「ワイマール憲法ってどんな内容?」
「特徴や問題点、歴史を知りたい!」
ワイマール憲法(もしくはヴァイマル憲法)は学校の歴史の授業では、「制定当時、世界でもっとも民主的な憲法だった」と教科書にも登場し、そのとおり、当時としては先進的で画期的な憲法として注目されました。
しかし、ワイマール憲法には、大きな落とし穴がありました。そのために、一国の歴史を、民主的とは真逆の方向へと突き進めてしまったのです。そればかりか、数えきれない人の命が文字通り露と消えてしまう悲劇を生みました。
この記事では、そんなワイマール憲法が、どのような経緯で、いつ、どのように作られたのかを解説しつつ、あわせてその特徴や問題点についてお伝えしていきたいと思います。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ワイマール憲法(ヴァイマル憲法)とは?
第一次世界大戦後のドイツ国に成立した共和制国家「ワイマール(ヴァイマル)共和国」(1919-1933年)の憲法で、当時、世界でもっとも民主的な規定を盛りこんだ憲法でした。なお、ワイマールとはドイツ・チューリンゲン州にある都市の名前です。
ワイマール憲法の先進的といわれる理由は、「社会権」その中でもとりわけ「生存権」の規定を置いたところです。当時、他の国の憲法で認められていた人権は、人身の自由や財産権といったような、国から干渉されない「国家からの自由」というものでした。
その点、ワイマール憲法はもう一歩踏み込んで、国が積極的に弱者救済を行う人権(「国家による自由」とよばれます)を導入しています。
そんなワイマール憲法は、いったい、いつ・どのように作られたのでしょうか。
ワイマール憲法成立までの経緯
1914年 | 第一次世界大戦勃発 |
1918年3月 | カイザー攻勢失敗、ドイツ敗戦濃厚に |
11月 | キールでの水兵反乱、皇帝退位を表明・亡命、休戦 |
1919年1月 | ワイマール連合(社会民主党、ドイツ民主党、中央党)が政権樹立 パリ講和会議(~1920年8月)はじまる |
6月 | ヴェルサイユ条約に調印、莫大な賠償金支払い義務を負う |
7月 | ワイマール憲法制定、交付・施行 |
以下では、1919年の前後にわけて、解説しています。
第一次世界大戦とドイツ革命
第一次大戦までのドイツは皇帝が強大な権力をもち国政を司る「立憲君主制」でした。ヨーロッパを中心とする帝国が互いに植民地を奪い合う「帝国主義」が横行した結果、史上類をみない規模の戦争を引き起こします。第一次世界大戦の勃発です。
1914年、ドイツは、オーストリア・イタリアと組み(三国同盟)、フランスを支援するイギリス・ロシア(三国協商)と長期戦・総力戦をくりひろげますが、イタリアの離脱やアメリカの参戦から、ドイツ側の敗戦は決定的となりました。
大戦末期の1919年、ドイツ国内では、キール軍港の水兵の反乱がきっかけとなり、群衆も蜂起するドイツ革命(11月革命ともよばれる)が起こりました。その結果、皇帝ヴィルヘルム2世は退位し、オランダに亡命してしまいます。
ワイマール共和国の誕生
1919年1月19日に国民議会選挙が実施されます。この選挙で第一党となった社会民主党が国民議会を招集、ワイマール共和国が誕生しました。このとき政権運営にあたったのが、社会民主党のほか中央党、ドイツ民主党です。
政治体制の大転換を行い、しかも共和制を敷くわけですから、あたらしい憲法が必要です。法学者のフーゴー・プロイスが憲法草案を起草し、7月末に国民議会で可決されます。こうして誕生したのが、ワイマール憲法でした。その後、大統領・フリードリヒ・エーベルト(1871-1925)の認証を得て、8月14日に公布・施行されました。
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ワイマール憲法の内容は?前文と5つの特徴
それでは、「画期的」とよばれたワイマール憲法の内容について、前文と5つの特徴を見ていきましょう。
前文
前文(原文):Das Deutsche Volk einig in seinen Stämmen und von dem Willen beseelt, sein Reich in Freiheit und Gerechtigkeit zu erneuen und zu festigen, dem inneren und dem äußeren Frieden zu dienen und den gesellschaftlichen Fortschritt zu fördern, hat sich diese Verfassung gegeben.
(訳):ドイツ民族は、その諸部族の一致のもとに、かつ、国家を自由と正義とにおいて新しくかつ確固たるものにし、国内国外の平和に奉仕し、そして社会の進歩を促進せんとする意思に心満たされて,この憲法を自らに与えた。(ワイマール憲法前文)
憲法の前文として、憲法制定に至る理念を表しています。「諸部族の一致」「国内国外の平和に奉仕」という言葉づかいにも、第一次世界大戦の結果を踏まえ国のあり方に向き合おうとする姿勢が見えています。
5つの特徴
特徴1:国民主権
ドイツ共和国は共和国であって、その国家権力は国民に由来する。(ワイマール憲法第1条)
先進的と名高いワイマール憲法の特徴のひとつは、「国民主権」を採用したところにあります。
それまでは皇帝が治める国だったことからも、日本でいえば「明治維新」のよう
な一大転換期となりました。
特徴2:男女による普通選挙
議員は、普通、平等、直接および秘密の選挙において、比例代表の諸原則に従い、満20歳以上の男女によって選出される。(ワイマール憲法第21条)
国民はそれまでの被治者から、あらたに主権者となり、国会議員や大統領までをも直接選挙で決められる「選挙権」を手にします。それだけでなく、憲法改正や国民立法の権限までも認められていました。
なお、日本で同様の男女普通選挙が実現したのは、ワイマール憲法施行から遅れること26年後の1945年、日本国憲法施行からでした。