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ワイマール憲法(ヴィマイル憲法)とは?内容や特徴、日本への影響を解説

「ワイマール憲法ってどんな内容?」
「特徴や問題点、歴史を知りたい!」

ワイマール憲法(もしくはヴァイマル憲法)は学校の歴史の授業では、「制定当時、世界でもっとも民主的な憲法だった」と教科書にも登場し、そのとおり、当時としては先進的で画期的な憲法として注目されました。

しかし、ワイマール憲法には、大きな落とし穴がありました。そのために、一国の歴史を、民主的とは真逆の方向へと突き進めてしまったのです。そればかりか、数えきれない人の命が文字通り露と消えてしまう悲劇を生みました。

この記事では、そんなワイマール憲法が、どのような経緯で、いつ、どのように作られたのかを解説しつつ、あわせてその特徴や問題点についてお伝えしていきたいと思います。

ワイマール憲法(ヴァイマル憲法)とは?

ワイマール憲法を分かりやすく説明すると?

第一次世界大戦後のドイツ国に成立した共和制国家「ワイマール(ヴァイマル)共和国」(1919-1933年)の憲法で、当時、世界でもっとも民主的な規定を盛りこんだ憲法でした。なお、ワイマールとはドイツ・チューリンゲン州にある都市の名前です。

ドイツの都市・ワイマールは、文豪ゲーテゆかりの街でもある

ワイマール憲法の先進的といわれる理由は、「社会権」その中でもとりわけ「生存権」の規定を置いたところです。当時、他の国の憲法で認められていた人権は、人身の自由や財産権といったような、国から干渉されない「国家からの自由」というものでした。

その点、ワイマール憲法はもう一歩踏み込んで、国が積極的に弱者救済を行う人権(「国家による自由」とよばれます)を導入しています。

そんなワイマール憲法は、いったい、いつ・どのように作られたのでしょうか。

成立経緯

1914年第一次世界大戦勃発
1918年3月カイザー攻勢失敗、ドイツ敗戦濃厚に
11月キールでの水兵反乱、皇帝退位を表明・亡命、休戦
1919年1月ワイマール連合(社会民主党、ドイツ民主党、中央党)が政権樹立
パリ講和会議(~1920年8月)はじまる
6月ヴェルサイユ条約に調印、莫大な賠償金支払い義務を負う
7月ワイマール憲法制定、交付・施行

以下では、1919年の前後にわけて、解説しています。

第一次世界大戦とドイツ革命

ドイツ革命

第一次大戦までのドイツは皇帝が強大な権力をもち国政を司る「立憲君主制」でした。ヨーロッパを中心とする帝国が互いに植民地を奪い合う「帝国主義」が横行した結果、史上類をみない規模の戦争を引き起こします。第一次世界大戦の勃発です。
    
1914年、ドイツは、オーストリア・イタリアと組み(三国同盟)、フランスを支援するイギリス・ロシア(三国協商)と長期戦・総力戦をくりひろげますが、イタリアの離脱やアメリカの参戦から、ドイツ側の敗戦は決定的となりました。

大戦末期の1919年、ドイツ国内では、キール軍港の水兵の反乱がきっかけとなり、群衆も蜂起するドイツ革命(11月革命ともよばれる)が起こりました。その結果、皇帝ヴィルヘルム2世は退位し、オランダに亡命してしまいます。

ワイマール共和国の誕生

1919年1月19日に国民議会選挙が実施されます。この選挙で第一党となった社会民主党が国民議会を招集、ワイマール共和国が誕生しました。このとき政権運営にあたったのが、社会民主党のほか中央党、ドイツ民主党です。

政治体制の大転換を行い、しかも共和制を敷くわけですから、あたらしい憲法が必要です。法学者のフーゴー・プロイスが憲法草案を起草し、7月末に国民議会で可決されます。こうして誕生したのが、ワイマール憲法でした。その後、大統領・フリードリヒ・エーベルト(1871-1925)の認証を得て、8月14日に公布・施行されました。

