「楔形文字ってなに?」
「楔形文字はいつ、どうやって解読されたの?」
「楔形文字の50音や数字はどう表現される?」
皆さんは「楔形(くさび)文字」についてどの程度ご存知でしょうか?楔形文字はメソポタミア文明で使用されていた古代文字で、文字としては人類史上最も古い文字の一つになります。
楔形文字は、その文字の特殊な形状から名付けられています。また一つの言葉を表すのではなく、実際には多くの文字体系があり、シュメール語やアッカド語、ウガリッド語などを表すときに楔形文字が使われていました。
この記事では、そんな楔形文字の概要や特徴、歴史を解説した後、どのようにして解読されたのか、50音や数字の一覧、楔形文字の代表的な資料を合わせてご紹介していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
楔形文字(くさびがたもじ)とは?文字の歴史と秘密に迫る
楔形文字を簡単に解説すると?
楔形文字は紀元前3100年頃からメソポタミア文明で用いられるようになりました。基本的には奴隷や家畜、物品の品数を数えたり、土地面積の計算に使ったりという行政や経済の記録に使用されていました。楔形文字が一般化するにつれ、各地で使われるようになり、中東全域に広がったことで多くの文字体系へと変化していきます。
シュメール人がシュメール語を表記するために使っていた楔形文字は、交易や征服を経て、アッカド人に伝わりアッカド語の表記に使われ、さらにはアッシリア人やウガリット族にも伝わったことで、それぞれの言葉を表記するのに用いられました。
最終的にアレクサンドロス大王による東方遠征の影響でヘレニズム時代ともなると、文字は使用されなくなり、そして長きに渡って忘れ去られることとなりました。
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楔形文字の特徴
楔形文字の一番の特徴はその形状になります。「楔形」と形容されるその形は、葦(アシ)を用いて記されています。
楔形文字の多くは「粘土板」と呼ばれる粘土を薄く伸ばした板に、葦で作った筆のようなものを押し当てることで文字を刻んでいきます。現在では文字を記すものといえば、紙が思い浮かぶと思いますが、どうしてメソポタミアではこの粘土板に刻むようになったのでしょうか。
その理由はメソポタミアの地形にあります。メソポタミアはチグリス川とユーフラテス川の2つの大河に挟まれた地形で栄えました。この地方は大河による水分を豊富に含んだ土壌により、質の良い粘土が多く採取できる土地だったのです。
粘土に文字を記すうえで、細かな絵を書いたり、曲線を描いたりすることは困難でした。そのため、縦・横・斜めに一本の線を刻み形を表す楔形の形状となりました。
楔形文字の歴史
楔形文字は紀元前3200年頃、シュメール人がシュメール語を記録するために発明されました。現在判明している最古の文字は紀元前3200年頃のウルク遺跡で出土した古拙文字で、「ウルク古拙文字」と呼ばれています。
ウルク古拙文字は約1000文字で構成され、形状も楔形ではなく、絵文字で表される象形文字でした。やがてメソポタミア文明全体に広がっていったウルク古拙文字は、紀元前2500年頃には完全な文字体系となり、文字の数も600文字程に整理されていきます。また同じ頃に、1本でさまざまな形を記すことのできる葦の筆が考案されたことで、象形文字から楔形文字へ形状を変えるようになりました。
紀元前2000年頃を境にシュメール人が消え、代わりにアッカド人やアモリ人が台頭するようになりました。しばらくの間シュメール語は残ったものの、アッカド語の普及により、楔形文字はアッカド語を表記する文字として徐々に姿を変えていきました。
年代を経るごとに楔形文字はより単純化・簡略化していき、最終的に紀元直後まで楔形文字は使用され、文字数も大きく減少しました。そしてメソポタミア地方のみならずアナトリアやシリア地方、など各地に波及し多くの言語を表す上で使用されるようになりました。
楔形文字はどうやって解読された?発見~解読に至るまで
楔形文字の発見
1621年、アケメネス朝ペルシャのペルセポリス遺跡からベヒストゥン碑文が出土し、初めて楔形文字が確認されました。このベヒストゥン碑文は古代ペルシア語(古代ペルシア楔形文字)、アッカド語(アッカド語楔形文字)、エラム語(エラム楔形文字)の3種類の言語で記された同一のテキストでした。いわゆるヒエログリフ解読に大きく影響を与えたロゼッタ・ストーンに近いものです。
その後も多くの関連する遺跡で楔形文字が記された粘土板が発掘されていましたが、その後200年程、解読の手立てがなく未解読のままでした。しかし19世紀に入ってから、楔形文字解読に大きく貢献する2人の立役者が現れます。
楔形文字の解読
2人の立役者とはドイツの言語学者ゲオルク・フリードリヒ・グローテフェント(1775ー1853)とイギリスの軍人ヘンリー・クレズウィック・ローリンソン(1810ー1895)です。グローテフェントが楔形文字の序文や解読を発表したのち、ローリンソンもまた独自に調査・研究を行い、文字の解読に成功しました。
グローテフェントはカールステン・ニーブールという探検家がベルセポリス遺跡を探検した際にベヒストゥン碑文を模写したものを元に楔形文字の解読に挑みました。1802年に解読に成功し、大学に論文を提出しましたが、大学側はそれを拒否しました。その後友人の著作の中に論文を収録してもらったものの、受け入れられることはありませんでした。
