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宮沢賢治の名言10選!発言の背景や意図も解説

宮沢賢治の童話は、誰もが一度は国語の教科書などで触れたことがあるのではないでしょうか?「風の又三郎」の冒頭に出てくる

どっどど どどうど どどうど どどう

このフレーズは有名ですね。宮沢賢治は、文字や音に色を感じるという共感覚を持っていたとも言われていて、その表現力は文字だけでも眩しいほどの異彩を放っているように思います。

そんな宮沢賢治は、著作を通じて、人生において背中を押してくれるような言葉を多く残してくれています。特に2011年の東日本大震災後、岩手県花巻市出身ということもあり、宮沢賢治の言葉は再度見直され、注目を集めるようになってきました。

宮沢賢治の童話だけでなく、書簡や詩からも、ぜひおすすめしたい名言10選をご紹介します。

宮沢賢治

宮沢賢治の名言と意図、背景

真の幸福はたくさんの悲しみの先にある。

たゞいちばんのさいはひに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。

宮沢賢治の代表作の一つである「銀河鉄道の夜」に出てきます。誰かの幸いのために何をしたら良いのかを悩むジョバンニに、青年が答えた言葉です。

私たちは悲しいことが起こると、そこに沈んで動けなくなってしまいがちですが、悲しいことは、これからくる一番の幸いには必要なことなのだと思えば、前を向くことができます。

悲しみに打ちひしがれている人に対する、素晴らしい声かけですね。「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治が何度も改稿し続けた作品で思いの深さを感じますが、こうした前向きになれる名言がたくさん詰まっています。

本当に男らしい人とは、人と比べるのではなく、自分の仕事をしっかり仕上げる者のことだ。

本当に男らしいものは、自分の仕事を立派に仕上げることをよろこぶ。決して自分ができないからって人をねたんだり、出来たからって出来ない人を見くびったりしない。

宮沢賢治の代表作の一つ「風の又三郎」の元となったと言われる「風野又三郎」という幻想的な作品の中に出てきます。小学生の男の子が、学校の先生にいつもこう言われていると又三郎に話すのですが、又三郎もだからこそそんな子供が大好きだと答えます。

この台詞を小学生の男の子に言わせるところが宮沢賢治の凄いところだと思います。子供とはいえ、男同士の会話としてきちんと成立させています。

小学生の男の子は、幼いところもあるものの、自立心も芽生えてきている過渡期です。そういう繊細な心情を宮沢賢治は上手に描いていますし、ぜひ気負わずに小学生の男の子に読んでほしい作品です。

今考えているのだからきっとできる。

ぼくはきっとできるとおもふ。なぜならぼくらがそれをいまかんがへてゐるのだから。

宮沢賢治の童話「ポラーノの広場」に出てくる一節です。「ポラーノの広場」とは誰でも上手に歌えるようになると言われていた広場ですが、今ではただの酒盛りの場になっていました。そのポラーノの広場の伝説を復活したい、また作りたいと訴える若者が放った言葉です。

力強い言葉ですね。東日本大震災後に特に注目された一節で、多くの人の心の支えになったようです。日本では古代から言霊があると言われていますが、やりたいことを言葉にすることで勇気づけられ、上手くいくことは確かにあると思います。

仇を返すことは、互いに修羅の道に入るだけだから、するべきではない。

これほど手ひどい事なれば、必らず仇を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗ふのぢゃ。こなたの胸が霽はれるときは、かなたの心は燃えるのぢゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるぢゃ、この身終って次の生しゃうまで、その妄執は絶えぬのぢゃ。遂には共に修羅に入り闘諍しばらくもひまはないぢゃ。必らずともにさやうのたくみはならぬぞや。

宮沢賢治の短編童話「二十六夜」にある、ふくろうのお坊さんの言葉です。仇を返すことですっきりしたとしても、今度は相手がまた仇を返そうとするので、終わりがないからやめるべきだという話です。童話自体は輪廻転生がテーマで、最後には菩薩が現れ、他人の命を奪って生きていかなければならない罪業から救われます。

