カートコバーンの遺書の原文や日本語訳は?自殺に至った経緯まで解説

カートコバーンの遺書に込められた意味

大まかにいって、カートコバーンの遺書は、劣位に置かれた「自分」と、優位な立場の「他者」という二項対立によって成り立っています。

例を挙げると、「自分」と「他者」を比較する際にしばしば用いられているのが、「感情移入、共感(empathy)」という言葉。遺書の中では、「自分以外の人々(他者)はたやすく他人に感情移入できるが、自分はそれができない」という内容が繰り返し綴られています。

そして、遺書の中にもあるように、カート自身は「感情移入できる他者」のことをうらやましく感じていました。つまり、彼は他者に比べて自分が劣っている存在であると感じていたと言えるでしょう。

そして、それは彼が薬物を常用するようになり、ピストルによって自らの命を断つ要因となったのです。

カートコバーンが劣等感を持った原因

幼少期に両親が離婚

カートコバーンが劣等感を感じるようになった大きな原因は、遺書の中にもあるように「7歳」ぐらいのできごと、つまり家庭内の不和と両親の離婚です。

カートコバーンのドキュメンタリー映画である「モンタージュ・オブ・ヘック」の中で彼の両親が述べているように、当時のアメリカにおいては離婚がまだ普通のこととして受け入れられていませんでした。そのため、幼少期のカートが両親の「異常な」離婚によって心に傷を負ったことは想像に難くありません。

また、幼少期に病院で「ADHD」の疑いをかけられ、それを父親が馬鹿にしていたことや、行儀が悪い際に慢性的に体罰を行なっていたことなどもカートが劣等感を抱くようになった原因のひとつと言えるでしょう。

そして、幼少期に受けた劣等感は癒えることなく彼の心に残り、後のインタビューや日記の中で幾度もその片鱗が見られるようになります。

カートコバーンが自殺した経緯

入院先のガウンを着用するカートコバーン

カートコバーンが自殺し、遺書を残したのは1994年。

その詳しい経緯を知るため、ここでは1994年に起こったできごとを時系列順に確認していきましょう。

コートニーの浮気心が原因となり、ローマで昏睡状態に陥る

1994年、ツアー先のローマでカートは昏睡状態に陥ります。原因は、バリウムに似た睡眠導入剤を60錠以上服用したこと。そして、それを飲んだ理由は「コートニーに浮気心があることを見抜いた」ことだったと言います。

コートニーは、「彼はすごく繊細で、一度だけ浮気心が起こった時もすぐ見破られた」と当時のことを回想しています。カートは生死をさまようほどの危うい状態に陥りますが、奇跡的に回復。ただ、メディアにまたそれを書き立てられたことによって、彼自身の精神は不安定な状態に陥ります。

自殺騒ぎを起こし、警察が介入

同年の3月、カートは「自殺をする」と言って寝室に閉じこもります。心配したコートニーは、警察に通報。取り調べを受けたカートは、「自殺願望があったわけではなく、コートニーから少し離れたかった」と供述していたそうです。

しかし、結局警察はピストルとライフルを自宅から押収。さらに、カートが鎮静剤を大量服用していたことが発覚します。彼自身は薬物の禁断症状を和らげるために購入していたようですが、実際には彼の妄想や偏執性をより強くする作用がありました。

病院を脱走後、遺体として発見される

病院を脱走した

薬物依存の傾向が非常に強くなっていたカートは、周囲からの勧めもあってカリフォルニア州にあるエクソダス・リカバリー・センターに入院。しかし、そのたった2日後、彼は病院の壁をよじのぼって脱走します。

その後1週間ほど行方不明になっていたカートですが、1994年4月8日金曜日、自殺した彼の姿を電気工のギャリー・スミスが発見します。才能に溢れたロックシンガーの早すぎる死でした。死後、遺体からは大量のヘロインが検出されたそうです。

カートコバーンの遺書の謎

生前のカートコバーン

カートコバーンの死についてはいまだに謎が多く、中には「コートニーがカートコバーンを殺したのではないか」という説を主張する人も。そのような論点から制作された「ソークト・イン・ブリーチ〜カート・コバーン 死の疑惑〜」では、「カートコバーンの遺書は本人によって書かれたものではない」という説が紹介されています。

その根拠は、主に以下の2点。

  • 最後に書き加えられた部分の筆跡に違和感がある
  • はじめと最後の内容に整合性がない

ただ、カートコバーン関連の資料収集が趣味の筆者から言えば、この2点は根拠として非常に弱いと考えます。

たとえば、カートコバーンの直筆の日記を収録した『KURT COBAIN JOURNALS』という書籍を参照すると、最後の部分の筆跡がカートのものであることは一目瞭然です。

事件に携わった警官は「素人目から見ても最後の部分の筆跡に違和感がある」と述べていますが、それはおそらくカートの書いた日記にきちんと目を通していないからでしょう。カートは大きな文字を書くとき、決まってあのような字体を用いています。

また、内容の整合性について言えば、カートの文章は、元々思いついたことをどんどん書き連ねていくスタイルなのが特徴です。

そのため、実際に彼の日記を読んでいても「とりとめのつかない文章」という印象を受けることが多々あります。普段からそのような文章を書き慣れている彼が、思いついたことを突発的に追記したとしても何の不思議もありません。

ゆえに、「ソークト・イン・ブリーチ」における「他者がカートの遺書を執筆した」という説は憶測の域を出ず、可能性としてはかなり低いと結論づけて良いでしょう。

カートコバーンの遺書に関するまとめ

ここまでカートコバーンの遺書についてご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

カートコバーンの遺書は難解な言い回しも多くありますが、彼の生涯のことをよく知っていれば、大まかな内容は理解することができます。

この記事を読んで興味を持った方は、ぜひ彼の伝記や日記などにも目を通してみてくださいね。

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