1985年 – 25歳「F1初優勝、そしてシーズンチャンピオンに」
ポルトガルGPでF1初優勝
1985年シーズンの第2戦ポルトガルGPで初のポールポジション獲得を果たし、そのまま決勝でもトップを譲らず、F1初優勝を収めます。シーズン前半でめぼしい成績はこのポルトガルGPのみでしたが、後半戦では第10戦のオーストリアGPから5連続で表彰台に登るなど目覚ましい活躍をしました。
結局この年はポールポジション7回、優勝2回を記録し、シーズンランキング4位となりました。
1986年はポールポジション8回、優勝2回に終わり、前年同様シーズンランキング4位で終わります。1987年は16戦中11回の入賞と2回の優勝でシーズンランキング3位に終わりますが、チャンピオンには届きませんでした。
初のワールドチャンピオン獲得
この年は宿敵プロストとの対決となります。プロストは今までに2度のワールドチャンピオンを記録している強豪で、後年もセナとの熱い争いを演じます。1988年シーズンのセナは16戦中8回の優勝、13回のポールポジションと当時のF1記録を更新する活躍を見せ、見事初のワールドチャンピオンに輝きます。
プロストも負けてはおらず、16戦中の10回をこの2人のワンツーフィニッシュで終わっています。特にサンマリノGP、デトロイトGPでは2人のぶっちぎりレースで、3位以下は全て周回遅れに終わっているのです。
1989年 – 29歳「プロストに王座を明け渡してからのチャンピオンへの返り咲き」
プロストにチャンピオンを奪取される
1989年は前年度のチャンピオンの称号であるカーナンバー1をつけてレースに臨むことになります。ポールポジションの獲得は好調でシーズン中13回を記録し、通算のポールポジション獲得数で歴代トップへと躍り出ますが、決勝はあまりうまくいかず、シーズンポイントとしてはプロストの後塵を拝します。
その後もセナとプロストの争いは激しさを増しますが、安定感でプロストが勝り、このシーズンのチャンピオンはプロストに明け渡してしまうこととなりました。
再びチャンピオンへ
1990年シーズンの幕開けはアメリカGPでしたが、予選でのトラブルにより出遅れたにも関わらず優勝を果たし、幸先の良いスタートを切ります。この時のレースはジャンアレジと最後まで競ることとなり、歴史に残る名勝負として有名になりました。
この年のセナは優勝回数もさることながら、そのほかのレースでも安定して入賞を稼ぎ続けました。その結果、3年連続でプロストとの一騎打ちとなりましたが、2度目のワールドチャンピオンを獲得することとなったのです。
1991年 – 31歳「3度目のチャンピオン、モナコGP5連勝」
1990年シーズンに続き、3度目のワールドチャンピオンへ
このシーズンは開幕4連勝を飾り、最高の滑り出しでスタートします。その後も大きな崩れもなく、7勝を上げ、一度もランクトップを譲ることなくシーズンを終えることとなりました。文句なしの3度目のワールドチャンピオンです。
モナコGP5連勝
1992年シーズンはライバルであるマンセルが開幕から5連勝するなど好調な滑り出しを見せる中、セナは第6戦のモナコGPでこの大会での4連勝目を上げます。この結果により、マンセルの今シーズンの開幕からの連勝記録もストップさせることとなります。しかし、この年のシーズンランキングは4位に終わってしまいます。
1993年はチームとの折り合いが合わず、レースに出るのか出ないのかでもめた時期もありましたが、最終的には全試合に参加することとなります。モナコGPでは大会5連勝目を上げ、歴代トップの記録を打ち立てますが、シーズン全体としての結果は芳しくなく、プロストにチャンピオンを譲ってしまうのでした。
1994年 – 34歳「レース中の事故で急逝」
サンマリノGPにて壁に激突し帰らぬ人に
このシーズンは開幕の2戦までの結果が思うようにいかなかったため、第3戦のサンマリノGPから気持ちを入れ替えてレースに臨もうと意気込んでいました。しかし、予選では自分のチームメイトとライバルの1人が事故で命を落とし、良からぬ雰囲気が漂います。
そして、サンマリノGP決勝、7週目に差し掛かり、首位を走っていたセナは時速300kmのスピードでカーブを曲がります。その直後、舗装の継ぎ目でバランスを崩し、そのまま壁に激突してしまうのです。
意識不明のまま、すぐにヘリコプターで病院へと搬送されますが、4時間後に脳死状態に陥り、その数十分後に息を引き取ってしまうのでした。
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完全保存版 アイルトン・セナ
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アイルトン・セナ 確信犯
F1報道の第一人者がアイルトンセナとの親交を深め、その過程で気づいた彼の人間的魅力、価値観、レースへの執念などを文章に表しつつ、プロストとのライバル関係にも迫っている本です。1990年の日本GPにおけるプロストへの接触についての裏側を詳しくしたためています。
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アイルトンセナについてのまとめ
アイルトンセナは1983年に23歳でF3デビュー、翌年にF1デビューを果たし、記憶に残るレースを走り抜け、後年にも残る輝かしい記録を残した名レーサーです。1994年に起きたカーレースの事故により34歳という若さでこの世を去ってしまったのは残念ですが、彼の生き様は多くのファンの心に残っていることでしょう。
今回の記事でアイルトンセナに興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。