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レッチリのフリーはどんなベーシスト?プレイの凄さや魅力、名言まとめ【年表付】

レッチリのフリーってどんな人だったの?
フリースタイルの特徴がわからない…
フリーが残した功績や歩んできた歴史を知りたい!

レッチリのフリーとは、ロックバンドグループ「レッドホットチリペッパーズ」でベーシストを務めていた人物です。世界最高のベーシストは誰?と聞かれれば、多くのミュージシャンが彼の名前を挙げるでしょう。

「レッチリフリー」という独自のプレイスタイルを確立し数多くのアーティストに影響を与えただけでなく、ベースブランドの立ち上げや慈善活動を行うなど多方面に才能を発揮。All Music Guideにて「史上最も才能豊かなロックベーシストの一人」と称されました。

しかし、レッチリのフリーは知っていてもフリー自身の育ちや性格はあいまいだったり、世界最高のベーシストにまで上り詰めた経緯がわからない人もいるはず、そこでこの記事では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーの生涯を歴史年表にまとめつつ、残した数々の功績や人物像についてとことん掘り下げて紹介していきます。

フリーをこよなく愛する著者と共に彼の生涯をのぞいてみましょう。 それではどうぞ。

レッチリ フリーとはどんな人物か

レッチリフリーの生涯をハイライト

ベースを演奏するレッチリのフリー

フリーは1962年にオーストラリアのメルボルン州に生まれ、6歳の時に父親の仕事の都合でアメリカに移り住みました。母親の不倫が原因で両親は離婚、ジャズ・ミュージシャンだった不倫相手の影響でフリーはジャズ・トランペットを始めます。

フリーが生まれたメルボルン

内気で暗い性格だったためか高校時代ではたびたびいじめにあっていたフリーでしたが、のちレッド・ホット・チリ・ペッパーズを結成するアンソニー・キーディスやヒレル・スロヴァクとの出会いをきっかけに、紳士で明るい性格に変わっていきました。また、彼らの影響でロックに興味を持ちベースを始めます。

ロック界で不動の地位を築いたレッド・ホット・チリ・ペッパーズ

1983年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズを結成。翌年にはCapitol/EMIと契約し、デビューアルバム「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」をリリースします。また1989年にリリースしたアルバム「母乳」が初のチャートヒット作品となりました。

1991年のアルバム「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」が全世界でブレイクすると、シングルカットされた「Give It Away」では初のグラミー賞のハードロック部門最優秀シングル賞を受賞しました。

7枚目となったアルバム「カリフォルニケイション」で2度目のグラミー賞を受賞し、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ最大のヒット作となります。その後2012年にはロック界で殿堂入りを果たし、不動の地位を築きました。

根は暗く真面目な性格だったフリー

レッチリのフリーからは想像もつかない暗い性格だった

舞台での派手なパフォーマンスが印象強いフリーですが、根は暗く真面目な性格でした。オーストラリア育ち特有の訛りから、アメリカではいじめられる高校生活送っていたそうです。

しかしバンドメンバーとの出会いを機に徐々に明るくユーモアのある性格へ。真面目さも紳士な気性に変わり、世界中のベーシストから愛されるそのキャラクターになりました。

9歳からジャズトラペット始める

幼少期から音楽の才を発揮していたフリー

母親の再婚相手となったジャズ・ミュージシャンに影響を受け、フリーは9歳のころからトランペットを吹いています。幼い頃から音楽が好きだったフリー、11歳になる頃には父親とセッションが出来るほど上達しました。

高校時代には学校のオーケストラで主席トランぺット奏者を務め、レッチリ結成後もライブなどでたびたびトランペットを披露しています。また他のアーティスト作品にもトランぺット奏者として参加し、いくつもの作品を残しています。

パンクロックとジャズに強く影響を受けたフリー

パンクロックとジャズがフリースタイルに影響を与えた

フリーは幼少期からジャズに強い関心を持っていました。ジャズミュージシャンである継父に影響を受けたのでしょう。9歳からトランペットを始め吹奏楽部に所属しますが、高校時代にバンドメンバーと出会い関心の的はロックへ。レッド・ツェッペリン、クイーン、ジミ・ヘンドリックスなどを聴くようになります。

フリーは最も好んでいるロックアルバムにザ・クラッシュの「サンディニスタ!」を挙げています。パンクロックと幼い頃から聴いていたジャズがかけ合わさり、フリーのスタイルが確立されていきました。

2006年のローリング・ストーン誌では、世界史上最高のミュージシャンとしてボブ・マーリィとチャールズ・ミンガスを挙げています。またバンド活動休止期間に当たる2008年にはカリフォルニア大学の音楽学部に入学し、音楽理論などを学んでいました。

「レッチリフリー」というプレイスタイルの確立

All Music Guideにおいて「one of rock’s most talented bassists(史上最も才能豊かなロックベーシストの一人)」と称されるほど天才的なベーステクニックを有するレッチリのフリー、やはり彼の代名詞といえば目で追いきれないほどの高速スラップです。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ結成初期のフリーのプレイスタイルは、オーソドックスな2フィンガーとスラップを中心としたファンキーなベースラインが特徴的で、フリーのベースラインを中心にバンドが構成されていました。

