アメンホテプ4世(イクナートン)とは?主導した宗教・美術改革を徹底解説

「アメンホテプ4世って聞いたことがあるけど、何をした人?」
「アメンホテプ4世はなぜたくさんの改革をしたの?」
「アメンホテプ4世がエジプトに与えた影響は?」

この記事にたどり着いた人はこのようにお考えでしょう。

アメンホテプ4世とは、古代エジプト18代王朝の王で、「アマルナ改革」と呼ばれる政治的・宗教的改革をを行ったことで知られています。エジプトの保守的で伝統的な文化に、急激な変革をもたらしたことから、「異端の王」とも呼ばれました。

では、どうしてアメンホテプ4世は、数々の改革を実行するに至ったのでしょうか。

王の改革の中でも「宗教改革」は一番注目すべきキーワードです。当時のエジプトではアメン=ラー信仰(エジプトの古くから信仰される神のひとつ)が力を増し続け、その神官たちが大きな権力を握るようになりました。そのため宗教改革によって、王に権威を集中させようとアメンホテプ4世は考えついたのです。

この記事ではエジプト史マニアの筆者が、

  • アメンホテプ4世の基本情報
  • アメンホテプ4世の行った改革とその背景
  • アメンホテプ4世の死後のエジプトの動き

などを解説していきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

アメンホテプ4世とはどんな人物か

アメンホテプ4世の胸像

時代と文明

アメンホテプ4世は、古代エジプト18代王朝のファラオ(古代エジプトの君主の称号で、日本語では王の意)です。ファラオとしての在位期間は、紀元前1364年~紀元前1347年ころの20年弱と考えられています。

18代王朝の頃の古代エジプトは、侵略してくる他民族の追い出しに成功し、エジプトの再統一を達成しました。国力は増大し、古代オリエント世界(主に現在の中東地域)での覇権を握るなど、繁栄を極めました。大規模な建造物などがいくつも建設されるなど、エジプトにとって好調な時代でした。

アマルナ文書の発見

アメンホテプ4世時代のエジプトを知る手がかりとなったのが、「アマルナ文書」と呼ばれる、楔形文字で書かれた粘土板文書群です。1887年に、アメンホテプ4世の王政で都となったテル=エル=アマルナで発見されました。現在までに382点の文書が見つかっており、そのほとんどが周辺国との外交書簡(手紙)です。

これらの文書からは、アメンホテプ4世次代のエジプトが周辺国と良好な関係を保ち、比較的平和な時期だったことが読み取れます。ただしこの平和な時間については、アメンホテプ4世がエジプトの内政にかかりっきりになっていて、対外政策を積極的に行わなかった結果だという見方もあります。

関係する人物

アメンホテプ4世の妻・ネフェルティティ

父は先代のファラオであったアメンホテプ3世、母は正妃ティイとと言われています。

アメンホテプ4世の妻はネフェルティティで、クレオパトラと並んで古代エジプトの3大美女とされる女性です。エジプトの紙幣にその肖像が使用されるほど、エジプトでは有名な存在です。

アメンホテプ4世の次にファラオとなったのは、黄金のマスクで有名なツタンカーメンでした。ツタンカーメンは、アメンホテプ4世の娘婿でありながら、正妻ネフェルティティとは別の女性との間に生まれた子供でもあると言われています。

死因

アメンホテプ4世の死因については、未だ詳しいことが解明されていません。

彼本人のミイラと棺はすでに発見されていますが、発見当時すでに棺が破壊されていた影響で、ミイラの保存状態は悪いそうです。そういった事情もあり、具体的な死の原因特定には至っていないと考えられます。

アメンホテプ4世が行った改革の内容

アマルナのあった場所に残る王宮の遺構

テル=エル=アマルナへの遷都

権力を持ったテーベ(遷都前の都)の神官たちの力を遠ざける目的で、アメンホテプ4世は、都をテル=エル=アマルナに移動しました。脅威となるものから物理的に距離をとって、自分の王政を確固たるものにする作戦です。(古代エジプトで神官が力を持った経緯については、「アメンホテプ4世はなぜ宗教改革を行ったのか」の章で後述します。)

テル=エル=アマルナは、テーベとメンフィスのほぼ中間地点に位置します。アメンホテプ4世はこの場所を新天地に選ぶとすぐさま、新たな神、アトン神の神殿や王宮などを造らせ、そこに移りました。この時テーベにあったアメンの神殿を破壊し、神官たちの職は廃止するなどして、神官たちの逆襲にも備えました。

新たな美術様式「アマルナ美術」を生み出す

ツタンカーメンの黄金のマスク

アマルナ美術とは、写実的で叙情的なエジプト美術の新様式のことをいいます。アマルナ美術の前後は、エジプトは伝統的な美術様式を守り続けたので、歴史の中でも例外的な期間となりました。

新しい美術様式が生み出されたきっかけは、アメンホテプ4世による宗教改革です。信仰対象の変化は、美術のテーマや表現方法に大きな影響を与えました。

アマルナ美術の代表作品には、「ネフェルティティの胸像」や「ツタンカーメンの黄金のマスク」などがあり、現在でも美術館で鑑賞することができます。アマルナ美術は限られた期間に生み出されましたが、その中でも古代エジプトの傑作を生み出していて、エジプト美術にとって貴重な時間だったと言えるでしょう。

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