武蔵坊弁慶とはどんな人?生涯・年表まとめ【伝説、義経との関係も紹介】

武蔵坊弁慶にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「実は史実に”弁慶”はいなかった?」

各所にゆかりのある史跡が残る武蔵坊弁慶だが、記録の少なさから「非実在説」もあるようで…

これまでのトピックでも何度か触れている通り、武蔵坊弁慶という人物について、史実に残っている記録は非常に少数です。そのため、「武蔵坊弁慶という人物は、本当は実在していない」という説も、まことしやかに囁かれることがあります。

結論から言って、この説は「半分本当で、半分は嘘」というのが定説だと言えます。

「武蔵坊弁慶」を名乗る人物が存在していたことは、鎌倉時代の研究資料として使われている『吾妻鏡』にも記録されており、記録された武蔵坊弁慶が源義経に仕えていたことは、資料から裏付けが取れた事実であると言えるでしょう。

しかし、弁慶が残した様々なエピソードについては『吾妻鏡』には記録されておらず、それが現実に起こった事柄かどうかは疑問視されています。特に、都落ちした後の義経については、罪を犯して寺を追い出された僧侶(悪僧)に協力を得つつ東北に向かったという記録が残っているため、「武蔵坊弁慶」という忠臣のエピソードは、それらの悪僧たちのエピソードが統合されたものだと見るのが一般的です。

多くの悪僧のエピソードが統合された結果として生まれたのが、現在我々が多くの物語で親しむ武蔵坊弁慶。この説にも確たる証拠はないものの、歴史的なロマンや諸行無常を感じられる説ではないでしょうか。

都市伝説・武勇伝2「実は北海道を訪れていた?」

北海道にある弁慶ゆかりの観光名所、「弁慶の土俵跡」
「弁慶の刀掛岩」

「源義経=チンギス・ハーン説」のような生存説があるように、義経と最期を共にした弁慶にも、実は生存説が存在しています。

陸奥国で頼朝からの追討を退け、なんとか生き延びた弁慶が向かったとされるのは、なんと当時からすると未開の地だった北海道。そこで彼はアイヌの力自慢と相撲勝負を行ったり、刀を置くために岩を抉ったりと、多くの剛力自慢エピソードを残したと伝わっているのです。

普通に考えれば、明らかに荒無稽でしかないトンデモ説ではありますが、義経生存説と共に弁慶の生存説が囁かれていることも、武蔵坊弁慶の人気を示す一つの要素となっているような気がします。

武蔵坊弁慶の簡単年表


1159年以前? – 0歳
熊野別当の子として誕生

生年不肖ではありますが、少なくとも12世紀中ごろに、後の武蔵坊弁慶となる子供が誕生しました。母の腹に18か月(一説では3年)も宿り続けたその子は、生まれた時点で3歳児ほどまで育っていたらしく、不気味がった父親の熊野別当は、その子を「鬼子」と呼んで殺そうとしたそうです。

しかし母親である二位大納言の姫の姉妹に引き取られたことで、その子は九死に一生を得て、京都で養育されることになりました。

??年 – ?歳
比叡山に入れられるも、乱暴三昧で追い出される

”鬼若”と名付けられた幼い弁慶は、比叡山に入れられますが、そこで乱暴狼藉を働いて、最終的には山を追い出されてしまいます。

これを受けた彼は、自ら剃髪を行って、名を「武蔵坊弁慶」と改め、四国や播磨近辺で乱暴狼藉を働く荒くれ者として日々を送っていきました。

??年 – ?歳
五条大橋の決闘~牛若丸との出会い~

四国や播磨で乱暴の限りを尽くした弁慶は、京都で武者と決闘をし、太刀を千本奪おうと思い立ちます。

五条大橋に陣取って多くの武者を下した弁慶は、悲願の達成まであと1本のところまで迫りますが、最後の相手として目を付けた、後の源義経――牛若丸の身軽さに翻弄されて敗北。決闘の中で彼に魅せられたらしい弁慶は、義経の配下として彼に忠誠を捧げることになりました。

弁慶を代表するエピソードですが、当時の京都に「五条大橋」という橋は存在していなかったことが分かっており、実際にあったエピソードかどうかは疑問視されているのが現状です。

1180年~1185年4月頃 – ?歳
源義経の配下として、平家討伐に貢献

義経の配下となった弁慶は、平家との合戦の多くに出陣。その武勇や智謀の全てを使って、義経や源氏の勝利に多大な貢献を行ったとされています。

ただし史実資料に弁慶の活躍が記録されているわけではなく、その活躍の実態については謎に包まれている状況です。

1185年以降 – ?歳
頼朝の変心~苦難に満ちた逃避行~

平家討伐に多大な貢献を行った義経や弁慶ですが、幕府を開いた頼朝が義経を疎ましがったことで、義経一行は都を落ち延び、北に向けて逃避行をすることを余儀なくされてしまいます。

山伏に紛争しての逃避行は非常に苦しいものだったようですが、弁慶はこの時も義経に同行し、持ち前の知恵と剛力によって一行を助けたそうです。

武蔵坊弁慶の名前が『吾妻鏡』に登場するのもこの頃ですが、あくまで名前が登場するだけにとどまっており、その活躍の実態はやはり謎だと言わざるを得ません。

1186年~1187年? – ?歳
『勧進帳』で忠義を示す

逃避行を続ける義経一行でしたが、加賀国安宅の関で冨樫左衛門に見咎められてしまいます。この時弁慶は、「自分たちは山伏である」と証明するために、白紙の巻物を勧進帳(山伏の持つ布教の道具)に見立てて朗々と偽の勧進帳を読み上げ、一行の窮地を救ったと伝わっています。

