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アイルトンセナの生涯・年表まとめ【名言や死亡事故、映画やヘルメットまで】

アイルトンセナは本名がアイルトン・セナ・ダ・シルバといい、ニックネームとして「音速の貴公子」とも呼ばれています。1980年代から1990年代の前半にかけてカーレースで活躍し、数々の記録を打ち立てた記録にも記憶にも残る名レーサーです。

F1優勝41回、ポールポジション65回獲得(予選で最速タイムのドライバーが決勝で先頭のスタート位置に立つこと)、モナコGP5連勝などは現在でも歴代上位の記録となっています。

しかし、1994年5月1日、イタリアのサンマリノGPでトップを走っている時に壁に衝突し、そのまま帰らぬ人となってしまうのです。

アイルトンセナ

カーレーサーは、セナの前にもセナの没後にも数多く輩出されていますが、いまだにセナが「F1史上最高の選手」と謳われているのはなぜでしょうか。もちろん彼の記録や人柄が魅力的であることは間違いありませんが、それ以外にも要因はあります。

アイルトンセナのミニ四駆で遊んでいた筆者が、後年になってその偉大さに気づき、セナについて調べていくうちにその魅力に引き込まれていった経験を生かし、彼の生涯や名言、事故の経緯などを解説していきたいと思います。

アイルトンセナとはどんな人物か

名前アイルトン・セナ・ダ・シルバ
誕生日1960年3月21日
没日1994年5月1日
生地ブラジル サンパウロ州サンパウロ
没地イタリア ボローニャ
配偶者リリアン(1980-1982)
埋葬場所ブラジル サンパウロ州サンパウロ

アイルトンセナの生涯をハイライト

アイルトンセナ

アイルトンセナはブラジルのサンパウロ州で生まれます。幼少時から優れた運動神経を持ち合わせ、4歳の頃にはモータースポーツに興味を示し始めます。13歳にして初めてのカートレースに出場すると、その才能を遺憾無く発揮し、年上のライバル相手にトップを走る場面もありました。

17歳からは本格的にカートレースに出場し、試合経験を重ねていきます。1981年にイギリスで行われたフォーミュラカーレースでは2つの大会で優勝を収めるなど、そのハンドルさばきは見事なものでした。

1983年にはF3選手権へ、1984年からはいよいよF1へと参戦していきます。F1への参加初年度から表彰台へ登るなど目覚ましい活躍を見せましたが、F1初優勝を飾るのはその翌年の1985年、シーズンチャンピオンとなるのは1988年のことでした。

その後もカーレースでの活躍は他の追随を許さず、通算勝利数41勝(当時歴代2位)、ポールポジション獲得数(当時歴代1位)、モナコGP5連勝(前人未到)など数々の記録を打ち立てます。

しかし、1994年の第3戦サンマリノGPにてトップを走行中に時速300kmのスピードで体勢を崩し、そのまま壁へと衝突してしまいます。意識不明の重体となり、すぐに病院へと運ばれましたが、治療の甲斐も虚しく、帰らぬ人となってしまうのでした。

アイルトンセナの家族構成は?

アイルトンセナの家族構成はこちらです。

  • 父:ミルトン・ダ・シルバ(工場経営主、資産家)
  • 母:ネイジ・セナ・ダ・シルバ
  • 姉:ヴィヴィアーニ
  • 弟:レオナルド

セナは5人家族で自身は兄弟の真ん中でした。アイルトンセナのセナはお母さんの方からとった名前だそうで、F3に挑戦している時から徐々にこの名前で名乗り始めたようです。

アイルトンセナは20歳の時に幼馴染であったリリアンと結婚していますが、生活感の違いなどから2年ほどで離婚してしまいます。2人の間に子供はありませんでした。

アイルトンセナのライバルは?

アラン・プロスト

セナの一番のライバルはやはりアラン・プロストでしょう。1988年には2人ともマクラーレン・ホンダに所属し、カナダGP、フランスGPなどで2台のマクラーレンの一騎打ちが見られました。

その後も2人は再三優勝争いをし、1988年はセナ、1989年はプロスト、1990年はセナ、1991年もセナ、1993年はプロストというデッドヒートを繰り広げています。

プロストの他にはナイジェル・マンセルもライバルの1人と言えます。1992年はマンセルが開幕から5連勝を達成するなど好調な仕上がりを見せ、最終的にワールドチャンピオンに輝きます。つまり、1988年から1993年の6年間はこの3人でチャンピオンが争われたのです。

アイルトンセナの死亡事故の経緯は?

