与謝野晶子とはどんな人?生涯・年表まとめ【性格や作品、名言、エピソード、死因についても紹介】

1904年 – 26歳「『君死にたまふことなかれ』発表」

「君死にたまふことなかれ」

与謝野鉄幹との結婚

「明星」の創立者である与謝野鉄幹と1901年に結婚することとなります。鉄幹は妻子ある身でしたが、歌会などで親密になっていった晶子との関係をぬぐいきれずに前の妻・林滝野と離婚、そのまま晶子と結婚するのです。

ちなみに鉄幹は徳山女学校で教師をしていた際に、生徒である浅田信子と男女の関係に発展し、結婚します。しかし、浅田信子は早くに亡くなったため、林滝野と再婚することとなるのです。林滝野も女学校の生徒で、鉄幹との間には与謝野萃という子供をもうけました。

「君死にたまふことなかれ」発表

「君死にたまふことなかれ」は1904年日露戦争の始まりを機に発表された歌です。「ああ、おとうとよ、君を泣く」から始まる歌は小中学校で習った方も多いのではないでしょうか。

大事に育てられた弟が戦争に駆り出されることを嘆いたこの歌は当時の日本では教育勅語や宣戦詔勅に反するとして各界からバッシングを受けましたが、晶子は当然のことを述べたまでとして譲りませんでした。

現在では、当時の日本や世界の情勢と庶民の気持ちのすれ違いを表す名作として語り継がれています。

1911年 – 33歳「社会への批判、女性の社会進出の推進を行う」

青鞜

「青鞜」の発刊に携わり、「そぞろごと」で巻頭を飾る

1911年、平塚らいてうを中心とした女性による月刊誌「青鞜」の発刊に晶子も参加し、「そぞろごと」という作品で巻頭を飾ります。そしてこの年、文部省や内務省が文芸作品の諮問機関として文芸委員会を設立し、多くの作家の反感を買うこととなりました。

与謝野晶子は「大臣というものは文学を知らない」と述べ、夏目漱石は「政府は自分達に都合の良い作品しか評価しない」と語っています。これを機に晶子は政府への不信感を募らせ、国会議員に対する批判を行うとともに女性の社会進出を促進するための活動に精を出していくようになります。

婦人参政権獲得期成同盟会の創立に関わる

この頃の日本では社会における女性の活躍を望む活動家がおく、与謝野晶子、平塚らいてうを代表として数多くの女性が声をあげていました。晶子はその中でも婦人参政権に尽力し、1924年には婦人参政権獲得期成同盟会の創立者の1人として名を連ねます。

晶子の政府に対する不満は加速しており、1915年には「駄獣の群」という作品で国政に関する不信感を歌い、1930年には「婦選の歌」を山田耕筰とともに製作し、婦人参政権を訴えています。

1921年 – 43歳「男女共学の学校『文化学院』設立」

文化学院

建築家や画家らとともに「文化学院」の設立

1921年、女性の社会進出を訴える晶子は男女平等教育を唱え、日本初となる男女共学校「文化学院」を御茶ノ水に創設します。ともに創立に携わった建築家の西村伊作や画家の石井柏亭らとともに、自由主義を基礎として芸術による人格の形成を目指す教育を理念に掲げました。

講師には小説家の有馬武郎や作曲家の山田耕筰などを招聘し、数多くの生徒を輩出しました。文化学院は2018年に閉校となり、97年の歴史に幕を閉じています。

夫・与謝野鉄幹の死去

1935年急性肺炎により鉄幹が亡くなります。

読売新聞で鉄幹の歌を読んで以来憧れの感情を寄せ、結婚してからはともに「明星」の刊行を支えてきた晶子は悲嘆にくれました。2人は生涯で12人もの子供に恵まれ、鉄幹自身も文壇で活躍し、晩年は晶子とともに社会運動をしてきましたが、62年という生涯に幕を閉じたのでした。

