美空ひばりとはどんな人?生涯・年表を紹介【息子や死因、おすすめアルバムも】

1973年 – 36歳「世間からのバッシングと肉親の死」

ひばりと交流のあった田岡一雄(中央)

暴力団員であった弟の不祥事

1973年に暴力団員である弟がマスコミに取り沙汰され、ひばりと田岡をはじめとする山口組のコネクションも世間から問題視されるようになります。この事件により、コンサートの開催を拒否されるなど、ひばりにとっては辛酸を舐めるような期間が続きました。

10年連続でトリを務めていた紅白歌合戦への出場もままならず、ひばりの紅白出場は1972年が最後となります。

親しい人の死が相次ぐ

このスキャンダル以降は、時代をときめくミュージシャンとのコラボに力を注ぐようになります。イルカとの「夢ひとり」、小椋佳との「愛燦燦」などが代表的な作品です。

1980年代前半には親しい人が相次いで亡くなり、非常に寂しい思いをすることになりました。1981年には母・貴美枝と田岡一雄、1982年には「三人娘」で親しくしていた江利チエミ、1983年と1986年には2人の弟も立て続けに失ってしまいます。

1985年 – 48歳「肝臓の病と戦いつつ、伝説の不死鳥コンサート開催」

美空ひばり 不死鳥コンサート

慢性肝炎と大腿骨頭壊死症の診断

1987年のコンサートの際に体調不良を訴え、病院で検査した結果、慢性肝炎と両側の大腿骨頭壊死症との診断を受けます。3ヶ月に渡って病床に伏すことになりましたが、8月には退院し、2ヶ月の休養後、「みだれ髪」のレコーディングを行います。

肝臓の病気に関しては当初、「慢性肝炎」とマスコミには伝えていましたが、実際には「肝硬変」であり、病状はかなり進んでいたそうです。

東京ドームにて「不死鳥コンサート」開催

1988年4月11日、のちに語り継がれる伝説の「不死鳥コンサート」を東京ドームで開催します。この頃までに肝臓の病気は進行しており、体調もあまりよくなかったのですが、ステージ上では全39曲を歌い上げます。

このコンサート開催時には、控え室に医師もスタンバイしており、歌い終えた後は大事を取って救急車で病院へと運ばれました。「不死鳥コンサート」をやり遂げると、その後、ひばりの体調は徐々に悪化の一途を辿っていくのでした。

1989年 – 52歳「間質性肺炎で死去」

遺作『川の流れのように』

「川の流れのように」発表

1988年10月にアルバムを発表し、その記者会見にて「『川の流れのように』という曲、1曲を聞いていただければこのアルバムについてはわかります」と説明します。この年の暮れには3日間組まれたショーをテレビ収録し、最後まで歌い切りました。これが生涯最後のワンマンショーとなります。

1989年1月には「川の流れのように」がシングルカットして発売されました。2月には九州にて最後の公演を行いますが、病気がギリギリの状態まで進行しており、いつ倒れてもおかしくないような状況の中でのステージだったのです。

間質性肺炎にて帰らぬ人に

九州での公演後、病院への入院退院を繰り返しますが、3月の終わりに「特発性過眠症間質性肺炎」の診断にて長期入院を余儀なくされます。4月には横浜アリーナでのコンサートが予定されていましたが、開催は絶望的となりました。

その後、6月13日に呼吸困難を起こし、人工呼吸器を装着されます。この前までは自分で話すこともできており、マスメディアに肉声テープを送るなどしていました。しかし6月24日、治療の甲斐もむなしく、間質性肺炎の悪化により息を引き取ってしまうのです。

美空ひばりの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

美空ひばり不死鳥伝説

「週刊文春」の記者として活躍した大下英治が書いた美空ひばりの長編評伝です。「青空楽団」が作られた時の話から国民的スターの階段を駆け上り、芸能界での地位を確立していく様を描いています。華やかな功績の裏にある苦悩も記されており、表向きには見られない美空ひばりの一面も垣間見ることができます。

ひばり自伝-わたしと影

美空ひばりの残した自伝です。自分の幼少期から国民的歌手として活躍するまでの軌跡を細かく描写しています。特にお母さんとの絆の深さを彷彿とさせるような表現が多く、二人三脚で努力を重ねてきた様子がよくわかる一冊となっています。

おすすめの動画

美空ひばり 不死鳥 コンサート

美空ひばり伝説のステージである「不死鳥コンサート」を全て公開しています。当時、病魔に犯されながらも一心に歌唱するひばりの姿に感動する方も多かったと思います。30年ほど前の映像ですが、かなり画質が良く見やすい動画となっています。

川の流れのように【美空ひばり】

美空ひばりの生前の最後の映像です。現在も愛されている「川の流れのように」を熱唱する姿には心を打たれます。「昭和の歌姫」の名に恥じぬ、素晴らしい歌唱力であたかも歌詞の情景の中で聞いているかのような感に浸ることができます。

AIでよみがえる 美空ひばり

美空ひばりをAIの技術を用いて復活させた映像です。歌った曲は新曲「あれから」で、秋元康がプロデュース、振り付けは天童よしみが担当しています。過去の音源や映像を元に美空ひばりの特徴を抽出して本物に近づけ、画面上に蘇らせました。

おすすめの映画

ひばり チエミ いづみ 三人よれば

「ジャンケン娘」から始まった三人娘のシリーズです。ジャンケン娘の頃は学生の設定でしたが、社会人になって3人が帰ってきます。3人の恋愛模様をコメディタッチかつミュージカル調に描いた作品となっており、最後まで楽しんで見ることができます。

水戸黄門 天下の副将軍

水戸黄門役の月形龍之介をはじめ、中村錦之助、東千代之介、里見浩太朗、大川橋蔵などそうそうたるメンツを起用した映画です。美空ひばりも要所で登場し、東映映画の黄金世代を象徴するような作品に仕上がっています。

忠臣蔵 櫻花の巻/菊花の巻

こちらの作品も水戸黄門同様、豪華なメンバーを揃えて撮影された映画です。現代のようにCGが使えない時代で、セットを大々的に製作して取られているため、リアルな風景や雰囲気が楽しめます。時代劇を代表する俳優といわれている片岡千恵蔵の演技には目を見張るものがあります。

おすすめアルバム

美空ひばりゴールデンベスト

美空ひばりの歌手生活40年以上の中で、珠玉の作品を選りすぐって編成されています。「川の流れのように」、「悲しい酒」、「悲しき口笛」など各年代でヒットを記録した楽曲を中心に全16曲が収録してあります。

美空ひばりベスト 豪華盤

美空ひばりの1949年〜1963年までのベストアルバム(白盤)と1964年〜1989年までのベストアルバム(紅盤)を合わせた構成となっています。「リンゴ追分」から「哀愁波止場」、「愛燦燦」、「川の流れのように」まで幅広い年代の名曲が収録してあります。

美空ひばりについてのまとめ

美空ひばりは10歳前後から歌と芸能の世界で活躍した昭和を代表する大スターです。「愛燦燦」、「川の流れのように」などの名曲は今の若い世代でも知っている方が多いと思います。1960年前後は映画俳優としても名を馳せ、銀幕のスターの称号もほしいままにしました。

晩年は病魔と闘いながらも力強く歌い続け、多くの人の心にその姿を残して、この世を去りました。

今回の記事で美空ひばりに興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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