音楽家バッハとはどんな人?生涯・年表まとめ【作品や性格、代表曲も紹介】

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(J.S.バッハ)は、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家です。

オルガンやヴァイオリン・フルートなど、さまざまな楽器の名手だったバッハは多くの音楽家に親しまれたことから「音楽の父」とも呼ばれていますね。また、生涯に手掛けた作品は1000曲以上。その作品の膨大さから、1つひとつの曲に番号が振られているほどなんです。

J.S.バッハの肖像

そんな後世の音楽界に大きな影響を与えたバッハですが、「具体的に何をした人かは詳しく知らない…」という方は多くいますよね。音楽の授業で名前や肖像画を見聞きしたことはあっても、バッハの生涯を知る機会はなかったはず。

そこで今回はバッハがどんな人だったのか、その生涯を年表でまとめつつ代表作品や功績をご紹介します。幼い頃バッハの手掛けた楽曲に魅了された著者とともに、彼の生涯に迫っていきましょう。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

バッハとは?生涯をダイジェスト

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名前ヨハン・セバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)
誕生日1685年3月31日
生地神聖ローマ帝国 アイゼナハ(現在のドイツ・アイゼナハ)
没日1750年7月28日
没地神聖ローマ帝国 ライプツィヒ(現在のドイツ・ライプツィヒ)
配偶者マリア・バルバラ・バッハ(1720年病没)
アンナ・マグダレーナ・ヴィルケ(ソプラノ歌手・音楽家)
埋葬場所聖トーマス教会

J.S.バッハは1685年3月31日現在のドイツ・アイゼナハに生まれました。宗教改革を行ったマルティン・ルターもアイゼナハ出身ということもあり、一家でルター派のプロテスタント教徒であったことがわかっています。

オルガン奏者としてキャリアを積む

18歳の頃、バッハはヴァイマルの宮廷楽団のヴァイオリニストとして就職しますが、代役としてオルガン演奏も担当するようになり、その後もオルガニストとしてのキャリアを積み上げていくことになります。

1706年にマリア・バルバラと結婚し7名の子どもを授かりますが、マリアは1720年にバッハの出張中に急逝します。翌年、バッハはまだ幼い子どもたちのためにと16歳年下のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚しました。彼女は優れたソプラノ歌手であり、同じ音楽家としてバッハの仕事を助けることになります。

バッハはかなりの働き者だった

1723年にバッハはライプツィヒの聖トーマス教会にてカントルという仕事に就きました。当時のカントルの仕事はオルガン演奏家と作曲家、合唱指揮者、さらに小学校教諭の仕事を兼任したような仕事で、バッハも日々激務だったということが伝わっています。

1749年5月末にバッハは脳卒中で倒れました。何とか命は取り留めましたが、次いで眼科手術に失敗するなど度重なる不運と体調不良のため、病床に伏したまま1750年7月28日にこの世を去りました。

バッハの性格や活躍した時代

勤勉でありながらトラブルメーカーでもあった

「洋服を着た勤勉」とまでいわれた

バッハがどのような性格をしていて、どんなことを言ったのか?ということに関しては、残された手紙や語録の少なさからわかっていないことも多いと思われます。しかし、バッハのことを研究している学者などの間では「バッハはとても真面目」な性格なのではないかと推測されており、その度合いは極端すぎるほどだったのではないか、とも思われています。

具体的なエピソードについては、以下の記事にて記載させていただきました。バッハの人となりや作品への関連など興味がある方は、併せてお読みください。

バッハはどんな性格だった?発言や行動から人物像を考察

しかしそんなバッハに対して、バッハ息子たちは楽観的で外向的な性格をしていたことがわかっています。これはバッハの2番目の妻であり、人気ソプラノ歌手であったアンナ・マグダレーナの性格を引き継いでいたといわれています。

バロック時代に活躍

バロック時代に活躍したバッハ

バッハが生きていた時代は音楽史でいうと「バロック時代(バロック音楽)」と分類されます。世界史でいえば王侯貴族に権力が集中した「絶対王政」の全盛期とほぼ同じです。バッハはその時代の中でも一番後期に登場した人物で、バッハの没年がバロック時代の終わりの年であると定義されることも多いです。

バロック音楽は同時代の美術や建築と同様に、生き生きとした躍動感やドラマティックな感情表現を追及しているのが特徴です。特にこの時代は王侯貴族のためにオペラが盛んに上演されるようになり、イタリアやフランスではオペラが目覚ましい発展を遂げていきました。

しかしバッハはバロック時代の代表的な音楽家でありながらも、オペラを作曲していません。バッハが活躍したのはドイツの教会などが中心であったため、劇場で仕事をすることがなかったのです。このように他の代表的なバロック時代の音楽家たちとバッハでは、作曲ジャンルや作風で異なる部分があるのも特徴です。

偉大な音楽家に愛されながらメンデルスゾーンに再発見された

バッハの死後は作品たちは急速に忘れ去られることになります。当時の音楽の流行は、より「わかりやすく」「聴きやすく」「取っつきやすい」ものへと変化していったのに対し、当時のバッハ作品は対位法を極限まで進化させた精緻なものでした。

精巧で完成度が高い作品であるからこそ、皮肉にもバッハの楽曲は「難解なもの」とみなされ、時代遅れの作風とされました。また、当時は楽曲が再演されることが珍しかったということもあり、J.S.バッハの楽曲は80年ほど聴衆に忘れられることになります。

モーツァルトなどに影響を与えた

しかし誰からも忘れ去られていたわけではなく、モーツァルトやベートーベン、リストなどに影響を与えながら細々と愛好家たちの間でその音楽は受け継がれていきました。

ベートーベンとはどんな人?生涯・年表まとめ【性格や功績、死因も簡単に紹介】

そして18世紀の後半頃より「古楽」の研究が活発になったという時代の動きもあって、1829年3月11日メンデルスゾーンが20歳の若さでバッハの晩年の大作「マタイ受難曲」を指揮し、大成功させました。このことをきっかけにバッハの作品が大きく見直され、今日の評価に至ります。

バッハの代表曲や名曲

多作で有名なバッハ。その数なんと1000曲を超えます。

「G線上のアリアは知っているけど、それ以外の曲あんまり知らない・・・」

という方も少なくはないと思います。そこでバッハの代表曲・人気曲・隠れた名曲などをまとめました。それだけで一つの記事になってしまうのでもし興味がある方は下記の記事からご覧ください。

  • 「オルガン編」バッハの代表曲3選
  • 「鍵盤曲編」バッハの代表曲2選
  • 「無伴奏曲編」バッハの代表曲2選
  • 「マタイ受難曲編」バッハの代表曲2選
  • あのミュージシャンたちも?意外すぎるバッハのカバー曲2選
  • 筆者オススメの隠れたバッハの名曲編

【隠れた名曲も】バッハの代表曲13選!ジャンルごとに分けて紹介

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7 COMMENTS

早乙女和完

ありがとうございます。様々に参考になりました!バッハは教会で即興演奏をして!乗りすぎてミサの前に相当長い時間演奏しすぎて!教会オルガニストを首になり、様々な教会オルガニストを職業として渡り歩いたと聞きます!又作った曲はあまり厳密な譜面に残さず!息子たちが譜面化させたと聞ききます!詳細は割愛しますが!私はそんなバッハの神ががった演奏をあこがれる!無名の細竿三味線弾きです!そんな情報を知りたくてコメントしました!

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