いくつ答えられる?ダヴィンチクイズ

カートコバーンの遺書の原文や日本語訳は?自殺に至った経緯まで解説

稀代のロックミュージシャンであるカートコバーン。彼は、27歳という若さにして遺書を残し、拳銃自殺によってこの世を去りました。

この記事では、カートコバーンの遺書の英語原文や日本語訳を、カートコバーン関連の資料収集が趣味の筆者がご紹介していきます。

遺書に込められたカートの思いや、彼が自殺に至った経緯まで解説するので、ぜひご一読ください!

カートコバーンの遺書の原文と日本語訳

まず、ここではカートコバーンの遺した遺書の内容と、その日本語訳を追っていきましょう。なお、日本語訳についてはヨーロッパ人の友人に協力を仰ぎながら筆者が行ったものです。

カートコバーンの遺書

To Boddah

Speaking from the tongue of an experienced simpleton who obviously would rather be an emasculated, infantile complain-ee.

ボッダへ。

これは、無気力で子供じみた不満を言う方がまだましだと思っている、経験豊富な痴人の言葉だ。

This note should be pretty easy to understand.

だから、この遺書を理解するのは本当に簡単だと思うよ。

All the warnings from the punk rock 101 courses over the years, since my first introduction to the, shall we say, ethics involved with independence and the embracement of your community has proven to be very true.

いわゆる独立とコミュニティの抱擁に関わる倫理がはじめて紹介されて以来、長年にわたるパンクロックの基礎コースから発せられた全ての警告は、真実であることが証明されている。

I haven’t felt the excitement of listening to as well as creating music along with reading and writing for too many years now.

もうずいぶん長い間、文章を読んだり書いたりするだけでなく、音楽を聞くことにも、作ることにも感動を覚えなくなってしまいっていた。

I feel guity beyond words about these things.

僕は、これらのことを言葉にできないほど罪深く感じている。

For example when we’re back stage and the lights go out and the manic roar of the crowds begins, it doesn’t affect me the way in which it did for Freddie Mercury, who seemed to love, relish in the the love and adoration from the crowd which is something I totally admire and envy.
たとえば、僕らがバックステージにいる時、ライトが消え、熱狂した群衆の叫び声がはじまったとしても、それは僕には響かない。フレディーマーキュリーが観衆の愛や崇敬の念を味わっていたようには感じられないんだ。
僕は、フレディがそう感じていたことを本当にすばらしいと思うし、同時にうらやましさも感じている。

The fact is, I can’t fool you, any one of you. It simply isn’t fair to you or me.
本当のことを言えば、僕は君たちを誰ひとり騙すことなんてできない。だって、それは単純に君たちや僕にとってフェアじゃないからだ。

The worst crime I can think of would be to rip people off by faking it and pretending as if I’m having 100% fun.
僕の考えられる中で最も重い罪は、まるで100%楽しいかのように振る舞って人々を騙すことなんだ。

Sometimes I feel as if I should have a punch-in time clock before I walk out on stage.
時々、僕はステージに向かって歩いて行くときに、まるでタイムカードを押さなければならないような感覚を覚えることがあった。

I’ve tried everything within my power to appreciate it (and I do,God, believe me I do, but it’s not enough).
僕は、それに感謝するために、力の及ぶ限り全てのことを試してみた(僕は感謝してるんだ。神様、僕が感謝してるってことを信じてくれ。でもそれでも十分じゃないんだ)。

I appreciate the fact that I and we have affected and entertained a lot of people.
僕が、そして僕たちがたくさんの人々を楽しませられたという事実はよくわかっているんだ。

It must be one of those narcissists who only appreciate things when they’re gone.
僕は、全部なくなった後にしか物事の価値を理解できないナルシストに違いないさ。

I’m too sensitive.
自分はあまりにも繊細だ。

I need to be slightly numb in order to regain the enthusiasms I once had as a child.
子供の頃に持っていた熱意をもう一度取り戻すためには、少し鈍感になる必要がある。

On our last 3 tours, I’ve had a much better appreciation for all the people I’ve known personally, and as fans of our music, but I still can’t get over the frustration, the guilt and empathy I have for everyone.
最近の3つのツアーでは、個人的に知ってる全ての人や、僕らの音楽のファンにいつもよりも少し感謝できるようになっていた。
でも、僕はまだみんなに対するフラストレーションや罪、共感を乗り越えることができないんだ。

There’s good in all of us and I think I simply love people too much, so much that it makes me feel too fucking sad.
人間はみんないいところを持っているし、僕は単純にみんなのことを好きすぎるんだと思う。
それで、そのことがクソみたいにたまらなく悲しいんだ。

The sad little, sensitive, unappreciative, Pisces, Jesus man.
悲しくて、繊細で感謝しらず、それで魚座の男。

Why don’t you just enjoy it?
どうしてただ楽しまないんだろう?

