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フェリックス・メンデルスゾーンとはどんな人?生涯・年表まとめ

皆さんは「メンデルスゾーン」という作曲家・音楽家をご存知でしょうか?もしかしたら、メンデルスゾーンという名前やこの肖像画にあまりピンとこない、という方もいらっしゃるかも知れません。

フェリックス・メンデルスゾーン

彼の本名は「ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ」といいます。何だか難しい名前をしていますが、結婚式でおなじみのあの「結婚行進曲」など、実は私たちにとって身近な楽曲の作曲者です。その他にも、忘れ去られていた昔の偉大な音楽家を再発掘して世に広めたり、専門的な音楽教育のための学校を設立したりと、様々な功績のある音楽家なのです。

今回は演奏家である筆者が、「メンデルスゾーンの素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらいたい」という思いから彼の魅力についてわかりやすくお伝えします。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

メンデルスゾーンとはどんな人物か

名前ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ
誕生日1809年2月3日
没日1847年11月4日
生地プロイセン王国 ベルリン
没地ザクセン王国 ライプツィヒ
配偶者セシル・シャルロット・ソフィ・ジャンルノー
埋葬場所聖三位一体教会(ベルリン)

メンデルスゾーンの生涯をハイライト

恵まれた環境で育った

著名な哲学者である祖父(モーゼフ・メンデルスゾーン)と銀行家の父を持ち、裕福な家庭に誕生したメンデルスゾーンは、その恵まれた環境の中で才能を育んでいきました。両親が自宅で開催するサロンには多数の学者や音楽家が招かれ、メンデルスゾーンは知的で才能溢れる少年へと成長します。

彼は6歳からピアノを習い、また幼少期から多数作曲を手掛けたため、思春期を迎えるころにはすでに作曲家・指揮者・演奏家としてその優れた才能を認められるようになりました。

更に1829年メンデルスゾーンが20歳の頃、J.S.バッハの「マタイ受難曲」を自らの指揮によって再演しました。今日では「音楽の父」とも呼ばれるバッハですが、長くその存在は忘れられており、メンデルスゾーンのこの再演によってその価値を一般的に広めることになったといわれています。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

その後メンデルスゾーンはイギリスやデュッセルドルフ、ライプツィヒ、ベルリンなどで音楽家として活躍し、1843年にはライプツィヒ音楽院(現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学)という音楽学校を設立しました。晩年は過労による体調不良に苦しめられ、1847年に脳卒中で死去します。38歳という若さでした。

人種差別に苦しむことが多かった?

恵まれていたばかりの人生ではなかった

メンデルスゾーンはユダヤ人でした。宗教的には後にルター派のプロテスタント(キリスト教の一派)に改宗しますが、彼自身は自らの出自やユダヤ人であることに誇りを持っていたといわれています。しかしユダヤ人であるというだけで理不尽な差別を受けることは、メンデルスゾーンの人生の中では度々ありました。姉のファニーと外を歩いていたら石を投げられたこともあったようです。

裕福で恵まれた環境、数え切れないほどの功績、更には語学・美術の才能や容姿にも恵まれていたメンデルスゾーンは、同年代の音楽家たちの嫉妬の対象となったのです。それはしばしばメンデルスゾーンの作品評をゆがめるほどのものでした。

決定的なのがメンデルスゾーン死後3年後にR.ワーグナーが書いた「音楽におけるユダヤ性」という書評です。この中でワーグナーはメンデルスゾーンの作品を「繊細で美しいが心を揺さぶる奥深さがない」と評し、残念ながら現在においても音楽評論家やクラシック音楽ファンの中でこのような評価がベースとなっていることがあります。

ワーグナーは同書評の中で同じくマイアベーアというユダヤ人のオペラ作曲家も批判していましたが、はっきりと名指しで中傷したのはメンデルスゾーンだけでした。メンデルスゾーンの死後に書かれていることから(またわざわざ偽名を使ってその批評を執筆したことから)恐らく嫉妬心からの批判であろうと推測されます。

二度の世界大戦で忘れ去られた音楽家

二度の世界大戦は西洋音楽史にも大きなダメージを与えた

20世紀になって第一次世界大戦、第二次世界大戦が勃発し、ユダヤ人であったメンデルスゾーンの存在や作品が貶められていく過程は想像に難くありません。

そのためナチス統制下でメンデルスゾーンの楽曲の演奏は禁じられ、「メンデルスゾーンは音楽の歴史における危険な『事故』として出現したもので、彼が決定的に19世紀のドイツ音楽を『退廃的』にした張本人である」とまで評されました。ライプツィヒにあった彼の銅像は1936年に撤去され、再び代わりの像が建てられたのは2008年のことです。

ここ50年ほどでようやくメンデルスゾーンの楽曲を正当に評価する動きが生まれ、現在メンデルスゾーンの作品は「古典派音楽のバランスの良さ」と「劇的で自由なロマン派音楽の良さ」を兼ね備えた独自の美しさが再評価されています。