アイルトンセナ 事故

1994年シーズンは開幕してから2戦が経過した時点でセナの成績はあまりよくありませんでした。そのため、第3戦、サンマリノで行われる大会をシーズン初戦と思い込むように自分を奮い立たせていました。

しかし、この大会では予選でセナのチームメイトやライバルが亡くなるなど、不吉な予感を漂わせていたのです。F1での死亡事故は12年ぶりのことでした。

サンマリノGP決勝、予選でポールポジションを獲得したセナはトップをひた走ります。7週目の「タンブレロ」と呼ばれるカーブに差し掛かった途端、車体がバランスを崩し、時速300kmのスピードが出たまま壁へと突っ込んでしまいます。

セナは意識不明のまま病院へ運ばれ、懸命の治療を受けますが、一度脳死状態を経て、息を引き取ってしまうのです。享年34歳でした。セナの遺体がブラジルへ帰った際には100万人以上のブラジル国民が出迎えたそうです。

アイルトンセナの功績

功績1「F1での優勝回数41回(当時歴代2位)」

アイルトンセナ 優勝時

アイルトンセナはF1で41度の優勝を誇っています。セナの活躍していた時代ではジャッキー・スチュワートの持っていた通算27勝が記録として残っていました。1991年の母国ブラジルで行われたグランプリでこの記録を抜かします。

その後も優勝回数を重ね続け、生涯では41度の優勝を積み上げるのでした。これは当時としては歴代2位の記録で、セナが現役であと数年残っていればどのくらいまで伸びたかと思うと非常に残念です。

功績2「65回もポールポジションを獲得(当時歴代1位)」

ポールポジション

セナは予選のタイムが速いことで知られています。ポールポジションを獲得することはつまり、予選をトップタイムで通過したと同じことになるので、トップ通過の通算が65回ということになります。

セナが記録を更新する前はジム・クラークの33回が最高でした。これを1989年のアメリカGPで更新すると、1994年までに65回に到達します。前記録の約2倍ということになります。この記録はミハエル・シューマッハが2006年のサンマリノGPで更新するまで残り続けることになりました。

功績3「モナコGPで5連勝(歴代1位)」

モナコGP

セナはモナコGPで無類の強さを発揮しています。1984年のF1参戦初年度に予選13位で終わったものの、決勝では出場選手中最も速いタイムを表すファステストラップを何度も記録します。最終的に2位まで追い上げたものの、レースの中断が伝えられ、初優勝はお預けとなるのです。

1987年にモナコGP初優勝を飾ると、1989年から1993年まで5連覇を成し遂げます。これはいまだに破られていない記録です。1988年に勝っていれば7連勝だったのですが、これはたられば話になってしまいます。

特に1992年はマンセルの調子が良く、モナコGPまでの開幕5戦を全て優勝していました。そしてポールポジションもマンセルに奪われていた決勝で、セナは見事に逆転し、モナコでの優勝を奪い取るのでした。

アイルトンセナの名言

「私は2位や3位になるために作られていない。勝利するために作られているんだ。」

蓮舫さんの名言ではなく、正真正銘のアイルトンセナの名言です。フォーミュラレースの優勝から始まり、F3でのチャンピオン、F1での41勝、65度のポールポジション獲得など、カーレーサーの1位と呼ぶにふさわしい記録を残してきたセナだからこそ発することのできる言葉です。

「もし中途半端に生きるのなら人生は台無しになる。」

宿敵プロストとのチャンピオン争いには手に汗を握ったファンの方も多いと思います。勝利にこだわるあまり、2人の間には亀裂ができてしまうこともありましたが、それは両人ともに中途半端なレースをしていなかった証でもあるのでしょう。

「サーキットに小さな事故は存在しない。」

生前にこの言葉を残したセナは奇しくも大事故で帰らぬ人となってしまいます。生と死の瀬戸際で勝負をすることを徹底していたから、覚悟を持ってレースに挑んでいたことがわかりますね。

アイルトンセナにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「週刊少年ジャンプで漫画になる」

アイルトンセナ 週刊少年ジャンプ

アイルトンセナはホンダのマクラーレンに乗っていたことから、日本にも近しい存在として認識されています。当時、マクラーレンが週刊少年ジャンプのスポンサーとなっており、10号以上に渡って「Fの閃光ーアイルトン・セナの挑戦!!」が連載されました。

この漫画はセナを主人公としてレースの模様などを描いた作品です。また、アイルトンセナは「笑っていいとも」にも出演したことがあり、駆けつけたファンでスタジオ周辺が騒然としたという逸話もあります。

都市伝説・武勇伝2「ブラジル人なのにコーヒーが苦手」

ブラジルコーヒー

アイルトンセナはブラジルのサンパウロ州出身ですが、コーヒーが苦手という一面があります。ブラジルはコーヒーの生産量世界一の国で、2位のベトナムを2倍以上も引き離しているのです。当然、ブラジル国民もコーヒーに慣れ親しんでいる人が多いのですが、セナは飲めなかったそうです。

自身でも「ブラジル人ながらコーヒーが苦手なのは僕くらいかもしれない」と言っています。

都市伝説・武勇伝3「F1のあらゆるランキングでトップ」

F1の勝利数、ポールポジションの獲得数、GPの連勝数でも歴代上位に位置していますが、セナは記録だけでなく、記憶にも残る名選手であったため、様々なランキングでトップを占めています。

F1の有識者が投票する「史上最速のF1ドライバー」、「史上最高のF1ドライバー」、「F1で最も偉大なドライバー」などの称号を総なめにしています。活躍がまだ記憶に新しいミハエル・シューマッハやセナの前時代に活躍したドライバー、ジム・クラークを抑えてのトップです。

アイルトンセナのクイズ

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Q1/Q30
Question Image

アイルトンセナの異名とは?

Q2/Q30

アイルトンセナの出身国は?

Q3/Q30
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アイルトンセナが初めてレースに出場したのは何歳の時?

Q4/Q30
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Brazilian Formula One driver Ayrton Senna pours champagne over himself 28 March 1993 celebrating his victory in the Brazilian Grand Prix. This was Senna's 37th Grand Prix victory, but only his second win in Brazil. In back is German driver Michael Schumacher./

アイルトンセナのF1通算勝利数は?

Q5/Q30
Question Image

アイルトンセナが同一グランプリで5連勝をあげていますが、その大会とは?

Q6/Q30

アイルトンセナの1番のライバルと言えば?

Q7/Q30
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アイルトンセナがF1初優勝を飾ったのは何年?

Q8/Q30

アイルトンセナがチームとして所属したことのある日本の企業は?

Q9/Q30
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アイルトンセナも在籍していたマクラーレン・ホンダは1988年の通算勝利数で素晴らしい実績をあげましたが、何戦何勝だったでしょうか?

Q10/Q30
Question Image

アイルトンセナがレース事故で亡くなった大会は?

Check Answers

このクイズの続きはこちらからお答えください!

【アイルトンセナクイズ#2】戦場で散った音速の貴公子。 【アイルトンセナクイズ#3】戦場で散った音速の貴公子。

アイルトンセナの簡単年表

1960年 - 0歳
アイルトンセナ誕生

アイルトンセナは父・ミルトン・ダ・シルバと母・ネイジ・セナ・ダ・シルバの長男としてサンパウロに生を受けます。アイルトンセナには姉と弟がおり、セナは真ん中の子供ということになります。

1964年 - 4歳
モータースポーツに興味を持つ

アイルトンセナは幼少期から運動神経が抜群で、何でもスポーツをこなしました。そして4歳の頃から自動車に興味を持ち始め、モータースポーツという競技があることを知ります。

1967年 - 7歳
初めて自動車を運転する

自宅の土地である農場内で、ジープの運転をします。運転技術のセンスが優れており、クラッチを使用せずにギアチェンジすることまで覚えてしまうのでした。

1973年 - 13歳
初のカートレースに出場

アイルトンセナが13歳の時にインテルラゴス・サーキットで初のカートレースに出場します。この時に使用したカートは芝刈り機用のエンジンを搭載した自作のレーシングカートでした。結果は接触を受けてのリタイアでしたが、途中は後続を引き離す場面もあったようです。