I don’t know!
わからねえよ。

I have a goddess of a wife who sweats ambition and empathy and a daughter who reminds me too much of what i used to be, full of love and joy, kissing every person she meets because everyone is good and will do her no harm.
僕には、大望を持ち、他人に感情移入することのできる女神のような妻と娘がいる。
娘は、かつて愛と喜びに満ちていた自分のことを、いやというほど思い出させてくれた。彼女は出会った全ての人にキスをする。というのは、その人たちはみんな善良だし、彼女に何の害も及ぼさないからだ。

And that terrifies me to the point to where I can barely function.
そして、僕はほとんど何もできなくなるぐらいの恐怖を覚えるんだ。

I can’t stand the thought of Frances becoming the miserable, self-destructive, death rocker that I’ve become.
僕は、フランシスが自己破壊的になり、自分のように死へ向かうロックンローラーになって、みじめに朽ちて行くことを想像するのが耐え切れない。

I have it good, very good, and I’m grateful, but since the age of seven, I’ve become hateful towards all humans in general.
楽しい時間を過ごしてきた。とても楽しい時間だった。だから、感謝もしている。
でも、7歳の時から、僕はほとんど全ての人間に嫌悪感を抱くようになったんだ。

Only because it seems so easy for people to get along that have empathy.
なぜなら、人々はいともたやすく他人の気持ちを理解できるように見えたから。

Only because I love and feel sorry for people too much I guess.
たぶん僕は人のことを愛しすぎているし、同時に彼らのことをとてもかわいそうだとも思っているんだろう。

Thank you all from the pit of my burning, nauseous stomach for your letters and concern during the past years.
これまでの数年間、手紙をくれたり心配してくれたりしたことに、焼けつくように痛んで吐き気のする胃袋から感謝を伝えるよ。

I’m too much of an erratic, moody baby!
僕は、気まぐれな赤ん坊みたいに感情の起伏が激しすぎる。

I don’t have the passion anymore, and so remember, it’s better to burn out than to fade away.
僕の中にはもうなんの情熱も残っていないんだ。
だから覚えておいてくれ、少しずつ消えて行くよりは、いっそのこと燃え尽きた方がいいんだってことを。

Peace, love, empathy. Kurt Cobain
平和、愛、共感。カートコバーン。

Frances and Courtney, I’ll be at your altar.
フランシスとコートニー、僕は君たちの祭壇にいるよ。

Please keep going Courtney, for Frances.
コートニー、君はフランシスのために進み続けてくれ。

For her life, which will be so much happier without me.
彼女の人生は、僕がいない方が幸せなものになるはずだ。

I LOVE YOU, I LOVE YOU!
愛している、本当に愛しているよ!


カートコバーンの遺書の表現の解説

グランジファッションに身を包んだカートコバーン

前提として、この遺書は脳内の言葉をそのまま書き起こしたものに近く、文語や口語がかなり入り乱れているのが特徴です。

実際、私のヨーロッパ人の友人にこの文章を見せたところ、「この遺書単体では、文脈がよくわからず、理解できない箇所がいくつかある」という感想を述べていました。

ただ、カートコバーンの生涯を知ることで、その大まかな意味を推測することは可能です。

ここでは、遺書の中のいくつかの表現を取り上げ、カートの人生とあわせて考えることで、彼がどのようなことを述べたかったのかという点を検討していきましょう。

To boddah(ボッダへ)

この手紙の宛先として、カートコバーンは冒頭に「ボッダへ」と記載しています。

これは、彼が2歳ごろに脳内に作り上げた架空の友人の名前です。

幼少期のカートコバーン

仏教用語であり、カート自身のバンド名である「NIRVANA(涅槃)」との連想から、これを「ブッダ」のことであると考える人もいるようですが、特に関係はありません。

The fact is, I can’t fool you, any one of you.
(本当のことを言えば、僕は君たちを誰ひとり騙すことなんてできない)

