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ローマカトリック教会とはどんな宗教?成り立ちから考え方や教え、年表で紹介

「ローマカトリック教会って、実際にはどんな考え方なの?」
「ローマ教皇って、何をする人なの?」

こんな疑問をお持ちではないでしょうか。ローマカトリック教会ときくと、「キリスト教だということはわかるけど、色々な宗派があって難しい」など疑問に思う方もいるかもしれませんね。

ローマカトリック教会は、仏教、イスラム教と並ぶ世界三大宗教の一つで、世界中に12億人以上の信徒がいると言われています。しかし、「カトリック教会」と「プロテスタントなど他の宗派」との違いや、カトリック教会の成り立ちなど、カトリック教徒でないとなかなか知る機会がないかもしれません。

今回は、様々な宗教についてあらゆる本を読み漁った著者が、ローマカトリック教会とはどのような宗教なのか、成り立ちや歴史、カトリックの教え、そしてローマ教皇とはどのような人なのか詳しくご紹介していきます。

ローマカトリック教会とはどんな宗教なの?

サンピエトロ寺院はカトリック教会の総本山

ローマカトリック教会とは、ローマ教皇を頂点とし、世界中に12億人の信徒がいるキリスト教の最大宗派です。イエス・キリストの死後、弟子たちがイエスの教えを伝導していくなかで、イエスを信じる人々の集いが形成され、これが後に教会へと発展していきました。ローマカトリック教会では、教会が最大の権限を持ち、で伝統を重んじながら一体感が強い教派です。

ローマカトリック教会は、神の子であるイエスが人としてこの世に生まれたこと、全ての人の罪を自らに背負い十字架の上で死んだこと、全ての人々の罪が許されたことの証としてイエスが復活したこと、これらがカトリック教会の信仰の中心となっています。

カトリックとプロテスタントの違いとは?

プロテスタントの牧師 イメージ

カトリックもプロテスタントも信じる神は「父・子・聖霊」の三位一体の神であり、イエス・キリストも聖書も同じです。何が違うかというと、まず教職者が違います。カトリックでは「神父」、プロテスタントでは「牧師」と呼びます。

神父とはローマカトリック教会で儀式や典礼をおこなう司祭のことで、神に生涯を献げるため独身です。一方、プロテスタントの牧師は、伝道や信徒の霊的ケアをおこない、牧師も一般信徒も神の元では身分が平等であるとされているため妻帯が許さます。

次に、カトリックとプロテスタントでは「聖母マリア」への信仰に違いがあります。カトリックでは、「聖母マリアへの祈り」や「マリア像」など、マリアは聖家族の一員であると考えるのに対し、プロテスタントではマリアは普通の人間として考えます。そのため讃美歌「聖しこの夜」では、カトリックは「救いの御子は御母の胸に」と歌うのに対し、プロテスタントでは「救いの御子は馬槽の中に」と歌います。

もう一つ大きな違いは「離婚」についての考えかたです。カトリックでは、互いに自由意志の元に結婚した場合には離婚は認められません。そのため、カトリック教徒が離婚をした場合、厄介者の意味である「黒い羊」とみなされます。

カトリック教会の成り立ちとは?

カトリック教会の成り立ちは、イエス・キリストの誕生から始まります。2000年ほど前、いまのイスラエルのあたりのナザレという地にイエス・いリストは誕生しました。成長したイエスは宣教活動をおこない、神の愛を説いていくにつれてペテロやヤコブ・ヨハネ兄弟、マタイ、そしてユダなどの弟子が増えていきました。

イエスは大衆を扇動した罪で十字架にかかり死刑となりますが、三日後に復活したイエスの姿をみた弟子たちは、神の愛、イエスの生涯、死と復活について伝え始めます。弟子たちが伝道していく中で教会が形成され、信仰の拠点となっていきました。

その後、イエスの教えは地中海地方に広がり、392年にローマ帝国の国教となります。この頃五本山とされる5つの教会が建てられました。その中でも十二使徒の一人ペテロが建てたとされるローマ教会(バチカン市国の聖ピエトロ教会)はカトリック教会の中心となり、ローマ教会の司教は「ペテロの後継者」という特別の地位が与えられました。

ローマ教皇とはどんな人?