1977年 - 17歳
南アメリカ・カート選手権制覇

17歳の時には南アメリカ・カート選手権で優勝を果たします。その後も世界カート選手権には1982年まで6年連続で出場し、シリーズランキングで2位を占めるほどの選手に成長しました。

1980年 - 20歳
リリアンと結婚

1980年のシーズンオフには小さい頃から仲の良かったリリアンと結婚します。

1981年 - 21歳
フォーミュラカーレースでの優勝

イギリスで行われたフォーミュラカーレース、フォーミュラ・フォード1600の2つの
シリーズに参戦し、両方とも優勝を収めました。

1982年 - 22歳
妻・リリアンとの離婚

両親からは農業を手伝うように強く言われましたが、セナはカーレースへの夢が捨てられずにイギリスへと再度旅立つことを決意します。ブラジルに残ることを希望した妻・リリアンとは離婚をすることになってしまうのでした。

1982年 - 22歳
フォーミュラフォード2000での優勝

セナはフォーミュラフォード2000に階級を転向し、イギリスの選手権で優勝後、ヨーロッパの選手権でも優勝してしまいます。

1983年 - 23歳
F3選手権へ

1983年シーズンからF3選手権に参戦します。シーズンの成績は20戦12勝でチャンピオンを獲得することとなりました。

1984年 - 24歳
F1へ

トールマンというチームに所属することとなり、本格的にF1へ参戦することとなりました。第2戦の南アフリカGPで6位入賞をすると、第6戦モナコGPでは2位、第10戦イギリスGP・最終戦ポルトガルGPで3位に入るなど初年度から大活躍します。

1985年 - 25歳
ポールポジション初奪取とF1初優勝

1985年シーズン第2戦ポルトガルGPでポールポジションを獲得します。アイルトンセナ自身初の出来事でした。そして、このレースで3位以下を紹介遅れにするほどのぶっちぎりでF1初優勝を果たします。最終的なシーズンランキングは4位となりました。

1986年 - 26歳
8度のポールポジション獲得もシーズンランキングは伸びず

1986年シーズンは第2戦スペインGPと第7戦デトロイトGPで優勝を果たしますが、この年はマシントラブルが多く、シーズンランキングを伸ばせずに終わりました。最終的には16戦中8度ものポールポジションを獲得しましたが、個人成績自体は芳しくないまま終わってしまいます。

1987年 - 27歳
ホンダエンジンを搭載するようになるも苦戦

前年に活躍が目覚しかったホンダ勢を見て、セナはホンダエンジンの搭載を希望します。しかし、まだ開発途上のエンジンだったためにトラブルが多く、F1での成績も低迷しました。第4戦モナコGP、第5戦デトロイトGPでは優勝を果たしましたが、シーズン後半は伸び悩みます。それでも入賞の回数が多かったため、シーズンランキングでは初の3位を占めることとなりました。

1988年 - 28歳
初のワールドチャンピオン獲得

セナはこのシーズン、マクラーレンへと移籍を果たします。そして、シーズン16戦中8回の優勝、13回のポールポジションを獲得し、晴れてワールドチャンピオンとなりました。

1989年 - 29歳
宿敵プロストとの一騎打ち

1989年シーズン、セナは第2戦から第4戦まで3連勝を果たし、幸先の良いスタートを切りますが、そのあとに4連続でリタイアがあるなど結果が安定しません。ライバルのプロストは優勝こそ少ないですが、安定して入賞を重ね、最後までもつれた2人の優勝争いはプロストに軍配が上がるのでした。

1990年 - 30歳
優勝6回、安定したレース結果により2度目のチャンピオンに

1990年シーズンもプロストとの勝負となりましたが、10度のポールポジション獲得、6度の優勝、入賞11回と安定した活躍を見せ、見事2度目のシーズンチャンピオンに輝きます。特に開幕戦のアメリカGPでは大幅な遅れを取り戻しての優勝で、競ったジャンアレジとの勝負は歴史に残る一戦となりました。