カートコバーンは、メディアの作り上げる「ロックスター像」に強い嫌悪感を抱いており、ロックが商業的に利用されることを何よりも嫌っていました。

しかし、セカンドアルバムである「Never Mind」が商業的成功を収めた後、皮肉にも彼自身が「悲劇のロックスター」という烙印を押される事になります。その後、カートは、メディアが作り上げようとする虚像と現実とのギャップに、いつも苦しんでいました。

なぜなら、彼は「偽りの自分を見せること」を最も重い罪だと考えていたからです。この一節は、そんなカートの苦悩が滲み出るような文になっています。

but since the age of seven, I’ve become hateful towards all humans in general.
(でも、7歳の時から、僕はほとんど全ての人間に嫌悪感を抱くようになったんだ。)

一般的に、カートコバーンの生涯に最も大きな影響を与えたできごとは、彼が9歳のときの両親の離婚だと言われています。

離婚の大きなきっかけとなったのは、カートが7歳のとき、父の転職によって給与が少なくなったこと。そのころ、金銭的な問題から、コバーン家の家庭内のストレスは急激に高まっていました。

また、父から毎日のように受ける体罰によって、カート自身は大きな心の傷を受けていたようです。

幸せな家庭を夢見ていたカートにとって、家庭内不和が始まった7歳という年齢は、彼の人間不信が芽生えるきっかけとなった年だったのでしょう。

I don’t have the passion anymore, and so remember, it’s better to burn out than to fade away.
(僕の中にはもうなんの情熱も残っていないんだ。だから覚えておいてくれ、少しずつ消えて行くよりは、いっそのこと燃え尽きた方がいいんだってことを。)

“ It’s better to burn out than to fade away.(少しずつ消えて行くよりは、いっそのこと燃え尽きた方がいい) ”というのは、ロックミュージシャンであるニール・ヤングの「Hey Hey,My My」という曲の歌詞を引用した一節。

「Hey Hey,My My」

生前カートと親交のあったニールヤングの言葉は、死に向かうカートの心情を表現するのにぴったりの言葉だったのでしょう。

ただ、ニール自身はカートが自分の言葉を引用した自殺してしまったことにショックを受けており、「カートが死んであの書置きが残してあって、あれは俺の中でものすごく大きく響いたんだ。あれには本当に打ちのめされた」と述べています。

参考:ニール・ヤング、カート・コバーンの遺書に歌詞を引用されたのには打ちのめされたと語る/rockin’on com.

For her life, which will be so much happier without me. I LOVE YOU, I LOVE YOU!
(彼女の人生は、僕がいない方が幸せになれるはずだ。愛している、本当に愛しているよ!)

カートコバーンは、同じくミュージシャンであるコートニー・ラブと結婚し、フランシスという娘を授かります。不遇な家庭環境で幼少期を過ごしたカートは、その痛みを埋めるかのようにコートニーとフランシスを溺愛していました。

カートコバーンとコートニー、フランシス

この一節はそんな愛する家族に向けたもので、遺書の中でも一際大きな文字で書かれています。

カートコバーンの遺書に込められた意味

大まかにいって、カートコバーンの遺書は、劣位に置かれた「自分」と、優位な立場の「他者」という二項対立によって成り立っています。

例を挙げると、「自分」と「他者」を比較する際にしばしば用いられているのが、「感情移入、共感(empathy)」という言葉。遺書の中では、「自分以外の人々(他者)はたやすく他人に感情移入できるが、自分はそれができない」という内容が繰り返し綴られています。

そして、遺書の中にもあるように、カート自身は「感情移入できる他者」のことをうらやましく感じていました。つまり、彼は他者に比べて自分が劣っている存在であると感じていたと言えるでしょう。

そして、それは彼が薬物を常用するようになり、ピストルによって自らの命を断つ要因となったのです。

カートコバーンが劣等感を持った原因

幼少期に両親が離婚

カートコバーンが劣等感を感じるようになった大きな原因は、遺書の中にもあるように「7歳」ぐらいのできごと、つまり家庭内の不和と両親の離婚です。

カートコバーンのドキュメンタリー映画である「モンタージュ・オブ・ヘック」の中で彼の両親が述べているように、当時のアメリカにおいては離婚がまだ普通のこととして受け入れられていませんでした。そのため、幼少期のカートが両親の「異常な」離婚によって心に傷を負ったことは想像に難くありません。