ローマ教皇フランシスコ

ローマ教皇とは、カトリック教会の最高位聖職者の称号で、世界に10億人いるカトリック教会の信徒を率いる精神的指導者です。カトリックの総本山であるバチカン市国に居住し、宗教的な地位だけでなく、世界最小の独立国であるバチカン市国の国家元首としての地位も担っています。

カトリック教会では、イエス・キリストが使徒の1人であるペトロに、天国へ行くための鍵を授けたといわれていることから、ペトロを初代教皇と考えます。以降、ローマ教皇は「コンクラーベ」という独自の選挙制度で選ばれ、コンクラーベでは、枢機卿が礼拝堂に籠って繰り返し投票をおこない、全体の3分の2以上の得票によって決定するまでおこなわれます。

カトリック教会においてローマ教皇は、「ペテロの後継者」であり「地上におけるイエスの代理人」とされています。ローマ教皇は、聖職者としての仕事以外にも、世界各国を訪問して各国のリーダーと会談をするなど、世界平和の実現のため尽力しています。

ローマカトリック教会の考え方・教えとは?

7つの大罪

隣人への愛

カトリックでは、「隣人を自分のように愛しなさい」と説いています。ここでいう「自分を愛する」とは、エゴやナルシシズムのような「間違った自己愛」ではなく、自己を否定せず、平和と平安を望み、自分の信念に生きるような「正しく自分を愛する」ことをいいます。正しく自分を愛してこそ、隣人を愛することができると考えます。

ここで言う「隣人」とは、自分の大切な人達だけでなく、見ず知らずの人、さらにはお互いに敵対する人をも含めます。つまり「隣人」とは、自分以外の全ての人を指し、誰か困っている人がいたら、自ら進んで隣人となって助けてあげることが大切だとされています。

罪への意識

カトリックでは、人は生まれながらに罪を背負い、また、日々生きている中で罪を作っていると考えます。そこで、「洗礼の秘跡」で信仰の宣言をすることで原罪を含めそれまでの罪が許され、洗礼後に日々犯した罪に対しては「許しの秘蹟(告解)」と「聖体の秘蹟(聖体拝領)」で罪が許されます。

教会には告解室という告解の儀式をおこなうための部屋があり、ここで神父に直接話を聞いてもらいます。告解は、一般的にはミサの前後に神父様をつかまえて、告解させてもらうことが多いようですが、一年の決まった時期に神父さんが対応する日もあるそうです。

離婚と再婚について

カトリックでは、結婚は生涯をかけて誓い合う神聖なものとされており、お互いの自由意志にもとづいて結婚した場合離婚はできません。カトリックでは、結婚は神の導きで、創造主の御業に協力することであるとされているので、離婚という概念自体がありません。ただし、DV、育児放棄、失踪など万が一の救済措置として「婚姻の無効」があり、教会が認めれば成立します。

カトリックにおいて再婚が認められるのは、死別で子供がいる場合です。特に、子供が小さいケースでは、1人親での子育ては困難であることから再婚が認められることが多いようです。

人工中絶の禁止

カトリックでは、人工中絶は最も重い罪の一つで、重大な悪とします。胎児は自分の意思表示も抵抗もできないまま殺されるので、殺人よりも重い罪とされています。中絶は「最も弱いもののそばに立つ」というキリスト教の基本姿勢に反するものと考えられています。

聖書には、「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた」とあり、受精の瞬間から人の命は尊重され保護されることが絶対で、人権が認められています。また、カトリック教会は、人工中絶が重大な悪であるのは不変であると宣言しています。

カトリック教会の歴史年表

前7年「イエス・キリストが生まれる」

キリストの降誕

前7年、イエスはヘロデ王が治めるユダヤ王国のナザレの地で、大工ヨセフと妻マリアの子として誕生しました。

28年「イエスが布教活動を始める」

キリストの布教活動と奇跡

28年、成長したイエスは預言者ヨハネから洗礼を受け、「神の国は近づいた、悔い改めよ」と伝道を開始しました。特に貧民や病に苦しむ人々の中に入り、病を治すなどの奇蹟を起こしたとされています。伝道をしていく中で「十二使徒」と呼ばれるペテロやヤコブ・ヨハネ兄弟、マタイ、ユダなどをはじめとする信者が増えていきました。

30年「イエスの処刑と復活」

イエス・キリストは本当に十字架に釘づけにされたのか

ユダヤ教の指導者や保守派から危険視されていたイエスは、過越祭のため弟子たちとともにイェルサレムを訪れた際、弟子の一人ユダの裏切りにより捕らえられ、処刑されました。イエスの死から三日後に、再び姿を現したイエスを見た弟子たちは神の愛に触れ、イエスこそ救世主だと確信します。イエスの復活により神の愛を確信した弟子たちはイエスの教えを伝える道へと進みます。

