美空ひばりとはどんな人?生涯・年表を紹介【息子や死因、おすすめアルバムも】

美空ひばりは「昭和の歌姫」と呼ばれた歌謡界の大スターです。わずか10歳の頃から芸能界で活動し、弱冠12歳にして国民的歌手としての階段を駆け上がります。楽曲を発表するたびにヒットを飛ばし、映画の世界に飛び込んでは銀幕のスターとしても認められるのでした。

晩年には病魔との長い戦いが待っていますが、1988年4月に開かれた「不死鳥コンサート」はいまだに多くの国民の脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。最後に発表された名曲「川の流れのように」は現在も愛され続けています。

美空ひばり

美空ひばりの亡き後も多くの歌手やアーティストが出てきていますが、彼女ほどのインパクトを受ける人物はほとんど見当たりません。なぜ美空ひばりはここまで国民に愛されたのでしょうか。もちろん彼女自身の魅力や歌の良さが人を惹きつけているのは間違いがありませんが、要因はそれだけではないでしょう。

Youtubeでたまたま「不死鳥コンサート」の映像を見つけ、その歌声に聴き入ってしまい、その後美空ひばりに関する文献を漁って得た情報をもとに彼女の生涯、伝説などをご紹介していきたいと思います。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

美空ひばりとはどんな人物か

名前加藤和枝
誕生日1937年5月29日
没日1989年6月24日
生地神奈川県横浜市磯子区滝頭
没日東京都文京区
順天堂大学医学部附属順天堂医院
配偶者小林旭(1962−1964)
埋葬場所神奈川県横浜市港南区
横浜市営日野公園墓地

美空ひばりの生涯をハイライト

美空ひばり

美空ひばりは魚屋を営む、加藤家の長女として神奈川県横浜市に生まれました。両親が音楽に精通していたため、幼少期から歌と触れ合う機会は多かったです。母の創設した「青空楽団」で舞台デビューを果たし、大御所に気に入られながら芸能界を渡り歩くようになります。

12歳の頃には笠置シヅ子の「東京ブギウギ」の真似で一世を風靡すると、そのままスター街道をひた走るようになりました。映画「リンゴ園の少女」の主題歌である「リンゴ追分」が大ヒットしたことを皮切りに音楽の世界で名を馳せるようになります。

その後、1960年には「哀愁波止場」で日本レコード大賞を受賞し、「歌謡界の女王」の名をつけられることに。紅白歌合戦でも主役級の活躍を成し遂げ、1963年からは10年連続で紅白のトリを務め、1970年には司会と大トリの両方を兼任するほどの大役を引き受けることとなります。

晩年には肝臓の病気、肺の病気のとの戦いを余儀無くされていましたが、伝説の「不死鳥コンサート」をはじめとする多くのステージに立ち、その存在感をアピールしました。1989年の6月に間質性肺炎によりこの世から去ることになりますが、後世にわたって愛される楽曲を数多く残した伝説の歌手として語り継がれています。

貧しいながらも音楽に恵まれた生い立ち

1930年代の横浜

美空ひばりは横浜・磯子の漁師の家に生まれました。決して裕福とはいえない少女時代でしたが、父はギターを弾けるうえアマチュアのダンスバンドのリーダーも務める音楽の才能がある人でした。小さなころから近所で歌の上手い少女として評判で、戦時中も街のイベントなどで歌を披露していました。

1946年、ひばりは「美空和枝」という名前で9歳にして歌手デビューします。しかし翌年、四国をめぐるコンサートツアー中に大事故に遭い、瀕死の重傷を負いました。奇跡的に命を取り留めた彼女は、入院していた病院近くの神社に立つ大きな杉の木に「私は絶対に日本一の歌手になる」と誓ったといいます。

息子・加藤和也は「ひばりプロダクション」の社長

美空ひばりの息子・加藤和也

美空ひばりの家族構成は以下の通りです。

  • 父:加藤増吉 魚屋を経営
  • 母:加藤貴美枝
  • 妹:加藤(佐藤)勢津子 ひばりの死後に歌手デビュー
  • 弟:加藤哲也(かとう哲也) 歌手、俳優、「ひばりプロダクション」の元社長
  • 弟:加藤武彦(香山武彦) 俳優、引退後は飲食店経営

そして、養子の加藤和也がいます。加藤和也は美空ひばりの弟である加藤哲也の息子で、和也が7歳の時にひばりと養子縁組をしました。現在は「ひばりプロダクション」の社長をしています。

今なお歌い継がれる名曲の数々

美空ひばり ベストアルバム

美空ひばりの名曲は数多く、選ぶことはできませんが、「愛燦燦」や「川の流れのように」が現代でも馴染みが深いのではないでしょうか。

「愛燦燦」は1986年に小椋佳とのコラボレーションで作られた作品で、今日でもテレビやラジオで取り上げられることが多いです。石川さゆり、五木ひろし、和田アキ子、ATSUSHIなど数々のアーティストにカバーされています。

「川の流れのように」はひばりの遺作となった曲で、こちらも多くのアーティストにカバーされました。ひばりの死後も売上枚数は増加し続け、現在では最も売れたCD・レコード(205万枚)として記録されています。カラオケのランキングも上位であることから、その人気の高さが伺えます。

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