1820年頃より徐々にグローテフェントの読みが正しいことが判明し、成果を認められるようになります。そんなグローテフェントの業績を知らず、1835年にローリンソンもほぼ同じ工程を辿って、解読に成功しました。
ローリンソンはベヒストゥン碑文の解読に成功した後、次なる楔形文字の解読に移ります。次に彼が着目したのは、1842年都市ニネヴェで発見されたアッシュールバニパル王家の遺跡でした。特に文書庫および図書庫には大量の楔形文字で記された粘土板が見つかっており、200点以上もの楔形文字が記された粘土板の解読に貢献しました。
楔形文字の読み方から文字一覧まで解説
50音
楔形文字はその年代において、多様に変化しています。ここでは紀元前1000年頃に使われていた新アッシリア文字と紀元前1500年頃に使われていたウガリット文字の2種類の50音一覧表を掲載します。
年代の経過や用いられた地方によって、独自の進化を遂げています。地域ごとに見比べてみるのも面白そうですね。
数字
古代メソポタミアにおいて、数字は重要な意味を持っていました。特に紀元前1900年頃から紀元前1600年頃にかけて数字をより発展させたバビロニア数学が成立します。
バビロニア数学は六十進法による記数法を作り、これにより算術や代数学、幾何学などの「数学」という学問を確立・発展させました。六十進法を用いて星の観測をすることにより、天文学の分野も発展したとされています。
バビロニア数学において六十進法が用いられていたため、楔形文字も1~60まで表記の仕方がありました。後にバビロニア数学はギリシア数学やアラビア数学にも影響を与えたとされています。
楔形文字が用いられた代表的な文字資料
ギルガメッシュ叙事詩
ギルガメッシュ叙事詩は古代オリエントにおける最大の文学作品です。この作品が成立した年代は判明しておらず、紀元前3000年程まで遡る可能性も出ています。また現在残っている粘土板はオリジナルではなく、紀元前2000年頃に複製された写本です。
ギルガメッシュ叙事詩は12の粘土板から成り立ち、主人公ギルガメッシュと友人エンキドゥの成長や友情の大切さなどが記されています。簡単にあらすじをご紹介していきます。
ウルクの王であるギルガメッシュは強い英雄ではあったものの、同時に暴君としても知られていました。市民たちはその横暴ぶりを嘆き、それを知った天神アヌは女神アルルにギルガメッシュの競争相手を造るように命じます。アルルは粘土からエンキドゥを造り、ウルクから離れた荒野に置きました。
エンキドゥは与えられた使命に気づくことなく野人として荒野で暮らしていましたが、ある時ギルガメッシュの噂を聞きつけ、仲間が欲しいと思ったエンキドゥはウルクに向かいます。その時ギルガメッシュはでエンキドゥという男と友達になることを夢の中で知っていました。
2人は直接会う前から、お互いの存在を認知していましたが、ギルガメッシュが他人の花嫁を奪うという暴君ぶりをを知ったエンキドゥは憤慨し、出会って早々大乱闘を繰り広げます。しかし決着はつかず、2人は互いの力を認め合い親友となりました。
彼らは常に行動を共にし、数々の冒険を通して成長していきます。かつて暴君として知られたギルガメッシュも、野人として恐れられていたエンキドゥもおらず、立派なウルクの英雄の姿がそこにはありました。しかし冒険の最中、不幸にも神々の怒りを買ってしまったエンキドゥはギルガメッシュが見守る中、息を引き取ります。ギルガメッシュは悲しみにくれながらも、永遠の命を求め旅に出ますが、結局望みは叶わず失意のままウルクへ帰還しました。
ギルガメッシュ叙事詩には旧約聖書の洪水伝説に似た物語が記されており、この話が伝わって旧約聖書の「ノアの箱舟」へ変化したのか、それともたまたま似通ったのか、謎を深めています。
シュメール王朝表
シュメール王朝表とは、古代メソポタミアにおいて、シュメール人及び他の民族の王朝の王を列挙したテキストです。この王朝表には神から王権を授けられた者のみが記載されており、現在判明している最古の王はキシュ王エンメバラゲシになります。
彼の名はギルガメッシュ叙事詩にも登場しています。このことからギルガメッシュも実在していたのではないかと考えられていますが、まだ彼が生きていた痕跡を見つけることはできていません。
ハンムラビ法典
ハンムラビ法典は紀元前1750年頃、バビロニア帝国のハンムラビ王によって編纂されました。国民が守るべき規則と法を破った者に対しての罰則を定めたことで、国の社会性の構築だけでなく、将来の王たちへ公平さを伝える手本書としての役割を果たしました。
ハンムラビ法典には「同害復讐」と「身分区別」が明確に規定されていました。いくつか弱者救済の視点で作られた条項はあったものの、身分制度について厳しく定められていたため、下の身分の者が上の身分の者に逆らった場合、厳しい罰が待っていました。
ハンムラビ法典の「目には目を歯には歯を」とは?内容や特徴、意味を簡単に解説
楔形文字に関するまとめ
楔形文字について解説してきました。いかがでしたでしょうか。
楔形文字は最古の文字の一つではありますが、約3000年に渡って使われ続けた、非常に歴史のある文字です。この文字が解読できたのは一重に、楔形文字が長きに渡って使用されたことで、多くの楔形文字が記された出土品があったからに他なりません。
楔形文字はゲームやアニメの影響もあってか、広く知られている文字でもあります。50音表や数字の一覧表を用いて、実際に文字を書いてみるのも面白いかもしれませんね。
長い記事となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。