最強は誰?幕末の四大人斬りを逸話や伝説と共に紹介

「四大人斬り」以外の有名な幕末の人斬り

新撰組屯所があった八木邸

大石鍬次郎

1838年生まれの大石鍬次郎(おおいし くわじろう)は新撰組一番隊に所属していました。一番隊という新撰組の先鋒ともいうべきポジションにいたというだけでも剣の腕が立つことが証明されますが、実際に油小路事件や天満屋事件といった新撰組の大きな事件に関わっていたとされています。

1867年12月13日に起きた油小路事件は、元新撰組幹部で御陵衛士となっていた伊東甲子太郎を暗殺した事件です。暗殺された日は酒に酔っていたといわれる伊東ですが、北辰一刀流を修めた優れた剣客でした。

油小路事件

天満屋事件は、新撰組が関わった京都における最後の事件と言われます。陸奥宗光は、坂本龍馬暗殺事件の黒幕が、いろは丸沈没事件で龍馬により多額の賠償金を払わされた紀州藩であると考え、紀州藩の三浦休太郎を襲うことを計画します。それを知った紀州藩は新撰組に警護を願い出たのです。

1868年1月1日、陸奥宗光は天満屋にいた三浦を襲撃します。護衛についていた大石鍬次郎も奮戦し、三浦に怪我は負わせてしまったものの、命を守ることができました。明治時代に入って大石鍬次郎は捕縛され、1870年11月3日、伊東甲子太郎殺害の科により斬首となりました。享年33歳でした。

大石鍬次郎はこれまで、「幕末四大人斬り」に挙げられる四人ほどの知名度はありませんでしたが、「幕末恋華・花柳剣士伝」という恋愛アドベンチャーゲームでブームに火がつき、熱狂的なファンが増え始めています。

また、前述の四人の人斬りに大石鍬次郎を加えて「幕末五大人斬り」と呼ばれることもあります。

沖田総司

天然理心流奉納額 沖田総司の名前も見える
出典:毎日つらたん。

沖田総司は1842年もしくは1844年生まれと言われます。近藤勇や土方歳三と共に剣を学び、上京して新撰組の名を轟かせることになった立役者の一人です。近藤勇が師範代を務めていた天然理心流の道場では若いながらも塾頭を務め、一時期は近藤が後継にと考えていたほど優れた腕前でした。

新撰組では一番隊隊長として、1863年の局長芹沢鴨暗殺事件や、新撰組による尊王攘夷派襲撃事件として知られる1864年の池田屋事件にも関わっています。1865年に起こった、新撰組総長であった山南敬助の脱走事件では、切腹する山南の介錯を担当しました。

沖田総司の剣の技として「三段突き」をよく挙げられますが、天然理心流にある五月雨剣を変形させたもので、相手につけ入る隙を与えなかったものが「三段突き」と呼ばれたのではないか、との説があります。

肺結核の症状が出始めてからは少しずつ前線を離れるようになります。それが史料で確認できるのは1867年頃のことです。戊辰戦争の頃には病状が進んで完全に寝たきりの状態となり、徳川幕府の軍医であった松本良順の元で療養を続けるも、前線に復帰することなく1868年5月30日に息を引き取りました。20台半ばでの臨終でした。

剣の腕がありながら若くして病で亡くなった沖田総司は、歴史好きの間では昔から人気のある人物でした。ドラマや映画でも人気のある役者が演じて注目されますが、近年はRPG「Fate/Grand Order」で沖田総司に関心を持つ人も出てきています。

また、1991年に週刊少年ジャンプ第36・37合併号に掲載された、野口賢の「幕末人斬り伝 壬生の狼」という作品は、古い漫画でありながらも沖田総司を描いた作品としていまだにファンが多くいます。この漫画では容赦無く剣を振るう沖田総司の「人斬り」としてのイメージが強く出ています。

最強なのは誰?

薬丸自顕流

誰もが恐ろしい剣豪であることはわかりますが、では一番誰が強いのでしょうか? これは難しい問いです。なぜなら、何をもって最強とするかという定義が明確にならないからです。

四大人斬りの中で、一番「暗殺」人数が多い人物を最強とするなら、岡田以蔵でしょう。記録に残る暗殺人数として9人という話もあります。暗殺というのは表立ってやっているわけではないので、どうしても明確な数はわかりにくいです。

ただ、単に「人を殺めた数」で比較するのであれば、実戦数が半端ない新撰組が一番多いと考えられます。特に沖田総司は一番隊隊長という立場から、殺害人数はかなりの数にのぼると予想されます。

一方で、「暗殺」という括りに囚われずに強い剣士とするなら、河上彦斎も候補に上がります。よく言われているように、平気で人を斬っていたかどうかは別として、睨まれただけで立ちすくんでしまうというあだ名まで付けられているのですから、相当殺気をまとった人物だったと考えられるからです。

中村半次郎や田中新兵衛が体得した薬丸自顕流は、防御の技が一切ない剣術として知られています。自分の命を捨てる覚悟で立ち向かっていくこの剣術には、新撰組も大いに恐れたと言われています。人を斬ることへの覚悟という意味では、中村半次郎や田中新兵衛は突出した強さを持っていたのかもしれません。

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