1942年 – 63歳「与謝野晶子の死去・死因は尿毒症」

死後に切手になっている与謝野晶子

63歳で帰らぬ人に・死因は尿毒症

鉄幹の亡くなる前年の1934年に狭心症の発作を起こすなど、体調があまり優れていなかった晶子でしたが、それでも歌や文芸作品の製作には精力的に取り組んでいきます。しかし1940年、脳溢血により倒れ、一命はとりとめたものの右半身不随という後遺症が残ってしまいました。

その後は自由に動くこともままならないため、重要な会合などにしか参加できなくなっていきます。そして1942年に体調が悪化し、5月の初めには尿毒症を発症します。そこから病状は悪化の一途を辿り、5月29日に帰らぬ人となったのでした。

与謝野晶子の関連作品

おすすめ代表作

みだれ髪

当時タブーとされていた女性の秘めた部分を赤裸々に表現した歌が399首、収められている一冊です。周囲の有識者からは反感を買いますが、若者たちからは絶大な支持を受けます。話題を呼んだ本作品を現代語訳し、評伝も記載されています。

私の生い立ち

与謝野晶子の自伝です。自身が誕生した老舗和菓子屋の話から、家族、街の風景に至るまで事細かく描写されています。挿絵には竹久夢二の絵が使用されており、要所の情景が思い浮かぶような構成となっています。与謝野晶子について詳しく知りたい方にはおすすめの一冊です。

源氏物語

与謝野晶子が訳した「源氏物語」です。与謝野晶子自身がファンである「源氏物語」を自ら研究し尽くして、当時の言葉に書き換えたものをさらに現代の言葉に修正しています。晶子が生涯をかけて読み解いた「源氏物語」をわかりやすく編集しており、知識がなくてもすらすら読める本です。

おすすめの歌集、評論集

与謝野晶子歌集

与謝野晶子の和歌を約3000首収録しています。明治・大正を生きた女性の生き様、社会への批判、風景への感動など与謝野晶子が見たこと感じたことを和歌から読み取ることができます。彼女が生涯に詠んだ歌を一つ残らず味わいたいという方にはおすすめの一冊です。

与謝野晶子評論集

与謝野晶子は社会活動家としても活躍し、婦人問題を中心として政治や教育問題にまで論評を行っています。歌人としての観察力や洞察力を存分に発揮し、時の政府に対して鋭い意見を述べています。「君死にたまふことなかれ」も収録されているのでぜひ読んでみてください。

その他おすすめ書籍・本・漫画

小学館版 学習まんが人物館 与謝野晶子

歴史上の有名な政治家や武将、科学者を取り扱った伝記漫画シリーズです。与謝野晶子の生涯をイラストを用いて描いているため、理解しやすく、すらすらと読みことができます。小学生から大人まで全ての人におすすめできる一冊です。

与謝野晶子

与謝野晶子は短歌を読んだ人として広く知られていますが、それだけではなく社会評論を行ったり、「母性保護論争」を繰り広げたりと様々な業績を持っています。その多岐にわたる活動を含めた晶子の生涯を詳しく描いている一冊です。

おすすめ映画

華の乱

仁義なき戦いシリーズでおなじみの深作欣二監督作品です。与謝野晶子や有島武郎ら、大正時代に活躍した芸術家にスポットライトを当て、当時の社会情勢を描いた内容となっています。キャストには吉永小百合、松田優作、緒形拳などそうそうたるメンバーを揃えており、見ごたえ抜群の映画です。

与謝野晶子についてのまとめ

与謝野晶子は小さい頃から文学少女で「源氏物語」などを読み漁っていましたが、女学校卒業後は和歌の道へと進みます。「君死にたまふことなかれ」など世間の注目を集めるような歌を次々に発表し、自身の知名度を利用して社会活動家としても活躍しました。与謝野晶子のおかげで、女性の地位向上が進み、女性の社会進出も促されたのです。

今回の記事で与謝野晶子に興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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1 COMMENT

そら

与謝野晶子の短歌に対する情熱はすごく大事なものだったことが
分かりました。
京藤さんは、ひとつのことに対して、
深く追求するタイプ?なので、
すごい。

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