ワイマール憲法の内容は?前文と5つの特徴

それでは、「画期的」とよばれたワイマール憲法の内容について、前文と5つの特徴を見ていきましょう。

ワイマール憲法の起草者、フーゴー・プロイス

前文

前文(原文):Das Deutsche Volk einig in seinen Stämmen und von dem Willen beseelt, sein Reich in Freiheit und Gerechtigkeit zu erneuen und zu festigen, dem inneren und dem äußeren Frieden zu dienen und den gesellschaftlichen Fortschritt zu fördern, hat sich diese Verfassung gegeben.

(訳):ドイツ民族は、その諸部族の一致のもとに、かつ、国家を自由と正義とにおいて新しくかつ確固たるものにし、国内国外の平和に奉仕し、そして社会の進歩を促進せんとする意思に心満たされて,この憲法を自らに与えた。(ワイマール憲法前文)

憲法の前文として、憲法制定に至る理念を表しています。「諸部族の一致」「国内国外の平和に奉仕」という言葉づかいにも、第一次世界大戦の結果を踏まえ国のあり方に向き合おうとする姿勢が見えています。

5つの特徴

特徴1:国民主権

ドイツ共和国は共和国であって、その国家権力は国民に由来する。(ワイマール憲法第1条)

先進的と名高いワイマール憲法の特徴のひとつは、「国民主権」を採用したところにあります。

それまでは皇帝が治める国だったことからも、日本でいえば「明治維新」のよう
な一大転換期となりました。

特徴2:男女による普通選挙

議員は、普通、平等、直接および秘密の選挙において、比例代表の諸原則に従い、満20歳以上の男女によって選出される。(ワイマール憲法第21条)

国民はそれまでの被治者から、あらたに主権者となり、国会議員や大統領までをも直接選挙で決められる「選挙権」を手にします。それだけでなく、憲法改正や国民立法の権限までも認められていました。

なお、日本で同様の男女普通選挙が実現したのは、ワイマール憲法施行から遅れること26年後の1945年、日本国憲法施行からでした。

特徴3:議会制民主主義と大統領による権力分立

初代大統領フリードリヒ・エーベルト

議会は、ドイツ国民の選出する議員がこれを構成する(ワイマール憲法第20条)
議会における議員と大統領は、いずれも国民が選挙で決定するという原則をつくり、その上で大統領の任免する大臣には議会に対して責任を負わせ、かつ議会に大統領解職の提案権をもたせました。反対に、大統領は議会の解散権をもち、議会と意見を違えたときは国民投票で決する権限がありました。要するに、立法権と行政権とを分離し、権力の均衡を図っていたといえます。

現代では、立法、行政と司法の三権を均衡させる「三権分立」が有名ですが、この時代は立法と行政をわけることでそれを成そうとしていました。

特徴4:生存権(社会権)

経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない。この限界内で,個人の経済的自由は、確保されなければならない。(ワイマール憲法第151条)

特徴5:労働者の権利(社会権)

労働条件と経済条件の維持と改善とを目ざす団結の自由は、あらゆる人々とあらゆる職業に対して保障される。(以下略)(ワイマール憲法第159条)

従来の「国家からの自由」の保障によって認められていた自由権にくわえ、国家による積極的な保護や救済を要請する規定が、このワイマール憲法の最大の特徴といえます。

もちろん実際の運用上はプログラム規定(訓示規定)の一つとされるにとどまりました。しかし、社会国家の理念が明文で規定されたことには大きな意義がありました。

ワイマール憲法の問題点とは

このように、画期的・先進的だったワイマール憲法ですが、その実20年余りで機能停止に陥っています。その原因は、ワイマール憲法自身に定められた、大統領の権限に関する「ある規定」でした。

