ニール・アームストロングの功績
では具体的に彼が一体どのような功績を残したのかというところが気になりますよね。もちろん月面着陸については誰もが知っているほどの偉業ですが、実はその他にも彼は歴史に残るレベルの功績を残しているのです。
ここからはアームストロングの残した功績の中から3つご紹介していきます。
功績1「人類初の月面略陸に成功」
アームストロング最大の功績は、人類初となる月面着陸を成功させたことです。アポロ11号から月に降り立ったのは彼を含めて2名、その後の歴史を見ても月に着陸した人間はたった12名です。そしていまだに月面に足を踏み入れる13人目は現れていません。
もちろん月を歩いた時の感触を知っているのも彼らだけです。彼らの感想によると、月の表面は細かい粉のようでかなり滑らかであるといいます。
アームストロングが月に降り立つ瞬間は世界中で生中継され、リアルタイムで約6億人が中継に釘付けになっていました。これは当時の視聴数としては異常に高い記録です。この数字からアポロ計画がいかに人類の夢が詰まった取り組みであったかがわかりますね。
功績2「史上初の宇宙船ドッキングに成功」
1966年、アームストロングはジェミニ8号という宇宙船の機長として初の宇宙飛行に挑みます。彼の任務は無人衛生のドッキング作業であり、それが成功したら史上初の快挙ということで大きな注目を集めていました。
打ち上げから6時間ほどでドッキングの対象となるとアジェナに到達したアームストロングは、慎重に作業に取り掛かりました。繊細な機器を絶妙なタイミングで操作しなければならないドッキング作業は、彼の神経を相当すり減らしたと考えられます。
結果的にドッキング作業は見事に成功しました。彼が「ドッキング終了、実にスムーズだったよ」と管制室に伝えた瞬間、管制室では歓声が上がったといいます。
功績3「大惨事からの生還 」
ジェミニ8号に搭乗し、史上初の宇宙空間での衛生ドッキングを成功させたアームストロングでしたが、直後この作業以上に大きな試練が彼らを待ち受けていました。
ドッキングから27分が経った頃、彼らが乗っている機体がゆっくりと回転していることに気が付いたのです。アームストロングは落ち着いて姿勢制御用推進装置を作動させ、機体の回転を止めました。しかし、それでも数分後には再び機体が回転し始めます。
アジェナに問題があると察した彼は、瞬時にアジェナと機体を切り離す判断をしました。ところが切り離された後の機体はさらに回転を加速させていき、毎秒2回転という恐ろしい速度で回転し続けたのです。
激しい回転により視界がぼやけ意識も朦朧とする中で彼は、手動制御装置を巧みに操作し機体の回転を止めることに成功。なんとか地球への帰還を果たしました。
極限の状態でも瞬時に正しい判断をする冷静さと、目が見えなくても全てのスイッチの位置を正確に把握するほどの徹底した訓練により、今回の大惨事を切り抜けることができたのです。この功績は後々アームストロングがアポロ11号の船長に抜擢される大きな要因となりました。
アームストロングの名言
アームストロングの名言といえば、誰もが知っているあのセリフです。
「これは一人の人間にとっては小さい一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」
痺れますね。アームストロングのたった一歩が、人類の技術の飛躍を表している、とてもかっこいい言葉です。
彼自身は「月に降りた直後に思いついた言葉だ」と主張していましたが、彼の弟であるディーンによって、この言葉が事前に準備されていたものだと明らかになりました。2人でボードゲームをしている際に紙に書かれたあの言葉を見せられたといいます。
また、この名言を発した際、彼の文法が間違っていたことがわかりました。
実際の音声を聞いてみると「1人の人間」という意味である“a man”という言葉の“a”が抜けています。“man“だけだと「1人の人間」ではなく「人類」という意味になります。それにより「これは人類にとっては小さい一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」という文章になっていまったのです。
本人は「ちゃんと“a man”と言った」と発言しており、録音ミスなのか彼自身のミスなのかは謎ですが、なんだかほっこりするエピソードですね。
アームストロングの人物相関図
こちらの図はアームストロングに関連した人物相関図です。アームストロングは宇宙飛行士引退後、グライダー飛行を楽しみました。そのためグライダー関係者と濃い関わりがあるのです。
また、各々が遂行するプロジェクトでも密接な繋がりがありました。その中でもアポロ計画に直接的な繋がりのある人物は「ヨッキム・キュットナー」「ヴェルナー・フォン・ブラウン」の2人です。
ヨッキム・キュットナーは、アポロ計画においてはシステムシステムインテグレーターとして計画に貢献しました。簡単に言えばシステムを統合する技術者で、高度な知識や技術が求められる仕事です。
そしてヴェルナー・フォン・ブラウンは、サターンロケットの開発を主導した人物です。サターンロケットとは、液体燃料を搭載したロケットのことで、アポロ計画ではこのロケットが使用されていました。
このようにアームストロングだけでなく、トップレベルの様々な人材が力を総動員したことにより、月面着陸が実現したのです。
アームストロングにまつわる都市伝説・武勇伝
