「最後の晩餐」とは?天才レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作を徹底解説

「最後の晩餐」にまつわるエピソード

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本当は「最後の晩餐」は最後ではない?

実は、正教会では「最後の晩餐」の場面は「最後」という呼ばれ方をしていません。「機密制定の晩餐」という名前で呼ばれているのです。

なぜ最後ではないかというと、イエスの処刑後、彼は復活し再び弟子たちと食事を行なっていたからです。確かに復活後だからとはいえ、何度も弟子と食事を行なっていたら、処刑前日の晩餐会を「最後」とは言えないですよね。

実際に描いた部分はほとんど剥がれてしまった

「最後の晩餐」はテンペラという塗料を用いて描かれたのですが、テンペラは温度や湿度の変化に弱く、すぐに侵食や損傷を受けることになってしまいます。

そのため完成から20年経つ頃には、ダヴィンチが実際に描いた部分はほとんど残らない状態となってしまいました。現在は修復作業によって完成当時に近い状態が再現されています。

「最後の晩餐」の様子を描いた作品は他にもある

「最後の晩餐」の様子を描いた作品は、ダヴィンチのものだけではありません。その他にも何人もの画家の手によって描かれています。

ドメニコ・ギルランダイオ作「最後の晩餐」

例えば、ドメニコ・ギルランダイオによって描かれた「最後の晩餐」では、ダヴィンチの作品同様、横一列に弟子たちが並んでいます。しかし裏切り者であるユダのみがテーブルの手前側に座り、明らかにほかの弟子と描き分けられていますね。

レオナルド・ダ・ヴィンチとはどんな人物か

レオナルド・ダ・ヴィンチ

西洋の名画「最後の晩餐」を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチは、「万能の天才」と呼ばれるほど幅広い分野で才能を発揮しました。

彼は絵だけでなく、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学など様々な場面で優れた結果を残しているのです。そんな彼の逸話をいくつかご紹介します。

  • 絵の師匠であるヴェロッキオより上手い絵を描いてしまい、ヴェロッキオはそれ以来2度と絵を描かなくなった
  • 支柱なしでも、石を積み上げるだけで安定する橋を設計した
  • 今から500年も前にヘリコプターに似た空飛ぶ機械を設計していた
  • 軍事の知識や経験を一切持たない状態で軍事顧問兼技術者として働き、そこで戦車の設計もしている
  • 内臓、骨、筋肉の仕組みだけでなく、眼球の仕組みなども細かく理解していた

こうしてみると、彼がなぜ「万能の天才」と呼ばれているかがよく分かりますね。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの他の作品

ダヴィンチは「最後の晩餐」以外にも世界的に有名な絵画を描いています。これから特に有名な作品を2つご紹介します。

「モナリザ」

モナリザ
  • 制作年 1503年-1506年
  • サイズ 77cm×53cm
  • 所蔵所 ルーブル美術館

1つ目は、ダヴィンチの最高傑作と言われる「モナリザ」です。世界で最も高額な絵画であり、1962年に1億ドルの価値があると査定されました。現代の価値に直すと約6億5000万ドルにもなるそうです。

まるで生きているかのような柔らかな肌、真顔にも微笑んでいるようにも見える表情など、様々な特徴を持つ「モナリザ」は、これまで多くの人々を魅了してきました。

「岩窟の聖母」

岩窟の聖母
  • 制作年 1483年-1486年
  • サイズ 199cm×122cm
  • 所蔵所 ルーブル美術館

「岩窟の聖母」は、ほとんど同じ構成で描かれた作品が2つ存在していて、どちらの作品にも聖母マリア、イエス、ヨハネ、天使の4人が登場します。

こちらの作品ではスフマートという技法が用いられています。スフマートとは、色彩の透明な層を上塗りすることで、色彩の境目がわからないほどに色を混合させるぼかしの技法です。「岩窟の聖母」ではこのスフマートが非常に巧みに用いられていて、美しい肌の質感を見事に再現しています。

まとめ

いかがだったでしょうか?今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」について説明してきました。

「最後の晩餐」は今なお世界中で多くの人々に愛される作品です。天才レオナルド・ダ・ヴィンチが3年間かけて生み出した傑作、その魅力がよく伝わったのではないでしょうか。今後もダヴィンチの作品について深く探究していただければと思います。

この記事が皆さんのお役に立つことを願っています。

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6 COMMENTS

やべえやつ

最後の晩餐を一言で表すと、動揺、キリストの見破り、困惑、衝撃、計算された絵…などと出た。これからもっとこの絵について勉強していきたい。

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