エルビスプレスリーは1950年代から1970年代にかけて活躍したアメリカ出身のミュージシャン、映画俳優です。CDやレコードの総売上げは6億枚以上となっており、史上最も売れたソロアーティストと言われています。
通称「キング・オブ・ロックンロール」と言われ、ロックンロールの先駆者であり、後々のアーティストにも多大な影響を与えます。また、有名になってから映画俳優としても活躍し、「Rino Brothers」を皮切りに30本以上の映画に出演しています。
アメリカではその後も多くのミュージシャンが誕生しているにも関わらず、エルビスプレスリーはなぜこれほどまでに人気があるのでしょうか。もちろん彼自身の歌の魅力や人間的魅力がそうさせているのですが、そのほかにも色々な要因があります。
音楽の歴史を変えたとも言われるエルビスプレスリーを生で見たかったと切に願ってやまない筆者が、彼の伝記や映画を漁った経験を生かして、彼の生涯や名言、数々の功績をこの記事で紹介していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
エルビスプレスリーとはどんな人物か
名前 | エルビス・アーロン・プレスリー |
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誕生日 | 1935年1月8日 |
没日 | 1977年8月16日 |
生地 | アメリカ合衆国 テネシー州メンフィス |
没地 | アメリカ合衆国 テネシー州メンフィス グレイスランド |
配偶者 | プリシラ・アン・ボーリュー (1967-1975) |
埋葬場所 | アメリカ合衆国 テネシー州メンフィス グレイスランド |
エルビスプレスリーの生涯をハイライト
エルビスプレスリーは1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロで生まれました。父・ヴァーノン・エルビスプレスリーと母グラディス・ラブ・プレスリーの間の双子として生誕しましたが、もう1人の兄弟は誕生時に亡くなってしまいます。
とても貧乏な幼少期でしたが、両親はエルビスを非常に愛していました。11歳の誕生日にギターをプレゼントされたことをきっかけに音楽を練習し始めますが、実はこのギターはライフルの代わりの誕生日プレゼントでした。(ライフルを欲しがったが両親が反対したため。)
高校卒業後はトラック運転手をしていましたが、1954年にエルビスの「My Happiness」という曲を聞いた音楽会社の関係者が彼を売り出すことを決めたのです。1956年には「Heartbreak Hotel」がシングルチャートでトップを記録します。
1958年からの2年間の軍役を終えた1960年代は映画俳優としての活動を本格化させていきました。約10年間で30本以上の映画を撮影し、映画俳優としてのキャリアは大成功に終わりました。
1967年にはプリシラ・アン・ボーリューと結婚し、リサ・マリー・プレスリー(マイケルジャクソンの元妻)を設けますが、5年後に離婚することとなります。
晩年はショーやコンサートを精力的に行うようになりましたが、人気絶頂の1977年8月16日に睡眠薬の多用により、42歳の若さで無くなります。後年、ビートルズ、ボブディラン、フレディ・マーキュリーなどのそうそうたる面子もエルビスの影響を大きく受けたのでした。
エルビスプレスリーの家族や娘はどんな人?
エルビスの両親は父・ヴァーノン・エルビス・プレスリーと母・グラディス・ラブ・プレスリーです。実は双子の兄弟なのですが、もう片方の子は誕生した時に亡くなってしまいます。
エルビス自身はプリシラ・アン・ボーリューと結婚し、リサ・マリー・プレスリーが誕生しています。リサ・マリー・プレスリーはマイケルジャクソンの元妻です。「キング・オブ・ロックンロール」の娘と「キング・オブ・ポップ」が結婚したということになります。
エルビスプレスリーの名曲は?
エルビスプレスリーはその生涯に多くの楽曲を残していますが、「Heartbreak Hotel」はビートルズをはじめとする後出のアーティストに多大な影響を残しています。
また、「監獄ロック」は全米チャートで8週連続1位を記録した楽曲で、現代の娯楽であるYoutubeにおいて約2億回近く再生されています。(2020年5月現在)
エルビスプレスリーの死因は?