また、幼少期に病院で「ADHD」の疑いをかけられ、それを父親が馬鹿にしていたことや、行儀が悪い際に慢性的に体罰を行なっていたことなどもカートが劣等感を抱くようになった原因のひとつと言えるでしょう。

そして、幼少期に受けた劣等感は癒えることなく彼の心に残り、後のインタビューや日記の中で幾度もその片鱗が見られるようになります。

カートコバーンが自殺した経緯

入院先のガウンを着用するカートコバーン

カートコバーンが自殺し、遺書を残したのは1994年。

その詳しい経緯を知るため、ここでは1994年に起こったできごとを時系列順に確認していきましょう。

コートニーの浮気心が原因となり、ローマで昏睡状態に陥る

1994年、ツアー先のローマでカートは昏睡状態に陥ります。原因は、バリウムに似た睡眠導入剤を60錠以上服用したこと。そして、それを飲んだ理由は「コートニーに浮気心があることを見抜いた」ことだったと言います。

コートニーは、「彼はすごく繊細で、一度だけ浮気心が起こった時もすぐ見破られた」と当時のことを回想しています。カートは生死をさまようほどの危うい状態に陥りますが、奇跡的に回復。ただ、メディアにまたそれを書き立てられたことによって、彼自身の精神は不安定な状態に陥ります。

自殺騒ぎを起こし、警察が介入

同年の3月、カートは「自殺をする」と言って寝室に閉じこもります。心配したコートニーは、警察に通報。取り調べを受けたカートは、「自殺願望があったわけではなく、コートニーから少し離れたかった」と供述していたそうです。

しかし、結局警察はピストルとライフルを自宅から押収。さらに、カートが鎮静剤を大量服用していたことが発覚します。彼自身は薬物の禁断症状を和らげるために購入していたようですが、実際には彼の妄想や偏執性をより強くする作用がありました。

病院を脱走後、遺体として発見される

エクソダス・リカバリー・センター

薬物依存の傾向が非常に強くなっていたカートは、周囲からの勧めもあってカリフォルニア州にあるエクソダス・リカバリー・センターに入院。しかし、そのたった2日後、彼は病院の壁をよじのぼって脱走します。

その後1週間ほど行方不明になっていたカートですが、1994年4月8日金曜日、自殺した彼の姿を電気工のギャリー・スミスが発見します。才能に溢れたロックシンガーの早すぎる死でした。死後、遺体からは大量のヘロインが検出されたそうです。

カートコバーンの遺書の謎

生前のカートコバーン

カートコバーンの死についてはいまだに謎が多く、中には「コートニーがカートコバーンを殺したのではないか」という説を主張する人も。そのような論点から制作された「ソークト・イン・ブリーチ〜カート・コバーン 死の疑惑〜」では、「カートコバーンの遺書は本人によって書かれたものではない」という説が紹介されています。

その根拠は、主に以下の2点。

  • 最後に書き加えられた部分の筆跡に違和感がある
  • はじめと最後の内容に整合性がない

ただ、カートコバーン関連の資料収集が趣味の筆者から言えば、この2点は根拠として非常に弱いと考えます。

たとえば、カートコバーンの直筆の日記を収録した『KURT COBAIN JOURNALS』という書籍を参照すると、最後の部分の筆跡がカートのものであることは一目瞭然です。

事件に携わった警官は「素人目から見ても最後の部分の筆跡に違和感がある」と述べていますが、それはおそらくカートの書いた日記にきちんと目を通していないからでしょう。カートは大きな文字を書くとき、決まってあのような字体を用いています。

また、内容の整合性について言えば、カートの文章は、元々思いついたことをどんどん書き連ねていくスタイルなのが特徴です。

そのため、実際に彼の日記を読んでいても「とりとめのつかない文章」という印象を受けることが多々あります。普段からそのような文章を書き慣れている彼が、思いついたことを突発的に追記したとしても何の不思議もありません。

ゆえに、「ソークト・イン・ブリーチ」における「他者がカートの遺書を執筆した」という説は憶測の域を出ず、可能性としてはかなり低いと結論づけて良いでしょう。

カートコバーンの遺書に関するまとめ

ここまでカートコバーンの遺書についてご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

カートコバーンの遺書は難解な言い回しも多くありますが、彼の生涯のことをよく知っていれば、大まかな内容は理解することができます。

この記事を読んで興味を持った方は、ぜひ彼の伝記や日記などにも目を通してみてくださいね。

コメントを残す