名言

「自分には理解できないからって批判するな。君はそいつの立場を経験したこともないんだから」

エルビスプレスリーはロックンロールの先駆者です。当時は誰もが経験したことのない音楽に戸惑い、批判も殺到したことでしょう。しかし、エルビスはここからスーパースターへの階段を駆け上がっていくのでした。エルビスの立場からすればこれは必然だったのかもしれません。

「みんな俺の歌のスタイルはどこから来たのか聞いてくるけど、誰からもコピーしなかったさ」

ロックンロールの開拓者らしいコメントですね。1を100にするよりも、0から1を生み出す方が難しいと言われますが、エルビスがやってのけたのは1を生み出した方です。しかもそれを100にもしてしまったのです。後年になって彼の真似をするアーティストは大勢いましたが、彼は常にオンリーワンだと言えるでしょう。

「おれはずっと悪い評判を受けて来たけど、それは覚悟しなきゃいけないことさ」

エルビスプレスリーの名言は新しいことに挑戦したものの気持ちを代弁するような言葉が多いです。未知の領域に挑戦することは、誰も知らないことを表現したり、開発したりするのですが、人はわからないものに対してアレルギーを持ちやすく、批判が殺到します。先駆者の運命ですね。

エルビスプレスリーにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「エルビスサンドが高カロリーすぎて体調を崩した?」

エルビスサンド

エルビスサンドは「パンにピーナッツバターを塗って、バナナとベーコンを挟み、大量のバターを溶かしたフライパンで揚げたサンドウィッチ」です。エルビスはこのサンドウィッチが大好きで、毎日欠かさず食べていたようです。

エルビスは30代になると肥満気味になり、体調を崩しやすくなっていました。その原因がエルビスサンドなのではないかと言われています。

エルビスはこのエルビスサンド以外にも炭酸飲料などが好きでよく飲んでいたそうです。実は、死因の一つとして生活習慣の乱れが候補に挙がっているほど荒れた食生活をしていました。

都市伝説・武勇伝2「ステージでの衣装が20kg超え?」

エルビスプレスリー ジャンプスーツ

エルビスプレスリーは1960年代後半からツアーとコンサートに精力的に取り組みましたが、その際の衣装が年を追うごとに豪華になっていき、最終的には総重量25kgもの衣装を着ていたと言われています。

最初の頃は動きやすいようにシンプルな衣装を着ていましたが、ピアニストであるリベラーチェに影響を受けて、宝飾物を衣装に大量に取り付けるようになっていきます。ただし、エルビスは貧乏な家の出身であるので、実際には宝石関係にはこだわらず、安物の飾りでも問題なかったのだそうです。

都市伝説・武勇伝3「約60万円のバイクがエルビスの肉筆入りで1億2000万円に」

ジェームズディーン

F1チームのオーナーをしていたクレイグ・ポロックと言う人物が中古のハーレーダビッドソンを約60万円で購入したところ、数回も使わないうちに故障してしまったので、修理屋に出しました。

その時に、シートを確認してみると「親愛なるジェームズディーンへ、エルビス・プレスリー」と書かれていました。このサインが発覚し、本物だと確認された途端に、そのハーレーダビッドソンには1億2000万円の値がついたのです。

エルビスはジェームズディーンの大ファンで憧れの存在としていました。ディーンが出ている映画の「理由なき反抗」に至ってはディーンの台詞部分を全て暗記してしまうほどでした。

エルビスプレスリーの簡単年表

1935年 - 0歳
ミシシッピ州テュペロにて生まれる

父ヴァーノンと母グラディスの間に双子として誕生しましたが、もう1人は生まれた時に亡くなってしまいました。そのためエルビスは一人っ子です。幼少時はとても貧しい生活をしていました。

1944年 - 9歳
キリスト教プロテスタントの信者となる

エルビスは9歳の時にプロテスタントの洗礼を受けることとなります。

1946年 - 11歳
ギターをプレゼントされる

11歳の誕生日の際にギターをプレゼントされ、以来、毎日のように音楽を練習するようになります。最初はライフルが欲しいといったエルビスですが、両親から反対され、代わりに与えられたのがこのギターです。

1949年 - 14歳
メンフィスへ

メンフィスは黒人が多く、貧しい人々が多いのですが、エルビスはそこへ引越しをします。このような環境の下で黒人の音楽やゴスペルなどを聞いて生活していくことになりました。

1954年 - 19歳
音楽関係者の目に留まる

1953年にスタジオで収録した「My Happiness」などがサン・レコードの関係者に響き、エルビスを売り出すことが決まりました。その一ヶ月後に「That’s All Right, Mama」を作り、メンフィスでヒットを飛ばしたのです。