エルビスプレスリーは1977年8月16日に急死しました。自宅の浴槽で倒れているところをガールフレンドが発見し、急いで病院へと運ばれましたが、そのまま息を引き取ります。死因としては睡眠薬の多用・誤用による不整脈の可能性が最も高いと言われています。
しかし、エルビスの死因に関しては様々な情報が上がっているのです。過食症による肥満、もともと心臓に疾患を持っていた、ドラッグのやりすぎ、など色々な憶測が飛び交っていました。
2014年にはエルビスのDNA解析が行われ、「肥大型心筋症」を引き起こす遺伝子が見つかったそうです。エルビスには亡くなる直前に不整脈、疲労、失神など「肥大型心筋症」の症状が見られていました。しかし、現在となってはこの病気が原因だと断定することはできません。
エルビスプレスリーの功績
功績1「「キング・オブ・ロックンロールと呼ばれた男」」
エルビスプレスリーは「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれています。当時ロックンロールの先駆けとして登場したビル・ヘイリー、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノなどらとともにロックンロールの一時代を築き上げるのです。
アメリカやイギリスを中心として、今まで音楽に親しみのなかった多くの若者から支持を集めました。エルビスのファッションや髪の毛も若者たちの間で非常に流行し、若者文化として認識されるようになったのです。
そして、ちょうど同時期にレコードプレーヤーが一般市民の手に届くような値段になっていたこともあり、音楽商品の販売を活性化させました。エルビスプレスリーは1950年代から1970年代にかけてCDやレコードを6億枚以上売り上げており、史上最も売れたソロアーティストと言われています。
功績2「「ビートルズ、クイーンなど多くのアーティストに影響を与える」」
エルビスはロックンロールの先駆けとして登場し、のちに出てくる有名アーティストに多大な影響を与えています。1956年に発表した「Heartbreak Hotel」はビートルズ、クイーン、ボブ・ディランなどがミュージシャンを目指すきっかけともなった曲です。
ビートルズとは1965年に一度だけ会っていますが、内容はあまり芳しいものではありませんでした。エルビスが「ビートルズのレコードは全て買っている。」と言うと、ジョンレノンがジョークのつもりで「僕はエルビスのレコードは一枚も持っていません。」と返しました。
これがエルビスの気に障り、気分を害してしまいます。ジョンレノンは後日謝罪の意を表明していますが、2人の仲は生涯直らないままでした。
功績3「「ヘアスタイルが世界中で流行る」」
エルビスプレスリーは髪を後方へなで付ける「ダックテール」と言う髪型をしていました。これが世界中の10代、20代の若者の間で流行し、一大文化となったのです。
また、エルビスは開襟シャツをよく着ていましたが、これも若者の間でヒットし、1950年代、1960年代、ものを大量に消費する最初の若者世代を生み出したのです。
現在のアーティストでも人々に影響を与えている人は多いですが、これほどまで世界中で注目を集めたミュージシャンはエルビスの他にも数少ないのではないでしょうか。
エルビスプレスリーの名言
「自分には理解できないからって批判するな。君はそいつの立場を経験したこともないんだから」
エルビスプレスリーはロックンロールの先駆者です。当時は誰もが経験したことのない音楽に戸惑い、批判も殺到したことでしょう。しかし、エルビスはここからスーパースターへの階段を駆け上がっていくのでした。エルビスの立場からすればこれは必然だったのかもしれません。
「みんな俺の歌のスタイルはどこから来たのか聞いてくるけど、誰からもコピーしなかったさ」
ロックンロールの開拓者らしいコメントですね。1を100にするよりも、0から1を生み出す方が難しいと言われますが、エルビスがやってのけたのは1を生み出した方です。しかもそれを100にもしてしまったのです。後年になって彼の真似をするアーティストは大勢いましたが、彼は常にオンリーワンだと言えるでしょう。
「おれはずっと悪い評判を受けて来たけど、それは覚悟しなきゃいけないことさ」
エルビスプレスリーの名言は新しいことに挑戦したものの気持ちを代弁するような言葉が多いです。未知の領域に挑戦することは、誰も知らないことを表現したり、開発したりするのですが、人はわからないものに対してアレルギーを持ちやすく、批判が殺到します。先駆者の運命ですね。