宮沢賢治の童話の中でも仏教色の強い、難しいお話ですが、歳を重ねた大人が読むと、その言葉の重みが感じられます。「他人を恨んではならない、全ては自分がもとだと思いなさい」という似たような趣旨の言葉も出てきます。宮沢賢治が悲しみや憎しみの連鎖が生む不幸を強く訴えている作品だと感じました。

食べられるものの立場になって食事をしなければならない。

酒をのみ、常に絶えず犠牲を求め、魚鳥が心尽しの犠牲のお膳の前に不平に、これを命とも思はず、まづいのどうのと云ふ人たちを食はれるものが見てゐたら何と云ふでせうか。

大正7年の書簡にある一節です。不味いとか文句を言ったり、怒りながら食べている人に対し、宮沢賢治は自分がもし魚だったら、食べられるときにどう思うかを想像して書いています。

宮沢賢治は客観視することが得意でした。個人の視点はあるものの、そこに拘らずに自由なものの見方をすることができました。だからこそ色々な立場のものになって物事を考え、感謝する心を大切にできたのでしょう。

食べられるものの立場になってみるとは簡単なことですが、意外としないものです。しかしとても大切な視点だと思います。

みんなが遊んでいる時に、一人でいることで感じる侮辱や孤独から、歌が生まれる。

みんなが町で暮したり、一日あそんでゐるときに、おまへはひとりであの石原の草を刈る。そのさびしさでおまへは音をつくるのだ。多くの侮辱や窮乏の、それらを噛んで歌ふのだ。

みんなが賑やかな町で楽しく遊んでいる一方で、自分は一人で草刈りをしていたのなら、自分もみんなの輪に混ざりたいという思いもあるでしょうし、みんなからは何で一人でいるんだという侮辱も受けるかもしれません。それでも孤独でいることが創作活動に繋がるのだから、孤独を噛み締めて創作しなさいという意味です。

これは宮沢賢治の「告別」という詩の一部です。宮沢賢治が花巻農学校の教師を辞する際に書いた詩と言われています。教え子に音楽の才を持った若者がいて、その青年に向けての思いもあったようです。クリエイターと呼ばれるような職種の人たちからの支持が高い名言で、この言葉を胸に日々創作活動に打ち込む人も多いようです。

恋愛とは互いの魂が完全に永久にどこまでも一緒に行こうとするもので、性欲とは恋愛の理想が追及できずに辻褄を合わせるためのものだ。

じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと、完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする、この変態を恋愛といふ。そしてどこまでもその方向では、決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を、むりにもごまかし求め得やうとする、この傾向を性慾といふ。

宮沢賢治の初の詩集「春と修羅」に収められている「小岩井農場」パート九にあります。宮沢賢治にとって、恋愛とは「その人の魂と完全にいつまでもどこまでも一緒に行こうとするもの」でした。しかしそれは理想論であって、現実にはできないから、それを誤魔化すために人は性欲へと動くというのです。

この詩は、シンガーソングライターの米津玄師が愛読していることでも知られています。彼の楽曲には、宮沢賢治の作品からインスパイアされたものもあるそうです。

少しずつ身をもって学んでいくことが、これからの新しい学問である。

きみのやうにさ、吹雪やわづかの仕事のひまで、泣きながら、からだに刻んで行く勉強が、まもなくぐんぐん強い芽を噴いてどこまでのびるかわからない、それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ。

「春と修羅」第三集に収められています。宮沢賢治は、知識だけでは人を動かすことはできない、経験から得たものが本当に人の心を揺さぶるという話を他でもしています。

教育格差が社会問題になっています。確かに、生まれ育った環境によって左右されるものはあるかもしれません。しかし、たとえ塾に通えない、十分な学習教材が手に入らないからといって、学問を諦めるのではなく、自身の体験から学べることこそ学問だと言ってくれる宮沢賢治の言葉は、一つの希望の光になる気がします。

永久の未完成が完成なのだ。

永久の未完成これ完成である。

「農民芸術概論綱要」という宮沢賢治の芸術論に含まれているものです。どんなことも問い続ける姿勢を大事にした宮沢賢治にとって、完成というものは無かったように思います。それに対して悩む姿も見られますが、問うことをやめないことこそが完成だという境地に至ったのかもしれません。