1955年 - 20歳
RCAビクターと契約

1955年の11月21日にRCAビクターと契約し、1956年1月28日にTV初出演を果たします。白人であるエルビスが黒人のR&Bを歌い、激しい非難を浴びることとなります。その一方で若者からは絶大な支持を集めるようになりました。

1956年 - 21歳
第6弾のシングルがシングルチャートの1位に

1956年1月27日にリリースされた「Heartbreak Hotel」が4月にはチャートで1位を記録しました。この曲は後世のアーティストにも支持され、影響を与えています。

1957年 - 22歳
「エド・サリヴァン・ショー」に出演

国民的なバラエティー番組である「エド・サリヴァン・ショー」に3度出演することとなりました。司会者であるエド・サリヴァンがエルビスのことを褒めたため、これ以後はバッシングが非常に減りました。

1958年 - 23歳
軍役へ

1958年1月20日にエルビスはアメリカ陸軍へ徴兵するように通知を受けます。他の隊員と区別なく、全ての勤務を遂行しました。2年の徴兵期間を終えて、1960年3月5日に満期除隊となりました。

1960-69年 - 25歳
映画出演を繰り返す

1960年に軍を除隊すると、1969年までに30本以上の映画に出演します。この期間中は1年間に3本以上のペースで撮影が進んだので、ハリウッドに住まざるを得なくなりました。

1965年 - 30歳
ビートルズとのツーショット

ビートルズはもともとエルビスプレスリーに憧れていました。そのビートルズが売れてきた後の1965年の8月にエルビスの家で一回だけこの2大アーティストが一堂に会したことがあります。この時のジョンレノンの発言がエルビスを怒らせてしまったことも有名です。

1967年 - 32歳
プリシラ・アン・ボーリューと結婚

1967年5月1日にラスベガスのアラジンホテルでプリシラ・アン・ボーリューと結婚しました。その9ヶ月後にはリサ・マリー・プレスリーが誕生します。しかし、様々な理由が重なって、1973年に2人は離婚することとなります。

1969-年 - 34歳
ツアーやコンサートを開催

映画に関しては編集者との折り合いがうまくいかず、だんだんと興味を失っていきます。そして、1960年代の後半からは再びミュージシャンとしてツアーやコンサートを多く開くようになりました。

1970年 - 35歳
リチャード・ニクソン大統領と会見

エルビスは1970年12月21日に、大統領に宛てた手紙を渡すためにホワイトハウスを訪れます。もともと大統領と会う予定はありませんでしたが、エルビスが来たと騒ぎになり、それを聞きつけた大統領が面会を要請し、2人のツーショットが実現しました。

1977年 - 42歳
睡眠薬の間違った使用により、42歳の若さで夭折

1977年に行われるコンサートまで全て売り切れが相次ぎ、その人気は衰えることはありませんでしたが、1977年8月16日に急死します。死因は睡眠薬の誤用が考えられています。

エルビスプレスリーの年表

1935年 – 0歳「エルビスプレスリー誕生」

エルビスプレスリー 幼少期

エルビス生誕

エルビスプレスリーは双子で誕生しました。もう片方の兄弟は生まれてすぐに亡くなってしまいましたが、エルビスは両親に愛されながら成長します。実家はとても貧乏で、父親のヴァーノンが不渡りの小切手の服役をするほどでした。

ギターを買ってもらう

9歳の頃にはキリスト教プロテスタントの信者となるべく、洗礼を受けました。11歳の誕生日にはギターを買ってもらい、自宅の地下室でひたすら練習をするようになりました。音楽に目覚めたのはこのギターがきっかけです。

エルビスが13歳の時にはテネシー州のメンフィスへと引っ越しました。エルビスは生涯の大半をこのメンフィスの地で過ごしており、死没地もメンフィスとなっています。ここでは黒人の音楽やゴスペルをよく鑑賞するようになり、次第に音楽へと傾倒していったことがわかります。

1954年 – 19歳「音楽業界へ」

デビューアルバム

サン・レコードの創業者に誘われ、音楽の世界へ

1953年に収録した「My Happiness」という曲が音楽のサン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーの注目を集め、1954年にエルビスを売り出すことに決めました。

エルビスはその後、「That’s All Right,Mama」を奏でるようになり、これがメンフィスの地でヒットしたのです。この時代のアメリカは人種差別が色濃く、白人が黒人の曲をカバーして売り出されることが多かったのです。エルビスは黒人の歌を黒人のように歌えるミュージシャンとして活躍するようになりました。