また、その際に疑われた義経を、「お前が小柄だから疑われたのだ」と罵倒しながら殴りつけることで危機を回避したという逸話も残っています。

冨樫左衛門はこの、「主を殴ってでも守る覚悟」に感じ入り、嘘を見抜きながらも彼らを通過させたと言われており、このエピソードは義経と弁慶を語るうえで決して欠かすことのできないエピソードとなっているのです。

1189年6月15日 – ?歳
弁慶の立ち往生~主君を護り、壮絶な討死を遂げる~

辛くも奥州にたどり着き、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)のもとに身を寄せた義経一行でしたが、秀衡の死後に家督を継いだ藤原泰衡(ふじわらのやすひら)の裏切りに遭い、鎌倉からの追討軍に襲撃を受けてしまいます。

弁慶は義経を守る最後の砦として、義経たちが隠れる仏堂の前で奮戦しましたが、最期には矢の雨を浴び、無数の傷を負った状態で立ったまま絶命したと言われています。


武蔵坊弁慶の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

弁慶 (手塚治虫文庫全集)

言わずと知れた「漫画の神様」・手塚治虫の描く弁慶の生涯です。今風の漫画としてみると表現的に古く感じられる部分もありますが、武蔵坊弁慶の生涯を簡単に知るには、この作品が最も適しているかと思われます。

単純にわかりやすいだけでなく、ストーリー仕立てで読みやすい作品でもあるため、歴史を学びたい方だけでなく、子供に与える学習漫画を探している方にもおすすめしたい一冊です。

牛若と弁慶

タイトルが示す通り、源義経と武蔵坊弁慶を主軸にした解説書です。さほど新しい書籍ではないため、内容自体には若干古い所がありますが、分かりやすさの観点で言えば随一の一冊だと言えます。

筆者の感情的な部分が最小限に抑えられているため、「良い悪い」の観点ではない所から二人の関係性を知ることができる、「学び」に適した一冊としておすすめさせていただきます。

武蔵坊弁慶

武蔵坊弁慶を主役に据えた小説作品です。かなり古めの作品であり、内容自体もかなりぶっ飛んだ部分が散見されますが、その分エンタメ作品としても楽しめる一冊になっています。

「本気で歴史を学びたい!」という方には向いていない作品ではありますが、いわゆる『戦国BASARA』のようなぶっ飛んだ歴史モチーフの作品が好きな方には何よりおすすめできる、非常に痛快な小説作品です。

おすすめの映画

虎の尾を踏む男達

この記事でもたびたび触れた『勧進帳』のエピソードを、黒澤明が映画化した作品です。

内容が歌舞伎の『勧進帳』から少し改変されていることもそうですが、シリアスにもコミカルにもよらない独特の作風は、古臭さを感じさせつつも何故か目を離せなくなる魅力に満ち溢れています。

ツッコミどころのない作品とは言えませんが、弁慶について興味がある方や、あるいは黒澤明ファンの方には、見ておいて損はない作品だと思います。

五条霊戦記 GOJOE

義経と弁慶の出会いである「五条大橋の戦い」をモチーフとした、SF時代劇作品です。

「真面目な歴史もの」を志向する方は憤慨すること請け合いの作品ですが、設定のぶっ飛び方や、意外と深く重苦しい話の内容、エピソード性の強い歴史解釈などは、ハマる人にはどっぷりハマること請け合いです。

万人におすすめできる作品とは決して言えませんが、エンタメ系時代劇の極致とも言える作品ですので、嫌でない方はぜひ見ていただきたいと思います。

おすすめドラマ

武蔵坊弁慶

武蔵坊弁慶を主役に据えた大河ドラマです。かなり古めの作品ではありますが、現代的な要素も要所要所に詰め込まれており、現在見ても楽しむことのできる息の長い作品になっています。

単純な歴史解釈のみならず、仏教的な考え方なども用いられた構成はあまりにも巧みで、特に平家との決戦に流れ込んでいく辺りは、おそらく涙なくして見ることができる方はいないでしょう。

初めて見た時こそ、少々違和感を感じるかもしれない大河ドラマですが、是非最後まで見ていただきたい、紛れもない名作ドラマの一つだと筆者は思っております。

大河ドラマ 義経

弁慶が最期まで忠義を尽くした主君、源義経の生涯を描く大河ドラマです。武蔵坊弁慶は松平健さんが演じ、重厚かつ迫力のある演技は、見ているこちらの心を画面に集めて離しません。

この作品の弁慶は義経と同様に、ある種の悲劇のヒーローとして描かれています。その壮絶な最期も相まって、泣かされることは間違いありません。長い作品ではありますが、必ず最後まで見てほしい作品となっています。

関連外部リンク

武蔵坊弁慶についてのまとめ

おそらく源平合戦期でも有数の有名人でありながら、実は非実在説すら囁かれるほどに記録が少ない武蔵坊弁慶という人物。しかしそういった「記録だけでない名前の広がり方」などは、偉業を追うだけではない歴史の楽しみ方を、私たちに暗に示してくれているようにも思えます。

『戦国BASARA』に代表される、歴史をモチーフにしたぶっ飛んだ作品は、根強いファンを抱える反面、アンチ層からの反発も大きいもの。しかし実は武蔵坊弁慶なんかも、そういった「ぶっ飛んだ」解釈によって人気を得た人物だったというのは、中々に面白い所なのではないでしょうか。

一口に”歴史”と言っても、「学ぶ」「読む」「書く」「描く」「作る」と、楽しみ方は人それぞれ。もちろん故人に対するリスペクトを持たねばならないのは当然ですが、そういった歴史の様々な楽しみ方を学べる人物こそが、この「武蔵坊弁慶」という人物なのではないかなと思います。

それでは、この記事におつきあいいただきまして、誠にありがとうございました。

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