「グラムロックって何?どんなジャンルなの?」
「ビジュアル系ロックとの違いは?」
「グラムロックの名盤は?」
グラムロックとは、デヴィッド・ボウイやT・レックスを筆頭にイギリスで大流行した音楽ジャンルの事を指します。
パンクロックや日本のビジュアル系ロックのミュージシャンに多くの影響を及ぼし、ファッション業界にも大きな衝撃を与えたグラムロックですが、具体的には一体どんなジャンルなのでしょうか?
この記事ではグラムロックの特徴や代表的なアーティスト、おすすめの名盤について詳しく紹介していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
グラムロックとは
グラムロックの発祥
グラムロックは1970年代の初頭から後半にかけて、イギリスで大流行したロックの一種です。流行していた期間こそそんなに長くはないですが、80年代以降のミュージシャンに多大なる影響を与えました。
1967年結成の「T・レックス」や、同年デビューの「デヴィッド・ボウイ」などがグラムロックを代表するアーティストです。
60年代後半から始まったハードロックやプログレッシブロックはワイルドでエネルギーあふれるロックでした。それとは違う新たなロックの形を生み出したのがグラムロックです。
グラムロックは衣装やメイクのイメージが強く、音楽性はバンドやアーティストによってそれぞれ違いました。今までの男性的だったロック・ミュージックに、女性的・中性的なイメージと近未来のような衣装を取り入れて新たなリスナーを開拓していきました。
グラムロックの語源
グラムロックの名前の由来は、魅力的を意味する英単語「グラマラス」だと言われています。またアメリカではきらめき・輝きの意味の「グリッター」を使って、グリッターロックという名前で呼ばれています。
メイクをしたアーティストたちが、きらびやかで魅惑的な衣装を着てパフォーマンスする様がよく表された名前です。
グラムロックの代表的なアーティスト
T・レックス
1967年にイギリスで結成されたロックバンドです。ボーカル兼ギターのマーク・ボランを中心に活動していて、結成当時は「ティラノザウルス・レックス」と名乗っていました。
初期のころはフォークロックを演奏していましたが、1970年に「T・レックス」に改名してからはグラムロックを代表するバンドとなりました。アルバム「電気の武者」で全英チャート第1位を獲得すると、ヒットアルバムやシングルを数々発表していきます。
マーク・ボランはグラムロックの発展に大きな影響を与え、衰退に合わせたように自動車事故により29歳の若さでこの世を去ります。2020年にはロックの殿堂入りを果たし、名実ともに世界を代表するロックバンドになりました。
デヴィッド・ボウイ
デヴィッド・ボウイはロンドン出身のアーティストです。1967年にデビューし、アルバム「デヴィッド・ボウイ」を発表します。
音楽好きの父や異父兄の影響でアメリカのポップスやロック、モダンジャズなどを聞いて育ちました。その音楽性がのちの多彩な音楽活動につながっていきます。
1972年にアルバム「ジギー・スターダスト」を発表すると、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を名乗り世界中を1年半かけてツアーを行いました。このアルバムは現在でもグラム・ロックの名盤のひとつに数えられています。
ミュージシャンとして1996年にロックの殿堂入りも果たし、グラミー賞も5回受賞しています。その一方で俳優としても活動し、数々の賞を受賞している多彩なアーティストです。
ロキシー・ミュージック
1971年に結成されたロックバンド。同年にファースト・アルバム「ロキシー・ミュージック」でデビューを飾りました。ボーカルのブライアン・フェリーやキーボードのブライアン・イーノが在籍したことで知られています。
ロキシーの人気はデビュー当時から高く、イギリスの音楽週刊誌「NME」のランキングで各部門の新人賞を受賞しました。続くセカンド・アルバム「フォー・ユア・プレジャー」でも全英チャート第4位を獲得し注目を集めました。
メンバーチェンジなどを繰り返しながら活動を続けていたロキシーですが、1976年に行ったツアーを最後に解散します。その後ブライアン・フェリーはソロ活動に専念し、1977年には来日公演も行いました。
1979年と2001年に再結成をしてワールドツアーを行い、2019年にはロックの殿堂入りを果たしました。
モット・ザ・フープル
1968年に結成されたサイレンスというバンドを前身としたイギリスのロックバンドで、翌年にデビューしました。
モット・ザ・フープルはデビュー当時から過激なライブパフォーマンスで有名でした。観客とのけんかや機材の破壊などで、多くのコンサート会場から出入り禁止を受けていたようです。ライブでは話題を呼んでいましたが、商業的には中々売れず解散の危機に直面しました。
そんな時に力になったのが、以前からモット・ザ・フープルのファンだったデヴィッド・ボウイです。彼が楽曲の提供とプロデュースを申し出て出来上がったのが「すべての若き野郎ども」でした。全英3位・全米37位を記録し、バンド最大のヒット曲となりました。
モット・ザ・フープル解散後の1970年代後半に流行したパンクロックのミュージシャンにも、大きな影響を与えています。
キャプションにマルコシアスバンプと記載すべきではないか。あまりにもミュージシャンへの敬意を欠いてはいないか。