ここからはアームストロングにまつわる都市伝説や武勇伝をご紹介していきます。思わず「すごい!」と思ってしまうものから「それ本当?」と疑ってしまうようなものまでご用意しました。
都市伝説・武勇伝1「アームストロングと名付けられた小惑星がある」
1982年にチェコの天文学者であるアントニーン・ムルコスはとある一つの小惑星を発見しました。その小惑星にはなんと「アームストロング」という名前が付けられています。もちろんニール・アームストロング船長に因んで名付けられた惑星です。
というのも、小惑星が発見された際の名前は人名や地名などが命名されることが多く、その中の一つが「アームストロング」と名付けられたというわけです。とはいえ、小惑星の名前に選ばれるというのは、相当大きな偉業を成し遂げない限りはありえません。
他に小惑星の名前として付けられた人名を挙げると以下のとおりです。
- アインシュタイン
- キュリー夫人
- ニュートン
- ガガーリン
このように教科書に載るレベルの偉人が多く、いかにアームストロングが人々に与えた影響は大きいかということがわかりますね。
都市伝説・武勇伝2「月面着陸は嘘だった?」
偉業を成し遂げたアームストロングですが、その後なんと「彼の月面着陸は嘘だったのではないか」という噂が立ち始めました。本当は月へ行っていないのに、アメリカの技術力を誇示するために月へ行ったという事実を捏造していたというのです。もし本当にそうなら大問題ですよね。
では一体、何を根拠にそのような噂が広がったのでしょうか。アポロ11号の乗組員が月で撮影した写真の中に、月面着陸捏造の証拠となるものが写っているといいます。それがこちら。
こちらの写真は、月の表面にアメリカの国旗を立てた様子を撮影したものです。もしも宇宙空間であれば大気がないため、風が起こることはありえないのですが、こちらの写真では旗が風によってはためいているように見えます。
実際のところ、こちらの旗は風になびいていたのではなく、「シワのある状態で止まっていただけ」だったことがわかりました。
他の星が写っていないことやクレーターが写っていないことから、「砂漠で撮った写真ではないか?」と疑われたこともありましたが、宇宙飛行士たちが実際に撮影を行った「FULL MOON」という写真集によって月面着陸は事実であることが明らかとなっています。
都市伝説・武勇伝3「アームストロングは月で宇宙人を見た?」
こちらはかなり大胆な都市伝説ですが、アームストロングは月で宇宙人の存在を確認していたかもしれないというのです。
アームストロングは月に降り立った時、「彼らがいる。彼らはクレーターの淵に宇宙船を止めて、我々を見ている」と語ったそうです。
また、NASAで科学者を務めるノーマン・バーグラン博士は、アポロ11号のフライト写真の中に、乗組員だけでなく身長2mほどある全身が黒い人型の生物が写っていることを確認したといいます。
アームストロングが語った「彼ら」は宇宙人である可能性が非常に高いと思われますが、真相についてはよくわかっていません。
アームストロングの簡単年表
アームストロングはアメリカのオハイオ州に生まれましたが、父の仕事の都合で引っ越しが多く、14歳になるまでに20もの街に移り住んだといいます。ボーイスカウトに所属していた彼は、イーグルスカウトという最高ランクに選ばれるほどのエリートでした。
アームストロングはパデュー大学大学に入学し航空工学を学ぶことにしました。実はマサチューセッツ工科大学にも入学を認められるほどの学力があったのですが、それでもパデュー大学の方が航空工学について良い教育を受けられると判断したのです。
海軍に入隊した彼は、約18ヶ月に及ぶ訓練の末、1951年から実戦の場で飛行することになりました。彼の実戦での飛行回数は78回で、その間何度も危険な目に遭いましたが、冷静で的確な判断によりいずれも生還を果たしています。海軍を抜けた後は、再びパデュー大学に戻り2年間学業に励みました。
大学を無事卒業した後、彼はテストパイロットになることを志願します。テストパイロットとは、新型の戦闘機や爆撃機などを操縦し、その性能を確かめる職業です。もちろん試験用なので、飛行中に様々な不備が見つかります。
ここでも彼は、突然のエンジン停止など様々な危機を経験します。そんな状況すらも生き抜いた彼の実力は本物でした。
アームストロングがジェミニ8号の船長に任命された翌年、1966年に史上初となる宇宙船のドッキング作業が行われました。
彼の手によりドッキングが成功したかに見えたその時、突如機体が回転するというトラブルに見舞われます。少しの判断ミスで乗員の命が失われる状況の中、的確な判断で地球への帰還を果たしました。
アポロ計画に参加することが決まってから、彼は月面着陸を成功させるための訓練を積みました。月の重力に近い状態を再現し、機体を着陸させる訓練を行なったのです。ここでの経験が、のちの月面着陸成功に大きく貢献することになったといいます。
ついに彼は人類の夢である月面着陸を成功させました。着陸船の燃料は残り30秒分しか残っておらず、かなりギリギリの着陸でした。月に降り立ってみると、想像していたよりもずっと身動きが取りやすく、地表は滑らかな粉のようになっていたと言います。
アポロ11号の帰還後、彼は宇宙飛行士の引退を決意します。その後の人生は大学で宇宙工学の教授として活動したり、農作業をしたりと自分のやりたいことをして過ごしました。1994年には人生で2度目となる結婚をしています。そして2012年、82歳で彼はその生涯を終えました。