演説をするアドルフ・ヒトラー

最大の欠点は「非常事態権限」

ワイマール憲法最大の欠点は、「非常事態権限」(ワイマール憲法第48条)の規定にあります。先進的なワイマール憲法の脆弱性。それはまさに「蟻の一穴」となりうるものだったのです。

「公共の安全および秩序が著しく乱され、また危機にさらされる時、共和国大統領は公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ,」「基本権の全部または一部を停止することができる。」

2016年10月31日-飯島 滋明「ヒトラー・ナチス政権下における「非常事態権限」(ヴァイマール憲法48条)と「国民投票」」(『名古屋学院大学論集 社会科学篇』より)

一見、合理的ともみえるこの規定がどうして欠点なのでしょうか。以下、当時のワイマール共和国の社会的な情勢もあわせてみてきましょう。

ナチスの台頭

ナチスの党旗

第一次世界大戦の敗戦国であるドイツにとって、ワイマール憲法が施行されたといっても、依然多くの難題を抱えていました。海外の植民地を失い、軍備は削られ、莫大な賠償金を支払わねばならなかったのです。

巨額の債務を履行するには紙幣増刷に頼らざるを得ず、結果、ハイパーインフレにより貨幣価値は底なしの下落をつづけます。政情も経済情勢も不安定な中、急速に支持勢力をのばしたのが、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)でした。

ワイマール憲法の最後

こうした戦後の処理という難局をようやく乗り越え、ワイマール共和国はロカルノ条約(1925年)を締結、国際社会に復帰を図ります。しかし、ワイマール共和国が国際連盟に加盟するところまでこぎつけたころ、満身創痍のドイツに押し寄せてきたのが、1930年の「世界恐慌」でした。
  
同年の選挙で国会の第一党となったナチス。1933年にはヒトラーが首相に就任し政権を掌握しました。ヒトラーは即座にヒンデンブルク大統領に対し、「民族および国家の保障のためのライヒ大統領令」を発令させ、ワイマール憲法に定める基本権などを停止させます。さらに同年「全権委任法」を成立させるなど、ナチス革命(国民革命)を推し進めました。

ワイマール憲法は、正式な手続によって改正されるでもなく、ナチスとヒトラーによってひたすら「黙殺」というかたちで機能不全に陥ったのでした。

ワイマール憲法が日本に与えた影響とは

日本国憲法

ワイマール憲法は、当時の先進憲法として、多くの国の憲法に影響を与えました。1947年に施行された日本国憲法にもいくつもの規定が継承されています。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

電子政府の総合窓口「e-Gov」日本国憲法

生存権についての規定です。ワイマール憲法の規定よりも具体的に「健康で文化的な最低限度の生活」という言葉で書かれています。生活保護の根拠とされ、国民生活を破綻からまもりつつ自立を助けることを目的に生活保護法で具体化されています。

第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

電子政府の総合窓口「e-Gov」日本国憲法

労働者の権利についての規定です。いわゆる労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)を保障する規定がおかれています。この規定をもとに、労働法というジャンルに属する個別の法律がつくられています。

ワイマール憲法についてのまとめ

ワイマール憲法が当時の世界でもっとも先進的・画期的な憲法であったことは間違いありません。それは、ワイマール憲法と同様の規定が各国の憲法に継承されていったことからも明らかです。ただ、よかれと思って置いた大統領の「非常事態権限」がヒトラーとナチスに悪用され、あっけなく機能停止に陥ったのでした。

肝心なのは、この問題は「たまたま起こったこと」ではないということです。たしかに、非常時に国が超法規的な措置をとることは、一見合理的だと考えられます。しかし、それをどう監視し管理していくのか。国家の独走に歯止めをかける仕組みづくりをしておかなければなりません。いついかなる国の憲法であっても、同様の問題は起こり得ます。

ワイマール憲法を単に「画期的な憲法だった」で終わらずに、これから先の憲法観に生かしていかなければならないと考えています。あなたは、どう感じられたでしょうか。

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