RCAビクターと契約

1955年にエルビスはRCAビクターと契約することとなります。1956年には「トミー・ドーシー・ステージ・ショウ」でTV初出演を果たし、黒人の曲を歌います。やはりこの時代は人種差別が根についていたので、一部の宗教団体などから激しい非難を浴びました。

1956年4月には「Heartbreak Hotel」がシングルチャートで1位を記録しました。この曲は当時に売れたこともさることながら、のちに出てくるビッグアーティストたちがこぞって影響を受けた作品でもあります。

1957年 – 22歳「エド・サリヴァン・ショーへ出演」

エルビス エド・サリヴァン

国民的バラエティー番組への出演

1956年から1957年にかけて国民的バラエティー番組である「エド・サリヴァン・ショー」へ3度出演を果たしました。この番組の視聴者がものすごい数に上るため、失敗は許されないと思い、ジャケットをしっかり着用して出演しています。

司会者であるエド・サリヴァンが「エルビスは素晴らしい男なのです。」と紹介したことによって国民の支持を得ることが出来、これ以後、エルビスへの批判はかなり少なくなったそうです。

1958年 – 23歳「アメリカ陸軍へ徴兵」

徴兵時のエルビス

アメリカ陸軍に2年間の徴兵

エルビスが20歳前後の頃のアメリカは徴兵制を実施しており、エルビスもその対象となりました。軍の隊員として約2年間の徴兵を勤め上げたのです。エルビス・プレスリーだからということで特別扱いを受けることはなく、他の隊員と一緒に訓練を共にしました。

この徴兵の通知を受けた時、エルビスは映画の撮影中だったため、招集を少し延期されたことも有名です。

1960年 – 25歳「映画の世界へ」

エルビスプレスリー 映画

映画俳優としての活躍

エルビスはアーティストとして大成功を収め、スター街道をまっしぐらで進みました。有名になったエルビスを映画会社が欲しがり、数件の依頼が届いたため、もともと映画の興味のあったエルビスは大変喜びます。

映画俳優として活躍するために演技を自分で勉強し、「Rino Brothers」で映画初出演を果たします。この後、1年に3本以上のペースで撮影が行われ、合計で31本の映画に出演することとなりました。しかし、徐々に編集者とエルビスの好みが合わないようになったため、映画に興味を失っていきます。

ビートルズと初めてにして最後の会見

1965年の8月にビートルズがエルビス宅に赴き、2大ビッグスターの会見が成立しました。ビートルズはもともとエルビスプレスリーのファンであることを公言していたため、とても緊張していたようです。

しかし、その歓談中にジョンレノンがジョークで「エルビスのレコードは一枚も持っていない。」といったことがエルビスの癪に触り、険悪なムードとなってしまいます。ジョンレノンは後日謝りますが、エルビスの機嫌は戻らず、生涯ジョンレノンは好かれないまま終わってしまいました。

1967年 – 32歳「プリシラとの結婚」

エルビスプレスリーとプリシラ・アン・ボーリュー

ラスベガスにてプリシラ・アン・ボーリューと結婚

1967年5月1日、ラスベガスにあるアラジンホテルにてプリシラ・アン・ボーリューと結婚します。プリシラはエルビスが軍役に服していた際の所属部長の継子です。8年の交際期間を経て、結婚することとなりました。

1968年2月1日にはリサ・マリー・プレスリーが誕生します。しかし、エルビスの生活習慣の悪さやメンフィスマフィアと呼ばれていたエルビスの周囲の人間に嫌気がさしていたプリシラ、さらにはツアーなどにより別居生活が長く続き、1973年の10月には離婚する運びとなってしまいました。

リチャード・ニクソンとの会見

1970年の12月21日には市民としての意見を大統領に提出するべく、ホワイトハウスを訪れます。当初、大統領と面会する予定はなかったのですが、エルビスの登場で湧いている状況を嗅ぎつけ、大統領が面会を要請します。

エルビスは面会時に、自分のロックンロールが麻薬の使用を促進しているとは思っていないが、一抹の責任を感じてるということを大統領へ伝えました。エルビスとニクソン大統領のツーショット写真はホワイトハウスでの公用写真の中で一番人気となり、この時の騒動はその後に映画化もされています。

1977年 – 42歳「42歳という若さでの夭折」

エルビスプレスリーの墓

晩年はツアーやコンサートに精力を注ぐ

1960年代の後半からはツアーやコンサートを多数開催するようになりました。音楽に関しては1960年代に登場したビートルズなどの勢いに押されてしまっていましたが、1968年にテレビで催されたライブで再び注目を集め、一年に100回以上のライブを行うようになりました。