1991年 - 31歳
ランキングトップを一度も譲らずにチャンピオンに

この年のセナは非常に冴えており、16戦中、優勝7回、入賞14回という成績を残し、シーズン序盤から一度もトップを譲らずにシーズンチャンピオンの座をほしいままにします。

1992年 - 32歳
モナコGPで4連勝も、一度もランキングトップに立つことが出来ず

1992年シーズンは開幕戦からライバルチームの優勝が続き、苦戦を強いられます。第6戦のモナコGPでは優勝を果たし、この大会での4連勝を記録しますが、シーズン後半戦も伸び悩み、優勝3回、リタイア7回となり、一度もランキング争いができずに終わってしまいました。

1993年 - 33歳
モナコGP5連勝を記録、しかし、チャンピオンはプロストに

所属チームとのいざこざがありましたが、このシーズンも全戦に参加します。前半はブラジルGPでの母国勝利、モナコGP5連覇など輝かしい成績を収めますが、後半には表彰台に8連続で登れない事態となり、ランキングを落としてしまいます。結局、第14戦で早々にプロストの勝利が決定しました。

1994年 - 34歳
第3戦サンマリノGPにて事故死

今シーズンの開幕2戦は不調に終わり、第3戦のサンマリノGPがシーズン初戦をみなそうと意気込んでいたセナですが、7週目のコーナー「タンブレロ」にてバランスを崩し、壁に激突してしまいます。意識不明の状態で病院へ運ばれましたが、事故の4時間後に息を引き取りました。

アイルトンセナの年表

1960年 – 0歳「アイルトン・セナ・ダ・シルバの誕生」

アイルトンセナ 幼少時

サンパウロにてアイルトンセナの誕生

ブラジルのサンパウロにあるプロマトレ参加病院にてアイルトンセナが誕生します。父親は工場経営者かつ資産家であるミルトン・ダ・シルバ、母親はネイジ・セナ・ダ・シルバです。セナは父、母、姉のヴィヴィアーニ、弟のレオナルドと5人家族でした。

もともと運動神経のよかったセナは4歳になると自動車に興味を持ち始め、モータースポーツというものがあるということを認識します。7歳の時には自宅の土地でジープを運転させてもらい、基本的な操縦を覚えました。

レーシングカーの競技に参加

セナが13歳の時にインテルラゴス・サーキットで行われたレーシングカーの競技会に参加します。この時に乗ったカートは父親のミルトンが芝刈り機用のエンジンを改良して搭載した車でした。参加者はセナよりも年上の子も多かったのですが、途中は先頭を走ることができたのです。

結果は接触により棄権となってしまいましたが、才能の片鱗を見せる出来事となりました。1977年、セナが17歳の時には南アメリカ・カート選手権で優勝します。その後6年間カート選手権への参加をしますが、シーズンランキング最高位は2位でした。

1981年 – 21歳「フォーミュラカーレースでの活躍、リリアンとの結婚、そして離婚」

アイルトンセナとリリアン

フォーミュラレースに参加

1981年シーズンはフォーミュラレースに参戦します。イギリスへと飛び立ち、フォーミュラフォード1600の2シリーズを優勝してしまうのでした。その次の年もフォーミュラフォード2000に階級をあげて参戦し、イギリス選手権、ヨーロッパ選手権でのチャンピオンに輝きます。

フォーミュラフォード2000はF1に参加する前の前段階としてとらえられることが多く、このレースで優勝したセナはF1への参加に意欲を燃やし始めます。

1980年にリリアンと結婚、1982年に離婚

1980年のオフシーズンに昔からの知り合いであったリリアンと結婚します。リリアンはセナがフォーミュラレースに参加する際にイギリスまで一緒について行きました。しかしその直後、セナが両親から農場を継ぐように迫られます。

セナはレースへの執着から再度イギリスへと飛び立つことを決心しますが、リリアンは同伴を拒否します。セナはイギリスへ向かうことを決め、彼女はブラジルに残ることを決意したため、2人の希望が食い違い、離婚へと発展してしまうのでした。