64年「キリスト教の伝道と迫害」

イエスの死後、弟子達はイスラエルや地中海地方で布教活動をおこないました。十二使徒のペテロやパウロがローマで布教したことでキリスト教はローマ領内に広まり、「世界宗教」としてのキリスト教へと姿を変えていきます。しかし、キリスト教徒の多くがローマ皇帝崇拝を拒否したため、ネロ帝やディオクレティアヌス帝の時代には激しく迫害されました。

十二使徒の代表的な存在であったペテロもまた、ネロ帝の迫害によって殉教しました。ペテロの墓所となっているローマ教会(聖ピエトロ教会)は、ローマカトリック教会の中心的な教会となり、ローマ皇帝が教会に対する命令権を持ってはいたものの、ローマ司教は特別な地位を与えれれることとなります。

392年「キリスト教が国教となる」

第1ニカイア公会議

キリスト教は313年のミラノ勅令によってローマ帝国での信仰が認められ、392年に国教とされました。国教化とともに教会制度が形成され、ローマ帝国末期には5つの管区にわけて管理するようになりました。大司教がおかれたローマ・コンスタンティノープル・アレクサンドリア・イェルサレム・アンティオキアは「五本山」とされ、信仰の中心となりました。

2世紀ごろには、主教、司祭、補祭と聖職者の地位も定まり、4~5世紀には、都市の主教は「総主教」と呼ばれるようになりました。総主教のトップはペトロやパウロが殉教したローマ教会の司教であり、コンスタンティノポリスが帝都となると、その総主教がローマに次ぐ地位を得ました。

325年のニケーア公会議以降、たびたび公会議が開かれ、アタナシウスが唱えた「三位一体説」が正統となり、5世紀にはアウグスティヌスをはじめとする教父によってキリスト教神学が確立されました。

395年「東西分裂」

カトリックやプロテスタントに東方教会

395年、ローマ帝国は東西に分裂し、ヨーロッパは西のゲルマン人社会と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分かれました。ローマ帝国の分裂に伴い、キリスト教も東西に分裂していきます。

西ヨーロッパではローマ教会の大司教が「教皇」と呼ばれ、最も地位の高い存在となりますが、政治的な後ろ建てがなかったため、フランク王国と結びついて影響力を拡大します。一方、東ヨーロッパではコンスタンティノープル教会が皇帝と結びついて権力を高めていきました。

1054年「カトリックと正教会にわかれる」

パリ&モンサンミッシェル3日間

ローマ教会は「自分たは普遍的だ」という意味で「カトリック(普遍)」と名乗り、コンスタンティノープル教会は「自分たちが正しい教会だ」と「正教会」を名乗ったことで、カトリック教会と正教会に分裂しました。

カトリックは、各国王や貴族と結びつきを継続し権力を維持します。各地に修道院をつくりキリスト教を広め、現在世界遺産となっているサン=ピエトロ大聖堂、ケルン大聖堂、モン=サン=ミシェル修道院などが建設されました。カトリック教会は、ローマ教皇を中心に、政治・社会・文化の上で重要な存在となり、次第に皇帝の権力を上回る権威を確立しました。

正教会では、ハギア=ソフィア聖堂が建てられ、他にもアンティオキアやエルサレム、アレクサンドリアなどでも教会が建てられ、後にスラヴ人との交流が進んだことでロシア正教会が派生しました。

1096年「十字軍運動が始まる」

十字軍

十字軍は、イスラム勢力が聖地エルサレムに侵攻したことから、ビザンツ帝国がローマ教皇に助けを求めたことがきっかけで始まりました。1096年、ローマ教皇ウルバヌス2世は聖地エルサレの奪還を呼びかけ、各地の諸侯、騎士団や修道院、一般の民衆を巻き込んで聖地エルサレムをめざしました。3年後には、十字軍によるエルサレムの占領に成功しましました。

十字軍は1270年までに7回おこなわれましたが、始めは成功したものの死だ英に足並みがそろわなくなり、失敗を重ねていきます。十字軍の失敗とともに、教会に対する批判が高まり始めました。

1517年「宗教改革が起こる」

マルティン・ルター

1517年、教皇レオ10世による免罪符に対して疑問をもったドイツの神学者マルティン・ルターが、「九十五か条の論題」を教会のドアに貼り付けたこがきっかけで宗教改革が始まりました。ルターと同じく教会の支配に疑問を持っていた諸侯や農民の間でルターへの支持が拡がり、「人は信仰によってのみ救われる」というルターの新教とカトリックの対立は深まります。1555年のアウクスブルクの和議で新教の信仰が認められたことで対立は終結します。

