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レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯・年表まとめ【作品や名言、死因も紹介】

レオナルド・ダ・ヴィンチは世界で最も有名な絵画と言われる「モナ・リザ」の作者です。しかし、その功績は絵画だけにとどまらず「“飽くなき探究心”と“尽きることのない独創性”を兼ね備えた人物」「万能の天才」とまで呼ばれています。

1452年4月15日、フィレンツェ郊外のヴィンチ村に私生児として生まれたレオナルド・ダ・ヴィンチは、幼少期にはきちんとした教育を受けませんでしたが、代わりに鋭い観察眼と描写力を養い、当時のフィレンツェで最も優れた工房に入門した後は、その才能をどんどん開花させていきました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像

その才能は芸術面だけにとどまらず、生涯で書き残した7200枚ものノートの中には現代のヘリコプターや装甲車、パラシュートといった機械工学的な構想や、世界初の人体の詳細な解剖図や動脈硬化の発見など、およそ500年前のものとは思えないほどの発明や発見が多数含まれていました。

一方で、ノートには鏡文字を使用していたり、ノートや絵画の中に意味深な文章や文字列を残したりと、ミステリアスな部分も多く「ダ・ヴィンチ・コード」という小説の題材になるほどで、現在も注目を集め続けている偉人の一人です。

ミステリアスな魅力のあるレオナルド・ダ・ヴィンチ。その生涯から見える人となりを知ると、彼のことをより一層好きになるはずです。まさに彼の生涯を知って好きなった私がレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯をご紹介します。

レオナルド・ダ・ヴィンチとはどんな人物か

名前レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
(Leonardo di ser Piero da Vinci)
誕生日1452年4月15日
生地フィレンツェ共和国ヴィンチ村
没日1519年5月2日
没地フランス
アンドル=エ=ロワール県
クルーの館
配偶者なし
埋葬場所フランス
アンドル=エ=ロワール県
アンボワーズ城
サン=ユベール礼拝堂

レオナルド・ダ・ヴィンチの本名とその意味は?

ダ・ヴィンチの故郷 ヴィンチ村

日本ではレオナルド・ダ・ヴィンチのことをよく「ダ・ヴィンチ」と略称しますが、イタリアの人はそうは呼びません。なぜでしょうか。

彼の本名は「レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ」といいます。

「セル・ピエーロ」は父親セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチからとっています。そして「ダ・ヴィンチ」は生まれた村の名前「ヴィンチ」が由来です。「ダ・ヴィンチ」で「ヴィンチ村の」という意味になります。

実は当時、名字があるほうが珍しく、同じ名前の人には村名や土地名、職業名などをつけて区別していたそうです。そのためイタリアの人がレオナルド・ダ・ヴィンチを略称するときは「レオナルド」と呼びます。「ダ・ヴィンチ」だと「ヴィンチ村の」になってしまいますからね。

なのでこの記事での略称も「レオナルド」としています。意味を知るともう彼のことを「ダ・ヴィンチ」なんて呼べなくなりますね。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ、家庭事情は?

歴史に残る天才の誕生

レオナルドは、フィレンツェ郊外のヴィンチ村で公証人であるセル・ピエーロ・ダ・ヴィンチと農家の娘カテリーナとの間に私生児として誕生しました。

公証人とは
公の文章作成などを扱う弁護士と会計士を合わせたような職業で当時としてはエリートにあたる職業です。

両親は身分違いのため正式な結婚をせず、父親だけフィレンツェの中心街に出ていってしまい、レオナルドは母親とフィレンツェの郊外で暮らしました。一説には、父親は公証人という仕事柄、フィレンツェに出張することが多かったため、フィレンツェ都市部で過ごすことが多かったとも言われています。

カテリーナも別の男性に嫁ぎ、子を授かったため、実質的にはレオナルドは父方の祖父・アントニオや叔父・フランチェスコに育てられたそうです。

その後、5歳の頃に父親が名家の娘と正式に結婚するも、子供に恵まれなかったために父に引き取られ、父夫婦と暮らすことになりました。

なんだか複雑な家庭事情があるようですが、父セル・ピエーロはレオナルドの才能を早い時期から見抜いていたようで、工房への入門や独立の援助を惜しまなかったりと、愛のない家庭ということでもなかったようです。

レオナルド・ダ・ヴィンチは画家?科学者?発明家?

博物館で再現されたダヴィンチの物作りアイディア

「モナ・リザ」の作者として有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ。彼の活動は画家としてだけでなく、解剖学、土木工学、工学、流体力学、地質学、天文学など非常に広範な分野に及びました。

たとえば、ヘリコプターや装甲車、パラシュートの構想を持っていたり、世界初の詳細な人体解剖図の作成や、動脈硬化の発見をしていたり、当時としては異常なほど正確な地図を描いていたりなど。また、芸術面では絵画だけでなく、彫刻や音楽もやっていましたし、舞台演出の総監督を努めたこともありました。

ここまで広い分野で活躍しているのは人類史上でもレオナルド・ダ・ヴィンチただ一人で、「万能の天才」と言われています。

レオナルド・ダ・ヴィンチが画家になるまでの経緯は?