1983年 – 23歳「F3への参加からのF1への挑戦」

アイルトンセナ

F3への参戦

1983年にはイギリスのF3選手権へと出場します。シーズンの前半は好調な滑り出しで、2位に大差をつけてのランキングトップを独走し続けます。後半は少し調子を落としましたが、前半の貯金が生き、僅差でシーズンのチャンピオンを獲得することとなりました。

最終的な成績は20戦12勝と、当時としては最高記録でした。この他にもマカオGPでは7年も破られない記録を打ち立てるなど鮮烈すぎるデビューとなりました。

F1への挑戦

1984年シーズンからはF1へと参戦します。第2戦の南アフリカGPで6位入賞を果たしたのを皮切りにモナコGPでの2位、イギリスGP・ポルトガルGPでの3位など初年度から華々しい成績を残しました。

それでもまだ技術の未熟さは拭えず、サンマリノGPでは生涯で唯一となる予選落ち、リタイヤはシーズン中8回など安定感を欠き、シーズンランキングでは9位に終わります。

1985年 – 25歳「F1初優勝、そしてシーズンチャンピオンに」

アイルトンセナ 表彰台

ポルトガルGPでF1初優勝

1985年シーズンの第2戦ポルトガルGPで初のポールポジション獲得を果たし、そのまま決勝でもトップを譲らず、F1初優勝を収めます。シーズン前半でめぼしい成績はこのポルトガルGPのみでしたが、後半戦では第10戦のオーストリアGPから5連続で表彰台に登るなど目覚ましい活躍をしました。

結局この年はポールポジション7回、優勝2回を記録し、シーズンランキング4位となりました。

1986年はポールポジション8回、優勝2回に終わり、前年同様シーズンランキング4位で終わります。1987年は16戦中11回の入賞と2回の優勝でシーズンランキング3位に終わりますが、チャンピオンには届きませんでした。

初のワールドチャンピオン獲得

この年は宿敵プロストとの対決となります。プロストは今までに2度のワールドチャンピオンを記録している強豪で、後年もセナとの熱い争いを演じます。1988年シーズンのセナは16戦中8回の優勝、13回のポールポジションと当時のF1記録を更新する活躍を見せ、見事初のワールドチャンピオンに輝きます。

プロストも負けてはおらず、16戦中の10回をこの2人のワンツーフィニッシュで終わっています。特にサンマリノGP、デトロイトGPでは2人のぶっちぎりレースで、3位以下は全て周回遅れに終わっているのです。

1989年 – 29歳「プロストに王座を明け渡してからのチャンピオンへの返り咲き」

アイルトンセナとプロスト

プロストにチャンピオンを奪取される

1989年は前年度のチャンピオンの称号であるカーナンバー1をつけてレースに臨むことになります。ポールポジションの獲得は好調でシーズン中13回を記録し、通算のポールポジション獲得数で歴代トップへと躍り出ますが、決勝はあまりうまくいかず、シーズンポイントとしてはプロストの後塵を拝します。

その後もセナとプロストの争いは激しさを増しますが、安定感でプロストが勝り、このシーズンのチャンピオンはプロストに明け渡してしまうこととなりました。

再びチャンピオンへ

1990年シーズンの幕開けはアメリカGPでしたが、予選でのトラブルにより出遅れたにも関わらず優勝を果たし、幸先の良いスタートを切ります。この時のレースはジャンアレジと最後まで競ることとなり、歴史に残る名勝負として有名になりました。

この年のセナは優勝回数もさることながら、そのほかのレースでも安定して入賞を稼ぎ続けました。その結果、3年連続でプロストとの一騎打ちとなりましたが、2度目のワールドチャンピオンを獲得することとなったのです。

1991年 – 31歳「3度目のチャンピオン、モナコGP5連勝」

モナコGP

1990年シーズンに続き、3度目のワールドチャンピオンへ

このシーズンは開幕4連勝を飾り、最高の滑り出しでスタートします。その後も大きな崩れもなく、7勝を上げ、一度もランクトップを譲ることなくシーズンを終えることとなりました。文句なしの3度目のワールドチャンピオンです。

モナコGP5連勝

1992年シーズンはライバルであるマンセルが開幕から5連勝するなど好調な滑り出しを見せる中、セナは第6戦のモナコGPでこの大会での4連勝目を上げます。この結果により、マンセルの今シーズンの開幕からの連勝記録もストップさせることとなります。しかし、この年のシーズンランキングは4位に終わってしまいます。