スイスでは、人文学者であったカルヴァンが宗教改革の中心となり、カトリック教会や教皇の権威を否定し、ルターと同じように「信仰によってのみ救われる」と説きました。カトリックに対抗するルター派やカルヴァン派などを「プロテスタント(抗議する者)」と呼ぶようになります。

イギリスでは、離婚を認めないカトリック教会に対し不満も持った国王ヘンリー8世がカトリック教会と対立しました。ヘンリー8世は、イギリス国内の教会は国王が支配するという「国王至上法」を制定してカトリックから離脱し、イギリス国教会を作りました。

このように、ヨーロッパ各国で起きた宗教改革によって、西ヨーロッパは、カトリックと、プロテスタントと、イギリス国教会に分かれました。

1534年「イエズス会の成立と海外進出」

聖フランシスコ・ザビエル像

イエズス会は、1534年にイグナティウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって結成された修道会で、「ローマ教皇への絶対服従、神と教皇の戦士として伝道」を使命とし、宗教改革へ対抗するために教皇に中世を誓う若者たちで作られました。

イエズス会は宣教師の育成に努め、大航海時代の流れに乗る形でアメリカ新大陸やアジア、アフリカにキリスト教宣教師を派遣しました。1549年、日本に上陸したフランシスコ・ザビエルは、日本でキリスト教の布教活動をおこないました。

16世紀から18世紀まで海外で積極的な布教活動をおこなったイエズス会ですが、国家政策との対立問題などから、1773年に教皇クレメンス14世によって解散させられました。その後、1814年に再興されるとさらに組織を拡大し、子供や女性の教育に重きをおいて世界各国にカトリックの学校を設立していきました。

1869年「第1バチカン公会議」

19世紀は、ガリレオやコペルニクスなど合理主義の台頭や、フランス革命やアメリカ独立などの影響で、カトリック教会の排斥が進みましたが、1869年に開かれた第1バチカン公会議で、カトリック教会は再び力を取り戻します。男女それぞれの修道会は、霊的指導や教育、福祉や医療、学問、芸術など様々な分野で活動し、その活躍は国際的に拡大していきました。

南北戦争後の北アメリカでは、カトリック宣教会の活躍によってカトリック教会は急成長し、プロテスタント国であるアメリカにおいて、カトリック信者を増やすことに成功しました。

20世紀以降のカトリック教会

第2バチカン会議

19世紀には、マルクス主義の台頭やロシア革命の勃発で、カトリック教会は社会問題に取り組むようになりました。20世紀になると、カトリック教会は、二つの世界大戦や東西冷戦などの影響で様々な改革を余儀なくされます。

1962年の第2バチカン公会議では、長い間の閉鎖主義を撤回し、カトリックの伝統を保ちながら「開かれた教会」をめざすこととなりました。現在は、プロテスタント教会との合同運動、他宗教との対話をはじめ、平和運動や学術交流などをおこなっています。

ローマカトリック教会の関連作品

書籍・本

ローマ・カトリック教会の歴史

イエス・キリストの復活から現代まで、時代ごとの世界情勢と教義と組織を合わせて、カトリック教会が現在までどのような道を歩んできたのか説明がされています。主にローマ・カトリック教会の組織としての視点からみた歴史が書かれています。カラー図解で分かりやすく、綺麗にまとまっています。

ローマ教皇歴代誌

2000年にわたりキリスト教徒を導き、ヨーロッパの政治や文化に影響を与えてきた歴代教皇全員について説明されています。初代教皇の聖ペテロからヨハネ・パウロ二世まで、実に263人の教皇の本名、出身地、在位期間などはもちろん、逸話なども盛り込まれていて面白く読めます。

図説 宗教改革 (ふくろうの本/世界の歴史)

ヨーロッパの宗教改革について図説で紹介しています。宗教改革について知りたい初心者の方におすすめの一冊です。

ローマカトリック教会に関するまとめ

ローマカトリック教会についてご紹介してきました。ローマカトリック教会は、キリストの誕生から2000年の間迫害や改革を経て、現在世界中に10億人以上の信徒を持つ最大の宗教となりました。

いつの時代も人の争いは絶えず、世界のどこかではいつも争いが起きています。そのような世界だからこそ、カトリック教会が説く「隣人愛」が大切なのではないかと思います。子の記事がきっかけでローマカトリック教会についての興味を深めて頂ければ嬉しく思います。

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