ワイマール憲法が無効になるまでの流れ
世界でもっとも先進的だったという「ワイマール憲法」は、ワイマール共和国が建国された14年間しか試行されませんでした。世界で一番進んでいたといわれる民主主義国家はなぜ短い期間で終わってしまったのか?流れを見ていきます。
1930年:世界恐慌によりナチ党が力を伸ばす
ワイマール共和国は徐々に国際社会への復帰を図り、国際連盟に加入するところまでこぎつけた頃に「世界恐慌」に見舞われます。世界恐慌による影響で失業者が急速に増加し、社会不安を背景に急速にナチ党が台頭していきました。
ナチ党を指導するヒトラーは、ヴェルサイユ体制の打倒とワイマール憲法の元での議会制を全面否定し、議会にとらわれない強力な国家指導者による危機の打破を訴え、共産主義者やユダヤ人を秩序の破壊者という主張をしていました。
最初こそヒトラーの意見に嘲笑していた国民ですが、徐々にドイツ国民の心の隙間に入り込むように徐々にナチ党は支持されるようになってきます。
同年:議員内閣制が停止される
1930年にヒンデンブルク大統領は世界恐慌に対応できずに辞任。そのためヒンデンブルク大統領は大統領緊急命令権により議会内少数派の保守派ブリューニングが大統領に任命されました。
大統領緊急命令権はワイマール憲法の規定により行われたものですが、大統領が次の大統領を任命したことにより、議院内閣制は停止されました。その後短命内閣が続き、1933年には選挙で第一党を獲得したナチ党のヒトラーに内閣発足を命じ、ヒトラー内閣が誕生したのです。
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1933年:ヒトラーが基本的人権を停止させる
政権を掌握したヒトラーは、1933年の2月にベルリンの国会議事堂が放火されたのを共産党員がしたことと断定。共産党員の弾圧するために、ヒトラーはヒンデンブルク大統領の名前で「人民と国家の防衛のために」大統領令を発令しました。
内容は個人の自由や人権・言論・集会・出版の自由を制限し、通信の秘密侵害・家宅捜索や個人財産の制限などを可能にしました。先進的といわれていたワイマール憲法の「基本的人権」はこの時停止されました。
同年:ナチ党が強引に議員制民主主義を停止させる
同年ヒトラーは国会で、ヒトラー内閣は政府が議会の決議なしに法律を制定できるという「全権委任法」を提案します。この時の野党は共産党・社会民主党などですが、共産党は国会放火事件を口実に議員活動が停止されている状態でした。
また社会民主党も弾圧が行われ大半が逮捕され、活動は停止していました。その他の政党もヒトラーの弾圧を恐れて賛成したために、国会自体が国家の立法権を否定するという自殺法案がまかり通ってしまうことになりました。
1934年:大統領制を廃止し憲法は無効状態に
1934年にヒンデンブルク大統領が死去。そのためヒトラーは首相兼大統領の権限を持つ「総統」に就任しました。これにより国民が国家元首を選挙で選出する大統領制は消滅しました。
これによりワイマール共和国は実態をなさなくなり、第三帝国(ナチス=ドイツ)という独裁体制が完成しました。ワイマール憲法は結局正式な手続きで改正されるわけではなく、ひたすら「黙殺」されることにより機能不全に陥ってしまったのでした。
ワイマール憲法が日本に与えた影響とは
ワイマール憲法は、当時の先進憲法として、多くの国の憲法に影響を与えました。1947年に施行された日本国憲法にもいくつもの規定が継承されています。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
電子政府の総合窓口「e-Gov」日本国憲法
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
生存権についての規定です。ワイマール憲法の規定よりも具体的に「健康で文化的な最低限度の生活」という言葉で書かれています。生活保護の根拠とされ、国民生活を破綻からまもりつつ自立を助けることを目的に生活保護法で具体化されています。
第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
電子政府の総合窓口「e-Gov」日本国憲法
労働者の権利についての規定です。いわゆる労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)を保障する規定がおかれています。この規定をもとに、労働法というジャンルに属する個別の法律がつくられています。
ワイマール憲法についてのまとめ
ワイマール憲法が当時の世界でもっとも先進的・画期的な憲法であったことは間違いありません。それは、ワイマール憲法と同様の規定が各国の憲法に継承されていったことからも明らかです。ただ、よかれと思って置いた大統領の「非常事態権限」がヒトラーとナチスに悪用され、あっけなく機能停止に陥ったのでした。
肝心なのは、この問題は「たまたま起こったこと」ではないということです。たしかに、非常時に国が超法規的な措置をとることは、一見合理的だと考えられます。しかし、それをどう監視し管理していくのか。国家の独走に歯止めをかける仕組みづくりをしておかなければなりません。いついかなる国の憲法であっても、同様の問題は起こり得ます。
ワイマール憲法を単に「画期的な憲法だった」で終わらずに、これから先の憲法観に生かしていかなければならないと考えています。あなたは、どう感じられたでしょうか。