1993年はチームとの折り合いが合わず、レースに出るのか出ないのかでもめた時期もありましたが、最終的には全試合に参加することとなります。モナコGPでは大会5連勝目を上げ、歴代トップの記録を打ち立てますが、シーズン全体としての結果は芳しくなく、プロストにチャンピオンを譲ってしまうのでした。

1994年 – 34歳「レース中の事故で急逝」

事故の惨状

サンマリノGPにて壁に激突し帰らぬ人に

このシーズンは開幕の2戦までの結果が思うようにいかなかったため、第3戦のサンマリノGPから気持ちを入れ替えてレースに臨もうと意気込んでいました。しかし、予選では自分のチームメイトとライバルの1人が事故で命を落とし、良からぬ雰囲気が漂います。

そして、サンマリノGP決勝、7週目に差し掛かり、首位を走っていたセナは時速300kmのスピードでカーブを曲がります。その直後、舗装の継ぎ目でバランスを崩し、そのまま壁に激突してしまうのです。

意識不明のまま、すぐにヘリコプターで病院へと搬送されますが、4時間後に脳死状態に陥り、その数十分後に息を引き取ってしまうのでした。

アイルトンセナの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

完全保存版 アイルトン・セナ

アイルトンセナの没後20年に刊行されたセナのレースの軌跡を150点近くの写真とともに紹介しています。レースの様子を記したものが多いのですが、片山右京や中嶋悟など近しい人たちの証言を元にセナの人間的側面にも迫っています。

アイルトン・セナ 確信犯

F1報道の第一人者がアイルトンセナとの親交を深め、その過程で気づいた彼の人間的魅力、価値観、レースへの執念などを文章に表しつつ、プロストとのライバル関係にも迫っている本です。1990年の日本GPにおけるプロストへの接触についての裏側を詳しくしたためています。

おすすめの動画

1994年サンマリノGP アイルトン・セナ クラッシュ 1

1994年、アイルトン・セナが大事故にて亡くなった際の映像です。事故が起こる直前まで快走を続けているだけに、クラッシュが起こった際の衝撃は計り知れません。20年以上経った今でもショッキングな映像です。

1992モナコGP ラスト 5周 セナVSマンセル 史上最高のバトル

アイルトンセナがモナコGPで5連勝を果たした時の映像です。セナとマンセルの2台が接近し、しのぎを削る様子はとても興奮します。現在のF1の方がスピードは速いのですが、この頃のF1は命を賭けた勝負という感じがします。

おすすめの映画

アイルトン・セナ〜音速の彼方へ

アイルトンセナの生涯を描いた作品です。華々しいレース人生、ライバルであるプロストとのせめぎ合い、大事故での急逝などを当時の映像などを元に再現しています。表に見える輝かしい側面と裏での確執などを忠実に盛り込んだ映画となっています。

ヘルメット・関連グッズ

アイルトン セナ AYRTON SENNA 1990年 仕様 レプリカヘルメット

アイルトンセナが1990年に2度目のワールドチャンピオンに輝いた時のモデルです。この年は開幕戦のアメリカGPでF1の歴史に残る名バトルと言われるジャンアレジとの一騎打ちがあった年です。プロストとのチャンピオン争いも熾烈な年でした。

[ A.SENNA ] アイルトン・セナ オフィシャルコレクション ヘルメットカラーデザイン レーシング CAP

アイルトンセナのヘルメットカラーを起用したキャップです。ネイビーをベースとして、セナの母国であるブラジルを象徴する緑と黄色をあしらっています。ヘルメットは値が張るので、手が出せないという方にはこちらの商品をおすすめします。

アイルトンセナについてのまとめ

アイルトンセナは1983年に23歳でF3デビュー、翌年にF1デビューを果たし、記憶に残るレースを走り抜け、後年にも残る輝かしい記録を残した名レーサーです。1994年に起きたカーレースの事故により34歳という若さでこの世を去ってしまったのは残念ですが、彼の生き様は多くのファンの心に残っていることでしょう。

今回の記事でアイルトンセナに興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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