インカ帝国とはどんな国?成立から滅亡理由、皇帝、ミイラとの関係も紹介

インカ帝国の主な皇帝(王)を紹介

初代王:マンコ・カパック

初代王マンコ・カパック
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1200年くらいに在位したとされるインカ神話のクスコの初代国王です。およそ40年間即位し、法の規定を整備し人身御供を廃止したと伝わっています。彼の名はペルーにある国際空港「インカ・マンコ・カパック国際空港」の名前の元となっています。この時代はまだインカは連邦ではなかったために、称号は「王」です。

第9代皇帝:パチャクテク

パチャクテク
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インカ帝国の前身クスコ王国を、4つ邦に再編した皇帝です。パチャクテクはクスコ王国を最終的に帝国まで発展させ、南米の文明的な地域をほぼ統治することとなりました。

彼が創設した制度により4つの邦に地方官を置き、クスコも邦を治めやすいように再設計しなおしています。8代目までの王は伝説上の人物であり、実在した皇帝はパチャクテクが最初といわれています。

第10代皇帝:トゥパック・インカ・ユパンシ

トゥパック・インカ・ユパンシ
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第10代インカ帝国皇帝です。1463年にインカ軍隊の最高司令官に任命され、勢力を現エクアドルまで伸ばし、キトの町を再建し非常にその地に愛着を持っていたといいます。1493年に死去するまでの30年間を統治しました。

第11代皇帝:ワイナ・カパック

ワイナ・カパック
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第11代インカ帝国皇帝で、インカ帝国の勢力を現在のチリ・アルゼンチンにまで広げています。彼の時代がもっともインカ帝国の最盛期だったといわれています。

在位中ワイナ・カパックはクスコとは別に北方のキトに要塞都市を建設することを望んでいましたが、志半ばで天然痘かマラリアと推定される病気にかかり死去しています。

第12代皇帝:ワスカル

ワスカル
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第12代皇帝で父ワイナ・カパックが、キトで病没したために即位しました。父帝ワイナ・カパックが母の出身地キトを第二の首都的な位置づけにしており、首都クスコをワスカルが統治し、キトは異母弟をアタワルパに統治させていたのではないかと考えられています。

そしてワイナ・カパックが急死したために後継者を指名しておらず、ワスカルとアタワルパの間で継承戦争が起こっています。しかしワスカルは敗北し、最終的に側近に暗殺されました。

第13代皇帝:アタワルパ

アタワルパ
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第13代皇帝で兄ワスカルとの内戦で勝利し即位しますが、クスコに南下途中でスペイン征服者ピサロに会い、スペインの駐留を拒否したために捕らえられてしまいます。その時王は身代金として金銀を払ったにもかかわらず処刑されてしまいました。皇帝の位は別の弟に引き継がれたものの、実質の権威と権力を有した皇帝はアタワルパが最後です。

インカ帝国滅亡後の影響

インカ帝国滅亡の象徴、皇帝の死を描いた画
出典:Wikipedia

16世紀初頭まで栄えたインカ帝国は、スペイン人の支配により瞬く間に滅ぼされてしまいました。インカ帝国が滅亡した後、インカ帝国の民はどうなったのか?現在までのインカ帝国の滅亡後の影響を紹介します。

先住民は過酷な労働を強いられた

スペイン人が金銀を採掘させるための町ポトシの風景
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インカ帝国がスペインに征服された後、スペインの統治者はインカ帝国の住民に対して厳しい政治を取っていました。インカ帝国の伝統を抑圧し、インカ文化を徹底的に破壊しています。街は略奪され、金でできた数々の工芸品は溶かして延べ棒にされました。またスペイン人は帝国の労役を利用し各家族から1人を重用し金銀山で働かせたといいます。

インカ・ナショナリズムという思想が芽生えた

インカ皇統記はインカ帝国を知る上での貴重な資料となっている
出典:JapaneseClass.jp

インカ帝国滅亡後、15世紀にインカ皇族とスペイン人の混血であるインカ・ガルティラーソ・デ・ラ・ベーガという人物が「インカ皇統記」を執筆。この中で理想化されたインカのイメージが、18世紀の「インカナショナリズム」と呼ばれる運動の原動力となりました。

そして植民地支配から独立した現在も、南アメリカ諸国ではすでに滅びたインカ帝国は理想化されており、国民的なアイデンティティとして根付いているのです。

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