ファンを魅了するフリーのベースライン

世界中の音楽ファンを魅了した存在感抜群のサウンドは、下向きの親指でサム、中指でプルする個性的なスラップで奏でられ、のちに“フリースタイル”と呼ばれました。アルバム『母乳』ではそのテクニックをロック界に広く知らしめます。

その後、レッチリ後期と称され『バイ・ザ・ウェイ』がリリースした2002年あたりにギターのジョン・フルシアンテが目覚ましい活躍を遂げ、フリーはそれまでとは違ったシンプルなベースラインに移行しました。

シンプルなピック弾きをする機会が多くなるものの、時折見せる高等テクニックは健在、常に進化していくフリースタイルは新しいアルバムをリリースするごとにファンを驚かせています。

ちなみにフリーという名前は“ノミ”を意味しており、低身長にもかかわらずステージを跳ね回る彼のパフォーマンスが由来です。

レッチリ フリーの代名詞「スティングレイ」

レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーが扱うベースでまず思い浮かぶのは「スティングレイ」でしょう。

黒一色のボディ中央に卵型のピックガードが設置された見た目はあまりにクール。フリー=スティングレイ=スラップという方程式は全ベーシストの間では共通認識、実際彼に憧れてスティングレイを購入した人は数え切れません。

フリーの代名詞「スティングレイ」

バンド初期にはフェンダーのプレシジョンベースをメインに使用していましたが、レッチリのピークと言える90年代にスティングレイを使っていたため、イメージが強くなったと思われます。

21世紀に入る頃からはスティングレイをモチーフにした自身のシグネイチャーモデルであるモジュラスのファンク・アンリミテッドがメインベースに。多くのレコーディングで使用する1962年製のフェンダー・ジャズベースは、希少価値の高さゆえ、ライブのために持ち運ぶことはあまりありませんでした。

他にもシグネイチャーモデルは複数販売されていますし、2009年には自身のプロデュースブランド「Flea Bass」を発表しています。

ちなみにアンプ直が多いフリーですが、使用エフェクターで代表的なものはBOSSのODB-3。「Around The World」のイントロ部分など、フリーらしい歪みサウンドはこのエフェクターによるものです。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出演

俳優としても多彩な才能を発揮していたフリー

フリーはその活躍ぶりを俳優業にまで広げており、いくつかの映画に出演しています。

その中でも一番有名な作品は1989年公開の「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」と1990年公開の「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」でしょう。フリーは主人公マーティの悪友である「ニードルズ」役で出演しています。

他にもピクサーの映画である「インサイド・ヘッド」と「トイ・ストーリー4」に声優として出演するなど、多彩な才能を発揮しています。

18万匹以上のミツバチを飼育していた

養蜂作業用の防護服姿でベースを弾くフリー

フリーは趣味で養蜂を行っていました。蜂が好きなフリーは世界中のミツバチが激減しているのを憂いて、自宅に巣箱を3つ保有し合計18万匹以上のミツバチを飼育していたと言われています。

「facebook」や「Instagram」へ投稿した飼育の様子は多くのファンを驚かせました。蜂蜜の採取にも成功し慈善活動として販売にも精力的でした。

また、フェンダーから発売された彼のシグネチャー・モデルのベースプロモーションを養蜂作業用の防護服姿で行ったことも話題になりました。

レッチリフリーの功績

功績1「多くのアーティストに影響を与える」

現代で活躍する若いベーシストたちに大きな影響を与えたフリー。独自スタイルのスラップ奏法を代表とした個性的な演奏法をマネするベーシストも多いです。All Music Guideにおいて「史上最も才能豊かなロックベーシストの1人」にも選ばれています。

フリーから大きな影響を受けたハマ・オカモト

日本にもフリーを敬愛するベーシストが何人もいます。OKAMOTO’Sのハマ・オカモトはフリーからの影響を口にしていますし、RIZEのKenKenは8歳の時に見たフリーのスラップ奏法に衝撃を受けベースを始めたと語っています。

KenKenはフリーをきっかけにベースを始めた

功績2「子供たちのためにベースのブランドを立ち上げる」

フリーが立ち上げたベースブランド「Flea Bass」

フリーは2009年に世界最大の楽器ショー「NAMM Show」で、自身のベースブランド「Flea Bass」の立ち上げを発表しました。音楽学校などで講師も務めるフリーは、生徒たちが使うクオリティーの低い楽器を見て「彼らが手に入れやすい価格でクオリティの高い楽器を持たせたい!」と考えたといいます。

そのため、「Flea Bass」には通常サイズにあたる34インチ(ロングスケール)と子供向けの30インチ(ショートスケール)のベースがラインナップされ、手の届きやすい料金で販売されました。

夢のようなベース販売ブランドでしたが、フリーは会社経営には向いていなかったらしく、「Flea Bass」はのちに廃業となります。

功績3「様々なNPOの慈善活動に参加 」

慈善活動に熱心に支援していたフリー

フリーは様々なNPOの慈善活動に参加しています。

若者の音楽教育促進を目的としたロサンゼルスのNPO団体「シルバーレイク・ コンサバトリー・オブ・ミュージック」の創立に協力、資金集めのチャリティ・ライブにも出演しています。

国際的な環境保護団体である「オセアナ」が主催する慈善イベントに出演するなど、環境問題にも熱心に取り組んでいます。また世界中のゴリラを救うためのNPO団体への寄付を集めるために施設を訪れ、ゴリラと過ごす様子を収めた動画も配信されています。

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