宮沢賢治の童話は、誰もが一度は国語の教科書などで触れたことがあるのではないでしょうか?「風の又三郎」の冒頭に出てくる
どっどど どどうど どどうど どどう
このフレーズは有名ですね。宮沢賢治は、文字や音に色を感じるという共感覚を持っていたとも言われていて、その表現力は文字だけでも眩しいほどの異彩を放っているように思います。
そんな宮沢賢治は、著作を通じて、人生において背中を押してくれるような言葉を多く残してくれています。特に2011年の東日本大震災後、岩手県花巻市出身ということもあり、宮沢賢治の言葉は再度見直され、注目を集めるようになってきました。
宮沢賢治の童話だけでなく、書簡や詩からも、ぜひおすすめしたい名言10選をご紹介します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
宮沢賢治の名言と意図、背景
真の幸福はたくさんの悲しみの先にある。
たゞいちばんのさいはひに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。
宮沢賢治の代表作の一つである「銀河鉄道の夜」に出てきます。誰かの幸いのために何をしたら良いのかを悩むジョバンニに、青年が答えた言葉です。
私たちは悲しいことが起こると、そこに沈んで動けなくなってしまいがちですが、悲しいことは、これからくる一番の幸いには必要なことなのだと思えば、前を向くことができます。
悲しみに打ちひしがれている人に対する、素晴らしい声かけですね。「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治が何度も改稿し続けた作品で思いの深さを感じますが、こうした前向きになれる名言がたくさん詰まっています。
本当に男らしい人とは、人と比べるのではなく、自分の仕事をしっかり仕上げる者のことだ。
本当に男らしいものは、自分の仕事を立派に仕上げることをよろこぶ。決して自分ができないからって人をねたんだり、出来たからって出来ない人を見くびったりしない。
宮沢賢治の代表作の一つ「風の又三郎」の元となったと言われる「風野又三郎」という幻想的な作品の中に出てきます。小学生の男の子が、学校の先生にいつもこう言われていると又三郎に話すのですが、又三郎もだからこそそんな子供が大好きだと答えます。
この台詞を小学生の男の子に言わせるところが宮沢賢治の凄いところだと思います。子供とはいえ、男同士の会話としてきちんと成立させています。
小学生の男の子は、幼いところもあるものの、自立心も芽生えてきている過渡期です。そういう繊細な心情を宮沢賢治は上手に描いていますし、ぜひ気負わずに小学生の男の子に読んでほしい作品です。
今考えているのだからきっとできる。
ぼくはきっとできるとおもふ。なぜならぼくらがそれをいまかんがへてゐるのだから。
宮沢賢治の童話「ポラーノの広場」に出てくる一節です。「ポラーノの広場」とは誰でも上手に歌えるようになると言われていた広場ですが、今ではただの酒盛りの場になっていました。そのポラーノの広場の伝説を復活したい、また作りたいと訴える若者が放った言葉です。
力強い言葉ですね。東日本大震災後に特に注目された一節で、多くの人の心の支えになったようです。日本では古代から言霊があると言われていますが、やりたいことを言葉にすることで勇気づけられ、上手くいくことは確かにあると思います。
仇を返すことは、互いに修羅の道に入るだけだから、するべきではない。
これほど手ひどい事なれば、必らず仇を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗ふのぢゃ。こなたの胸が霽はれるときは、かなたの心は燃えるのぢゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるぢゃ、この身終って次の生しゃうまで、その妄執は絶えぬのぢゃ。遂には共に修羅に入り闘諍しばらくもひまはないぢゃ。必らずともにさやうのたくみはならぬぞや。
宮沢賢治の短編童話「二十六夜」にある、ふくろうのお坊さんの言葉です。仇を返すことですっきりしたとしても、今度は相手がまた仇を返そうとするので、終わりがないからやめるべきだという話です。童話自体は輪廻転生がテーマで、最後には菩薩が現れ、他人の命を奪って生きていかなければならない罪業から救われます。
宮沢賢治の童話の中でも仏教色の強い、難しいお話ですが、歳を重ねた大人が読むと、その言葉の重みが感じられます。「他人を恨んではならない、全ては自分がもとだと思いなさい」という似たような趣旨の言葉も出てきます。宮沢賢治が悲しみや憎しみの連鎖が生む不幸を強く訴えている作品だと感じました。
食べられるものの立場になって食事をしなければならない。
酒をのみ、常に絶えず犠牲を求め、魚鳥が心尽しの犠牲のお膳の前に不平に、これを命とも思はず、まづいのどうのと云ふ人たちを食はれるものが見てゐたら何と云ふでせうか。
大正7年の書簡にある一節です。不味いとか文句を言ったり、怒りながら食べている人に対し、宮沢賢治は自分がもし魚だったら、食べられるときにどう思うかを想像して書いています。
宮沢賢治は客観視することが得意でした。個人の視点はあるものの、そこに拘らずに自由なものの見方をすることができました。だからこそ色々な立場のものになって物事を考え、感謝する心を大切にできたのでしょう。
食べられるものの立場になってみるとは簡単なことですが、意外としないものです。しかしとても大切な視点だと思います。
よくわかりました。
これからも頑張ってください