ダ・ヴィンチの師アンドレア・デル・ヴェロッキオ

レオナルド・ダ・ヴィンチは私生児として生まれたため、しっかりとした教育は受けられませんでしたが、自然豊かなヴィンチ村で勉学の代わりに自然をつぶさに観察する観察眼と探究心を養ったと言われています。

その後、14歳で父の力添え(一説には金遣いのあらいレオナルドを見かねて工房を紹介したという説もある)もあり、当時フィレンツェで一、二を争う有名なヴェロッキオの工房へ入門。多くの弟子や雇われ絵師に囲まれて、絵画、彫刻だけでなく金属加工、機械工学、木工、建築、設計などさまざまな分野を学びました。

この工房からレオナルド・ダ・ヴィンチの画家としてのキャリアがスタートしたのです。

当時の工房での作品制作スタイル
当時のフィレンツェの工房では一度に多くの注文を捌くために工房の弟子たちや雇われた芸術家が共同で作品を制作していました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの性格は?

万能の天才と呼ばれたダ・ヴィンチ

「万能の天才」とまで言われるレオナルド・ダ・ヴィンチ、その容姿や性格はどのようなものだったのでしょうか。

性格は穏やかでマイペース。ただし自分が興味を持ったものにはとことんこだわる完璧主義な面がある一方で、飽き性でもあったようです。そのせいなのか、レオナルドの作品は16作品か現代に残っていません。彼の生涯を振り返ってみてみても、依頼を受けたもの途中で投げ出すことが多くあります。

また、いたずら好きで、ある日見つけたトカゲのの背中に染色した鱗をたくさん貼り付け、友人たちに見せて驚かせたという逸話もあります。案外、お茶目な面もあったんですね。

自分なりのこだわりが強いため周りを困らせることもあったレオナルドですが、親しい人に対しては優しく、また菜食主義なこともあってか動物に対してもとても優しかったそうです。

天才で変わり者、謎が多い人物というイメージが強いレオナルドですが、実は飽きっぽいけど優しくて人に慕われる、人間味溢れる人物だったようです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作は?

レオナルド・ダ・ヴィンチは完璧主義だったせいか、独自の研究に関するノートはたくさん残っていますが絵画の作品となるとそう多くは残っていません。その中でも代表作として挙げるとすると以下の作品です。

モナ・リザ

ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」

レオナルド・ダ・ヴィンチといえばこの作品でしょう。世界で最も有名な絵とも言われています。この謎めいた微笑みからか、都市伝説や映画の題材としても取り上げられていますね。

最後の晩餐

ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

こちらも世界でも有名な作品です。最も多くの複製がやパロディ画が描かれた宗教画とも言われています。キリスト教徒ではない日本人でも大半の人は知っているのではないでしょうか。

最後の晩餐に焦点を当てて、どんな絵なのか、背景や特徴を以下の記事で詳しく解説していますので、是非ご覧ください。

「最後の晩餐」とは?天才レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作を徹底解説

アンギアーリの戦い

ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」

ヴェッキオ宮殿の大会議室の壁に描かれ、未完成のまま放置された本作品。実は大会議室の別の壁画の裏にまだ現存しているのではないか、と言われており現在でも多くの研究者の注目を集めています。

上記以外にもレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を解説つきで紹介していますので、読んでみてください。

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品・代表作10選!創作背景も解説

レオナルド・ダ・ヴィンチにまつわる謎とは?

謎多きダ・ヴィンチの生涯

なぜ鏡文字を多用していた?

レオナルド・ダ・ヴィンチの残したノートのほとんどは鏡文字(左右反転した文字)で書かれていたそうです。なぜ鏡文字を使ったのか。ノートに重要な秘密を記載していたから、という説や、幼少期に教育を受けなかったために幼少の頃の書き方が矯正されなかったからという説がありますが、今となっては誰も真実を知ることができません。

同性愛者だった?

当時は認められていなかった同性愛

ハンサムで優しい性格だったレオナルドダ・ヴィンチですが生涯独身で恋仲と呼べる女性もいなかったそうです。また、同性愛者の疑いで裁判になったり、同性愛を思わせる描写が絵画にも見られたりと、実は同性愛者だったのではないか、と言われていますがはっきりとした証拠は残っていません。

レオナルド・ダ・ヴィンチは複数人いた?

のあまりにも多方面での功績の多さから「レオナルド・ダ・ヴィンチは複数人いたのではないか」という説があります。確かに名前も「ヴィンチ村のレオナルド」ですから名前が被ることもありそうです。もしかしたら意図的に活動をともにするグループのメンバーのことを「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼んでいたのかもしれません。

レオナルド・ダ・ヴィンチのクイズ

/
Q1/Q5

レオナルド・ダ・ヴィンチの「ダ・ヴィンチ」はどんな意味があるでしょうか?

Q2/Q5

レオナルド・ダ・ヴィンチの着彩画はフェルメールより多い?少ない?

Q3/Q5
Question Image

2017年、オークション史上最高額でダ・ヴィンチ作とされる《サルヴァトール・ムンディ》が落札されました。落札額はおよそどのくらいだったでしょう?

Q4/Q5
Question Image

《最後の晩餐》は現存するレオナルド作品中、最大の壁画です。この壁画はどこに描かれたものでしょうか?

Q5/Q5

ダヴィンチの誕生日、4月15日は彼の功績を称えてある記念日になっています。それは何の記念日でしょうか。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの名言

知恵は経験の娘である。(Wisdom is the daughter of experience.)

シンプルさは究極の洗練である。(Simplicity is the ultimate sophistication.)

その手に魂が込められなければ、芸術は生まれないのだ。(Where the spirit does not work with the hand, there is no art.)

最も高貴な娯楽は理解する喜びである。(The noblest pleasure is the joy of understanding.)

猫科の一番小さな動物、つまり猫は、最高傑作である。(The smallest feline is a masterpiece.)

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