世の中で何らかの仕事で「プロ」と呼ばれている人たちは、常に向上心を忘れず、歩みを止めません。皆に認められているからと言って、今の自分が完成形だとは思っていないのでしょう。それを思うとこの言葉の意味がずしりと響きます。

どんなことも自分のことは二の次にして、よく聞いて理解し、忘れない。

アラユルコトヲ、ジブンヲカンジョウニ入レズニ、ヨクミキキシワカリ、ソシテワスレズ

宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の一節として有名ですね。この詩全体が宮沢賢治の理想像なのでしょうが、どう考えてもこんな人はいないでしょう!と言いたくなる人の話です。しかし、こういう人になりたいという思いが少しでもあれば、人は変われるとも思います。

特にこの一節は、人とコミュニケーションをとる時に大切にしたいですね。こういう謙虚な気持ちがあったならば、人との関係はきっと上手く行くと思います。

宮沢賢治の名言集や関連書籍

「宮沢賢治詩集」

宮沢賢治の詩集は他の出版社でも出ていますが、岩波書店から出ているものが一番収録数が多いです。

正直、昔の言葉で読みにくいと思います。しかし宮沢賢治の言葉はリズムや音の響きも重要なので、安易に訳さずにそのままの音を楽しんで欲しいです。よく分からなくても、とりあえず音読してみるというのも良いでしょう。

「写訳春と修羅 」

齋藤陽道という今注目の写真家が、宮沢賢治の詩集「春と修羅」を「写真」で訳すという面白い企画の本です。

詩の解釈は人それぞれですが、その解釈について聞く機会は少ないものです。この本はそれを写真にすることで、言葉にできない思いが溢れ出ているようで、とても幸せな読書時間が過ごせました。

「かなしみはちからに 心にしみる宮沢賢治のことば 」

教育学者の齋藤孝監修による、宮沢賢治の言葉と美しい写真が楽しめる本です。宮沢賢治の名言を集めた本は他にも出版されていますが、この本は余計な解釈を載せずにシンプルでわかりやすく、宮沢賢治の言葉そのものがスッと心に響いてきます。

言葉の出典が書かれているので、詳しく知りたければその出典となった話を辿ることができます。いつでも手に届くところに置いておき、ちょっとした時間に少しずつ読んでみたくなるような、生活の潤いになってくれそうな本です。

宮沢賢治に関するドラマや映画

宮沢賢治の食卓

鈴木亮平が宮沢賢治を演じたドラマです。最愛の妹であったトシとの物語は、涙無くしては観られませんでした。「永訣の朝」という有名な詩も登場します。

宮沢賢治というと「銀河鉄道の夜」などの作者としての表情しか知らない人は、このドラマを見ると、宮沢賢治のバックボーンが見えてきて、作品の奥行きをさらに感じられるのではないでしょうか?

蜜蜂と遠雷

国際ピアノコンクールに出場する若きピアニスト4人の物語です。原作であった恩田陸の同名小説が本屋大賞と直木賞を受賞していたこともあって、映画は公開前から大きな注目を集めました。

この作品の中で、課題曲として与えられたのが「春と修羅」でした。これは作曲者菱沼忠明が宮沢賢治の詩からインスパイアを受けたそうです。この曲を藤倉大が4人の個性を考えて違うアレンジを作り、作中で披露されます。

松坂桃李が演じる明石の演奏には、「春の修羅」にある「あめゆじゅとてちてけんじゃ(雨雪をとってきてちょうだい)」もモチーフに使ってあります。宮沢賢治の詩を思い浮かべると、さらに曲の解釈が深くなり、心を動かされます。

宮沢賢治の名言についてのまとめ

いかがでしたか?気になる名言があったら、ぜひ原典にあたって見ると、また深い理解が得られるでしょう。

宮沢賢治の作品は、短編が多いので読みやすいです。「銀河鉄道の夜」など子供の頃に読んで知っていると思っても、歳を重ねてから読むとまた違った感想を抱く人が多いので、この機会にぜひ再読して欲しいです。

この記事を通して、道に迷っている人にそっと寄り添ってあげる、気持ちを強くしてあげられる言葉に一つでも出会えたなら幸いです。

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