カトリック教会の歴史年表
前7年「イエス・キリストが生まれる」
前7年、イエスはヘロデ王が治めるユダヤ王国のナザレの地で、大工ヨセフと妻マリアの子として誕生しました。
28年「イエスが布教活動を始める」
28年、成長したイエスは預言者ヨハネから洗礼を受け、「神の国は近づいた、悔い改めよ」と伝道を開始しました。特に貧民や病に苦しむ人々の中に入り、病を治すなどの奇蹟を起こしたとされています。伝道をしていく中で「十二使徒」と呼ばれるペテロやヤコブ・ヨハネ兄弟、マタイ、ユダなどをはじめとする信者が増えていきました。
30年「イエスの処刑と復活」
ユダヤ教の指導者や保守派から危険視されていたイエスは、過越祭のため弟子たちとともにイェルサレムを訪れた際、弟子の一人ユダの裏切りにより捕らえられ、処刑されました。イエスの死から三日後に、再び姿を現したイエスを見た弟子たちは神の愛に触れ、イエスこそ救世主だと確信します。イエスの復活により神の愛を確信した弟子たちはイエスの教えを伝える道へと進みます。
64年「キリスト教の伝道と迫害」
イエスの死後、弟子達はイスラエルや地中海地方で布教活動をおこないました。十二使徒のペテロやパウロがローマで布教したことでキリスト教はローマ領内に広まり、「世界宗教」としてのキリスト教へと姿を変えていきます。しかし、キリスト教徒の多くがローマ皇帝崇拝を拒否したため、ネロ帝やディオクレティアヌス帝の時代には激しく迫害されました。
十二使徒の代表的な存在であったペテロもまた、ネロ帝の迫害によって殉教しました。ペテロの墓所となっているローマ教会(聖ピエトロ教会)は、ローマカトリック教会の中心的な教会となり、ローマ皇帝が教会に対する命令権を持ってはいたものの、ローマ司教は特別な地位を与えれれることとなります。
392年「キリスト教が国教となる」
キリスト教は313年のミラノ勅令によってローマ帝国での信仰が認められ、392年に国教とされました。国教化とともに教会制度が形成され、ローマ帝国末期には5つの管区にわけて管理するようになりました。大司教がおかれたローマ・コンスタンティノープル・アレクサンドリア・イェルサレム・アンティオキアは「五本山」とされ、信仰の中心となりました。
2世紀ごろには、主教、司祭、補祭と聖職者の地位も定まり、4~5世紀には、都市の主教は「総主教」と呼ばれるようになりました。総主教のトップはペトロやパウロが殉教したローマ教会の司教であり、コンスタンティノポリスが帝都となると、その総主教がローマに次ぐ地位を得ました。
325年のニケーア公会議以降、たびたび公会議が開かれ、アタナシウスが唱えた「三位一体説」が正統となり、5世紀にはアウグスティヌスをはじめとする教父によってキリスト教神学が確立されました。
395年「東西分裂」
395年、ローマ帝国は東西に分裂し、ヨーロッパは西のゲルマン人社会と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分かれました。ローマ帝国の分裂に伴い、キリスト教も東西に分裂していきます。
西ヨーロッパではローマ教会の大司教が「教皇」と呼ばれ、最も地位の高い存在となりますが、政治的な後ろ建てがなかったため、フランク王国と結びついて影響力を拡大します。一方、東ヨーロッパではコンスタンティノープル教会が皇帝と結びついて権力を高めていきました。
1054年「カトリックと正教会にわかれる」
ローマ教会は「自分たは普遍的だ」という意味で「カトリック(普遍)」と名乗り、コンスタンティノープル教会は「自分たちが正しい教会だ」と「正教会」を名乗ったことで、カトリック教会と正教会に分裂しました。
カトリックは、各国王や貴族と結びつきを継続し権力を維持します。各地に修道院をつくりキリスト教を広め、現在世界遺産となっているサン=ピエトロ大聖堂、ケルン大聖堂、モン=サン=ミシェル修道院などが建設されました。カトリック教会は、ローマ教皇を中心に、政治・社会・文化の上で重要な存在となり、次第に皇帝の権力を上回る権威を確立しました。
正教会では、ハギア=ソフィア聖堂が建てられ、他にもアンティオキアやエルサレム、アレクサンドリアなどでも教会が建てられ、後にスラヴ人との交流が進んだことでロシア正教会が派生しました。
1096年「十字軍運動が始まる」
十字軍は、イスラム勢力が聖地エルサレムに侵攻したことから、ビザンツ帝国がローマ教皇に助けを求めたことがきっかけで始まりました。1096年、ローマ教皇ウルバヌス2世は聖地エルサレの奪還を呼びかけ、各地の諸侯、騎士団や修道院、一般の民衆を巻き込んで聖地エルサレムをめざしました。3年後には、十字軍によるエルサレムの占領に成功しましました。
十字軍は1270年までに7回おこなわれましたが、始めは成功したものの死だ英に足並みがそろわなくなり、失敗を重ねていきます。十字軍の失敗とともに、教会に対する批判が高まり始めました。