メンデルスゾーンの功績

功績1「J.S.バッハの復興」

パリのオペラ座

19世紀は「古楽の復興」つまり古い時代の音楽の良さや音楽家の偉大さに学ぼうという運動が盛んになった時代です。18世紀ごろまでは過去の音楽を再演することなどは滅多にありませんでした。そのため作曲家が亡くなると作品や作曲者なども忘れ去られるのが普通のことだったのです。

しかし産業革命・市民革命などの社会の変化によって庶民がオペラや社交場などに出入りできるようになると、前時代の偉大な音楽家やその楽曲などを見直そうという風潮が生まれました。中でもバッハの作品やその偉大さが見直されたことは音楽史上大変大きな功績だったのです。

詳しくは、以下の記事もご参照ください。

音楽家バッハとはどんな人?生涯・年表まとめ【作品や性格、代表曲も紹介】

メンデルスゾーン以前の時代の音楽家、例えばモーツァルトやベートーヴェンなども密かにバッハの影響を受けて自身の音楽観を深化させていました。また「音楽の父」といわれるバッハは現代のジャズプレイヤーやギタリストたちにも影響を与えるほど、幅広く音楽家たちにインスピレーションを与え続けている存在です。もしメンデルスゾーンがバッハを一般的に広めることがなければ、音楽の歴史や発展も違うものになっていたでしょう。

功績2「モーツァルトをも凌ぐ神童・天才だった?」

12歳の頃のメンデルスゾーン

幼い頃から楽才を表した音楽家と言えば、モーツァルトが思い浮かぶ人が多いでしょう。しかしメンデルスゾーンもモーツァルトに負けず劣らずの神童だったといわれています。

一説には作曲した曲の完成度や洗練度からいうとメンデルスゾーンの方が早熟であったのではないかといわれるほど、幼い頃からその才能をあらわしていました。しかしモーツァルトの時代と比べるとメンデルスゾーンの時代は楽器や製本技術が格段に進化していたり、作曲技法も洗練されていたりしたため、一概にどちらが優れていたと決めることはできません。

功績3「美術・語学、文学などの分野でも才能を発揮」

メンデルスゾーン作の水彩画

更にメンデルスゾーンは音楽以外にも豊かな才能を発揮しました。美術や哲学、文学などへの造詣が深く、多くの詩作や絵画作品を彼自身や家族・友人のために残しています。また母語のドイツ語の他にラテン語、イタリア語、フランス語、英語など6か国語の言語を自在に話すことができたようです。

更にメンデルスゾーンの交友関係はとても豪華で、幼い頃から多数の知識人や有名人たちとのコネクションが豊富でした。これらの要素からメンデルスゾーンは「最も幸せな音楽家」と言われることがあります。彼は実家がお金持ちで、頭が良く音楽の才能があり、人脈にも恵まれ、美男子で、結婚相手も美人。確かにはたから見ると羨ましいほど恵まれています。

しかしメンデルスゾーンは本当に幸せだったのでしょうか?引き続き、彼の生涯と一緒に考えてみましょう。

メンデルスゾーンにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「実は毒舌?同年代の音楽家たちへの痛烈な批判」

保守的な姿勢を貫いた

メンデルスゾーンは同時代の作曲家たちとは友好的な関係を持ちながらも、彼らの急進的な音楽観とは距離を置いていました。ときには痛烈な批判を繰り出していたようですので、少しご紹介したいと思います。

リストに対しては「ピアノ演奏はすごいけど作品はそうでもない」と称し、ベルリオーズに対しては「オーケストラ編成がゴミゴミし過ぎて、楽譜を触った後に手を洗いたくなる」となかなかの悪口を言っています。また当時大人気だったマイアベーアのオペラ「悪魔ロベール」を「浅はかなシナリオ」「安っぽい悪魔」と酷評しており、中々の毒舌であることがわかります。

更に友人に「マイアベーアに(容姿や髪型が)似てるね」と言われるとカッとなり、急いで髪型を変えてきたりもしていたこともあったようです。余談ですが、実は二人は遠い血縁関係にあったため本当に顔や容姿は似ていたのかもしれません。

都市伝説・武勇伝2「穏やか?癇癪持ち?メンデルスゾーンの性格って?」

突然態度が豹変することがあった。

メンデルスゾーンは穏やかで友好的な性格だと長らく思われていました。しかしそれは甥ゼバスティアン・ヘンゼルの手記の中にいる美化された記憶の中のメンデルスゾーンであり、実際の性格は違ったのではないかと言われています。

実際は冷たく周囲と打ち解けない性格であり、時に脈絡なく興奮して周囲の人を困惑させることもあったようです。晩年になる程その特徴は顕著になり、メンデルスゾーンの死因である「脳卒中」と関連しているのではないかと考えられています。また幼い頃から音楽活動で忙しく、本番や締め切りに追われる日々だったためにストレスや過労が著しかったことも関係しているでしょう。

また父アブラハムや姉のファニーもメンデルスゾーンと同じく急死していることや、彼の息子も精神病院で人生を終えていることから、何か遺伝的な要因があって性格などにも影響していたのではないかとも思われます。

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