1833年 – 28歳「大学を辞め、ヨーロッパを巡る旅に出る」
ヨーロッパ漫遊の旅
大学に入学するも、結局そこに馴染めなかったアンデルセンは大学を自主退学し、ヨーロッパを巡る旅に出ることを決意。ヨハンとの交流によって友人関係になっていたデンマーク国王から遊学助成金を受け取り、ヨーロッパを巡りながら作品の執筆を行いました。
そんな諸国漫遊の旅の中で、アンデルセンは様々な芸術家や文学者と親交を結んだほか、『アグネーテと人魚』という詩も執筆。これは大衆には不評でしたが、詩人たちの間では話題になる一作であり、この頃のアンデルセンは「知る人ぞ知る名作家」と言った形の評判を得ていました。
そして漫遊の旅が終わりに近づいた頃。ローマ滞在中にアンデルセンは『即興詩人』という作品の執筆を開始。そしてこの作品が、アンデルセンの運命を大きく変える一作となるのです。
1835年 – 30歳「『即興詩人』によって一躍話題の作家に」
『即興詩人』
ヨーロッパ漫遊から着想を得た作品『即興詩人』を上梓し、これが大ヒット。ヨーロッパ各国で翻訳と出版が成され、アンデルセンは作家として一躍出世することになりました。
『即興詩人』は日本においては森鴎外によって和訳されて読み継がれています。しかしその一方で、海外では既に忘れ去られかけ、アンデルセンの作品の中ではマイナーな扱いを受けているのが現状のようです。
『童話集』
『即興詩人』の出版と同年に、アンデルセンは『童話集』を出版。正確な発表年は不明ですが、『親指姫』『人魚姫』『裸の王様』などの作品は、この近辺で発表されたものとされています。
現在でこそ「童話作家」というイメージの強いアンデルセンですので、これらの童話も好評を得たように思われますが、実は当時の評価はその真逆。アンデルセンの悲観的で仄暗い作風と、当時は一般的でなかった口語体の文章、何より分かりやすい教訓のない物語はあまり評価されなかったらしく、アンデルセンの最初の『童話集』は、発表当初はむしろ評価が低かったようです。
しかし最終的には、その美しい文章や易しい語り口が子供たちに評価され始めたことで、次第に社会的評価は一変。アンデルセンは徐々に、童話作家として頭角を現すことになっていきました。
1843年 – 38歳「パリ訪問」
パリにて有名人たちと交流を持つ
『即興詩人』の発表と、その後の数々の童話の評価の高まりによって、一躍文学界のスター作家にのし上がったアンデルセンは、この年の1月に再びパリを訪問。
バルザック、ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ父子などの名だたる文学者や芸術家と交流を深めることになりました。
この頃のアンデルセンも、未だに友人から「偏屈な難物」と評される偏屈者だったようですが、この頃の成功や友人の増加を境にその傾向は軟化していき、そのような変化は後の作品にも大きく影響を与えています。
ジェニー・リンドへの恋
パリ訪問の最中、アンデルセンはスウェーデンの歌姫、ジェニー・リンドと再会することになります。
アンデルセンは以前のヨーロッパ漫遊でジェニーと知り合っており、彼はもともとジェニーの事を憎からず思っていたようですが、再会から交友を深めることでその感情は恋へ発展。彼はジェニーのデンマーク公演を援助する形で気を引き、それから先述の「死ぬほど重い告白」をやらかしました。
そして案の定、ジェニーからは「NO」の返事を突きつけられ、アンデルセンの恋はあえなく玉砕。しかしジェニーはアンデルセンの事を「親愛なるお兄様」と慕っていたようで、二人の関係性は決して悪いものではなかったようです。
『新童話集』
また、アンデルセンはこの年に『新童話集』を発表。
この中には『みにくいアヒルの子』や『小夜啼鳥(ナイチンゲール)』『マッチ売りの少女』などが収められており、アンデルセンの厭世観に満ちた作風も残ってはいますが、少しずつハッピーエンドを迎える作品が増え始めていることも見て取ることができます。
