エルビスプレスリーの生涯・年表まとめ【名曲や名言、死因まで解説】

1960年 – 25歳「映画の世界へ」

エルビスプレスリー 映画

映画俳優としての活躍

エルビスはアーティストとして大成功を収め、スター街道をまっしぐらで進みました。有名になったエルビスを映画会社が欲しがり、数件の依頼が届いたため、もともと映画の興味のあったエルビスは大変喜びます。

映画俳優として活躍するために演技を自分で勉強し、「Rino Brothers」で映画初出演を果たします。この後、1年に3本以上のペースで撮影が行われ、合計で31本の映画に出演することとなりました。しかし、徐々に編集者とエルビスの好みが合わないようになったため、映画に興味を失っていきます。

ビートルズと初めてにして最後の会見

1965年の8月にビートルズがエルビス宅に赴き、2大ビッグスターの会見が成立しました。ビートルズはもともとエルビスプレスリーのファンであることを公言していたため、とても緊張していたようです。

しかし、その歓談中にジョンレノンがジョークで「エルビスのレコードは一枚も持っていない。」といったことがエルビスの癪に触り、険悪なムードとなってしまいます。ジョンレノンは後日謝りますが、エルビスの機嫌は戻らず、生涯ジョンレノンは好かれないまま終わってしまいました。

1967年 – 32歳「プリシラとの結婚」

エルビスプレスリーとプリシラ・アン・ボーリュー

ラスベガスにてプリシラ・アン・ボーリューと結婚

1967年5月1日、ラスベガスにあるアラジンホテルにてプリシラ・アン・ボーリューと結婚します。プリシラはエルビスが軍役に服していた際の所属部長の継子です。8年の交際期間を経て、結婚することとなりました。

1968年2月1日にはリサ・マリー・プレスリーが誕生します。しかし、エルビスの生活習慣の悪さやメンフィスマフィアと呼ばれていたエルビスの周囲の人間に嫌気がさしていたプリシラ、さらにはツアーなどにより別居生活が長く続き、1973年の10月には離婚する運びとなってしまいました。

リチャード・ニクソンとの会見

1970年の12月21日には市民としての意見を大統領に提出するべく、ホワイトハウスを訪れます。当初、大統領と面会する予定はなかったのですが、エルビスの登場で湧いている状況を嗅ぎつけ、大統領が面会を要請します。

エルビスは面会時に、自分のロックンロールが麻薬の使用を促進しているとは思っていないが、一抹の責任を感じてるということを大統領へ伝えました。エルビスとニクソン大統領のツーショット写真はホワイトハウスでの公用写真の中で一番人気となり、この時の騒動はその後に映画化もされています。

1977年 – 42歳「42歳という若さでの夭折」

エルビスプレスリーの墓

晩年はツアーやコンサートに精力を注ぐ

1960年代の後半からはツアーやコンサートを多数開催するようになりました。音楽に関しては1960年代に登場したビートルズなどの勢いに押されてしまっていましたが、1968年にテレビで催されたライブで再び注目を集め、一年に100回以上のライブを行うようになりました。

エルビスの開催するコンサートは年々盛大なものとなっていき、歌の種類もロックンロールだけでなく、ゴスペルや一般的な曲なども取り入れるようにしていました。1977年の最後のコンサートまで、チケットは容易に買えない状態が続きます。

睡眠薬の誤用による不整脈にて急死

1977年の8月17日からコンサートが始まる予定でしたが、その前日、メンフィスにある自宅の浴室で倒れているところをガールフレンドに発見されます。すぐに近くの病院へと運ばれましたが、死亡が確認されました。

死因は睡眠薬の誤用による不整脈で、主治医から処方された「処方ドラッグ=違法ではないが危険な薬」もこの病態に影響しているのではないかと言われています。人気絶頂の際の突然の急死でした。

その後のニュースでは「実はエルビスは生きているのでは?」という情報が流れ、生きている情報をつかんだ人に対しては約3億円の懸賞がかけられるという事態まで起きています。エルビスはそれだけ世の中に影響を与えた人物なのです。

エルビスプレスリーの関連作品

おすすめアルバム

エルビスプレスリー登場!「Elvis Presley」

1956年に発売されたこのアルバムは、エルビスプレスリーのデビューアルバムでもあります。全米チャート、全英チャートでともに1位を記録し、ロックンロールの駆け出し的なレコードです。まだ、若い頃に収録されているため演奏自体は伸び代のある部分もありますが、若者らしいはつらつとした演奏が魅力的です。

エルビス「Elvis」

こちらも1956年に発売された作品です。上記の「エルビスプレスリー登場!」に次ぐ二作目のアルバムとなります。一作目のアルバム発表後にヒット曲を連発し、知名度も人気も右肩上がりに上昇しているときに販売されました。

エルビス・イン・メンフィス「From Elvis In Memphis」

エルビスがずっと活動を行ってきたメンフィスの地で収録された作品です。1969年に発売しています。1960年代は映画俳優として活躍していましたが、この作品をきっかけに音楽業界への復帰を果たすこととなりました。

おすすめ書籍・本・漫画

エルヴィス・プレスリー 世界を変えた男

1950年代に彗星の如く登場し、黒人と白人の文化の垣根を超えたロックンロールと言うスタイルを世界へ送り届けたスターの人生を描いています。当時の音楽業界について、社会情勢についてなども含めてエルビスの生き様を書いているので時代を経た今でもわかりやすい本です。

エルヴィスの真実 ゴスペルを愛したプレスリー

白人のカントリーと黒人のブルースを織り交ぜた画期的なスタイルは当時の人々に衝撃を与えました。その一方で、斬新すぎるパフォーマンスから、非難を浴びることも多々あったようです。そんなエルビスの半生を偏見を挟まずに描いている作品です。

おすすめの動画

Elvis Presley-Jailhouse Rock(Music Video)

日本では「監獄ロック」と呼ばれている作品です。1957年に発売され、今から60年以上前の音楽ですが、色あせている印象を受けません。現代の娯楽であるYoutubeでの再生回数が1.8億回を超えていることからもよくわかります。

Elvis Presley Heartbreak Hotel Live(1956)

1956年にシングルチャート1位を初めて記録した曲です。のちのビートルズやクイーン、ボブディランなどにも多大な影響を与えたことでも有名です。この時の腰を降る振り付けがバッシングの種となったこともありますが、今なお世界中で親しまれている曲です。

おすすめの映画

監獄ロック

レコードとしても売り出している「監獄ロック」を題名にしている映像作品です。白人のカントリー、黒人のブルースを融合させ、ロックンロールの象徴でもある下半身を大きく動かすエルビスのスタイルが見られます。この作品にはエルビスの曲が6つ含まれています。

アカプルコの海

メキシコのリゾート地アカプルコでの話をミュージカル調に描いた作品です。エルビスが曲とともにダンスをする映像が多数盛り込まれているので、生のエルビスのパフォーマンスを見たい方にはオススメの作品となっています。

エルビスプレスリーについてのまとめ

エルビスプレスリーは1950年代に突如として現れたビッグスターです。白人であるにも関わらず、黒人のブルースと白人のカントリーを融合させて前代未聞のロックンロールというスタイルを作り上げたのでした。42歳というあまりにも早すぎる生涯でしたが、世界中に与えた影響は計り知れません。

今回の記事でエルビスプレスリーに興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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