エルビスの開催するコンサートは年々盛大なものとなっていき、歌の種類もロックンロールだけでなく、ゴスペルや一般的な曲なども取り入れるようにしていました。1977年の最後のコンサートまで、チケットは容易に買えない状態が続きます。

睡眠薬の誤用による不整脈にて急死

1977年の8月17日からコンサートが始まる予定でしたが、その前日、メンフィスにある自宅の浴室で倒れているところをガールフレンドに発見されます。すぐに近くの病院へと運ばれましたが、死亡が確認されました。

死因は睡眠薬の誤用による不整脈で、主治医から処方された「処方ドラッグ=違法ではないが危険な薬」もこの病態に影響しているのではないかと言われています。人気絶頂の際の突然の急死でした。

その後のニュースでは「実はエルビスは生きているのでは?」という情報が流れ、生きている情報をつかんだ人に対しては約3億円の懸賞がかけられるという事態まで起きています。エルビスはそれだけ世の中に影響を与えた人物なのです。

エルビスプレスリーの関連作品

おすすめアルバム

エルビスプレスリー登場!「Elvis Presley」

1956年に発売されたこのアルバムは、エルビスプレスリーのデビューアルバムでもあります。全米チャート、全英チャートでともに1位を記録し、ロックンロールの駆け出し的なレコードです。まだ、若い頃に収録されているため演奏自体は伸び代のある部分もありますが、若者らしいはつらつとした演奏が魅力的です。

エルビス「Elvis」

こちらも1956年に発売された作品です。上記の「エルビスプレスリー登場!」に次ぐ二作目のアルバムとなります。一作目のアルバム発表後にヒット曲を連発し、知名度も人気も右肩上がりに上昇しているときに販売されました。

エルビス・イン・メンフィス「From Elvis In Memphis」

エルビスがずっと活動を行ってきたメンフィスの地で収録された作品です。1969年に発売しています。1960年代は映画俳優として活躍していましたが、この作品をきっかけに音楽業界への復帰を果たすこととなりました。

おすすめ書籍・本・漫画

エルヴィス・プレスリー 世界を変えた男

1950年代に彗星の如く登場し、黒人と白人の文化の垣根を超えたロックンロールと言うスタイルを世界へ送り届けたスターの人生を描いています。当時の音楽業界について、社会情勢についてなども含めてエルビスの生き様を書いているので時代を経た今でもわかりやすい本です。

エルヴィスの真実 ゴスペルを愛したプレスリー

白人のカントリーと黒人のブルースを織り交ぜた画期的なスタイルは当時の人々に衝撃を与えました。その一方で、斬新すぎるパフォーマンスから、非難を浴びることも多々あったようです。そんなエルビスの半生を偏見を挟まずに描いている作品です。

おすすめの動画

Elvis Presley-Jailhouse Rock(Music Video)

日本では「監獄ロック」と呼ばれている作品です。1957年に発売され、今から60年以上前の音楽ですが、色あせている印象を受けません。現代の娯楽であるYoutubeでの再生回数が1.8億回を超えていることからもよくわかります。

Elvis Presley Heartbreak Hotel Live(1956)

1956年にシングルチャート1位を初めて記録した曲です。のちのビートルズやクイーン、ボブディランなどにも多大な影響を与えたことでも有名です。この時の腰を降る振り付けがバッシングの種となったこともありますが、今なお世界中で親しまれている曲です。

おすすめの映画

監獄ロック

レコードとしても売り出している「監獄ロック」を題名にしている映像作品です。白人のカントリー、黒人のブルースを融合させ、ロックンロールの象徴でもある下半身を大きく動かすエルビスのスタイルが見られます。この作品にはエルビスの曲が6つ含まれています。

アカプルコの海

メキシコのリゾート地アカプルコでの話をミュージカル調に描いた作品です。エルビスが曲とともにダンスをする映像が多数盛り込まれているので、生のエルビスのパフォーマンスを見たい方にはオススメの作品となっています。

エルビスプレスリーについてのまとめ

エルビスプレスリーは1950年代に突如として現れたビッグスターです。白人であるにも関わらず、黒人のブルースと白人のカントリーを融合させて前代未聞のロックンロールというスタイルを作り上げたのでした。42歳というあまりにも早すぎる生涯でしたが、世界中に与えた影響は計り知れません。

今回の記事でエルビスプレスリーに興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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