1850年 – 45歳「名声ではなく、友人たちへの貢献活動が増え始める」
「名声」ではなく「友人への貢献」を求めて
この頃のアンデルセンは、依然として童話作家として活発に活動を続ける反面、自身の名声ではなく友人たちに向けた活動をすることが増え始めます。
特に、自分の得意としていた切り絵を用いた絵本を作ることが多く、それらは友人の子や孫に対して贈られ、その小さな子供たちの目を楽しませていたようです。
また、この頃になってくると作風に見られていた人生への悲観もほとんど見られなくなっており、彼の精神は晩年に至ってようやく大成したと言えそうです。
1875年 – 70歳「肝臓ガンで死去。盛大な葬列で送られる」
肝臓ガンで死去
この年、アンデルセンは肝臓がんによって死去。恋多き生涯を送りながら、結局恋を実らせることはできなかった彼は、初恋の相手からの手紙を握りしめて事切れていたとも伝わっています。
そして、デンマークの誇る大作家となっていたアンデルセンの死は一大ニュースとしてデンマーク中を駆け巡りました。彼の葬儀にはデンマーク王太子や、世代や身分を問わないファンが詰めかけ、凄まじい大騒ぎになったことが記録されています。
多くの挫折と厭世観に苛まれながら作品を書き続けた大作家は、最後の最後に多くの人から惜しまれて死ぬという、幼い頃に望んだ成功の一端を掴んでこの世を去ることになったのです。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
人魚姫
誰もが知っている名作ですが、作者であるアンデルセンの生涯を知ってから読むことで、少し印象が変わる作品です。
子供には美しくも悲しい話として。大人にはアンデルセンという作家が抱いていた厭世観や哲学に思いを馳せながら読んでほしい珠玉の名作の一つだと言えます。
みにくいアヒルの子
『人魚姫』がアンデルセンの厭世観を示す作品なら、こちらはアンデルセンの成長や変化を描いた作品であるとも言えます。
誰もが知っている作品ではありますが、アンデルセンの生涯を知ってから読むとまた印象が違ってくる、伝記のようにも楽しめる作品です。
マッチ売りの少女・雪の女王
ディズニーの大ヒット映画『アナと雪の女王』の原作と、誰もが知る名作『マッチ売りの少女』です。
どちらもアンデルセンらしい悲劇的な世界観の中に、美しさすら感じるエッセンスが多数詰め込まれた、紛れもない名作になっています。
関連外部リンク
- ≫アンデルセン <1> ~デンマークが生んだ詩人・童話作家~
- 「みにくいあひるの子」を生んだアンデルセンの貧困生活【作家貧乏列伝#3】
- 2020年 アンデルセン博物館へ行く前に!見どころをチェック …
- 作家別作品リスト:アンデルセン ハンス・クリスチャン
(作品を無料で読むことができます)
ハンス・クリスチャン・アンデルセンについてのまとめ
苦難と挫折に満ちた生涯の中で、自身の人生哲学を盛り込んだ美しい童話を数多く遺したアンデルセン。彼は若いころ、自身の生涯を「神の手によって書かれた童話」と皮肉交じりに表現していましたが、彼の生涯全てを辿ってみると、彼の生涯は確かに「童話」のようなハッピーエンドを迎えたように思えます。
とはいえ、この記事では網羅しきれていなかった部分も実はチラホラ。アンデルセンの重すぎる恋愛観を示すエピソードだとか、生涯の親友となった人物とのエピソードだとか、泣く泣く切らざるを得なかったエピソードも結構な数存在しています。
皆様の「もっと知りたい!」という声次第ではその部分を掘り下げた記事の執筆も可能ですので、そう感じた方はコメントなどで反応をお願い致します…!
それでは、この記事におつきあいいただき、誠にありがとうございました!
面白く読ませていただきました。是非アンデルセンの詳しいエピソード読んでみたいです!